列車イラストについて書く 及び豆列車曼荼羅(全2頁)




私には時間がありません。残り少ない余命、後何日生きられるかと言う問題は、列車イラストに対する意識を変える事を強います。
私は「空腹時喫飯症候群」と言う難病を背負っています。掛かり付け医師は「保って後50年」位しか生きられないと診断しました。

であるならば、遺された時間をどう有効活用するか、です。先ほども書いた通り、拡大画像は納得が行く仕上がりまでに大変な時間を要します。
そこで以前手すさみに描き出した豆列車イラストを展開して見る事にしました。



自分としては、1pcの差異で車両の特徴を描き分けられる最小限の大きさがこれです。
屋根を1pc下げる事で低屋根800番台を表現できますし、111系と153系の幕板のラインもギリギリ表現できます。

以下は、これまで描いた「お題別」豆列車曼荼羅。お急ぎでない方はどうぞ。





これは習作の10系20系30系、旧塗色、首都圏色。及び55系各種。




上記を発展させて、70年代前半と後半の相模線曼荼羅。




さらに展開して、70年代中盤の橋本駅曼荼羅。




西へ飛んで、60年代初期の中央線通勤区間曼荼羅。




同地点で時代を少し進めて、70年代前半の中央線通勤区間曼荼羅。




今度は相模線を南へ下って、70年代前半の東海道本線曼荼羅。




同地点で時代を巻き戻して、東海道本線優等列車曼荼羅。




時空を一挙に飛んで、80年代初期の磐越西線普通列車曼荼羅。




同時代同地域でスピンオフ。日中線全列車曼荼羅。




今度は架空の国鉄遠美線曼荼羅。60年代前半。




時代を下って、遠美線70年代後半曼荼羅。



お題に沿って列車編成を並べるのも愉しいのですが、背景を付けて「風景の中を走る豆列車」にして見たのがこちらです。





雪山を背景に往く旧型国電。




同じ背景でも旧旧塗装の気動車だと趣も異なります。




同じく115系電車。




これはお遊び。同地点の線路が高速道路の用地になった姿。




戦中から戦後間もなくの東海道本線のイメージ。




雪の奥羽本線のイメージ。



このような感じでまだまだ遊べそうです。あ、から、体が…。




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