源氏の庭」の銘は源氏物語千年紀事業呼びかけ人代表の 
裏千家前家元・千玄室氏の揮毫による。 

なでしこ(別名・常夏)
 第二十六帖 常夏

「常夏(とこなつ)の名で呼ぶ時は 
「寝床」を掛けて恋人を示し 
「撫子」と呼ぶ時には「撫でる」を 
掛けて幼子の意味で詠むことが多い。
この巻きの撫子とはかっての源氏の恋人 
夕顔の子供・(なでしこ)玉鬘のことである。 

石踊達哉氏の画家の目

源氏は撫子をこよなく愛し好んで植えさせ、其の咲き乱れる様を楽しんだ。
巻名の「常夏」に因んで炎暑の庭先に咲く撫子をモチーフにした。曲水の宴 
をイメージし、中央に群青、其の周りを金箔、緑青で彩り、無数の撫子を咲かせた。 
手前に赤と白を対比させポイントにした。

    桔梗 
第五十三帖 手習い

宇治十帖最後のヒロイン浮舟は宇治川に入水後  
横川の僧都に救われて宇治を離れ比叡山の麓・  
小野の草庵に身を寄せる。意識を回復した浮舟は  
其の山里の風景の中に秋の七草、桔梗を見る。

Webより  

   女郎花
第五十二帖 蜻蛉  
   Webより

女郎花は和歌では女性をなぞらえて詠まれることが  
ほとんどである。「蜻蛉」の巻の中でも薫君が浮舟を失って 
内心は喪失感を抱きつつも、うわべは侍女達を女郎花に譬えて 
「女郎花の咲き乱れる野辺に立ち入っても誰も私を好色などと 
言いはしないでしょう。私の真面目さをご存知ですからね。」と 
如才なく歌を詠む場面がある。

「萱草」は衣服の色を言う。黒味を帯びた黄色で喪服や尼衣 
に用いる。五十三帖「手習」では出家して尼になった浮舟の姿を 
「薄鈍色の綾の上着を掛け、中には萱草色など地味な色のものを着て 
たいそう小柄で綺麗な体つきをしているうえ、今風の顔立ちに、尼そぎ 
に切りそろえた髪の裾が五重の扇を広げたように豊かだ。」と描いている。 

  藪萱草 
第五十三帖 手習 
これはこの秋土手で 
撮ったもの。

    酸漿 
第二十八帖 野分  
    Webより  

野分の明日、夕霧は六条院の姫君達の所へ野分(台風)の 
お見舞いに出かける。そこで日頃は見ることの出来ない姫君達を  
垣間見る。夕霧は玉鬘の笑顔を次のように語っている。 
「肌の色や頬の辺りが実に美しく、酸漿とかいうもののように  
ふっくらとして、かかった髪の間から覗くお顔が可愛らしい。」

   紅花 
第六帖 末摘花 Webより

末摘花は紅花の別名の一つで六帖の巻名になっている。 
源氏は琴だけを弾いて寂しくく暮らす姫君のことを聞き好奇心から  
この巻の女主人公、末摘花の所に通うようになる。しかし末摘花は  
不器量でしかもたれた鼻の先は紅花で染めたように紅なのである。 
何を尋ねても「ウー」と押し黙ったままで答えられない。ろくに歌も詠めず  
衣装もぱっとしない。源氏は呆れながらも不憫が増し何くれと面倒をみる。  
源氏が須磨、明石に退去している間は困窮しながらも源氏を信じて 
じっと耐え、最後には二条院(源氏の旧宅)に引き取られる。 

石踊達哉氏の画家の目

姫君の琴を弾くイメージは、源氏の好奇心を掻き立てるのに 
十分だったが、姫君の容姿と琴の音色とのあまりのギャップ。 
寂聴さんいわくj、紫式部もいい女ではなかったとか。何故か醜い 
女性の顔の描写は丁寧に書きこむ。逆に美人は「きよら」とかで 
すます。源氏は末摘花を哀れに思い将来面倒をみる。私もこれに 
ならい綺麗に描きすぎたかナ。

第六帖 末摘花

      蕨
第四十八帖 早蕨(さわらび) 
日影にそっと咲き残っていた蕨を 
見つけました。 
 

蕨の別名は早蕨。
宇治には世間から忘れられて俗聖(ぞくひじり)となった源氏の弟宮・八の宮が  
住んでいた。宮には大君・中の君と言う二人の娘がいた。源氏の息子・薫は仏法を 
学ぶために宇治に通い始め、法の友として八の宮と親交を深める。やがて八の宮は 
娘達のことを薫に託して亡くなる。父親の1周期が終わった頃から大君は病勝ちになり 
中の君を案じながら彼女もまたこの世を去る。中の君は父と懇意であった僧から毎年 
送られて来る蕨や土筆を見て、「去年はお姉さまと一緒に見たけれど今年は其の  
お姉さんも亡くなってしまって。。。」 と寂しさを一人嘆く。 

    吾亦紅
第四十二帖 匂宮

薫は生まれながらにしてこの世の匂いとも思われない様な 
かぐわしい体臭の持ち主であった。常にライバル意識を持っていた 
匂宮(源氏の孫)は対抗して朝夕の仕事のようにしてせっせと香合せを 
してあらゆるすぐれた香を衣服に焚きしめていた。庭先の花々にしても  
秋には香りの無い女郎花や萩には心を留めず、老いを忘れさせる菊のほか  
色褪せてゆく藤袴、見栄えのしない吾亦紅などを味気ない霜枯れの頃まで 
慈しむなどことさらに香りを堪能なさるものであった。
 

   藤袴 
第三十帖 藤袴 

源氏の娘として引き取られた玉鬘は裳着の儀(女性の成人式)を 
境に実は内大臣(昔の頭の中将)の娘であると世間に公表される。 
それまで実の姉弟であると信じていた源氏の息子・夕霧は野分の巻で  
彼女を垣間見て以来玉鬘の美しさに心惹かれていたので何時しか彼女に  
恋心を抱くようになる。ちょうど其の頃二人の祖母大宮(内大臣の母)が 
亡くなったのでどちらも喪に服して鈍色(薄墨色)の喪服(藤衣ともいう)を 
着ていた。夕霧は内大臣の妹・葵の上の息子でもあるから玉鬘と夕霧は  
従姉弟同士なのである。夕霧は同じ藤衣(→薄紫→藤袴)を着ている  
縁続きなのだからと言うことにかこつけて藤袴を差し出し玉鬘に歌を送る。 
「おなじ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも」(貴女と同じ  
野の露で萎れている藤袴なのです。ー−同じ大宮の孫として祖母の死を悼む  
私にせめて申し訳ほどにでも愛おしいと仰ってください。)

石踊達哉氏の画家の目

玉鬘のもとを訪れた夕霧は藤袴の花に恋心を
託して御簾の下から歌を詠みかけ差し入れた。
鈍色の喪服のことを歌の世界では「藤衣」という。
「藤衣」を着て「藤袴」を差し入れ恋の想いを打ち
明ける。まさにこれが貴族の嗜みか。
私と言えば夕霧の藤袴を持つ手を、とっさにダ・ヴィンチ
の受胎告知のあの手にしようと想いついた。こちらは 
天使がマリアを訪れているところである。 

8月29日京都府庁二号館の屋上緑化施設 
「京テラス」を訪れた。此処には源氏物語に 
ゆかりの12種の草花を集めた花壇 
「源氏の庭」がある。時期はずれの猛暑の 
夏の夕方のこととて全ての花を撮ることは 
出来なかった。右の画像はWebからのもので 
私の見学した時よりもはるかに緑が豊かである。 

京都府立植物園の蓮 

水涸れて秋の待たるる源氏庭、  
        名にし負う花にゆかり偲ばる。

京テラスの草花

花の御殿・六条院

35歳の源氏は方々に居る女性達を一箇所に住まわせるために一年掛けて壮大な御殿・六条院を造営する。 
この御殿は四町にも及ぶ(一町は15000uでこの4倍の)広大なものである。この六条院の東南には源氏と 
春を好む紫の上が住み五葉、紅梅、桜、藤、山吹など春の草木が植えられている。其の中に秋の草木も一群ずつ  
さりげなく混ぜてある。西南はもともと秋好中宮(令泉帝の后)が母・故六条御息所から伝領されたところなので  
彼女が此処を里邸とした。そして元からある築山に紅葉の色が鮮やかになるような植木を添え、滝を落として秋の
野の様を広々と作ってある。北東は花散里が住み夏の木陰を主として造られている。卯の花の垣根がめぐらされて
いて花橘、撫子などいろいろ植えてある。其の中に春と秋との草花が所どころに混ぜてある。西北には明石の上が
住み松の木を多く茂らせて雪景を賞美するのに都合よくしてある。冬の初めの朝霜がおりて美しさを増す菊の垣や、
楢の原、名も知らぬ深山木等が植えられている。六条院は四つの御殿それぞれに住む方々の希望に沿うような風趣に
造られている草花に満ち溢れた花の御殿なのである。御殿と御殿は女性達が簡単に往来できるように廊下で繋がっている。  
女性達の和を願う源氏の配慮なのである。 

春秋の優劣

女性達は秋の彼岸頃(陰暦八月十日頃)に六条院に移り住んだ。秋好中宮は秋風に吹かれて散った美しい紅葉と 
いろいろの花を混ぜ合わせて硯箱の蓋に入れ、可愛らしい女童(めのわらわ)を使者として紫の上に送って寄越した。  
歌には「春の季節をお待ちのお庭では今は所在無くていらっしゃいましょうから私の所の美しい紅葉をせめて風の便りに 
でもご覧下さいませ」とある。秋の素晴らしさを宣言してきたのである。紫の上は硯箱の蓋に苔を敷き詰め、岩を風情良く 
あしらいそれに五葉の松を這わせて、「風に散る紅葉は軽々しいものにすぎません。春の素晴らしい緑の色を永久に  
変わらぬ岩根の松に託して見て頂きたい」と返歌する。良く見るとこの岩は精巧にこしらえた作り物であったので、  
秋好中宮は紫の上の
趣向を凝らしたとっさの才覚を褒め称えた。源氏は「この紅葉のお手紙にはしてやられましたね。」  
と言って、紫の上に次のようなアドバイスをする。「今の季節に紅葉を言い貶すのは良くありませんよ、ここは一歩譲って  
春になって春の花を表に立ててお返しするのが良いでしょう」と。

第二十一条 少女(おとめ)

   藤袴 
第三十帖 藤袴 

石踊達哉氏の画家の目

世の中には春派と秋派がいる。「春秋いずれが優る」と万葉の昔からその優劣を  
争うことが書かれている。源氏物語では秋好む中宮と紫の上の応酬が出てくる。  
九月、六条院に里帰り中、秋好む中宮は硯の蓋にいろいろな秋の花や紅葉を  
取り混ぜて紫の上に贈った。本来なら相当の女房を使うところだが立ち居振る舞い  
から容姿まで普通の女童とは違い、器量の良い可愛らしい女童を使者にした。  
この少女作戦には賛成で、私も女童にたくさんの花を持たせた。

春秋の風雅の争い昔よりいずれがしかと定めかねたり。