しみじみと夫の優しさ思われる秋の夜長に源氏を読みつつ  
 

石踊達哉氏の画家の目

石踊達哉氏の画家の目

このアルバムは日本画家石踊達哉氏が[寂聴源氏」のために書き下ろした 
54帖の作品の中から読売新聞の額絵シリーズのためにオリジナルに編集
されたものである。氏の作品はストーりー毎にインスピーレーショを受けて  
製作されたものである。
アルバム表紙のデザインは石踊氏の作品ではなく、平安時代の貴族生活の
中に見られる御所車や、竜頭鷁首の船をモチーフに平安時代の文化の 
風雅を着物の帯としてデザインされたものである。
この24作品の中から宇治十帖までの有名な場面、心に響く場面7枚
を選択した。  
 

石踊達哉氏の画家の目

第一帖  桐壺

この図は元服の場面であるが舞台装置のように屋根を吹き抜き
室内を見せる構図法つまり「吹抜屋台」と言う描写様式を取り入れた。
清涼殿を金箔の源氏雲や緑青の松で囲み荘厳な儀式の雰囲気を出そうと
心がけた。

第二帖 「箒木」の帖より雨夜の品定め  

光源氏17歳の夏、長雨の続くある晩  
宮中の光源氏の部屋に数人の青年が集まって 
女性論を始める。
頭の中将は女性を身分によって3段階に分け 
『高い身分の女は周囲の人に守られ欠点も隠れる。 
中位の女にはそれぞれの個性が現れて面白い」と言う。
ちなみに紫式部は中級官吏の娘である。
馬の頭は「一時の浮気ならともかく、一生つれそうとなると  
これはと言う女はなかなかいないものです。身分や容貌 
は重要ではありません。まじめで落ち着いた女こそ  
生涯の伴侶とすべきでしょう』と語る。

画面右。やがて終わる恋、いつかは止む雨。 
其の銀の雨の彼方に源氏の思う女を信濃の国 
にあるという伝説の木「箒木」(はゝき木)をイメージ 
させた。その木は遠くからは見えるが近づくといつも 
消えてしまうという。

第五帖 若紫

石踊達哉氏の画家の目

わらわ病(マラリヤ)を患った18歳の源氏は治療を受けに山桜の 
美しい北山を訪れた。そこで源氏は運命的な出会いをする。源氏は 
犬君が逃がしたと泣きながら雀を追っている10歳の少女を垣間見る。
彼はその美貌に心をうばわれた。なんと恋い慕う義母藤壺の宮に生き写しであった。 
それも其のはずこの少女は藤壺の姪なのであった。やがてこの少女は強引に 
二条の院(源氏の住まい)に引き取られ、源氏は藤壺の宮の面影を 
重ねて養育する、この少女こそ若紫、後に光源氏の妻となる紫上である。

本文に出てくる可愛い少女、小柴垣から覗く源氏、滝などは省略し 
豪華絢爛と咲き乱れる山桜を背景にすこしふくよかな小雀が飛んで 
行く姿を描いた。 

第十二帖 須磨

源氏37歳の冬から38歳の冬まで 
この巻は現代で言えば家庭崩壊の物語である。娘として 
源氏が手元に引き取った若く美しい姫、玉鬘の多くの求婚者
の中から鬚黒の大将が強引に彼女を我が物にする。鬚黒には 
北の方、(時々ヒステリー発作を起こす)との間に真木柱と二人の 
息子があり中年までは真面目人間で通っていた。しかしこの若く 
美しい妻に夢中になり家庭を顧みなくなる。或る夕方玉鬘のもとに 
出向こうとしている鬚黒に嫉妬が爆発した北の方は火取りの灰を背後 
から浴びせかける。この事件の後鬚黒は家に寄り付かなくなる。北の方の 
父親は不憫な娘を実家に引き取ろうとする。右の絵はその名場面である。  
いくら待っても父親は帰ってこない。真木柱は思いあまって歌をよむ。
「今はとて やど離(か)れぬとも 慣れ来つる 真木の柱はわれを忘るな」  
なんとも切ない歌である。

源氏26歳から27歳。
兄朱雀帝の寵姫・朧月夜との間違いがもとで官界に 
身の置き所を失った源氏は自ら須磨退去を決意する。 
源氏は藤壺とその子・東宮(後の令泉帝・実は源氏の子)
に累が及ぶことを恐れた為である。
須磨の秋は寂しく源氏は琴を弾き絵を描き和歌を詠じて
侘しさを紛らす。紫の上や藤壺、花散里、六条御息所等から
寄せられる便りだけが慰めであった。春になり親友、宰相中将
だけが訪ねて来てくれる。
明石の入道は源氏の噂を聞き最愛の娘を源氏に奉りたいと願う。
須磨の海辺で暴風雨に会った源氏はその後明石の入道の招きで 
明石に移る。そして入道の娘・明石の上と結ばれ、明石の姫君が誕生する。 
この姫君は東宮(朱雀帝の息子で令泉帝の次の天皇となる)の女御 
となり後に中宮に登りつめる。 

石踊達哉氏の画家の目

「須磨」では源氏が憂愁の日々を送っている情景が、浦風と波の音とあいまって哀愁の響きとなり 
伝わってくるが、私があえて荒れる、悲しみの海ではなく、真紅の「夕映えの海」にしたのは、 
苦しみを乗り越え明るいこれからの未来を願ったからだ。 

第三十一帖 真木柱 

父に挨拶もしないで出てゆくのが悲しくて動こうjとしない姫君。いつも寄りかかっていた東面の柱が、 
これからは他の人に渡ってしまうと思うと悲しくてならない。せめてもの思いに紙に小さく歌を書いて  
柱の割れた隙間に笄の先で押し込んで形見にした。扇で顔を隠し、袖で頭を覆ったのは深い悲しみを 
表そうとしたからだ。また金箔を小さく無数に切り、それを降りしきる悲しみの別れ雪として画面全体に
降らせた。 

第三十四帖 若菜

40歳の賀を迎えた源氏は位も準太上天皇に昇り権勢も 
揺ぎ無いものとなっていた。兄朱雀院は源氏に娘、女三の宮を 
妻として迎えてくれるように依頼して出家する。これまで源氏の正妻 
として暮らしてきた紫の上は心中穏やかではない。内親王である女三の宮が 
当然正妻とみなされるからである。13、14歳の女三の宮は年よりも非常に 
幼く立ち居振る舞いにも思慮が足りない。蹴鞠遊びの日に走り出て来た猫の 
紐がひっかかり御簾を巻上げた拍子に端近くにいた彼女は柏木にその姿を 
見られてしまう。それ以来柏木は彼女に対する狂恋の虜となり果てに不倫の子, 
薫の君が誕生する。この帖を境に光り輝いていた源氏の六条院の世界は暗く重苦しく 
暗転していく。女三の宮は若くして出家し、柏木は火の消えるように亡くなってしまう。
そして源氏に対する不信感から紫の上の苦脳が始るのである。 
  

石踊達哉氏の画家の目

猫のいたずらの名場面を私は画面を4分割にした。
上、左右は暮れなずむ春の散り行く桜の中に鞠だけ 
を描いた。理性を狂わせ、泡のように死んでいく柏木の 
姿を雪のように降りしきる花に予兆させ、柏木の姿は 
何処にもない。

第四十帖 「御法」(みのり)の帖より陵王 

20年前源氏を読みふけっていた頃、夫から 
「図書館の本を一人でそんなに続けて借りていたら 
後の人は読めないんだよ」と忠告されました。私は
なんとなく聞き流していました。そんな或る日「お母さん 
本棚に気づいてる」と子供が言うので見ると本棚にこの 
源氏物語6巻が並んでいました。夫の無言の諭しと優しさに 
胸の熱くなった一瞬でした。

石踊達哉氏の画家の目

源氏51歳の3月から秋まで。
大病の後紫の上は健康が優れず度々出家を願うが源氏は許さない。 
そこで彼女は長年に亘り書かせておいた法華経千部の供養を思い立つ。
法会の舞楽の舞・「陵王」が急調子になって周りの人々が興じて華やいで居る中で 
死期を悟っている紫の上は一人孤独であった。 
花散る里や明石の上との別れに際して、かっては張り合う気持ちのあった仲では 
あるけれども、今となってはお互いに親しく付き合って来た人達であると思う。  
しかし今、自分一人がこの世から消えていく悲しさを思う紫の上は哀れである
紫の上は寵愛していた匂の宮(5歳)に「大人になったらこの二条院に住んで桜の折々 
には仏様にもお花をあげてください」と頼む。春を愛した紫の上らしい言葉である。
死と真正面から向き合った紫の上は人々に深い思いやりと大きな愛を示して  
秋の風の強い夕方、源氏と明石の中宮にみとられて消え行く露のように亡くなってしまう。
源氏は死に行く紫の上との唱和の中で「いつも一緒でありたいものです。」と熱い思いを歌う  
けれども最後まで紫上の晩年の苦悩を理解することはできなかった。即ち女三の宮降嫁に 
よって源氏の愛を分けねばならなかった紫の上の源氏への不信感と厭世の思いである。
この巻は死に直面した人の心の内面を描いている点が他の死の場面とは大きく異なる。

石踊達哉氏の画家の目

紫の上の死を告げる巻である。法要の舞楽の陵王の舞が急調子になり、樂の音が賑やかに 
聞こえてくる。華やかな舞、桜が美しいければ美しいほど、すでに死の訪れ感じている紫の上に
は、あらゆることがさびしくて悲しい。画面いっぱいに美しくもはかない桜を思い切りたくさん 
降らせ、それを暗示した。

有名な「いづれの御時にか」で始まる第一帖。
光る君は7歳で読書始め(ふみはじめ)を行い学問にも
音楽にも才能を発揮するが、高麗の人相見は「帝王になる
相は持っているが帝王になっては世が乱れる、また臣下
で終わる人でもない」と予言する。父桐壷帝は光君の将来を 
案じて朝廷の補佐役として任ずることが安心なことと考え 
この宮に臣籍として源氏姓を与える。
源氏は12歳で元服する。この頃から源氏は3歳で死に別れた母
桐壺の更衣に良く似た永遠の女性藤壺の宮(父桐壺帝の后)
への思慕をつよくする。 
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