2008年(平成20年)8月27日  嵯峨野

野々宮の象徴、黒木の鳥居(樹皮が付いたままの鳥居で  
古代の鳥居の形式を伝える。)

光源氏が野々宮に六条御息所を尋ねる 
哀愁をおびた場面がある(賢木)。
彼女は自分の怨念や嫉妬心が生霊、死霊と 
なって源氏の正妻、葵上や夕顔に
取り付くのを知り己の業の深さに慄く。
伊勢神宮の斎宮に成るべく禊のために
野々宮に篭っていた娘、(後の秋好中宮)と共に
御息所はこの地にひっそりと暮らしていたのである。  
 

竹林の散歩道 

仁王門越しに見た本堂、

清涼寺

光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)の 
山荘、棲霞観(せいかかん)があったところ。
物語では嵯峨の御堂とよばれている。
源氏は紫の上に対する明石の君との逢瀬の
口実としてこの御堂を使っている(松風巻)。
紫の上が源氏の四十の賀に薬師物供養を
行ったのもこのお寺である。(若菜上巻)

嵯峨野のシンボル 渡月橋

8月29日 京都市内

細殿(拝殿)の前にある一対の円錐形の立砂(たてずな)。
立砂はご神体である神山を形どったもので、神様が 
降りられる依り代(よりしろ)を表している。鬼門、裏鬼門に
「清めのお砂」を撒くのはこの立砂の信仰が起源である。 
神山は本殿から約2キロのところにあるが立ち入り禁止に
なっているためこの立砂は神山のシンボル的な  
モニュメントである。
  

神山 webより

立砂

北区紫野にある紫式部の墓。

上賀茂神社

下賀茂神社

至る京都駅

烏丸通

堀川通

下賀茂神社の3万6千坪の境内は「糺すの森」と  
呼ばれ全体が国の史跡に指定されている。  
この中を流れる奈良の小川は禊をする小川である。 
百人一首にも「風そよぐならの小川の夕暮れは 
みそぎぞ夏のしるしなりける。」という藤原家隆の 
歌が選ばれている。

賀茂大社は上賀茂・下賀茂両神社からなり京都最古の社であり  
鎮守である。朝廷から伊勢神宮に次ぐ尊崇を受け巫女として斎王   
(未婚の内親王又は女王)が来られた。..賀茂大社のお祭りは  
冠に二葉葵を飾ったところから葵祭りと言われる。  
賀茂祭は祇園祭りが庶民の祭りであるのに対して貴族jが見物に訪れる  
貴族の祭りであった。源氏物語にも光源氏が勅使を勤める印象的な
場面がある。(葵の巻)。 
現代は5月15日に行われ祭りの主役は一般から選ばれた斎王代である。 

車争い

賀茂の祭りの日、光源氏が主役の勅使を勤めると言うので身分を隠して見物に来ていた  
源氏の愛人の一人・六条御息休所の一行は源氏の正妻・葵上の一行と見物の場所をめぐって 
一条大路で車争いを起こす。葵上は妊娠中で体調が優れずこの日も気晴らしに見物に来ていたのである。  
葵上の一行の強引な割り込みによって御休所の牛車は破損し、彼女は公衆の面前で恥をかかされる。  
気位の高い彼女(大臣の娘で元東宮妃)にとっては耐え難い屈辱である。彼女は葵上を深く恨んだ。  
その後葵上は難産の末男子(夕霧)を出産するが六条御休所の生霊に取り付かれて息絶える。
  

石踊建哉氏の
源氏物語の四季より

賀茂大社

千年の昔も今も変わらぬは人の心の業の深さか

桂川木々の緑は清々と悠久の時遥かに流れて。

紫式部図