私の地域の氏神様、恒持神社
東征の折り高斯野山(高篠山)を通り、威風をなびかせた、日本武尊を死後神沢に霊を祭り、
高斯野社と呼んだことに始まると伝えられています。
(806〜810年)桓武天皇の孫で、高望王の弟に当たる、恒望王は、恒望庄15か村
(大内沢、御堂、安戸、皆谷、白石、奥沢、坂本、定峰、栃谷、山田、大野原、黒谷、皆野、田野、三沢)
を賜り、深く崇敬した高斯野社を15か村の総鎮守とし、王の死後、霊を高斯野社に合祀し恒望明神が
後に恒持明神になり、明治41年12月下西荒木・中山田の丹生社と五反田・谷津・荒木の諏訪社・稲荷社・
山神社・織り姫社を合祀し恒持神社として今日に至っています。 (高篠村誌より)
恒持神社