「ねえねえ、さっくん、さっくーん」
 おーきーてーと揺さぶられて、まどろみから引きずり戻される。のろのろと顔を上げて、起こした声のほうに視線を向けてみれば、
「やだ、そんな怖い顔しないでよー。おはよー」
「……はよ……てか、怖い顔って何」
「今の顔ー。ほら、しゃんとしてー」
 両手で両肩をパンパンと叩かれて少し意識がはっきりとする。その流れで、両手を組んで思いっきり上に伸ばして全身の気だるさを振り払ってから、そのままだらんと椅子にもたれる。机に突っ伏して眠っていたから、身体が変に凝っているような感じがする。
 ひとつ欠伸をしてから教室を見回してみると、もうクラスメイトは九割ぐらいが入っていた。続けて時計を見ると、八時の二十五分ちょっと手前。もうすぐ予鈴が鳴る頃だ。
「どしたの。そっちから話しかけてくんの、珍しいじゃん」
「うん、それなんだけど。今日、まだみっちゃん来てないのよね。さっくん、知らない?」
「いや、知らないけど……ていうかサチ、宮月って朝はいつもそっちと一緒じゃん」
「そうだけど、でも昼以降はさっくんのが一緒でしょ? だから知ってるかなって」
「ヤッツンには聞いた?」
「うん、けーちゃんも知らないってさ」
「……それは、ちょっといくらなんでも」
 僕こと咲良漂、そしてサチこと笹中沙衣子は揃って首を傾げた――要するに彼女が言う『さっくん』というのが僕のことだったわけだけど。苗字がサクラだからという単純な理由。対して僕が彼女をサチと呼ぶのは、宮月が彼女と仲が良く、みっちゃんさっちゃんと呼び合っているのに倣って、さっちゃんの短縮形でサチという、元の名前からはちょっと繋がりにくい理由だったりする。
 そんなことは置いといて――おかしいよね、確かに、というやりとりをしたところで、

 キーン、コーン、カーン、コー…………ン。

 予鈴が鳴り、みんながそれぞれの席に着いていく。沙衣子も僕に向けて肩をすくめたあと、自分の席に戻っていった。少し慌ただしい様子の中、先生もやってきて、ショートホームルームの時間になる。
 先生が喋りだす前にちらっと宮月の席に視線をやったが、そこには誰も座っていなかった。遅刻かな欠席かなとぼんやり考えていたところ、
「なんだ……宮月、いないのか? 連絡来てないけど、誰か知ってるヤツいないか?」
 先生まで疑問の口調でクラスに問う。それを聞いて、僕と沙衣子は顔を見合わせてしまった。ただの遅刻なら連絡はなくて当たり前だろうけれど、どうやらそうでもないらしい――結局ショートが終わって一限目に入っても、宮月は来なかった。




「どうしちゃったのかな、みっちゃん」
「さあ……結局、無断欠席だよね今日」
 昼休み――未だに宮月がいないので、僕は教室の中で沙衣子と朝の話の続きをしていた。いつもは宮月が隣にいるのが当たり前になってしまっているので、なんだか今日は違和感があった。
「ヤッツン、ホントに何も聞いてないの?」
 別のクラスの啓太も呼び出して改めて聞いてみた――休み時間のたびに確認して、これで四回目になる――けれど、首を横に振られただけだった。
「オレだって知りてェよ。何かあったのかな、宮月さん」
「どうかな。考えてるだけじゃ、どうしようもないけど」
「電話しようか? あたし番号知ってるけど」
「おーい、さーくらー。いるかーぁ?」
 沙衣子の提案は無視される羽目になった――会話の最中、僕が呼ばれる声がしたからだ。教室入口のほうに目をやってみると、白共の姿が見えた――放課後ならともかく、今の時間に用があるなんてまた珍しい話だな、と思いながら席を立つ。
「どしたの、なんか大事な話?」
「いや、大した用じゃねーんだけど。なんかウチのクラスのやつからコレ渡しといてくれってよ。あー、中見んなって言われたから見てねーけど。理由聞いても教えてくんねかったし」
 なんだアレ、と言わんばかりのむっとした表情とともに、封筒を一枚渡された。口止めとは厳重なことだと思うけど、
「あー、じゃあこっち来て一緒に見ようよ。見んなったって知ったこっちゃないでしょ」
「あ、それいいな。オッケー……おー、笹中にヤッツンもいんのか」
 白共を案内して四人集団になったところで、封筒を開けてみる。中からは手紙が一枚出てきて、乱暴な字で内容が書かれていて――いろいろな意味でげんなりさせられた。

 宮月は預かった。
 返してほしけりゃあの河川敷まで来い。
 咲良、お前一人で来なきゃオンナは無事じゃいられないと思え。


「うっそ……宮月さん、さらわれてたのかよ!?」
「あー、どうりで見ないわけたわー……ってなると、さらったヤツも無断欠席かしら」
「つーかなんだ、やり方がすっげえ時代錯誤じゃね?」
「……しかもなんでまた……今まで音沙汰なかったくせに……」
 手紙を読むまで忘れてて、読んだ瞬間に思い出してしまった。そういう仕草を見せたせいか、一斉に他の三人から知ってる奴かと突っ込まれて、いろいろと説明する羽目になった。
 『あの河川敷』と手紙に書いてるということは、その言葉だけで僕に場所が特定できることを知っていて、さらに文章からすると僕に恨みを持ってる――思いっきり心当たりのあるヤツが一人いたというか、明らかにそいつの仕業だろうなと思った。わかりやすすぎる。
「どーすんだ……ってまあ、決まってるか?」
「助けにいくよ。……一応、言うとおり、一人でだけど」
「って、言うとおりにすんの!? 危なくねーか!?」
「けど、約束破ったら宮月に変なことされるかもしんないじゃん」
「だからって言うとおりにすることないでしょ。何か考えましょうよ」
「ひとりで片付くならそれが一番いいと思うんだけど。あんなの程度なら何人居たって余裕だし」
「ちょと待てお前、えれえ簡単に言いやがったな? しかもそんなほっせえ身体でよ」
「まあ、喧嘩なら慣れてるし……ああ、多分乱闘になると思うから、ついてこられても危ないよ?」
「だからってお前ひとりで勝てる保証あんのかよ。向こうは大人数かもしんねえぞってか、その可能性高いぜ? 向こうだってひとりじゃお前に叶わねぇの思い知らされてるはずなんだしよ」
「けど」
 そこですぐ言葉を続けてもよかったけれど、一旦切ってから三人それぞれに視線を配る。そしてひとりひとりに言う。
「ヤッツンは喧嘩慣れしてないだろうし、サチは女の子だし、大士は手を粗末にさせたくないし」
「ちょっと待て俺が一番納得いかねえぞ!? 手だと!?」
 真っ先に反論に出たのは白共だった。他の二人も納得いかなさそうな表情だったが、僕は無視していた。
「ギター、弾くんでしょ? 手の指、細かく使うわけでしょ? ……商売道具、って別に商売とかしてないけど、そういうもんでしょ? 大事にしなよ」
 そういう問題かコラ、となおも食ってかかってくる白共に対し、そういう問題だよとできるだけなんでもない風で返した――本当はもっと深刻に言ったほうがよかったのだろうけど、なんでもない風を装っていても実はそう余裕はなく、変に演技をしようとすると逆効果だと思ったからだ。
「……お前も、もっと自分大事にしろよな。いくら今は宮月最優先っつってもよ」
 溜息に続いて、そんな言葉が飛んできて――その時の白共の表情に、迷いのようなものが見えたのは、気のせいだろうか。何と聞いてみたけれど、なんでもねーよとそっけなく返された。
 以降、三人揃って納得がいかなさそうなのは相変わらずだけど、言葉は飛んでこなくなった。決まりだね、と無理矢理その場を締めくくったところで――

 キーン、コーン、カーン、コー…………ン。

 昼休み終了の予鈴が鳴った。
 三人とも、渋々と自分の場所に戻っていく。沙衣子は自分の席に、啓太と白共は自分のクラスに。それぞれの背中を見て、嫌な思いさせちゃったなという憂鬱気分で僕は溜息をついた。
 ――憂鬱ついでに、ひとつ思い出した。つい最近、宮月が言っていたこと。


『もうちょっと自分にも優しくしてほしいなって思うの』


 白共が言った、自分を大事にしろという言葉と被っている気がした。
 そんな印象ばかり残してしまっているのだろうか、僕は。
 けれどそれでも、誰かが苦しむのを見るのが一番嫌なことなのだ。僕の力で、少しでも多くそれらを取り払えればと思うと、無視してはいられない。
 これくらい片付けられないでどうする、と自分に言い聞かせて僕は気を引き締めた。