あたりいちめん、まっしろな。
 まえにみたのと、ちがうゆめ。
 まえとおなじく、ふらふらり。
 ぼくはゆらめく、このしろで。

 似たような感覚を、少し前にも体験したことがあった。けれど目の前は以前とは正反対――今、僕は真っ白い空間の中に浮かんでいた。上も下も右も左も前も後ろも、すべてが真っ白。異質なのは、僕の体の色だけだった。
 また夢を見ているのだと実感して、その次に予感を感じて。こういう夢を見るときは、それを通して誰かに会うのだとなんとなく確信していて――その確信の瞬間からだろうか、突然、僕の目の前が揺らめく。
 瞬く間にそれは人の形を取り、そして僕に向かって微笑んだ。
「こんにちは、咲良君」
「……、こんにちは」
 現れたのは細川だった。挨拶がこんにちはなのは、確か――僕が眠っている時間が昼間だからなのか、それとも前と違って真っ白な空間だからなのか――むしろ昼間だから真っ白なのかと、根拠もなくそんなことを考えてもみるけれど。
 それを見透かされたのか、くすくすという笑い声に気づいてしまった。
「咲良君、床で寝ると体に良くないよ?」
「……、いや、どっから見てんの」
「どこからって……咲良君だってわかってるでしょう?」
 会話とともに、笑い声の響きが大きくなる。明らかに僕が押されている空気。悔しいけれど、何も言えなかった――わかってる、の部分は事実だし。
「……白いね、ここ」
 ひとしきり笑った後に、ぽつりと呟かれた言葉。それでもって、改めてこの空間のことが気になってくる――今まで彼女と会うときは暗闇の中だったのに、どうして今回は白いんだろう――けれど、疑問のように言葉を投げかけておきながら、細川の表情にはほんのりとした余裕の笑みがあった。
「……ええと、なんで笑ってんの?」
「え? ……なんだか、居心地いいの、ここ。なんとなく」
 ――居心地がよければ微笑みもするだろうけれど、なんだか釈然としないものがあった。あくまでも細川の笑顔は自然というより不敵というか余裕というか、彼女にはひどく似合わない言葉だと思うものの、どうしても感じとってしまう。
 そんな僕に細川は、確証はないんだけどねと前置きして、
「ここ、咲良君の心の中じゃないかなあ、と思うの」
 ――なんでだありえない、と即答で否定しそうになったが、寸前で細川が前置きした言葉が引っかかり、結局何も言えなかった――落ち着いて考えてみて、そういえば前に僕らがいた暗闇は彼女の心の闇の中だと、とある誰かが言っていたのを思い出したのだ。
 だけどそれでも、ここは僕の心の中だから真っ白なんだなんて、そんな恥ずかしい話があるかよと思った。
「……それはありえない、って言いたそうな顔してるねえ、咲良君」
 ――そんなことを言われ、しかも直後にまたくすくすと笑い声が響いてきて、僕はうなだれるしかなかった。いつからこんなに見透かされてばかりになったんだろうか。面白いからそう思うことにしとこっと、と声が降りてきてますますどうしようもない。
「……なんかホント、随分、余裕出てきたね……」
 なんとか一矢報いたい思いで出た言葉だった――が、言ってから僕ははっと顔を上げて細川を見た。相変わらずの微笑み顔がそこにある。
「うん。……おかげさまでね、大分よくなってきたみたい。もう少ししたら、退院できるかなって」
 ――その後に言葉が続いたのを聞いた気がしたが、この時点で既に恥ずかしくなって聞いていられなかった。あるいは言葉自体は聞いたけども理解を拒絶したのか。何にしろ彼女がこの時何を言ったのか、僕は覚えていない。
「……歌のほう、上手くいったんだよね?」
 とりあえず向こうのその言葉でもって、気持ちを切り替える。その話をしよう――いろいろと話しておきたいこともある。
「……ええと、それも見た?」
「ううん、見てない……見ようかな、と思ったけど」
 ――さっきの寝姿はどうも見られていたらしいというように、細川は入院中ではあれど、その気になれば文化祭の様子を見に来ることができた。その手段はちゃんとしたものじゃなく、むしろ反則とも言えそうなものだけれど、そもそも彼女にはルールなんて必要ない。縛りつけるものなんて必要ない――だから実のところ、見ていてくれても構わなかったのだけれど。
「……なんで?」
「約束、したじゃない。DVDにして持ってきてくれるんでしょう?」
 わかってて訊いたでしょう、まあそうなんだけど、と軽いやりとりを交わす。にしても、DVDより生のほうが迫力違ったんじゃないかと思ったのに、それでも約束を律儀に守って待っていてくれたというのが――少しだけ複雑だったけれど、そんなことはいいとして。
「まあ、とにかく、文化祭は無事に終わったから。歌のほうも上手くいったから、DVDもいいの出来てると思うよ」
「……あ、それ、今日、何かあったみたいだよ?」
「……いや、本番は見てないのにそっちは見たの?」
「だって、咲良君が寝ちゃったところで放送かかってたよ?」
「え、うそっ」
 反射的に慌てた僕を見て、細川はまたくすくすと笑った。そんなにおかしいか、くそ――細川にまでそんなことを思ってしまうあたり、妙に攻撃的になってしまった気もする。
「ついでにね、もうすぐ咲良君のところにお客さんが来るよ?」
「……いや、てか、ホント、どこまで見てんのさ」
「だって、流れとしてはずっと続いてるから、最後まで見なきゃ、かな」
「……で、とりあえず起きろってこと?」
「まあ、そういうことになるかな。……あのね、咲良君」
 そこで細川の口調が改まったものになった。どうしたの、とまた反射的に僕のほうからも改まった声が出る。
「私は、ね、多分、もう大丈夫だと思うの……だから、私にはもう、こだわらなくていいからね?」
 自分のこともしっかり考えて、と言われた――どうしてこういう言葉ばかり、僕は言われるんだろう。宮月に時々言われ、この間は相川にも強烈に言われた覚えがある。
「……それ、結構無茶な注文……」
「そうでもないと思うよ。ていうか、多分私どころじゃなくなると思うよ?」
 その口調はすでにくすくす笑い含みのものに戻っていた。ていうか、どころじゃなくなるって何だ――
「ほら、もう行かなきゃ。呼んでるよ?」
「え、ちょっと、あ、うわ――」
 体が後ろに引っ張られる感覚が、いきなり強烈に襲ってきた。そこから急激に意識が曖昧になってきて――最後に聞いたのは自分自身の大きくも情けない悲鳴だった。