『プログラム八番、軽音楽部、ギターメドレー』
淡々と響くアナウンスの後、出迎えるような拍手が起こる。
しばらくしてから舞台の明かりが点き、同時に僕らに向かって左右からスポットライトがあてられる。直接向けられた光の眩しさのせいか、観客席が余計に暗く見えた。ひとりひとりがどんな顔をして僕らを見ているのかがわからない――見られているという意識が弱まったのか、緊張が少しだけ緩んだように思えた。
左に白共、右に相川。彼らより少し前の位置で、中央に僕。多分ステージ演目の中ではもっともシンプルだと思う。傍からの目には、どう映っているんだろうか。
「さてお客さん、本日はお集まりいただき、どうもありがとうございます」
喋りだしたのは白共だ。僕らのステージには、吹奏楽部やコーラス部と違って指揮者がいない。演劇みたいに始まり方がきっちりと決められているわけでもない。その代わり、演奏前に軽く語りを入れてスタートを切ることになっていた。もっとも何を喋るのかというのはリハーサルでも知らされず、というか練習らしい練習をしていたのを、少なくとも僕は見たことがない。おそらくは本番のみのアドリブだ――にもかかわらず、白共の口からはすらすらと言葉が出てきていて、まるで緊張というものが感じられなかった。
「このステージが目当てだったという方がいらっしゃれば嬉しいことですが、そうでない方、たとえば前の演目が終わってもなんとなーく残っちゃった方、とりあえずステージ演目は全部見ようという方、ただの暇つぶしだという方、本当、いろーんな方がいるかと思います。それでもなんだかんだで、そんなみなさんの前で、これから僕たちはいくつかの曲を演奏させていただきます。どうか席をお立ちにならず、最後まで聴き届けてやってくださいな」
――ゆるいなぁ、と。ただただそんな言葉が浮かんだ。
本人が緊張していないどころか、聞いているほうまでなんだか力が抜けるような口調。こういうのは本当に手慣れているんだなという実感が湧いて、そしてそんな人間がバックについているということで、緊張がほぐれるとともになんとなく安心感が広がりつつあった。
そんな白共の語りが一段落したのを見計らって、相川が改めてギターを構える。続いて白共も。いよいよか、と僕は身を固めた――僕だけ何も抱えず、中央で椅子に腰掛けているだけというのは、いったいどういう印象なんだろうか。ついさっきもこんなことを考えた気がする。
ワン、トゥー、スリー。観客席に聞こえない程度の小さなかけ声と、それに合わせた足音。
そして、ギターの二重奏。
さあ、始まりだ――僕は、大きく息を吸い込んだ。
++++++
始まりました。ギターの演奏に、漂くんの声が伸びやかに乗っていきます。
その光景を、あたしはこの目で直接見ることができません。かわりにDVDカメラの画面を通して、ステージが進むのを見守っています。
彼らの演奏だけが、今、館内に響き渡っています。それを聴いていると、あらためてシンプルなステージだなあと思います。他の演目を見たわけじゃないから比較はできませんが、なんというか、存在感が小さいのです――小さいけれども、しっかりとそこにある、という印象でしょうか。
それにしても、緊張で萎縮する様子もなく、漂くんの声は相変わらず――そう、相変わらず女の子の歌声のようです。それが彼の持ち味で、本番でも遺憾なく発揮されているのはいいことなんですが――いいことだというのは今まで練習とかを見てきたあたしだから思うことであって――ああ、いったいお客さんにはどう見られているんでしょうか!
とりあえず今のところ、お客さんのほうからは反応はないみたいです。聴き入ってくれているのだろうと思うことにして、あたしも撮影に集中します。時々今みたいに意識が揺れますけど、そのたびに集中するよう自分に言い聞かせて、どうにか頑張ってます――舞台に立つよりは楽な役回りのはずなのに、どうにかって言葉をつけなきゃいけないほど精神的に切羽詰まってるというのはどういうことなんでしょうか。やっぱりそれって今目の当たりにしてる容姿とか声とか一生懸命さとかそういう彼を構成する要素すべてがすごくきらきらして見えてるっていうかカッコイイっていうか魅力的っていうか美人っていうかああもう息が荒くなっちゃいそうハアハアしちゃいそうエスカレートしちゃいそう倒れちゃいそうああもうああもうああもう漂くん――
どこの変態ですかあたしは。唐突にそんな言葉がよぎるとともに我に返りました。と同時にミズイちゃんの気持ちがちょっとわかった気がしました(彼女は寝顔に興奮してましたけど)。にしてもあたしは彼との付き合いは長いからもうちょっと免疫ついてるものと思ってましたけど、ちょっと気を抜くとコレなようです。いけませんいけません。付き合い長いからこそ、しかも彼とは別に矢島くんという彼氏があたしにはいるんだから、一番しっかりしないといけません。って別に誰かにそう頼まれたわけでもないんですけど、あたしが勝手に義務感感じちゃってるだけなんですけど、ついでに言うと誰に語ってんのって話ですけど。
――心配になりました。ちょっとだけ。最初は、このステージとか後夜祭とかをきっかけに、漂くんがもっと学校に馴染めばいいみたいなことを考えてたんですけど、もしこれで何というかアイドル的な人気が出ちゃったりしたら、彼は絶対そういうのに慣れてないから、大変な日々を過ごす羽目になるんじゃないでしょうか。ああ、しかも思い出しました、慣れてないだろうことに加えて彼はお人好しすぎるから、無理矢理な言い寄りを断りきれないでずるずる引きずられちゃいそうな気もします――やっぱり彼に代わって誰かが頑張らないと駄目な気がしてきました。一番そういうことが出来そうなのはやっぱりあたしだと思います。自意識過剰? 知りませんそんなの。
なんて言ってる間にも演奏は進みます。今まで漂くんにばっかり気をとられて気づいてませんでしたが、よくよく聴くと漂くんの高音ボイスの下に白共くんが低音ボイスを重ねているのがわかります――実は漂くん、歌声だと低音がまともに出ないらしいので、弾きながら歌える白共くんが低音パートを担当することになっています。もちろん、漂くんに対してはメンバー全員から『お前はどこまで女声なんだ』という突っ込みが集まったのは言うまでもありません。
ですが結果として演奏そのものはバランス良く仕上がっていると言いますか、ひとりで歌うよりふたりでハモるほうがやっぱり綺麗に聴こえます。そういう風に考えると、実は白共くんもすごいと思うのです――漂くんはこういうステージは初めてですから、全力投球、加減ができるとは思えません(むしろ手抜きにも思えるのでしてほしくありません)。漂くんのそういうところをわかってて、上手い具合にフォローに回って――って言っても、ただ単に漂くんが目立つからそう見えるだけであって、実際白共くんのやってることは漂くんよりすごいことなのです。弾きながら歌う、ふたつのことを同時にやる、それでいて目立ちすぎない縁の下の力持ち――あ、やばい、考え出したら白共くんもカッコよく思えてきました。もしかして、あたしって単にミーハーなだけなんでしょうか。でも実際、今の二人を見てカッコイイと思う人は、決して少なくないと思うのです。
ところで縁の下の力持ちと言えば、白共くんよりもさらに存在を主張しない三人目がいるわけです。白共くんが二役こなすので、なおのこと相川くんは地味に見えてしまいます――白共くんと比べると、性格もやり方もどことなく不器用そうな印象があったりします。それは黙々とした練習姿勢なり、漂くんへの態度なりでそう思っていたんです。でも今見てると、不器用なりに自分のポジションをわかってて、それに徹することでしっかりと舞台を支えていると見ることもできます。しかも白共くんと違ってギターに集中してる分、よくよく見てると指の動きとかそれに伴って音が細かかったりとかします。ふたつのことを並行しない分、ひとつのことに特化しているというのでしょうか――ああもう、なんかもう、それぞれの性格面においても素晴らしいくらいに役割分担がしっかりしてますね、このステージは。
要するに何が言いたいかっていうと、三人ともカッコイイよ最高だよチクショーってことです。あ、言葉乱れたのは気にしないでください。本当なら本当に声出して叫びたいぐらいなんですけど、それをやっちゃうと演奏の雰囲気ぶち壊しになっちゃうので、心の中でだけ叫ぶってことで我慢してるんです、どうか察してください。
と、なんだかんだと(心の中で)言ってるうちに、一曲目が終わったようです。観客席から拍手の音が聞こえてきました。あたしもそれに合わせて拍手がしたかったんですけど、DVDカメラが手放せません。この拍手の音もしっかりと記録しなくちゃいけませんから。ちょっと悔しいですけど、その代わり今あたしはあたしにしかできないことをやってるんだと思って、それでよしとしましょう。
「えー、どうもありがとうございます。おかげさまで良いスタートを切ることができたようです。さて次の曲はですね、今回特別に参加してもらっている、この咲良君が思い入れのある歌だと言うんですよ。今回の主役は彼なんで、この歌をきっかけに彼のことがちょっとだけわかるかもしれません。引き続きしっかり演奏させてもらいますんで、よろしくお願いします」
合間、白共くんの語りが入ります。名前を出されて漂くんは照れくさそうに俯きましたが、呼吸を整えてすぐに前を向き直していました。けれどその直後、白共くんがそれを見てにやりと微笑んだその表情のほうが、あたしに強い印象を残したのです。もうひとつ、白共くんのすごさを見た気がして。漂くんも相川くんも重要だけど、何より白共くんがいるおかげで舞台の成功は間違いなさそうだと、なんとなくそんなことを思いました。
でも撮影に贔屓はしません。少なくとも今は、舞台の三人を平等にきちんと映さなきゃいけませんから。結局のところ、誰が欠けてもいけないわけですから。
次の演奏に向けて、あたしはもう一度気を引き締めてカメラを構え直しました。再び響き始めたギターの音を聴きながら。