山賊焼き・誕生秘話
昔のパンフレット
店が松本駅前にあった頃のパンフレット。当時は駅前から浅間温泉まで「チンチン電車」(路面電車)が通っていました。

私は安曇村稲核(現・松本市安曇稲核)に生まれ育ちました。山深い小さな村で、“遊び”と言えば山の中を駆け回ることくらいでした。

子供の頃、よくばあさんがこんな話をしてくれました。
「昔は山に“山賊”がおって、旅人のものを取り上げていったそうな。」
子供ながらに「山賊っておっかねえなぁ。」と思って過ごしたことを覚えています。

ある日、店のメニューを考えていたときに、ふとそんなばあさんの話を思い出しました。
「“取り上げる”→“鶏揚げる”。そうだ、鶏肉を豪快に揚げた料理を『山賊焼き』と銘打って、店のメニューで出そう!」
 “取り上げ”を“鶏揚げ”にかけて、また山賊の傍若無人なイメージを鶏肉の一枚肉を豪快に使った料理になぞらえて作ったのが始まりでした。その後、おいしい鶏肉を探して回り、秘伝のたれの味を求めて試行錯誤を重ね、ようやく今の味になりました。

今でこそスーパーのお惣菜コーナーでも売られている、この「山賊焼き」ですが、店で出し始めた昭和37年当時は、その特異な名前から「“山賊”だってよ~。」とよく中傷されたり、笑われたりしたものでした。今になってみれば、みな懐かしい思い出です。

店の看板メニューでもある「山賊焼き」。
この味を楽しみにわざわざ来てくださるお客さまが今も絶えません。
そんなお客さまのためにも、これからもこの味を守り続けていきたいと思っています。

店主