由緒
社傳によると、天智天皇の御宇六年、常陸国久慈郡稲村に鎮座の稲村神社の分霊を当稲里町小字塚の地に迎え、奉祀したのが始まりとされている。平流庄十三ヶ字の産土神であり、天正年間兵火にかかり、後現在の大平山の地に遷座された。
村上天皇の御代、正一位を授けられ神領八十余町を寄進された。また承久の乱には後鳥羽上皇の祈願もあったと伝う。なお社傳によると近江守護職佐々木家より太刀一振り奉納あり、佐々木承禎は境内樹竹の伐採を禁止する制札を寄せた。また彦根藩主は当社保護のため、種々の制令を寄せたと伝えられている。
御祭神
主座 伊邪那美命 |
左座 豊受姫命 |
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右座 丹生大神 |
九社中の小宮 |
二十社 |
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明治四十一年秋 |
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