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著書
共著=講談社「太陽をつかまえた・小原銀之助物語」(全国図書館協会指定必読図書)
エッセイ=海竜社、芸術新聞社、日刊建設新聞、教育出版、季刊民族学、他
メディア出演
TV
NHK総合=モーンニングワイド、630ニュース、わが町この人、イブニングネット
NHK教育=中学生の理科、やってみよう何でも実験室
TBS=昼のニュース、あの町この町
テレビ朝日=紺野みさ子の科学館、朝からJOきげん、ヤン坊マー坊天気予報
テレビ神奈川=カフェシティ・ヨコハマ、みんてれ
日本テレビ=ルック・ルック・こんにちは、所さんの目がテン、ぶらり沿線途中下車の旅、
ホリーマウンテン
その他=鹿児島、熊本、岡山、仙台など地方局のニュース番組
ラジオ
NHK=女性と仕事、こだわり百科、宇宙時間は今何時、異色女性5人噺子、ラジオ夕刊
NHK FM=日曜喫茶室、
FM横浜=時の話題アシスタント訪問、
TBS=歌うヘッドライト
J-WAVE=ACROSS THE VIEW、
FM愛知=TIME THE MOTION 等
講演
各地での文化講演多数
記事関係
朝日毎日産経日経新聞、かのう書房「仕事を語る女たち」、武蔵野書房「多摩に生きる百人」
「レタス クラブ」「HITODES」「アーテリー」「健保ファミリー」「暮らしの手帳53号」
「婦人之友」他 日時計資料提供=西友「時の記念日展」、銀座ポケットパーク「時の記念日展」
シンガポール「日本工業展・時計の部」、相模原市立博物館展、川崎市サイエンスパーク展等への協力
日時計は「非」時計?
小原式日時計の生みの親は、父、小原銀之助。
父はチャンスがあって、当時の多摩川園に第一号の日時計をつくりました。全然時間があわないので、「日時計」ではなくて、「非時計」だ、とガックリの笑い話もあります。それをご覧になったある小学校の先生が学校に日時計をつくって欲しいとおっしゃったんです。「時間が合わないから、二度とつくりません」と父はお断りしたのですが、逆にいろいろと教えていただきました。今から、約50年前のことです。
父の日時計への関心はさらにエスカレートしました。国立科学博物館で資料を写し、神田の古本屋街で本探しと、あらゆる方法で日時計の盤面用の計算式をつくりました。その結果、正確さではドイツでも評価される小原式日時計をつくりだしたのです。それを受け継いだのが私です。
当時は美大の学生でした。美大を選んだ理由は、数学をしなくてもいいと思ったからでした。それなのに日時計制作のスタートは計算からです。
運転免許を取ったら、父が「乗せていってくれ」といい、そこからこの仕事がはじまりました。職人さんのところにも、はじめは二人で行っていましたけれど、顔見知りになれば、私一人で行くようになりました。
私が父の仕事を継ぐようになったのも、ごく自然な流れでした。父が亡くなったときに未完の日時計があり、それを私が完成させました。すぐまた次の注文がきて、引くに引けなくなったのです。続けていくうちに、日時計の魅力がわかってきました。それまでは、父に対して反発したことも、自分の好きなことをやりたいと思った時期もありました。それでもこの仕事を継いだのは、結局、そのときに私自身のライフワークがなかったからかもしれませんね。
精度へのこだわり
造園家、造形作家、天文学の愛好家などが日時計をつくることはあっても、日時計の作家はほとんどいません。とくに小原式日時計は、自然の正しさに対する深いこだわりがあります。
父は勉強して、精度の高い日時計がつくれるように努力していました。私も許される範囲で必要な精度は表現したいと思います。自然界に対して、自分の都合で安易な妥協はしたくないんです。それは父のように今でも守っています。
小原式日時計には設置場所によって、毎日変化する日本標準時(兵庫県明石市)との差を補正する時差表が必ずついています。日時計の時刻は、その場所の正しい時刻「真太陽時」だからです。
できあがった日時計を現地に設置するとき、日時計と太陽と私自身が一体となって、キレイな影が生まれます。その醍醐味の中に宇宙の摂理を感じるのです。
自然が刻む「時」
太陽の光がないと機能しない日時計。音を立てることもなく静かで、人工的なエネルギーも使いません。太陽の光が時を刻み、あるがままの自然が正確に「時」を伝えるのです。雨が降ったり、曇ったりしても造形物としてしっかり存在します。
日時計の前に五分間でも立ち止まって、影の動きを見て欲しいと思います。そして影の動きは地球の動きだったんだ、地球が動いているんだなって。時を楽しむゆとりですね。そこから感じたことを詩でも絵にでも残してもらえたら、もっと素晴らしい。
学校に日時計をつくるときに先生方にお話するんです。日時計というハードをつくりますから、それをどのように使われるか、先生や生徒さんたちで考えてくださいって。ピュアな子どもたちの心に響くきっかけが日時計にはあるのです。
シュワーベ・クリーンウエーブ株式会社
グーテンモルゲン2002年SPRING第3号「ナチュラリストの肖像」より
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