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2006年11月29日(水) |
空気砲 |
昨日、90×90×90センチの空気砲の作成について、電話で相談を受けた。この大きさに見合う穴をあけたときには、側面をたたいただけでは弾(渦輪)は発生しない。ピストン式にして、十分な空気の量を力強く押し出してやる必要がある。さらに大きい巨大空気砲の作成を行ったときの経験によると、穴の直径は50センチくらいが適当であろう。渦輪の大きさは穴の倍ほどに大きくなるので、子どもの背丈くらいの大きさの弾がぼわっと飛び出してきて、相当な迫力があるだろう。煙を入れなくても、体で感じる風の威力だけでもすごい。
科学教室にはお薦めのものである。
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2006年11月28日(火) |
アビスタフェア |
先日、千葉県我孫子市の生涯学習センター「アビスタ」におけるイベントに参加した。ここでは、市の援助の下でお年寄りや若いボランティアたちが子どもや大人たちと交流を楽しんでいた。市民大学というものもあり、開放講座も行っていた。なんと皆さん方が楽しそうに、生き生きと活動しているのだろうかと驚いた。
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2006年11月27日(月) |
塩の回り込み |
少しお休みをした。先の24日に出した宿題を考えてみよう。
飽和食塩水をビンの中に入れておいたら、塩がビンの中から少しずつ這い上がり、2ヶ月くらい経つと、ビンの口を回って、ビンの外側まで達した。このような液体ヘリウムの超流動にも似た現象がなぜ起こるのかという問題であった。資料を見ずに思いつくままに書いてみるので、間違っているかもしれない。意見などをどしどしお寄せいただきたい。
帰納法(?)で考えてみよう。まず、ある程度の高さまで塩の結晶化が進んだ状態を考える。塩水は毛細管現象や浸透圧の差(塩分のより濃い方に塩水が進む)によって塩の結晶の先端まで湿らせることができる。先端部の水分が蒸発すると、その先に塩が析出して、結晶化が進んでいく。では、最初にビンの壁をなぜよじ登ることができるのだろうか。塩水は、ビンを「濡らす」ことができるからだ。濡らすことによって、ビンの壁との接触角が鋭角になって、壁を少しだけよじ登ることができる。少しよじ登ったところで水分が蒸発すれば、そこに塩の結晶化が起こることになる。(証明終わり)
これが、水銀などのように「濡らす」ことのできない液体では、接触角が鈍角となり、逆に壁を下がったところにしか液体は存在しない。
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2006年11月23日(木) |
米一俵の値段 |
今日で丸3ヶ月間ブログ日記を続けることができた。毎日書き続けることはできないと思うが、もう少しがんばろう。
先日M製菓工場を見学したとき、米一票の値段表が飾ってあった。明治、大正、昭和の3代にわたって、米価の移り変わりが分かっておもしろい。対数目盛りでグラフにしてみると、時代の出来事が反映されてくるであろう。
図1. 米価三代暦
明治元年に米1俵の値段が1円69銭だったものが、昭和63年には1万7千15円にもなっている。徐々に値上がりしているものの、戦後の急激な変化を見ると、インフレのすごさがよくわかる。
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2006年11月22日(水) |
中国の組木パズル |
昨日は天気がよかったので、鳩ケ湯という鄙びた温泉までドライブしてきた。温泉につかりに行ったのではなく、晩秋の紅葉狩りが目的だ。道は1車線、崖っぷちを走るので、運転者はゆっくり紅葉を楽しむことができなかったが、清流に映えるもみじを堪能した。
先々週に来館された中国からの留学生のXさんがプレゼントしてくれたパズルを紹介する。たぶん、日本にもある組木パズルの種類と同じものだろうが、飾りの紐が美しい。印には「孔明奇鎖(?)」とある。
図1.飾り紐のついた状態のパズル
これは、最後にひねりが入っているタイプである。
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図2.別の、壊れた状態のパズル
まだ組み立てられないでいるものである。
図3.製作風景 |
2006年11月21日(火) |
いじめ |
最近、特にいじめ問題が大きく取り扱われるようになった。重たい題材だ。戦前生まれで戦後育ちの私にもいじめ、いじめられの思い出がある。私はクラスでもチビだったが、特にたくさんいじめられたという記憶はない。むしろ、大きくて気の弱い子の方がいじめの対象になっていたように思えた。昔は先生もこわかったし、遊びにも熱中していたので、深刻ないじめというものは考えられなかった。
いや、あったのかもしれないが、気がつかなかっただけかもしれない。だけど、早く大人になっていじめられたりしないようになりたいな、といつも思っていたようだ。また、自殺までは考えなかったけれども、何度も家出をしようと思ったことがある。しかし、子供が歩いて行ける距離は知れている。見知らぬ土地に行き当たると、心細くなって家に引き返すが落ちである。
現代のように、子供同士の遊びが変化し、家に閉じこもったりすることが多い状況でのいじめは深刻であろう。だれかに相談することが一番だろう。何か一つでも熱中するものができれば、それが救いとなるかもしれない。
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2006年11月20日(月) |
幼稚園 |
私が「手づくりおもちゃの科学館」を始めたのは、理科離れの改善のため、小学生高学年から中学生、高校生、大人、学校の先生などを対象に、科学のおもしろさをアッピールすることだった。しかし、実際に科学館に来たり、イベントに参加する年齢層は圧倒的に小学生低学年が多い。幼稚園生を連れてくる親もまた多い。それならばいっそのこと、小さな子供の親御さんをターゲットにするのもいいかな、と考えるようになった。そのための教材も開発中だ。
先日はO幼稚園からお誘いがかかった。園児数 85 人プラス保護者約同数という設定だ。大講堂で子供たちは元気に走り回る。普段は地声で講義しているが、このときばかりはマイクのお世話になった。園児にもできるものや、科学実験をいくつかやったが、用意したものの全部は紹介しきれない。しかし、これくらいのペースで丁度よさそうだ。はたして、園児にも科学を楽しんでもらえたかな。
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2006年11月19日(日) |
牛乳パックを編む3 |
一昨日の「牛乳パックを編む2」の続き。
いままでは、帯の幅を1センチとしていたが、これを3ミリにしてみた。その他のサイズはこれまでと変わらないが、全体の幅は9ミリとなる。
図1
かなり、狭い幅だ。これを編むと、次のようになる。
図2
図2は上から、三つ編み、市松模様編み、市松模様のジグザグ編みである。さて、市松模様編みを同じ方向に曲げ続けてみよう。
図3
図3のようにらせん構造となる。左は斜め上から、右は横から見たものである。牛乳パックのいたずら編みはなかなかやめられない。 |
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2006年11月18日(土) |
さざれ石 |
君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の生すまで
日本の国歌である。大きな岩は日光、風、水、温度、圧力変化などの影響を受けて、やがて砕けて、小さな石や砂粒になっていく。この逆はないと言う人もいる。しかし、小さな石が堆積して、圧縮されて大きな岩となることもある。今日、護国神社を訪問し、その実物を見て来た。ちょうど七五三のお祝いでにぎわっており、おまけに結婚式もあって混雑していたが、この石に注目する人はほとんどいなかった。
図1
図1がその石である。説明によると、石灰質角礫岩というものだそうだ。石灰分を含んで粘着力をもった液体が、小石を集結してできたものである。
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2006年11月16日(木) |
ヨット2 |
ヨットの走法は、できるだけ風上に向かうクローズホールド(クロッシング)、風を真横からうけるアビーム、風を真後ろにうけるランニングとに分類される。このうちで一番早く走ることができるのは、アビームだそうだ。しかし、ヨットの醍醐味は何といってもクロッシングだ。ランニングのときには、風をあまり感じないが、クロッシング状態になると、風がビュービューと音を立てて鳴り、艇も風下側に倒されるので、反対側のデッキに身を乗り出さないと沈没の恐れがある。また、艇をできるかぎり起こさないと、スピードがでない。私のような軽量では、よほど体を乗り出さないと艇が起きないので、強風のときはたいへんだ。足にロープを引っ掛けて、腰から上を艇の外に乗り出すために、普段から腹筋を鍛えておかなければならない。
大学生のヨット競技には、通常長さが4,5メートルのディンギークラスが用いられるが、メインセールとラダーを扱うヘルメスマンと小さいセール(ジブ)などを扱うクルーとの2人乗りのものが多い。2人の呼吸がぴったりと合わないと、うまいレース運びができないし、沈没してしまうこともある。一番神経を使うのが、レース直前の
30 秒前くらいからレース開始の瞬間までだろうか。
私たちの時代には部員の数が多くて、半数くらいはヨットに乗ることができず、交代で陸上に待機していた。これを陸沈(おかちん)と称していた。今はどこの大学でも部員の確保に悩んでいる。へたをすると廃部の恐れもある。私が福井大学のヨット部の顧問をしていたときにも、廃部の危機に2,3度見舞われたが、なんとか凌いできた。若い人たちにとって、海の楽しさや危うさを学ぶのには、ヨットを体験するのは非常にいいことだと思う。
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2006年11月15日(水) |
ヨット |
ヨットは気体と液体の流体力学の総合体である。四、五十年前にヨット部に所属してから、ヨットはずいぶん発達したし、今でも進化を続けている。常に新しいヨットを手に入れなければ、試合に勝てない。当時は、木製のボートに布製のセールを張っていたので、一度沈する(横倒しになる)と、セールが乾くまで帆走を待たなくてはならない。
不思議に思う人もいると思うかもしれないが、ヨットは風上にも進むことができる。風上といっても、風に向かって
45 度の方向が限度である。しかし、左右の方向転換を行うことにより、風上の真正面に到達することができる。45
度の方向といえども、なぜ風上に向かって走ることができるのか。艇が風に向かって
45 度の方向を向いているとき、セールの向きは風にはぼ垂直の方向を向いている。セールは艇から見て外向きに湾曲しているので、ベルヌーイの法則により、外向き(風と垂直)の方向に力を受ける。艇から見ると、斜め前方に力を受けていることになる。ヨットにはセンターボードという平らな板が水中に突き出しており、艇の横滑りを防いでいる。その結果、艇には前方の分力のみが残り、風上の方向に進むことができるというわけだ。
ヨットに乗っている人にとっては、風の方向や速度を測ることができない。走っている艇との相対的な方向や速度がわかるだけのことである。しかし、これで十分である。要は、いかにしてすばやく風上に達することができるかという技術を競うものであるからだ。その昔は、風の方向を知るために指を水につけて、その指を立て、冷たく感じる方向を風上と見たそうだ。我々の頃は、ステー(帆柱を支えるワイヤー)に毛糸をくくり付けていた。しばらくすると、セールの表と裏の両側に毛糸を付けるようになった。両方の毛糸にたるみがないときには、セールは効率よく機能しているといえる。さて、ポケコン時代の今日、もっともっと効率的な走行法が編み出されてもいいのではないか。自然の力のみを使うヨットの精神に反するとは思うが。
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2006年11月14日(火) |
グミの木 |
本ホームページをのぞいたところ、カウンターが異常に増えていることに気がついた。だれかが意図的に何度もクリックしたのだろうか。いやそうではない。「あそびをせんとや」を訪れたところ、わたしのサイトの紹介をしていただいていた。ますます、内容を充実していかないといけない。
昨日、グミの木を切った。2,3時間後に切り口を見ると、透明なやにがにょろにょろと、霜柱のように伸びだしている。ゼリー状でやわらかく、数ミリ伸びると写真のように自重で変形してしまう。
このグミの木は梅雨どきにたくさんの小さな赤い実をつける。熟すと甘くておいしいが、その頃を見計らって、カラスが群れをなして襲ってくる。
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2006年11月13日(月) |
びゅんびゅんばね2 |
以前にびゅんびゅんばねについて記したが、写真1で示した紙をおりあげると、写真2のように仕上がる。以前は完成するまでに1時間かかったが、プレゼント用にいくつか作っているうちに40分くらいでできるようになった。
いままでに、写真1の用紙を50人くらいの人に渡したが、曲がりなりにも完成したと、私に報告した人は5人ほどである。先週の土曜日に手づくりおもちゃの科学館にこられた子供連れのお母さんは、家で苦労して試作品をこしらえたあと、科学館では新しいものを立派に完成させた。
写真1 写真2
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2006年11月12日(日) |
おふくろ |
おふくろの出身は会津藩、白虎隊の子孫すじにあたるそうだ。おふくろの母の名は仁という。以下、義、礼、智、信、忠、孝、貞、さらに了、十美と続き、末でおわる。兄弟姉妹の名は、孟子や、南総里見八犬伝からいただいたものだろう。三女の礼は太平洋戦争の海戦で有名な山本五十六の妻である。五十六の家族についてはいろいろの書物に書かれているが、「海燃ゆ」の工藤美代子は温かい目で紹介している。
五十六は非常に筆まめで、おやじ宛ての手紙が数通ある。そのほとんどは軍艦長門からのものである。あるとき、友人が有名な人の書の値段を調べてくれて、五十六の書は
180 万円の価値があるという。手紙を眠らせていてはもったいないといって、表具師を紹介してくれた。おかげで、手紙は写真とともに額に鎮座している。残念なのは、それ以前に最後の手紙が紛失してしまっていたことだ。その手紙は、たしか、戦艦武蔵から航空便で届いたもので、当時2歳頃の私のことにも触れてあり、末は大将になって活躍ほしいという記述があった。たぶん、自分の最後を悟り、遺書のつもりで書いたものと思われる。
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2006年11月11日(土) |
おやじ |
私はおやじを超えることができない。おやじは旧制秋田中学を経て東京帝国大学機械工学科を卒業し、三菱電機(重工?)株式会社を全うした。在学中には自動車部で小型自動車運転免許やアマチュア無線免許も取っていたようだ。趣味は釣り、スキー、尺八、謡いなど多いが、碁や将棋はやらなかった。勝負事は祖父からきつく止められていたからだ。退職後は謡曲の教室を開いて、町内の融和をはかっていた。なくなる直前まで、ひょうひょうとして人に迷惑をかけない人生を送っていた。
「工藤物語」楠美鉄二によると、工藤家は源頼朝に従って東北地方に遠征し、領地を与えられたり、その家臣として使えたりして現地に居ついたそうだ。祖父は秋田県東能代の檜山という山奥から秋田市に出て、小売の商売を始めたそうだ。
今から何十年前だったか、ルーツ探しというのがはやっていた。自分の先祖をどこまでたどっていけるか、というものだ。おやじの命を受けて、檜山藩の菩提寺を訪ねたことがある。お寺の過去帖を見せてもらったが、これで先祖をたどっていくのはたいへんだ。過去帖には、何年何月何日にだれそれがだれそれの葬儀を執り行なったという記述しかない。葬儀をされた人が誰の葬儀を執り行なったかと探していくと、だんだんと古い先祖に近づいていく。お寺には古い過去帖が何百冊もあるに違いない。これはたいへんだと、あきらめた。どうせ、あなたの先祖は足軽でした、ということがわかるくらいのものだろう。ひょっとすると、工藤祐経あたりに行き着くかも知れないが。
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2006年11月10日(金) |
めだか |
昨日はひめだかを買ってきた。フィッシュランドで一番安い魚だ。1匹 50 円だが、10 匹で 315 円。庭に置き去りにされている甕に移すとき数えたら
11 匹あった。たぶん、店の人はきちんと 10 匹数えるよりも、おおざっぱに 11
匹入れたほうが楽だと考えたのだろう。さて、このひめだかはうまく育つであろうか。また、子供が生まれて、増えていくだろうか。そのためには、少なくともオスとメスが1匹ずついなくてはならない。
それでは、このひめだかすべてがオスであったり、メスであったりする確率を計算してみよう。まず1匹目はオスかメスかのどちらかであるので、2匹目以降はすべて1匹目の性に一致しなくてはならないので、2の十乗分の1、すなわち、1000
分の1くらいの確率で子孫が望めない。
しかし、雌雄の数が均等であるという保証もないし、下等動物では場合に応じて雌雄を交代することもありうるので、一概に上の結論が正しいとは限らない。それよりも、たとえ卵を産んでくれたとしても、仲間が食べてしまったり、幼魚がうまく育つ環境であるかも問題である。
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2006年11月9日(木) |
液滴の研究 |
今春、F高校のM君が手づくりおもちゃの科学館に来館した。彼は物理のクラブに属し、泡入り液滴が紙面に作り出すパターンの研究を一人で行っていた。福井大学の高速度カメラを使用することを薦めたところ、すばらしい発表形式にまとめあげた。このたび、福井県高等学校理科クラブ研修会においてその研究が認められ、晴れの全国大会へと駒を進めることとなったと聞き、喜びに耐えない。
彼のように自ら研究課題を見つけ出し、それを遂行する姿を見ていると、これこそ真の科学的研究スタイルだと感じる。指導者がレールを引いて科学的な興味を引き出すことも、時によっては必要であるが、自発的な研究スタイルを育てることは、さらにすばらしい仕事である。彼の姿を見ていると、私がかつて指導したことのある「空気砲グループ」のことを思い出す。グループのなによりの特徴は「おもしろがる精神」が非常に旺盛であったことである。
このような若者を育てることが私の楽しみである。
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2006年11月7日(火) |
ゆきおこし |
雪お越しと書く。雪起こしと書くこともあるが、異なった意味で用いられることが多い。山陰、北陸、上越地方にかけて、冬季に、雪の到来を告げる雷鳴のことを指す。富山などではブリおこしとも言う。夏に起こる雷とは逆に、電流は上から下に向かって走るそうだ。
ゆきおこしは激しく起こるので、家で観賞する分にはたいへん見ごたえがある。特に夜中に起こることが多いので、布団の中に居ながらにしてガラス戸越しに見るのが最高である。打ち上げ花火よりも迫力を感じるのは、そのパワーに圧倒されるからであろうか。
ところで、雷がどの辺りに落ちたか知りたいと思うこともあるだろう。そのときには、戦時中に兵隊が砲弾の落下地点までの距離を推測した方法を用いるのがよい。まず、3
秒間に 10 こ数える練習をしておくことである。右手の人差し指を左の手のひらにトントンと当てて、1,2,3,・・・と数えるとよい。さて、雷がピカッと光ったときから数え始めよう。ドカーンと落雷の音を聞いたときの数に
100 メートルをかけたものが落下地点までの距離である。ちょうど 10 まで数えたならば、雷は1
キロ先に落ちたことになる。以外に近いところに落ちていることに驚くであろう。その形跡を見かけることがほとんどないのはなぜだろう。
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2006年11月6日(月) |
科学講座 |
昨日は晴天が夜まで続き、十五夜の月がたいへん美しかった。統計上はこの時期の十三夜の月の方は観賞することができるが、十五夜の月に恵まれることはきわめて珍しいらしい。今日から天気が崩れそうだ。
昨日はK小学校4年生のPTAによる「親子のつどい」に招かれた。小学校も高学年になると、科学に対する目もかなり確かなものになっていて、私の説明にも納得してもらえたようだ。生徒や保護者の方々がこれだけ熱心に話しに集中してもらえたことは久しぶりのことである。大学在職中には、必修科目ばかりの講義をたくさん持っていたが、90
分の授業の間、生徒を完全にとりこにしてしまう、すなわち、60 人以上の生徒の顔を自分の方に向かせ続けることができたと感じるのは、10
回の講義に対して1度あるかないかのことだろう。しかも、生徒があまり理解していないのに、理解しているともの思い込んで自己満足していたことも多々ある。
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2006年11月5日(日) |
ノンストップ |
通勤時代、12 キロほどの距離を車で通っていた。この間、信号が 30 ほどある。あるとき、途中までノンストップでやって来たことに気づいた。どこまでこの記録が続くか試してみようと思い、信号を気にしながら走ってみたところ、ついに勤務先のゲートまでノンストップで来てしまった。もちろん、エンジン・ノンストップのことではなくて、停車しないということである。そして、夜中のチカチカ信号を通過したわけでもない。通勤時間帯を少しずらしてはいるが、市内の混雑地帯も通過している。
確率的にはありえないような、この大記録?(恥ずかしくて誰にも言っていない)を達成したかは述べない方がいいだろう。真似をして交通迷惑を生じさせる人が出てきてはいけないから。
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2006年11月4日(土) |
グリーンセンター |
昨日は、午前中から丸岡にある福井県総合グリーンセンターに出かけた。快晴に恵まれ、家族連れなどで盛況であった。ここの目玉はなんと言っても、たまねぎ型をした巨大温室だ。そして、温室の目玉はバナナだろう。直径2〜30センチほどもあるバナナの木(?)がにょきにょきと生えているさまは壮観だ。おまけに幹の先端にはみごとなバナナの房がぶら下がっている。本場に行って、本物の熱帯植物を見てみたいという気持ちを起こさせる。
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2006年11月3日(金) |
文化の日 |
今日は文化の日だ。文化の日は晴天になる確率が高いが、本日も例外ではない。毎年、この日には紅葉狩りや文化行事に参加することが多い。
今朝、ろくに手入れのしていない庭に出て、採り忘れていたむかごを晩酌用に摘んだ。
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2006年11月2日(木) |
科学館の未来 |
手づくりおもちゃの科学館をオープンしてから半年が過ぎた。手づくり教室で出している教材やもろもろの諸経費はすべて持ち出しだ。一部来館者からのカンパにも依存しているが、科学館を維持、発展させていくためには外部資金の導入が必要である。そのためには、まず内部の体制を整えておかないといけない。
幸い、YさんのNPO法人から、科学館を含めて活動してあげようという申し出でを受けた。法人としての事務など、たいへんな仕事を解消いただけるのは、嬉しい話である。来年の4月を目指して科学館の体制を整備したい。
昨日はへまをして、<<前のページ|にブランクができてしまった。
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2006年11月1日(水) |
月をつまむ |
日の出や夕日は非常に大きく見える。月もまた、地平線に近いときには大きく見える。この月をつかむ前に人間をつまんで見よう。100 メートル先の人を真正面に見て、手を思い切り伸ばして親指と人差し指の間につまむ。目から指までの距離を50センチ、人の身長を
1.6 メートルとすると、つまんだ指の間隔は約 8 ミリだ。これを覚えておくと、遠くの人までの距離の目安となって、便利だ。
次に、同じように月をつまんでみよう。つまんだ指の間隔は約 4 ミリ程度だろう。では、真上にある月ではどうであろうか。このとき注意しなくてはならないのは、手を真上に上げると、目からの指までの距離が近くなってしまうので、体をうんと反らせなくてはならないことである。そうやってつまんだ月の間隔はやはり
4 ミリと、変わらなかったであろう。
では、なぜ地平線上の月は真上の月にくらべて大きく見えるのであろうか。地平線上の月は背景の建物などがあるからだという説もある。それも正しいであろう。また、人間は天を低く見ているという説もある。これは、上で述べた、体を反らさないで手を上げたときの距離を天の高さと思ってしまうことに相当するであろう。このとき、目から指までの距離は約
40 センチだから、20 パーセントの差ができてしまう。
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