コラム:第1篇
■福田貴日のコラム、第1篇です。
第1篇 | |
10 偏差値50の壁:中学受験篇 | 2009年2月18日 |
9 情報過多の罠:中学受験篇 | 2008年4月28日 |
8 最も厳しい春だった今年の中学受験:中学受験篇 | 2007年7月28日 |
7 真っ黒になる? それとも真っ白?:中学受験篇 | 2007年4月12日 |
6 合格だけが全て?:中学受験篇 | 2007年2月21日 |
5 欲しがりません、勝つまでは:中学受験篇 | 2007年1月13日 |
4 答えはお母さんの笑顔:中学受験篇 | 2006年12月10日 |
3 もう一つの大事な仕事:中学受験篇 | 2006年11月11日 |
2 偏差値は万能?:中学受験篇 | 2006年10月10日 |
1 熱意が生んだ奇跡、それとも?:中学受験篇 | 2006年9月3日 |
■中学受験篇 ~その10~ 偏差値50の壁
その生徒は3月からのスタートでしたが、その時まで通っている塾での算数の成績が偏差値で40以上を取ったことがないという生徒であり、やはり一つの解法以外は頭に入らないというところがありました。そもそも算数の問題というのは先生によってあるいは教材によって解法が異なることが普通です。それを自分がいつも使っている解法以外ではわからないというのでは勉強は全然進みません。しかしその生徒は全く融通がきかない子でしたので、私としてはどうしても一つの単元に一つの解法という原則を貫く必要があったのです。
ですから私もそのことにはとにかく気を遣って指導しました。例えばその子は食塩水の問題を解く時は複雑であろうと単純であろうとかまわず‘天秤’(テクニックの一つ)を使っていましたので、私も食塩水の問題を見た時は必ず‘天秤’を使うようにしていました。そしてある程度必要な単元をこの方針(単元が同じ問題は同じ解法で説明する)で指導していったのです。
成果の出にくい子でしたので、この方針に沿って必要な単元を一通りマスターするだけでも本人にとっては相当大変だったと思いますが、実はこのやり方だけではどうにもならない最大の難問が後に控えていたのです。それは偏差値50の壁でした。というのも中学入試の算数の問題は偏差値50を目安としてそれより上と下では問題の複雑さが全然違っていて、偏差値50を超えてくると一つの解法だけ説明して押し通せる程単純な単元はないと言ってよかったからです。このままでは偏差値50以上の学校には入れない。これは何か考えなければいけないと思いました。
特に大きく問題になるのは“比”の取り扱い方でした。中学入試では“割合と速さ”に関する問題が非常に多く出題されます。偏差値50位までの学校であれば“比”による解法を使わないでも解ける問題が多いのですが、50を超えてくるとこれを使わなければ解くのに大変そうな問題が続出してくるのです。このレベルになるとどうしても“比”を使う解法とそうでない解法の両方を頭に入れた上で状況に応じて使い分けることが必要になってくるのです。
中学入試の算数において偏差値50を超える学校に合格できるかどうか、その明暗を分ける最大のポイントが“比”による解法を身につけられるかどうかにかかっていたのです。でも解法は複数覚えられない。入試はもう目前でした。
結局私としてはこの生徒を指導するにあたって次のことを心がけることにしたのです。まず“割合と速さ”について“比”を使わない通常の解法を教える。一方で“比”自体に慣れるように“比”に関する基本的な練習問題をある程度の量こなさせる。次に“割合や速さ”が絡んでいて“比”を使うと有効な問題を個別に扱ったのです。
例えば以下のような問題の場合には、“速さ”の問題であっても“比”を使うと有効なのです。
<例題>
ひろ子さんは午前8時10分に甲地を出発して山に登り始め、頂上に着いて1時間30分休憩しました。下りは同じ道を通って登りの速さの2倍の速さで降りたところ、午後3時10分に甲地に帰りました。頂上に着いたのは午前何時何分ですか。
生徒には“距離が同じ場合には時間の比は速さの比の逆比だ”としっかり強調します。その上でこの問題の場合には甲地~頂上は登りも下りも距離が同じだから、速さの比が1:2ならば時間の比は2:1になる、と説明し計算させるという具合に・・・。
私はこの生徒が本当にこのやり方に対応できるのか不安でしたが、やってみると意外にスムーズにことが運ぶことに驚いたのです。一体なぜだろう。そう思った私の脳裏に要領が悪くなかなか成果が出ないにもかかわらず、とにかくがむしゃらに頑張る子供の努力の日々が思い浮かんだのです。なるほどそうだったのか。私は一瞬で納得したのです。
子供にとっては大変な苦労の連続だったけれどもそれを乗り越えたことで、実は問題のほとんどが既に解決していたのだと。揺るぎのない基礎力の完成がそれを可能にしたのだと。
この後入試を受けている間も成長を続けたその生徒は遂に偏差値50台の学校に合格したのです。それはまさに緻密な積み重ねの結果だったのです。
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その9~ 情報過多の罠
今年私が担当し第一志望の芝中に合格した生徒の栄冠は、洪水のように押し寄せる情報に翻弄されながらも目標を曲げることなく貫くことが出来たから達成されたものでした。
私がその生徒を教え始めたのは5年生の11月からでした。苦手だという算数中心の指導でしたが、私としては勉強そのものよりむしろお母さんと生徒が自分達の目標を見失わないように導くことの方がはるかに大変だったように思います。というのもその生徒は気分と体調によって大きく左右されることが多く、実力があってもそれをテスト時に発揮できない傾向にありましたし、お母さんはテストの結果が悪いと不安になって志望校と勉強方法を変えようとされることが多かったからです。そしてそれは情報過多のご父兄に多い特徴的な症状なのです。私はその都度話し合いの場を設け、お二人がご自分を見失わないように精神的にバックアップしたことを記憶しています。
私は通常1回1回のテストの良し悪しにはあまり興味は持ちませんが、ご父兄の立場からすると塾のテスト結果というのは非常に重要な場合が多く、またそれが良くなければ合格できないとまで思われてしまう傾向にあるようです。勿論、良いに越したことはないのでしょうが私としてはあくまでもご父兄を安心させる材料としてあった方がいいかもと思っている程度のものに過ぎません。それならどうやって生徒の出来・不出来や現在のレベル・志望校の合格の可能性を判断するのかと不思議に思われる方もいらっしゃるでしょう。実は私は普段の生徒とのやり取りを通した感触しか当てにしないことにしているのです。数字による客観的データというのも時には必要かとも思うのですが人間を相手にしている以上、学力だけでなくあらゆる意味において目の前にいる相手が現在どういう状態にあるかを見極めずして、その相手の将来を見通すことは出来ないと思うからです。私はいつもご父兄に申し上げることにしています。私達が相手にしているのは生身の人間であって機械ではないのだと。だからこそ私はテストの結果やその他の情報に振り回されずに自分の指導方針を貫けるのです。そして良い結果を得るために最も必要なこと、それこそが信頼関係なのです。そういう意味では今回の勝利はお母さんと子供の私に対する信頼がもたらした成果といえるのではないかと思います。
話を勉強の方に戻しますが、ご要望は“抜けている算数の基礎を重点的に”とのことでした。そこでテストの結果を見せていただいたのですが、注目すべき点を一つ発見しました。確かに計算問題や単純な一行問題には間違いが多かったので基礎力が不足していることに違いありませんが、そのわりに決して易しくない問題が意外に出来ていたのです。確かに今は出来ないが、かなりのレベルまで持っていける潜在力はあるかもしれないと私は密かに思いました。
では実際どのような指導を行ったのかは以下の通りです。生徒はある塾に通っていましたが、そこでは四谷の予習シリーズをテキストとして使用していました。
■入試までに行ったこと
(1)5年生11月~6年生4月:入試最重要単元の徹底(主に基礎的な問題)
<内容>計算・割合・速さ・比・約数・倍数など
<テキスト>計算合格の800題(声の教育社)など
(2)6年生5月~7月:弱点分野をつぶす作業
<内容・テキスト>
☆予習シリーズ5年上・下の基礎問題(全単元)のやり直し
☆予習シリーズ準拠計算と一行問題集6年上を全て
☆ベストチェック(日能研):場合の数など
(3)塾の夏期講習→塾が忙しいというので家庭教師はお休み
(4)6年生9月~1月:芝中対策・弱点補強
<内容>
☆芝中過去問(S63年~H19年)
☆分配算:消去算・植木算・速さ・速さと比・旅人算・時計算など
<テキスト>
☆応用自在計算問題の特訓(学研)
☆プラスワン問題集(東京出版)
まず5年生11月~6年生4月に、算数が苦手なら絶対克服しておかなければならない分野を基礎的な問題を中心に扱い、その上で塾の予習シリーズのフォローも必要に応じて行いました。次に6年生5月~7月には過去問対策を行う前に不可欠だと思われる“予習シリーズ5年上・下のやり直し”と“一行問題集6年上の徹底”を1日最低1ページずつ進めるよう指導しました。それとここで新たに発見した致命的になりうる“場合の数”を基礎例題から丁寧に説明し克服させました。
夏休みは、塾を中心にとのことで授業は行えなかったのですが、芝中対策が困難を極めたのはこの夏休みに基本を放置したからに他なりませんでした。それは1ヶ月半ぶりの授業でしたが、しっかりと積み上げてきたはずの基本がボロボロになっていたのです。塾の夏期講習で高度な問題ばかり扱っていた為に基礎的なことがおざなりにされていたことを後にお母さんから聞かされましたが、このことは生徒個人の事情を把握している私のような者が1ヶ月以上もの間生徒から離れる恐ろしさを知らされた出来事でした。もし夏休みに芝中向きの“予習シリーズ6年上”の例題レベルの問題をしっかりやっていれば9月以降はずっと楽な展開になっていたでしょう。
それからは予定通り芝中の過去問と弱点の補強を交互に行いました。実は弱点補強をすることとそれを成果として試し繰り返すという単純作業に飛躍の鍵があるのです。実際の基礎問題の弱点補強の教材としては応用自在計算問題の特訓を使用しました。一方、芝中の過去問の出来はなかなか良くならず、S63年~H6年で10点台:3回、20点台:2回、30点台:2回という具合でした。芝中のように伝統のある学校は傾向が一定しているので古い問題をやることに意味があります。しかしあまりにも芝中の過去問が出来ないので、芝中は本人には向かないから志望校を変えたほうがいいのではと何回かお母さんに相談されました。しかし私は必ず伸びると信じていたので志望校を変える必要はありませんとその度に強調しました。きついことは確かでしたが何とか間に合うとも思っていたからです。
このやり方に対して芽が出てきたと思われたのが11月の半ばでした。この頃には過去問も新しい物に手をつけ始めていましたがこの日、生徒はH15年の問題を44/100とりました。この問題は非常に難しく、この点数でも合格者平均点を上回っていたのです。これは初めてのことでしたが偶然ではない証拠に本人の算数に対する理解度の実感が伴っていました。私としても“実力は間違いなく芝中合格レベルになってきている”と確信した日になったわけです。しかし喜ぶのはまだ早く信頼関係を深める為にもう一つ越えなければならない山がありました。最初はお母さんの表情が冴えないことから感じる漠然とした不安に過ぎませんでしたが、それは現実の結果になって現れてきたのです。
12月に入り、より芝中向きの入試標準レベルの問題が多いプラスワン問題集を扱うことにしました。しかし芝中の過去問の出来は必ずしも良くありませんでした。私も何かおかしいと思い始めたところ、ここで暫く黙っていたお母さんが不安を口にし始めたのです。それはH15年の算数が合格者平均点を上回っているといっても過去数年以内の問題の中には合格者平均点が7割を超えているものもあり、5割を超えたことのない子供が本当に合格できるのかというものでした。そして再び、志望校変更を口にしたのです。私は再びお母さんや本人と話し合いの場を設けました。そして浮かび上がってきたのが塾の先生に理社を徹底的にやるように言われ、四谷の四科のまとめを使って毎日暗記勉強ばかりやっていた為、またもや算数の基礎がおろそかになっていたという現実だったのです。原因は塾というわけではなく、多くの割合でお母さんの不安が関係しているのだと私には思われました。頭に詰め込めば得点力が上がる理社の知識分野に力を入れる方がよほど芝中合格に近づくのではないかと思案し、必要以上に理社に時間を割いたのでしょう。実際この時期プラスワン問題集の進み方は、はかばかしくありませんでした。しかしこれは私が信用されていなかったという現実でもありました。そこでお母さんの不安を取り除けなかった私も自身で反省し、再度芝中レベルの入試標準問題を徹底することの重要性を説きました。そしてようやくここでお母さんや本人にも迷いがなくなったようでした。
1月に入り、プラスワン問題集の出来が急激に良くなりました。そして1月10日に西武文理、11日に城西川越に合格しました。それと同時に算数に対する自信が揺ぎ無いものになっていったのです。この後、2校の合格に気を良くした子供は2月1日に見事に芝中の合格を果たしました。結局、芝中の過去問では一度も5割を越えたことがないにも拘らずなんと当日7割は得点したという報告を受けたのでした。
以下、模擬テストや塾の成績です。
以上が手元にあった資料の一部ですがこれを見て気がつくことは四谷の合不合と塾の成績が全然違うということです。実はテストとは、どこの塾のどんなテストかによって全く異なった結果が出てしまうものなのです。このような場合、私は良い方を信じるように勧めています。一つでも悪い結果を見ると慌ててしまうような方もどうかご心配なさらないで下さい。今回の場合も9~11月の塾の合格判定テストが良いわけですから四谷の合不合が悪いからといって心配する必要はありませんとお母さんには申し上げました。それでもご納得いただけない方にはその都度ご意見をお伺いした上で申し上げることにしています。まずは不安が契機になってお互いの信頼関係が崩れないようにしましょう、そして普段の子供の様子こそが本当に重要なのですと。たとえ私が合格すると予想して信念を持ち指導し続けたとしても、ご父兄が不安なままでは子供の成長がそこで止まってしまうことにもなりかねませんから。
今回のやり取りの中でも何回か信頼関係が怪しくなってしまったことがありました。原因としてはテストの結果であることが多かったわけですが、私にしてみればテストの結果よりもそれが契機になってご父兄との信頼関係が崩れてしまうことを何よりも恐れているのです。信じてついてきていただければ良い結果がだせる可能性は高いのですが、信頼関係を築くということはなかなか難しいものです。そういう意味では勉強だけでなく信じていただけるような指導・話し合いをこれからも行っていかなければならないのだと再確認出来た出来事でした。今回の芝中合格は紆余曲折があったにせよ、お母さんと生徒が最後まで私の指導についてきてくださったから達成できたことであり、お二人には非常に感謝している次第です。
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その8~ 最も厳しい春だった今年の中学受験
新学習指導要領の導入で、小学校の学習内容と入試問題との乖離が一層拡大し、これをカバーする為に、受験生活も今では平均して3年と長期化しつつあります。
このように激化する中学受験を勝ち抜くには、私は家族全員の総力戦にならざるを得ないと思います。ところが平均3年といわれる受験生活においては、そのご家族の時間的、金銭的、肉体的負担は相当なものであり、そのストレスはお子様だけでなく、ご両親にも重くのしかかってきます。
そこで私の家庭教師としての仕事はもちろん志望校に合格させることですが、そのためには勉強だけ教えていればいいというものではなく、私の家庭教師としての長い経験からお子様のみならずご両親の心のケアが非常に大切だと確信しています。ご両親の不安、苛立ち、焦りは必ずお子様に伝染しますし、お子様のストレス緩和は、ご両親の対応の仕方で随分違ってきます。ですから私は授業の終わりにかならずご両親とお話しする時間を設けています。単に授業の進捗状況の報告にとどまらず、いろいろな相談に応じさせていただく時間として。
「私は6年生の息子を持つ受験生の親です。インターネットで先生のページを拝見しました。できれば福田先生に家庭教師を御願いしたいのですが・・・。」5月も過ぎた頃突然そんなお電話を頂きました。そのとき私は既に生徒数が手一杯で募集締め切りのお知らせを出していたのですが、「今来ていただいている家庭教師の先生との相性がどうも良くないようでとても不安です。相談にのっていただけるだけでも結構ですので。」とおっしゃられるので私もなんとか力になれないかということでそのご家庭を訪問することになりました。
その時、つけておられた家庭教師は聞くところによると以下の通りの状況でした。
①勉強だけしか見てくれず相談などには一切乗ってくれないので話し合いができない。
②コミュ二ケーションがとれないので子供とうまくやっていないよう。
③授業も「気が散る」などの理由で見学させてくれない。
④連絡先など一切教えてくれないので都合の悪いときも連絡が取れない。
これからが正念場という時期にさすがにこれはまずいなあと思いました。体験指導でお子様の適正や弱点などをある程度把握した上で、私の信頼の置ける先生2人(算数・理科)をご紹介することにしました。また、その後何かあれば必ず相談に乗りますからというお約束もさせていただきました。聞くところによりますと、現在は順調に受験対策が進んでいるようです。
私は、今のところ受け持ちの生徒が手一杯なので、体験指導も無いかなと思っていたのですが、思いがけずこういう格好でお役に立てたことについて大変嬉しく思いました。そこで比較的時間の余裕がある夏休みの期間に勉強法や進路相談、その他種々の相談に応じさせていただくことにしました。他の家庭教師の先生を紹介するためということではありません。
特に6年生のお子様にとっては大事な夏休みです。この夏休みの期間の過ごし方如何が受験の結果に大きな影響を及ぼすことになります。一人でも多くの方のお役に立てればと思う次第です。
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その7~ 真っ黒になる? それとも真っ白?
昨年5月中旬から私が担当した生徒にこの夏休みを有効利用した結果、大きな進歩を遂げた男子生徒がいました。彼はある大手の塾に週5日通いながら剣道にも打ち込むというハードな生活を送っていました。塾での成績も良く剣道も強いという彼は、文武両道に秀でていました。但し、国語、社会に比べると理科、特に算数には苦手意識を持つ生徒でした。
普通大手の塾に通う生徒は小6の夏休みには毎日のように朝から晩まで塾で授業を受け寝る暇もないほど忙しい40日を過ごします。しかし夏休み前にご両親から、「思い切って塾の時間を減らすので苦手な理科、算数の底上げをやって欲しい。」という依頼があり、それを引け受けることになりました。
彼の志望校レベルとその時点での彼の習熟度合いを勘案して、算数は応用自在計算問題の特訓(学研)を使うことにしました。そして毎日どの単元(=問題集の何ページを)やるかという詳細な学習計画を立てました。その際、①彼が1番苦手と思われる分野は私の授業で扱うように割り当てる。②その他の苦手と思われる分野は自習。③ただし自習で間違えた問題には必ず印をつける。④間違えた問題は授業のある日に解説する。という格好にして夏休み期間中に一通り苦手分野がマスターできるようにしました。
彼が苦手としていた分野に場合の数がありました。以下は夏休みの授業で実際に取り扱った問題です。
(具体例)
1) 0,1,2,3,4のカードで、3けたの奇数は何個できますか。
2) 0,1,2,3,4のカードで、3けたの整数をつくるとき、321は小さいほうから何番目ですか。
3) 1,2,3,4のカードで4けたの整数をつくるとき、4の倍数は何個できますか。
4) 1, 2,3,5,6のカードで3けたの整数をつくるとき、250に最も近い12の倍数は何ですか。
5) 1,2,2,3,3,3のカードで3けたの整数をつくるとき、一の位より百の位の数が大きいものは何個できますか。
どうです? 1,2あたりはすぐにでも解けそうですが、3、4、5、あたりになると実際に一度くらいは類似問題をやり、定石が頭に入ってないと時間を食う問題です。授業ではこういった苦手な単元の問題を総当りさせて解き方の定石を完全にマスターさせていきました。
理科については入試に良く出る基礎的な単元をほぼ網羅したメモリーチェック(日能研ブックス)を毎日2単元こなしてもらうよう計画を立て指導しました。
夏休み中は週3回(各2時間)の授業でしたが、自習時間の課題もきっちりこなして頑張ってもらったのでかなり手ごたえを感じていました。
夏休みが終了して四谷の合不合の模試を受けたところ,算数の偏差値が上がり、もともと得意な国語の出来も良くて2科で偏差値60に乗せることが出来ました。そして10月には算数の偏差値も50台後半まで上がり、志望校レベルまでもう少しと言うところまでこぎつけることが出来ました。
算数
得点
2科
4科
7月
52.7
84/150
54.4
57.0
9月
54.8
90/150
60.9
58.3
10月
58.7
95/150
60.9
60.6
11月
58.4
100/150
57.9
58.5
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その6~ 合格だけが全て?
結果を先に言いますと今回その子は第一志望の私立中学校に不合格でした(第二志望を含む3校に合格)。
以下、お父様から頂戴したメールです。
Subject:お礼
福田先生
いよいよ受験もあと数日に迫りました。思えばこの1年は激動の一年でした。5年生の3学期からの受験勉強は厳しいものがありました。子供も親もどのように受験勉強を進めていけばよいのかわからず、ただ塾のいうままに宿題をこなし、5月の連休が明けるまでは暗中模索の状態が続きました。この頃は、子供が寝る時間はほとんど夜中の12時半を越えていたと思います。といいますのは、そうでなければ塾の宿題が終わりませんでした。今思うとよくもそこまで頑張ったと思います。そうこうするうちにさすがに子供も睡眠不足などが重なり、体力にも限界がきてしまいました。体調を崩してしまい、大幅のペースダウンをせざるを得ない状況に陥りました。
正直この時期には2科受験への変更を考えました。ただ周囲のアドバイスもあり、夏休みまではとりあえず4科で頑張ってみることにしました。私は思い切って、日課となっている算数の計算(一行問題を含む)や漢字を中止し、塾の宿題もすべてこなすことはせず、あえて無理をさせませんでした。今思うとこの判断は無謀ではあったのでしょうが、今日まで受験勉強を続けることができたのはこの時の判断があったからだと思います。あの時無理に夜中まで勉強を続けていたら、おそらく12月あるいはそれ以前に破綻していたと思います。また、あの時あきらめて2科受験にしなくてよかったとも思います。2科受験は一見楽そうに見えて、実はかなり受験生にとって不利であるということがあとになってわかったからです。
夏休み中は塾から与えられた教材を中心にやらせました。もちろん、順調にすすんだわけではありません。そして、8月末にインターネットで福田先生を知り、9月から早速授業が始まりました。まず、毎日の計算と漢字を再開しました。また、早い段階で第二志望、第三志望の学校を決め、その過去問を開始しました。福田先生のアドバイスに従ったおかげで、9月以降はかなり落ち着いて日々の学習プランを立てることができました。また、11月以降、第一志望校の勉強に集中できたことも大きかったと思います。
何より福田先生に助けて頂いたと思うのは模試の偏差値に一喜一憂せずに済んだことです。模試の結果がよくても「実際の入試でできなければ・・・」と特に子供をほめることもなく、また結果が悪くても「模試はあくまで模試ですから、本番の入試で合格点をとれれば・・・」と特に心配する様子もなく、ただ淡々と模試の結果を評価されていたので、最初は不安でしたが、そのうちに少々悪い結果であってもあまり気にしなくなっていきました。11月あたりから算数が少しずつ伸び始め、偏差値も急上昇し始めました。12月は福田先生のアドバイスに従い、勉強時間の大部分を算数に費やす毎日でした。そして,冬休み中は正月を含め、とにかく過去問とその弱点補強に努めました。その結果、1月受験は信じられないくらい順調だったと思います。特に、過去問の相性がよくなかったA中学校に合格できたのは子供にとっても大きな自信になったのではないか思います。このまま何とか乗り切れればと思います。
家庭教師の役割というのは、確かに子供の勉強レベルを上げることが第一なのかもしれません。しかし、受験というのは12歳の子供一人の力だけでは厳しいものがあります。そこには親や塾、学校などのサポートが必要です。ただそれだけではなく、今回痛感したのは、福田先生のように親の不安を取り除くという家庭教師のもう一つの役割というものの重要性です。塾からは「受験直前になるとお子さんよりも両親の方がカリカリして、それがむしろお子さんにマイナスに働くことがあるので十分注意してください。」といわれていましたが、そのような事態にならなかったのは福田先生のおかげだと思っています。たぶん塾だけに頼っていれば、かなり不安や不信感が溜まっていき、ある時期爆発していたかもしれないと思います。福田先生は、授業が終わったあとに十分な時間をとって我々両親と話しあう機会を設けてくれましたので、こういった悩みは最小限に抑えることができたように思います。12月、1月と試験が近づいてきても、子供、両親ともに比較的安定して、穏やかに過ごすことができたように思います。
本番の試験ではここまでやってきたことをすべて発揮してくれれば何とか合格できるのではないかと思います。2月1日に結果を電話でお知らせ致します。吉報をお伝えできればと祈っております。この半年間本当にありがとうございました。
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Subject:長い、長い一日
福田先生
2月1日、第一志望のB中学校を受験しました。子供から聞いた話を総合的に判断すると予想外に健闘したように思いました。私の予想では、算数,国語のできも悪くなく、合格最低ラインはかろうじてクリアーできたのかなあと思いました。しかし、インターネットでの発表には子供の受験番号は見当たりませんでした。私も妻も一瞬言葉を詰まらせてしまいました。受験とはやはり厳しいものですね。子供も少しは自信があったのか、何度も何度もコンピューターを立ち上げては発表のページを見て、何かをつぶやいていました。この悔しさがいつかよい方向に働いてくれればいいのですが・・・。
受験とは結果がすべてであるといってしまえばそれまでです。ただ、もう少し冷静になって考えてみると、今まで見えていなかったものがぼんやりとですが見えてくる気がします。中学受験が我が家にもたらしてくれたものはひょっとすると親子の強い絆だったのかもしれません。一年前、サピックスの入塾試験に不合格(偏差値26)となり、日能研でも37と、両親ともに途方に暮れてしまった日々が走馬灯のように思い出されます。その子供が1年間の勉強で、首都圏模試で偏差値を60近くまで取れるレベルに達したわけですから本当によく頑張ったのだと思います。親として子供に大きな拍手を送ってあげたい心境です。
確かに今回第一志望が不合格になったことは非常に残念ですが、そのことによって子供もきっと何かを学び取ったと思います。この不合格は子供にとっては大きな、大きな一歩に違いないと確信しています。明日、第二志望のC中学校を受験しますが、きっとよい結果を出してくれると信じています。第一志望校は不合格になってしまいましたが、何年か経って中学受験を振り返ったとき、子供にとっても親にとってもきっと懐かしい、そしてよき思い出になっていると思います。
福田先生には本当にたくさんのアドバイスを頂き感謝しています。今いえることは、中学受験はあくまで通過点に過ぎないということです。中学受験の結果で人生が決まるわけでもなく、「人間万事塞翁が馬」だと思います。中学受験はわが子のみならず、親にとっても本当にいい経験になったと思います。福田先生には感謝の念で一杯です。少しゆっくりしたら食事にご招待したいと思っています。また連絡致します。
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授業終了後のご両親との面談では、お父さんは必ずメモ帳を用意し、私の言ったことを細大漏らさず書き取っていました。私は下手なことは言えないと緊張し、またその真剣さに圧倒されたものでした。
冬休みのことです。受験予定校の過去問は一通り終え、見つかった弱点分野を集中講義する予定にしておりました。算数は約数・倍数の問題が弱点の一つでした。ある問題集を使ってその単元の問題をやらせたところ苦手だったはずの問題がすらすら解けるではないですか。ちょっと驚いて、どうしたのかと聞いてみたところ、お父さんと一緒にもうやっておいたということでした。
そういえば授業のあとの面談でどこが弱かったのかということをお父さんにお話ししていました。そうです。別に御願いしたわけでもないのにお父さんは仕事の忙しい合間をぬってその子が弱かった単元の問題をつぶしていたのです。以下はその時の問題の一つ。
<具体例>
113、266、385を1以外の整数(ア)で割ると、余りは同じ(イ)になります。整数(ア)と(イ)を求めなさい。
解法がわかっていればそんなに難しいものではないのですが、その解法は簡単には思いつかないし、小6の生徒に理解できるように教えるのは根気が要ります。しかしこのお父さんはちゃんと解説されていたようでした。しかもこの問題のほかにもたくさんやっていただいておりました。ここまで真剣にお父さんが取り組んでいたのでお子さんもそれに応えようと頑張れたのではないかと思います。
受験ですから「合格しなくては意味がない。」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私も「プロ家庭教師」と名乗っている以上、結果だけにこだわるべきなのかもしれません。
しかしこの親子にとっては第一志望校が不合格になってもなお得るものがあったと言えるのではないでしょうか。合格だけが全てではなかったわけです。お子さんの頑張り、お父さんの真剣さ、それらはお父さんがメールの中で述べられているように、きっと将来役に立つものと私も信じております。
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その5~ 欲しがりません、勝つまでは
数年前のことになります。神奈川御三家のひとつといわれるA中学を第一志望にしている生徒を小6の9月から担当することになりました。
聞いたところによると、彼は3年生から塾(日能研)に通い始め、真面目な為コツコツと勉強を続け4年生には4科目とも偏差値60を切ったことがないという優秀な成績だったそうです。
ところが5年生の終わり頃から成績が下がり始め、6年生の初め頃(4月)にはなんとか60あった偏差値も私が教え始める直前には55程度まで下がっていました。
最初彼に会った時、まだ6年生なのに非常に疲れた表情をしていました。長い受験勉強で疲労が溜まっている様子がはっきり見て取れました。彼の部屋の中を見回してみると、机の上や本棚にあるのは受験参考書や問題集ばかりで趣味やスポーツ、その他気分転換になりそうなものは何もありませんでした。
そんな中で生真面目な彼は成績を元の水準に戻そうと、焦りながら勉強を続けてきたのでしょう。しかし成績はむしろ下降気味。受験生にはよくあることですがちょっとしたスランプに陥っていたようです。
子供ですからテレビも見たい、ゲームもやりたいでしょう。漫画や雑誌を読みたいと思うこともあると思います。それに長期間の受験勉強は体力勝負ですから運動することも必要です。それら全てを受験だからという理由で完全に辞めさせてしまったら、どこか支障をきたします。ちゃんと時間を決めてやればそういった好きなことが気分転換になり、勉強の能率が上がります。
私はその生徒の授業中に勉強とは関係のないテレビやゲーム、漫画や本人の趣味のことなどを話題にして息抜きをさせました。お母さんにも“少しで良いから本人に気分転換の時間を作ってあげてはどうですか。”と勧めたりもしました。
私はもうひとつの彼のスランプの原因を発見しました。
彼はレベルの高い塾に通っておりましたので、その塾では彼に難関校レベルの問題を大量に課題として出していたようです。しかし彼はそれらの課題を十分にはこなしきれていませんでした。
例えば算数。いわゆる難関校の試験問題は、学校では決して教えてくれない受験算数独特の解法テクニックを使わせる上に、さらにそれにひとひねり加えたものが多いのです。そういう問題も解ければそれに越したことは無いのですが、彼の場合このひとひねりに対処できないことがある→点数が伸びない→自信喪失となって、しまいには彼の能力なら解けるはずの問題も苦手意識から解けなくなるという悪循環に陥っていました。
彼の第一志望のA中学は、合格偏差値レベルが高い割に試験問題は他の難関高ほど意地悪ではありません。勿論その分合格得点ラインは高いので取りこぼしは命取りです。私は塾が彼に出してくる難解な問題への取り組みは最小限に抑え、重要な単元の一行問題を多数こなさせることで受験算数の解法テクニックを徹底して身につけさせました。実際のA中学の入試で取りこぼしが無いことの方を重要視したのです。
<具体例>
① 某難関校の過去入試問題
1から1000の整数の中で、3で割ると1余る整数のうち2の倍数でも5の倍数でもないものは何個ありますか?
② A中学の過去入試問題
3桁の整数の中で2では割り切れるが3で割り切れない整数は何個ありますか?
同じ整数の単元の問題ですが、得点源となる一行問題でも違いがありますね。いずれも解法の基本は最小公倍数ですが、A中学の問題はこの基本を使ってすんなり答えが出ます。一方、①はこの解法が身についていれば、それを複数回使用するだけで解ける問題ではあるのですが、「3で割ると1余る整数のうち」という条件をつけてややこしくした上で、2の倍数でも5の倍数でもあるという整数(すなわち10の倍数)の個数を考慮し忘れると正解にならないというもうひとひねりがあります。
また理科についても同様。彼は塾で難しい問題ばかりやっていて細かい知識ばかり詰め込んでいたために、かえってテストでは基礎的な計算問題や基本的な重要知識の問題を取りこぼしているというようなこともありました。そこで私は計算問題に関しては塾の課題の中から基礎的なものを選んでやらせ、基本的な重要知識に関しては学研のカードで合格理科・動物・植物・天体の要点82を使って覚えるように指導しました。
ところがこの対策を実行してから2-3ヶ月たっても塾でのテストの成績はせいぜい横ばい程度で、偏差値的にはA中学の合格は難しい感じでした。ご両親は志望校を変更すべきかとまで悩んでいたようでした。しかし私には光が見えていました。実は彼のA中学の過去問の出来は非常に良かったのです。
いよいよ受験シーズン直前の1月頃。塾でのテストの結果も急に上向いてきました。どうしてか?具体例のところで記した①のような難関校の問題も、②で使う解法がしっかり身についていれば十分対処できるようになるのです。彼は見事に志望校であるA中学に合格できました。
レベルの高い塾に通って難しい問題をたくさんこなす。これは偏差値の高い中学校の受験のために必要なことであるとは思いますが、個々の志望校の出題状況や生徒の状況によっては、それだけで十分とはいえないケースもあるということです。
余談。この生徒のように中学受験に備えて3年生や4年生の頃から有名塾に通い勉強するというのは今ではよくあることですね。ところが子供としては一番のびのびと遊びたい頃です。適度な息抜きの時間を是非作ってあげてください。出来ればスポーツをする時間も。
私はというと最近は担当する生徒が多くて大好きなテニスをする時間がなかなかとれません。私にもちょっと息抜きが必要かも。
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その4~ 答えはお母さんの笑顔
私は以前ある進学塾の講師をしていたことがあるのですが、その塾を辞めたすぐ後に中学受験を控えた小6の女の子を6月から担当することになりました。
まずは実力把握ということで塾のテストの結果を見せていただきました。国語は偏差値40台前半が多かったですし、算数についてはずっと偏差値が30台でした。
その生徒の第一志望はF中学。2科目(国語・算数)受験の学校でレベル的にはそれほど難しい学校というわけではありませんでしたが、このテストの結果では厳しい。お母さんが不安になるのも無理はありません。そこでより深刻な算数のてこ入れを図ることにしました。
まず塾の算数のテストの問題と答案を何枚かじっくり見直したところ、共通点があることに気が付きました。偏差値30台ですから計算問題や一行問題の出来が悪かったのは予想通りでしたが、その当時塾でやっていたと思われる分野(6年生の分野)は比較的出来ていました。聞いてみると塾に行くようになったのは5年生の終わりからだとの事でした。
進学塾のテストというのは学校の中間や期末と違って、学習したばかりの範囲以外の問題も多く出題されますし、中学受験に出るようなレベルの問題が中心になっています。この中学受験用の算数の問題というのが曲者で、学校でまじめに授業を受けていただけでは対応が難しい面があります。また塾の授業は4年生から塾でやっている子も6年生から通い始めた子も同じ内容であり、その頃は6年生の分野が中心になっています。そこで塾に通い始めたのが6年生からの生徒は、5年生以下の受験算数は自分で何とかしなくてはテストで良い点数は取れません。こういった事情を考慮すれば彼女は塾での授業をまじめに受けており、むしろよく頑張っている方だと私は思いました。
そこで私が取った対策はまず中学受験レベルの計算問題10題を毎日こなしてもらう。その次に割合と速さの分野を仕上げる。割合と速さの分野に見込みがついたら、F中学が入学試験によく出す単元をマスターさせるというものでした。彼女の場合、算数のテストの点を手っ取り早く上げるにはまず受験用算数の計算問題で確実に点を取れるようにすることでした。そして私は特に割合と速さの分野に力を入れました。というのも割合と速さは中学入試において出題頻度が最も高いにもかかわらずテストでの出来が非常に悪かったからです。
3ヵ月後には彼女の算数の成績は偏差値で50近くまで上がってきました。10月頃からはF中学の過去問を解かせながら出来ない単元を補強するという作業に入りました。その頃一方で不思議なことが起きました。私が直接指導していない国語の成績まで上がってきて、その偏差値は50を超えるようになっていたのです。そして入試の日。勿論合格していました。
このコラムで私が申し上げたいことは「塾より、家庭教師のほうがいいのだ」ということでは決してありません。“私が教えていないのに何故国語の成績まで良くなったのか”の方です。
答えはお母さんの笑顔なのです。
最初にお会いした時、お母さんは塾に行かせるようになってまだ4ヶ月しか経っていないのに成績が良くならないと焦っておられました。冒頭に書いたように「この子はちゃんと塾で勉強しているのかしら。」と。お子様はお母さんの顔色をよく見ています。本人はちゃんと塾で頑張っているのに、そんなふうにお母さんが思っていると相当なストレスを感じていたことでしょう。
指導を開始して2ヵ月後くらいだったでしょうか。彼女の算数のテストの結果が良かった日、お母さんは嬉しそうに笑顔で「先生のおかげで良い点が取れました。最近は家でも勉強するようになりました。」とおっしゃいました。そのとき彼女は照れくさそうにしていましたがとってもいい笑顔でした。「ママ、これからも頑張るからね。」と言っているような気がしました。
余談。現在中学受験においては学校の勉強だけでは対応できず、早くから進学塾に通わせたり、家庭教師を雇ったりと対策を立てる必要があります。今のこういった状況は決して良いこととは思いませんが、一生懸命頑張って目標の中学校に合格できたという成功体験はいいですね。「頑張れば何とかなる。」ということを早いうちに体験できたことはこれからの人生のいろいろな局面できっと役立つことでしょう。
(06年12月10日)
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その3~ もう一つの大事な仕事
これはもう10年近く前のことになりますが当時TAPという塾に通っていた小6の女の子を担当することになりました。その生徒は港区にある某有名私立A女子中学、四谷の合不合でいえば偏差値約60のところを第一志望にしていました(以下A女子中)。塾での成績は比較的良く、テストでは4科目トータルで55~60程度の偏差値を毎回取っていました。
私が彼女の担当になったのが6年生の10月と遅かったですし、TAPでの成績を聞いていたので私が成すべきことは「合格圏内の実力は既にあるから、あとは出題傾向にあわせた弱点補強対策だな。」と考え、早速第一志望のA女子中の過去問を解いてもらうことにしました。毎回、一年分の入試問題を本番さながらに時間もきっちり計って4科目全て解いてもらい、彼女の不得意分野・問題を把握するとともに、科目ごとの点数や4科目の合計得点も記録に取りました。その合計得点の平均は6割をやや下回るかなというところでした。
過去問ベースで彼女が合格ラインなのかどうか数字で確認しておきたいところでしたが、あいにく学校側が公表していないらしく、この問題集には毎年の合格最低点が記載されていませんでした。まあそれでも長年の経験から彼女は合格レベル内にいることは間違いないと思えましたし、後は合格をより確実なものとするために出題傾向に合わせた弱点補強をすれば良いと思い、またそのようにご両親に申し上げました。
ところがそこへたまたまA女子中の学校説明会があるというので、ご両親が説明会に赴き、合格最低ラインはどれくらいなのかということを聞いてみたのです。学校側の答えは、「うちでは7割は取ってもらわないと困ります。」というものでした。
この学校側の発言にまずお母さんが本当に大丈夫だろうかと不安な様子になり、そしてそのお母さんの不安が伝染したのか、いつも元気だった彼女が黙ってしまい落ち込んでいる様子が見て取れました。
残念ながら今のお子様は目標が高くなったと思うと、やる気をなくしてしまう子が多いのです。そのまま無理に続けさせても勉強に身が入らないし、心が不安なままでは本番で実力を発揮出来ません。彼女の場合も「このままでは受かるものも受からなくなる。これはまずいことになったな。」と正直思いました。
そこで私は「学校はね、説明会ではああいう風に大げさに言うものなのだよ。先生はたくさんの生徒を教えていろいろな学校に合格させてきたから、君はあの学校に合格できる実力があるってわかるよ。後は、過去問で苦手だった問題を解けるようにしておけば大丈夫だから。先生と一緒に頑張ろうね。」と言って彼女を励ましたところ、いつもの元気と笑顔が戻ってきました。過去問で解けなかった問題を分野ごとに分け、それぞれ対策を打ちました。例えば算数などは解けなかったものの類似問題をたくさんこなしてもらいました。すると前に解けなかった過去問が解けるようになったおかげでしょうか、すっかり自信を取り戻して勉強は順調に進みました。
そしていよいよA女子中入試の日のことです。試験終了後、彼女の入試の出来を尋ねてみました。
私 :「ねえ。今日、どうだった?」
彼女:「過去問よりかなり難しかった。半分くらいしか点が取れていないかもしれない。」
私 :「そうなの。で、緊張したり、焦ったりせずに実力は出せたのだよね?」
彼女:「それは大丈夫だった。」
半分しかできていないと聞いて少し不安になりましたが、ともかく彼女が実力を出して半分しか出来なかったのなら、本当にその年の問題は例年より問題が難しかったのであり、その分合格ラインもずいぶん低いはずだから大丈夫だと思い直しました。
いよいよ合格発表の日。お母さんから電話がありました。合格していました。替わって電話に出た本人からも「先生の言う通りだった。ありがとう。」と言ってもらいました。この仕事の一番うれしい瞬間ですね。
家庭教師の仕事は基本的には勉強を教えることですが、難しい年頃ですから時にはこういう風に精神的な支えになってあげることも重要です。やる気を持って勉強に取り組み、本番で実力を発揮できるように。
それにしても学校はどうして「7割は取ってもらわないと困る。」なんて言ったのでしょうね。実は彼女に「学校は大げさに言うものなのだよ。」と言ったのは彼女を励ますための詭弁でした。「ごめんなさい。○○ちゃん。」
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その2~ 偏差値は万能?
このこと自体は間違いではありません。プロの家庭教師である私自身も生徒を志望校に合格させる為に偏差値アップにこだわりますが・・・。
昨年のことです。学習院女子を第一志望とする生徒を教えていました。彼女は比較的塾での成績が良く、模擬試験も様々なものを受けていずれも学習院女子レベルであれば60~80%の判定が出ていましたから、ご両親も当然学習院女子に入れるものと思っていました。
ところが私が教えるようになってすぐにそう簡単にはいかないことに気づきました。6年生も夏休みが終わって9月ともなればそろそろ志望校の過去問を解き始める人も増えてくるかと思いますが、実際に学習院女子の過去問をやらせてみると、合格最低点に20点ほど及ばず、特に肝心の国語、算数が過去受験者平均点以下であり合格はとてもおぼつかないという結果でした。これはいったいどういうことだと思われますか。
塾のテストや模擬試験は様々な学力の子が受けますから、易しい問題、普通の問題、難しい問題が適度に配分されています。普通に勉強していれば平均点が取れるようになっているのです。一方入学試験は難しい学校ほど独特な出題傾向というものがあり、それに慣れていないもしくは向いていない場合は、普段の模試の成績が良くても、入学試験では合格レベルの得点が取れないということがおきえます。まさに彼女はこのケースでした。
私はさっそく彼女の弱点補強を実施しました。学習院女子の国語の問題には明らかな出題傾向がありました。例年漢字の読み書きは2割程度。残りの8割は文章を読んで設問に答える形です。しかもその文章読解の問題にも特徴がありました。「・・・について説明しなさい」という自分で考えて書かせる設問が大半で、簡単な穴埋めや選択問題はほとんどないのです。彼女はこの手の“自分で考えて書かないといけない”という問題がまったくといっていいほどできなかったのです。さらに詳しく見てみると、毎年文章読解の中に出てくるキーワードを説明させたり、言い換えさせたりする問題がありました。そこで市販の中学国語読解記述キーワード集の本を使い、そこに出てくる「語句」、「言い回し」の意味を暗記させるのではなく、自分で書いて説明させる訓練を徹底的に行いました。これは自分で考えて書くという訓練にもなりますし、言葉の意味を正確に理解できれば長文問題の読解力のアップにもつながると思ったのです。この訓練の効果はてきめんでした。
今年彼女から年賀状を受け取りました。そこには学習院女子の制服姿の彼女が楽しい学園生活を送っている様子が窺える写真がのっていました。本当に良かったと心から思いました。
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その1~ 熱意が生んだ奇跡、それとも?
私の教え子は13番目だったので、まさにぎりぎりのところにいました。1月に埼玉県の某進学校を合格してはいましたが本人にとっては不本意な学校で、とても入学する気にはなれなかったようです。
ところがいつまでたっても暁星から連絡がなく、ついに埼玉の学校の方でも制服を作ることになり、いよいよ諦めるしかないのかという状況になりました。私としてもこのままではとても納得が出来なかったので、お母さんに「暁星と連絡をとってみてはいかがですか。」と提案したのですが、お母さんはもう「終わっています、と言われるのが恐いから連絡する気になれない。」と言って連絡しようとはなさらなかったのです。
そこで私が意を決して暁星と連絡をとってみました。その日は確か2月26日だったと思います。暁星にかけてみて自分の教え子が受験をして補欠になったがいまだ連絡がないことを告げると「もうその件は終了しています。」と言われてしまいました。ところが「13番なのですが。」と言うと、なんと「えっ、13番なのですか。昨日12番が繰り上がって、今13番をどうしようか相談しているところなのです。」と信じられないような言葉が返ってきたのです。私はすぐにお母さんにこのことを告げて、暁星に子供と一緒に行って直談判してはいかがですかと勧めました。
私は「暁星にとって生徒一人が増えるかどうかは実はたいした問題ではないのではないか、どうしても入学したいという熱意を伝えれば入学させてくれるはずだ。」と考えたのです。翌日2人は暁星に行って「是非入学させて欲しい。」という旨を伝えました。それに対して対応に当たった先生に「こればかりは入学辞退者が出ないと認めるわけにはいかないのです。」と言われたことで、2人はダメだと思いがっかりして帰ってきたそうです。
ところが次の日、「入学辞退者が出たので入学を認めます。」という内容の電話がかかって来たのです。「奇跡が起きた!」と2人の喜びようといったらそれはもう大変なものでした。
もう3月にもなろうとしている時期に、しかも2人が行ったすぐその次の日に入学辞退者が出るなんて。これは2人の熱意が生んだ奇跡なのでしょうか。私は、わざわざ出向いて行った2人の熱意に感心した学校側が特別な配慮をしてくれたというのが事実のような気がします。
「ん? ちょっと待てよ。」
私の電話が早すぎて12番まで繰り上げになっていなかったとしたら、また教え子の力が足りずにもっと後の方の補欠だったとしたら、2人が熱意を伝えに学校に出かけていきそれにたいして学校側が特別な配慮をしてくれるということはなかったかもしれません。
やっぱり一生懸命勉強してきた教え子のために神様が起こしてくれた奇跡なのかもしれませんね。目標に向かって一生懸命頑張ること、そして最後まで諦めないことが大切なことなのだなと改めて思い知った出来事でした。
家庭教師 福田貴日