クリスマスマーケット

石畳の通りを踏みしめて夜の街に繰り出せば、緩やかに流れる大人の時間がそこにある。
時の流れを忘れさせ、どこか懐かしさを感じさせる石造りの街。冬独特の厚い雲に覆われて星が見えなくなった夜空の代わりに、クラシカルな外灯が地上に星を降らせ、ベルリンの夜を彩っていた。



毎日のようにオペラやコンサートが催される大きなホール前には、黒を基調とした服装の男性にエスコートされた女性が、同じようにシックなドレス姿で次々とホールの中へ消えてゆく。優雅に繰り広げられる彼らの一幕につい魅入ってしまうのは、いつか香穂子と来てみたいという思いが、自分たちの姿を重ねるからなのだろうか。腕をしっかり絡めて隣に寄り添う君も、どうやら考えは同じだったようで。何となくその様子を二人で立ち止まり、暫し眺めていた。

ふと視線が絡み、一瞬心を覗かれたようなくすぐったさが心を振るわせる。
悪戯を思いついた時のような大きな瞳で俺を見上げる君の、無言のおねだりに口元を緩めると、絡めた腕をそっと外す。彼らの真似をしながら恭しく香穂子の手を取って誘えば、片手でスカートのすそを摘みながらちょこんとお辞儀をした。

しかし数分も持たずに、互いに見つめ合ったままプッと噴出してしまう始末。やっぱり恥ずかしいや、と照れたように小さく呟いて駆け寄り、再び俺の腕にしがみついて来た。こっちの方が安心すると、嬉しそうに擦り寄る香穂子を見下ろしながら、俺も今はこのままでいいと思う。あえて背伸びをせずに、等身大のありのままで。今宵エスコートする先は世界屈指のオーケストラやオペラが上演されるコンサートホールではないけれど、寒さを癒す温かさがたくさん詰まったクリスマスマーケット。開園時間が迫り、静まり返るコンサートホール前を横切り、教会前の広場へと向かった。



石畳が途切れ広場へ出れば、先程とは対照的に賑やかさが増した中で、昼と見紛うばかりの明るい光が溢れ出していた。耳が千切れるのではと思うほど身を切る寒さにも関わらず、多くの人々で混雑した様子を見せているクリスマスマーケット。人の多さと数え切れないくらいに立ち並ぶ屋台の華やかさに目を奪われていた香穂子は、ハッと我に返って心配そうな顔を向けてきた。

「すっごい人だね。お祭りというより、年末のテレビ中継でよく見る上野のアメ横みたいだよ。蓮くん人ごみ苦手なのに大丈夫? 無理しないでね」
「ありがとう。俺の事は気にしなくていいから、たくさん楽しんでくれ。はぐれないように、気をつけて」

どんな時でも自分よりも相手の事をまず考える、彼女の優しさが染みて心の中が温かくなるのを感じた。君の為に来たのだからと微笑んで手を差し出すと、ふわりと微笑み返してその手を重ね、指先から一本一本絡めるように手を握り合う。離れないように、しっかりと。

ずらりと両側に立ち並ぶログハウス風の小屋にも、電飾やガーランドといったクリスマスの装飾が施されている。ぶつからないようにさりげなくエスコートしながら、器用に人ごみをすり抜けていく月森。想像していた通り、目に映るもの全てに目を輝かせて今にも駆け出しそうな香穂子を、目を細めて愛しそうに見守っていた。



木工人形を売る店やキャンドルを売る店、キャンドル、食べ物から花屋まで・・・様々な屋台を覗いて眺めていく。これは何と訪ねてくれば説明をしたり、立ち寄って買い物をしたり。

「楽しそうだな」
「うん、凄く楽しい。こんなに胸がわくわくするクリスマスが冬だけなんて、勿体無いよね」
「だが冬にあるからこそ、厳しい寒さを乗り切ろうという励みにもなるし、明るさと楽しさも増すんだ」
「蓮くんも、楽しい?」
「あぁ、とても楽しい。きっと香穂子がいっしょだからだろうな」
「よかった。私もね・・・一人じゃ楽しめなかったと思うよ。でも何だか不思議な感じ」
「不思議?」

月森は意味が解りかねてきょとんと香穂子を見る。香穂子は繋いだ手を解いて腕にぎゅっと強くしがみつくと、笑顔で見上げる。

「私ずっと昔は、大好きな人と外国の街を歩くのは新婚旅行が最初だろうなって思ってた。だから今蓮くんと一緒に日本じゃない国を歩いているのが、不思議な感じ。あ・・・嫌とかじゃないからね。とっても嬉しいの」
「し、新婚旅行・・・・・・・」

君はいつも突然、俺の無防備な心に爆弾を投げかけてくる。
真っ直ぐ向けられる曇り無い視線が、そのまま彼女の想いを乗せて伝わり、心だけでなく身体まで熱くなるのを感じた。とりわけ深い意味は無かったかもしれないが、妙に意識してしまうのは、今の状況が少しだけ似ているからかもしれない。それとも心の奥底に秘められた願望なのか・・・・・・。
顔から火が出そうになって、思わず視線を逸らしてしまった。


「あっ! ねぇ蓮くん、あっちにツリーに飾るオーナメントを売ってる店があるよ!」

腕を引っ張る感覚にハッと我に返ってみれば嬉しそうに、暗闇の中で一際輝く大きな屋台を指差していた。ツリーにするもみの木を買って一緒に飾ろうと話をしていたから、香穂子も楽しみにしていたようだ。早く辿り着きたいのか、今度は逆に俺の腕を引いて先に進む背中に、急がなくても無くならないからと声をかけて、熱くなっていた自分自身には小さく苦笑を向けた。


オーナメントと言っても実に様々だ。金銀の玉や、楽譜の書いてある玉。小さなキャンドルにりんご、松ぼっくり。麦わらで作られた玉や雪の結晶たち、木工細工の天使やサンタクロースなど・・・・中にはオーナメント用のクッキーまで。それこそ何十種類も見つける事ができる。

クリスマスツリー自体がドイツの発祥だ。当初は冬枯れの季節に赤々と実るりんごや保存の効くクッキーをツリーに飾り、後で皆で食べたといわれる。その名残を留める小さな飾りやカラフルな色の一つ一つに、きちんと古来からの信仰と生活に根ざした深い意味があるのだ。音楽と同じで背景や込められた想いを知れは、楽しみ方も違ってくると思う。


小さいながらも、細部にまでこだわりと丁寧な作業の跡が伺える飾りたちは、それ自体が一つの芸術品と言ってもいい。飾りを手に取って食い入るように見つめていた香穂子が、困ったように眉根を寄せて唸った。

「オーナメントも沢山あって迷っちゃう。先にツリーを選ばないと、飾るイメージ沸かないかも。買いすぎちゃっても困るし・・・。蓮くんどうしようか」
「そうだな。先にツリーを買って、どう飾りたいかを決めてからでも遅くはないだろう。どのみち、24日にならないと飾れないし」
「じゃぁ後で、花屋にあったもみの木が見たいな」

屋台に溢れるオーナメントの前で、そんな話をしていると、聞き覚えのある声に呼びかけられた。
肩越しに振り返れば、赤い服に白いひげを生やしたサンタクロースが立っていた。サンタクロースに知り合いはいない筈・・・そう思って訝しげな視線を向けると、白いひげを外して見せた。

『レン! 俺だよ、俺』
『・・・君だったのか。久しぶりだな、ヴィル。こんな所で何をしているんだ? しかもサンタクロースの格好で』
『マーケットの期間だけ限定の、アルバイトなんだ。レンの方こそ珍しいじゃないか。こんな賑やかな場所に出向くなんて。どういう風の吹き回しだい?』
『君には関係ない』
『何だよつれないな・・・。心配で気付いてからずっと、こっそり後をつけて来たっていうのに』


一体何の心配なのやら・・・・。
ニヤリと笑いかける彼は、素っ気無い返事を気に留めた様子も無く。きょとんと不思議そうに俺とサンタクロースを交互に見ている、香穂子の存在にも気付いたようだ。

サンタクロースは大学の友人である、同じヴァイオリン科のヴィルヘルムだった。まさかパーティーの前に香穂子と一緒の所を遭遇するとは思っていなくて、心の準備の無さに少しだけ動揺してしまう。今まで散々心配をかけたり、力になってもらっただけに、余計に居心地の悪さを感じてしまうような、気恥ずかしいような・・・・。


『やぁ、こんばんは。もしかして、君がカホコ・・・かな? おっとドイツ語は平気かい?』
『はっ・・・初めまして、カホコ・ヒノです。ドイツ語、平気ですけど、少しゆっくり話してくれると助かります』

月森と知り合いらしいサンタクロースに突然話しかけられて、しかも自分の名前まで知っている。驚いて月森の背に隠れたものの、親しみやすい笑顔に心が溶けたようで。ひょっこり背中から姿を現すと、流暢とはいかないまでも、焦る心を抑えつつドイツ語で語り始めた。

『驚かせてすまないな。申し送れたけれど、俺はヴィルヘルム・フランツ。レンと同じ音楽大学のヴァイオリン科なんだ。レンからいろいろ話は聞いている、君に会えて嬉しいよ』
『蓮くんのお友達なんですね。それより蓮くん、私の事何て言ってましたか・・・・。変な事言ってたらどうしよう!?』
『知りたいかい? ついでにカホコが知らない、レンの大学生活も暴露しちゃおう』
『えっ、教えてくれるんですか』
『俺は何も言ってない!』

すっかりヴィルヘルムのペースに乗せられている事に気付き、慌てて遮った。相変わらず勘の鋭いやつだと内心溜息を吐くと、不安そうに香穂子が問いかけてくる。

「本当?」
「結婚式のパーティーに招待されてワルツを演奏するって言ったろう? 結婚式をするのは彼のお兄さん。つまり、演奏を依頼してきたのは彼なんだ。俺は招待状用に名前を伝えただけだ」
「そうだったの、ビックリした。でも楽しいお友達で良かったね。蓮くん日本ではお友達少なそうだったから、ドイツでは大丈夫かなって、ちょっと心配してたんだよ」


お友達・・・。あまり慣れない言葉の響きに戸惑う自分がいるのが、少し可笑しく思えてしまう。


『レンは言葉に出さなくても、ヴァイオリンの音色が代わりに一杯喋ってくれるんだ。何でも一人で抱える頑固者だから、顔の表情見てるだけも解るんだぜ』
『え〜っ、日本語も解るんですか!?』
『少しだけどね。俺の教科書は映画だったり漫画だったり。レンからも教えてもらってるよ』

日本語で会話していたはずなのに、適切な内容で返してるドイツ語。これでは二人だけの会話も出来ないではないか。ヴィルヘルムは屋台のオーナメントに一瞬だけ視線を向けると、二人を見た。

『ツリーに飾るオーナメントを買いに来たのかい?』
『あぁ。だが、先にもみの木から買おうと思って、後回しにする事にした』
『もみの木なら、クリスマスマーケットの中では見つけにくいかもしれないな。少し離れたところにある花市の方が種類も多いし、持ち帰りやすいだろう。俺のオススメは運河沿いの花市。ウチは毎年そこで買っているんだ』
『ありがとう、助かったよ』

外していた白いひげを着けると、香穂子に目線を合わせて屈みこみ、ワクワクする悪戯を持ちかける子供のように語りかける。

『カホコは、クーヘン(ケーキ)とか甘いお菓子は好きかい?』
『うん、大好き』
『次の角を右に曲がってすぐに、オススメの美味しい店があるんだ。少し並んでいるけれど、食べなきゃ損だぜ。レンは甘いもの苦手そうだからな。調べても実際に味わうまで行くかどうか』
『ありがとう、サンタさんは何でも知っているんですね』
『そう、サンタは何でも知っているのさ』

手を腰に当てエヘンと胸を張る自信たっぷりな姿を見せて、笑いを誘ったものの、急にすまなそうに瞳を歪めて、真っ直ぐ香穂子を見つめた。

『レンから話聞いてると思うけど、せっかくの水入らずに無理なお願いして悪かったな・・・』
『お礼を言うのは私の方です。今回のお誘いが無かったらドイツに来れなかったかもしれないし』
『本当は初め、レン一人の予定だったんだ。それを、ぜひ君と一緒にと強く頼んできてね。これは本当の話。レンが認めたヴァイオリニストの演奏に、俺も興味があったんだ。今日レンとカホコを見ていたら、二人に依頼して良かったと思った。益々演奏が楽しみになったよ、兄さんと義姉さんに素敵な贈り物ができそうだ』


蓮くんがそんな事言ったんですか・・・・と真っ赤になって恥ずかしそうに俯く香穂子の姿に連られて、月森も一緒になって頬を赤く染める。余計な事を・・・と小さく呟きながら。



楽しげな空気に包まれていた周囲に、ざわめきが起こった。何事かと視線を向けると小さな男の子が泣きながら、こちらへ歩いてくるのが見えた。どうやら親とはぐれてしまった迷子らしい。

『おっと、サンタのお仕事だ。あんまり邪魔しちゃ悪いから、そろそろ退散するよ』
『詳しい段取りは、また後ほど教えてくれ』
『分かった』

駆け出した背中は、瞬く間に人ごみにをすり抜けて子供に辿り着いた。サンタクロースが現れて泣き止んだ子供に、目線を合わすようにしゃがみ込んで話しかけている。ひげにじゃれ付く子供を抱き上げると、やがて人ごみの中へ消えていった。



「俺たちも行こうか」
「うん。ねぇ蓮くん、さっき教えてもらったケーキ屋に行きたい」

そうしようかと微笑みかけて、再び手をしっかりと握りなおす。甘いものに目が無い香穂子の希望を叶えるべく、店を目指して人の波を二人でゆっくり漂う。


「ヴィル・・・ヴィルヘルムには、留学当初から随分力になってもらった。俺がなかな香穂子に会わないのを見かねて、何度も彼には怒られたよ」
「いい、お友達だね・・・・・・」
「ヴィルの彼女も、音楽を学ぶためにモスクワに留学していたんだが、彼女を向こうの国で起きた事故で亡くしている。だからだろうな、言葉に重みがあるんだ。今を大切にしろって言われるたびに言葉が胸に刺さった。香穂子がドイツに来ると知った時には、俺の事の様に喜んでいた」
「笑顔と明るさからは想像出来ないよ・・・・凄く頑張ったんだね。私だったら、絶対に立ち直れない」
「クリスマスには教会でのミサの前に、家族で墓参りに行く風習があるんだ。俺のクリスマスも彼女と一緒だと言っていた。今立ち直って笑っていられるのも、いつも心の中に彼女がいるからだろうな」

香穂子は静かに語る月森の言葉を、そっと心にまで寄り添うように聞き入っている。

「蓮くんは・・・・・・・」

そう言いかけて、言葉を噤んでしまった。続きが一向に出てこないまま、小さく俯いてしまう。

「香穂子?」
「うぅん、何でも無い。私達、皆の分まで幸せにならなくちゃだよね」
「そうだな・・・・・・」

繋いだ手を解いて香穂子の肩を抱き寄せると、されるがままにもたれ掛かってくる。俺の肩先頭を擦り付けて甘える仕草を見せるくる愛しさに、頭ごと抱えるように深く抱き込んだ。




角を曲がったところにあった店は確かに人気なのか、結構行列していた。傍にはクリームの一杯乗ったケーキを美味しそうにほおばる人々の姿。既に皿に乗ったケーキに釘付けの香穂子に、柔らかく微笑みかけた。

「買うまでに待つ間寒いだろう。先に何か温かい飲み物でも買ってこよう」
「蓮くん、皆が持っている同じ陶器のカップ。あれに入っているのが飲んでみたい」
「あれはグリューワイン、温めたワインに香辛料を加えてあるんだ。香穂子はアルコール弱いだろう? だから駄目」
「え〜っつ、カップが可愛かったから欲しかったのに・・・」
「子供用のノンアルコールなら、構わないよ」


それは嫌・・・と小さく拗ねる香穂子を宥めて、白い湯気を立たせて温かい飲み物を扱う屋台に向かった。二人で寄り添う温かさが心までも暖めてくれているけれども、ぬくもりは沢山あってもいいと思うから・・・。