目覚めた朝

木枠の窓からは冬の日には珍しく、淡い太陽の光が部屋へと差し込んでいる。薄っすら積もった雪や硬く凍った氷を溶かすほどの力は無いだろうが、心の中にある寒さをやわらげてくれるのには十分過ぎるほどに暖かい。
机に向かい課題のレポートを仕上げる手を止め、束の間の太陽を窓辺に仰ぎ見て、目を細めた。

ちらりと後ろを振り向けば、この・・・俺の部屋にも小さな太陽がいる。
窓からの日差しを受けながらも、ベッドの上ですやすやと心地よさそうに安らかな寝息を立てている、香穂子の姿が・・・・。昨日までは一人だった部屋に君がいるだけで、見える景色や色、感じる暖かさの何もかもが違う。


太陽も高く昇り、時計の針は正午を回ってから大分経つのに一向に起きる気配が見当たらない。
先に目覚めて暫くは、彼女を腕の中に抱きしめたまま飽きることなく寝顔を眺め、柔らかな感触に浸っていたが、結局俺だけ先に起きる事にしたのだ。かといって一人にさせておきたくないし、そのつもりもない。滞在中は一緒に同じ部屋で生活を、と望んだのは俺なのだから。


我侭だな、俺は。


そう思ったら、込み上がる苦笑を止めることが出来なかった。
旅の疲れや、時差ぼけのせいもあるのだろう。
それに・・・・・・・。

昨夜は、久しぶりということもあり、随分と君に無理をさせてしまったから・・・・・。
大切に・・・優しく愛したい・・・そう、思っていたけれど。
いつしか理性という枷が外れて、深く、激しく、本能のままに。

求めすぎたあまり、最後には彼女が意識を飛ばしてしまったのだと思い出して、顔が急に熱を持ち始めた。疲れを取り戻すように眠り続けている理由の半分以上は、俺のせいかもしれないな。
ベッドから少し離れた位置から眠る香穂子を見守りつつ、月森は困ったように微笑を向けた。


これから昼間に出かけるのは時間的に無理そうだ。となると、夕方からか。
陽の沈んだ夕方からでも楽しめるところは何処だろうかと、腕を組んで椅子の背もたれに寄りかかり、手に持ったままのペンをもてあぞびながら考えを巡らす。
今の時期ならクリスマスマーケットがある。香穂子も楽しみにしているらしいし、丁度いい。
そうとなれば、早めに課題のレポートを仕上げてしまわなければ。

再び机に向かいペンを走らせて暫くすると、シュルッとシーツが擦れる音と共に、寝返りをうつ気配を感じた。




「う〜ん・・・・・・」

起きたのだろうかと思って振り向けば、小さく声が聞こえてきた。ペンを机に置いて立ち上がり、ベットへと歩み寄るものの、しかし香穂子はまだ瞳を閉じて眠ったまま。起こさないように気を配りながら、静かにベッドの脇に腰を下ろす。


昨夜の情事の有様を伝えるような、乱れきったシーツの上に身を沈める白くてしなやかな身体。
口元には微笑みさえ浮かべている、あどけない寝顔。
どんなに見つめていても飽きる事がなく、自然と俺の頬や口元も、柔らかく緩むのが分かる。


一度手に入れた温もりは、簡単に手放せそうになくて。ずっと望んで止まなかっただけに、なおさら。
どうしたら腕の中に留めていられるのか、離さずにいられるのか。気づけばそればかりを考えている自分がいる。まるで焦るように、何を必死になっているんだろう。

年明けには君を日本へ帰さなくてはいけないから、冬の淡い日差しのように束の間の幸せだと分かっている。求めて、温もりを得るほどに深みにはまり、手放せなくなる事も・・・。
でも、縋らずにはいられない。


柔らかかった月森表情が、次第に苦しく切ないものへと変わっていく。心の底にある痛みに耐えるように。望んでいた幸せを手に入れたのに、いずれ突き付けられる現実が生み出した葛藤が、激しい炎となって身体の中を駆け巡る。


お願いだから、そんな無防備な姿を・・・幸せそうな微笑を、俺に向けないでくれ。
このままでは、本当に君を日本に返せなくなってしまう・・・・・・。


毛布から覗いた剥き出しの白い肩や首筋に、目が奪われる。吸い寄せられた先には、赤く鮮やかに咲いた無数の花たち。昨夜自分が咲かせた花・・・・。

そっと指先で首筋に咲く花に触れれば、くすぐったいのか一瞬僅かに身を捩る仕草に、慌てて手を離した。けれども指先に残る熱さが全身に伝わり、身体に残る夜の記憶が情熱を伴って呼び覚まされていゆく。宙に漂ったままの手を強く握り締めて、このまま覆い被さってしまいたい衝動を必死に押さえ込んだ。


香穂子の肩を冷やさないように・・・俺の目から隠すために・・・。
肌蹴た毛布を引き上げて、そっと肩へかけなおした。




数度微かに瞼が震え、瞳が薄ら開かれた。先程かけたばかりの毛布から、しろい片腕が姿を現す。まだ覚醒しきっていない意識の中で隣へと手を伸ばし、傍にあったはずの温もりを必死に捜し求めていた。自分を探しているのだと知って、シーツの上を力なく彷徨う手を優しく握り、ここにいるよと居場所を伝える。きゅっと握り返してきた温かい感覚に、心を掴まれたようなくすぐったさと愛しさで、胸が打ち震えるのを感じた。胸に湧き上がるままに、微笑みかける。

「おはよう」
「・・・蓮くん?」

香穂子は暫くぼうっと月森を見上げていたが、やがて完全に目が覚めたのかハッと我に返って飛び起きた。しかし何も着ていないのに気づくと、慌てて胸元を隠すように肌蹴かけた毛布を片手で押さえて、引き上げる。握った手はそのままで、ベットに腰を下ろして柔らかい瞳を向ける月森に、微笑み返した。

「・・・そうか、夢じゃなかったんだ。私、ドイツへ・・・蓮くんのところへ来たんだよね」
「俺は、ちゃんとここにいるよ」
「朝起きて蓮くんがいるって、何だか不思議な感じ。でも嬉しい。ずっとあこがれてた、こういうの」
「ぐっすり、良く寝ていたな。もう、昼を過ぎてしまった」
「えっ、私そんなに寝てたんだ・・・。ごめんね・・・」

来た初日から申し訳ないと、すまなそうにシュンとうな垂れるれる香穂子の頭に手を乗せ、包み込むように髪を撫で下ろす。労わりながら、ゆっくりと。

「構わない、いろいろと、疲れが出たんだろう」
「・・・・・・・そうだね、いろいろとね」

急に頬を赤く染めて上目遣いにぷぅっと膨れると、視線を逸らして小さく呟いた。まるで拗ねて、甘えるように。

「もう駄目だって、何度も言ったのに・・・・・」
「すまない。つい君に夢中になってしまって、止まらなかったんだ」

クスリと笑う月森に真っ赤になった香穂子は、毛布を顔まで引き上げて隠れてしまい、もう蓮くんたら・・・と埋もれながごにょごにょと口ごもる。

「香穂子、こちらを向いてくれないか?」

柔らかく呼びかければ、顔を覆うくらいまで引き上げた毛布を少し下げて、瞳をちらりと覗かせる。

「どこか、辛いところは無いか?」
「平気だよ、いっぱい寝たから」
「良かった・・・安心した。では改めて。おはよう、香穂子」
「蓮くん、おはよう〜」

繋いだ手の指先を絡めたままシーツについて支えにし、乗り出すように身体を前に傾ける。
すると瞳を閉じた香穂子も嬉しそうに、少し上を向いて唇を差し出してきた。互いの距離が急速に近づき顔が見えなくなると、温かく柔らかい唇が重なった。
一瞬触れるだけの、軽いキス。

頬をほんのり染めてはにかむ様子に、堪らなく愛しさが募る。
引き寄せられるように空いた手で肩を抱き寄せ、もう一度唇を重ねた。


「そろそろ起きないか? お腹も減っただろう、食事にしよう。夕方になったら、クリスマスマーケットに行かないか?」
「夕方からなの?」
「今からでは、昼間のうちに出かけるのは無理だろうから」
「そっ・・・そうだね・・・」

バツが悪そうに言葉を詰まらせた香穂子は、小さくペロッと舌を出して首を竦める。月森はそんな様子に目を細めつつ、来ていた上着を一枚脱いで、剥き出しの肩と背を覆うように羽織らせた。
これ以上君の素肌を見ていては、夜も出かけられなくなりそうだからと。

羽織った上着を前でかき合わせて、暖かい〜と無邪気に笑う香穂子。
一回りも大きいそれからちょこんと覗く手足が何とも言えず可愛らしくて。熱くなる顔を隠すように、口元を手で覆って思わず視線を逸らしてしまった。
駄目だ・・・本当に出かけられなくなりそうだ。

「蓮くん?」
「何でもないんだ、すまない。・・・クリスマスマーケットの話だったな。マーケットは昼間より、夜の方が賑わうから丁度良い。寒いけれど、暗闇に浮かび上がるライトアップが綺麗なんだ」
「蓮くんから話聞いてて楽しみにしてたの。そういえば、来る途中の空港にも小さなマーケットがあったよ。あれが大きな広場一杯にあるのかと思うと、ワクワクしちゃう。さっそく仕度しなくちゃ」

じゃぁ、シャワー借りるね。そう言うと、急にそわそわと落ち着きがなくなり、首赤く染めながら小さく俯いた。

「それで、えっと・・・あの・・・・・・・」

あぁ、そうか。まだ起きたばかりだから、まだ何もきていないんだったな。肌を晒し合って、互いの身体のことなど知り尽くしているのに、いつまでも初々しい彼女に愛しさが募る。

「先にリビングへ降りているから」
「うん、ありがとう。私もすぐに行くからね」

身体を寄せて軽く頬にキスをすると、急がないでいいからと告げて、静かに立ち上がった。
ドアノブに手をかけたところで肩越しに振り返ると、部屋を出る俺に笑顔で小さく手を振って見送る君がいた。






朝目覚めたときに君がいる。

別々の場所で違う景色を見ていた二人が、今は同じ場所で一緒の景色を見ている。ただそれだけなのに、ささやかだけれども何て幸せなんだろう。幸せというのは、案外身近なところにあるのかも知れない。だから普段は見逃しやすくて気づかないのだろう。

ずっと求めてきた穏やかな日々がここにある。君がここにいる僅かな間だと分かっているけれども、すぐ傍にある幸せが、もう少し長く続くようにと、願わずにいられなかった。