Tomorrow
メールを受信するこの時間が、一番緊張する。
短いけれども、とても長く感じる時間。
期待はしない、けれども悲観もしない。
後のショックを緩和する為、自然と身につけた自己防衛が無意識に香穂子の中で働き始める。
いつも側にいるのが当たり前だと思っていた頃は、こんなに頻繁にメールのやりとりをする事はなかった。
いや、必要がなかったのだと思う。
携帯電話で一言二言の簡単なやりとりする事は頻繁にあったけど、すぐに会えるって分かっていたから。
パソコンの電子メールで蓮くんと連絡取り合うのは、以外にもドイツに渡ってからが始めてだった。
挨拶文から書き始めて、今日会ったことや最近の出来事、そちらの近況はどうかなど・・・。
改めて書き始めると、今更だがまるでラブレターを書いてる気分になってくる。文通、交換日記・・・など一昔前の初々しい言葉の数々が脳裏をよぎって、毎回文章を打ち込みながら、つい自分の顔が熱くなってしまう。
「応援しているよ、大好きだよ」
伝えたい気持ちは沢山あるのに、想いを文章にして表すのは、なぜこんなにも難しいのだろう。
ヴァイオリンの音色に乗せるのは得意なのに、言葉にするとどれもが陳腐に思えて違うような気がして、上手く伝えられないのがもどかしい。書いては消し、消しては書いて・・・・。
ちゃんと伝わっているのかな・・・・。
便利な世の中だと思う。メールや電話など、海を隔てて離れているのにそれを感じさせない力がある。
携帯電話でも、国際メールを送れる時代なのだから。
だから送られてくるメールや電話をやりとりするうちに錯覚してしまうのだ。
すぐ近くにあなたがいると・・・。
いないと分かっているのに、もしかしたら、という儚い期待を抱いて月森邸の前まで行った事もあった。
灯りのついていない誰もいない窓を見上げて、やっぱり・・・と現実に引き戻されて虚しさを抱えて帰路に着く。
会いたいときにあなたに会えないもどかしさ。
一人ぼっちの夜には時折どうしようもない寂しさに襲われてしまう。そんな時は心を抱きしめるように、自分で自分を抱きしめて夜を明かすこともある。夜の明けない朝は無いのだと、自分に言い聞かせて。
「・・・・!?」
「メールの受信中」とパソコンにメール受信のサインが灯った。今日こそは、もしかして・・・!?
虫の知らせか予感なのか、心は否応なくときめき浮き立って、画面にじっと食らいつく。
やがて現れた「新着メッセージ1件」の表示。
大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、心持ち震える手でメールを開いた。
送信者名には「Len Tukimori」
「蓮くんだ!」
今にも雨が降り出しそうな程にどんよりとした曇り空だった私の心が、一気に晴れ渡って一面の青空を描き出す。
パッと花開いた笑顔がモニターに反射しているのが分かり、自分は何て単純なんだと、思わず苦笑してしまう。
久しぶりの月森からのメール。
嬉しくて気持ちが張り裂けそうで、一文字一文字読みながら、しっかりと心に焼き付けていった。
『香穂子、元気でやってるだろうか? すっかり返事か遅くなってしまった。きっと不安な思いや心配をさせてしまっているかもしれない。本当に済まない・・・・・・・』
謝罪から始まる気遣う文章がなんとも月森らしい。そんな所にも想われているんだなって気持ちが伝わり、心がほんのり暖かくなってくる。
ドイツでの生活は順調なようだ。住めば都というけれど、向こうので生活が月森には合うらしい。出発までの間に散々悩んで迷っていたのが嘘のように、生き生きとした様子が伺える。その葛藤があったかからこそ、今の生活があるのかもしれないと、香穂子は思った。
長いバカンスのため大学は休みだが、毎日レッスンや練習に励んでいること。夏の期間はコンサートホールが夏期休業に当たるため、有名なオーケストラが各地で野外コンサートが頻繁に催されていること。演奏者と聴衆の距離の近さ、そして太陽の下で、みんなが気軽な服装で芝生の上に座りながら音楽を楽しむ様子に、香穂子と合奏した日々を思い出した事となど・・・・・・・。
近況や感じた気持ちが詳細に語られる内容に、目を閉じると自分もその場へいるような感覚になってくるようだ。
「良かった、元気でやっているんだね」
メールを何度も何度も読み返して、言葉に宿った想いを心に染みこませるように感じ取る。
しかし元気で順調である程嬉しいはずなのに、時折心のどこかでは、どんどんあなたが遠くに離れていってしまう気がするのはなぜだろう。自分だけが置いて行かれるようで、心が引き絞られるように悲鳴を上げてしまうのだ。
そんな事はないと、分かっているけれど・・・・・。
文章だけでは本当の所は分からないけれど、今はあなたを信じるのみ。
少しだけ、ドイツという国に嫉妬してしまう。
月森をそんなにも惹き付けて止まないその国に。
生活の全てが音楽に結びつくような、素敵なところなんだろうな・・・。
行けるものならすぐさま飛び立って、あなたの元に駆けつけたい。あなたが見て感じた事を、私も感じたい。
そうしたら、あなたを虜にしたドイツという国がもっと好きになると思うから・・・・・・。
「えっ・・・・!!」
追伸を読んで、驚きのあまり椅子から飛び上がってしまった。呆然と立ちつくし、そのままモニターを凝視する。
では今までのメールは全て!?
『追伸 今まではインターネットカフェを利用していたんだが、日本語の打ち込める店が自宅から遠くて、なかなか不便だったんだ。でも先日、近くの店に日本語を打ち込めるようにして欲しいと交渉したから、大分通いやすくなった。それにやっと、実家から俺のパソコンを引き取った。日本の規格の接続に直してもらったから、部屋からも気軽に送れる。これからは、もっと頻繁に連絡が取り合えると思う。』
インターネットは世界共通だとばかり思っていた。当然国が違えば機械の規格も違う。ヨーロッパの大国の中で、日本語で通信するのがそんなにも大変だったとは知らなかった。これをカルチャーショックというのだろうか。
日本語が打ち込める店は、日本人が多くいる街にいかないと無いと聞いたことがある。いった彼の住む街から、どれ程離れた場所だったのだろう。と言うことは今までは、大学の授業やレッスンで忙しい日々を送っている中で、時間を見繕っては香穂子に連絡を取ってくれていたのだ。
「どうして、今まで何も言ってくれなかたの・・・」
自分と同じ環境だと思っていたせいで、一人で悩んで落ち込んでいた自分があまりにも情けなくて、悔しさが溢れてきた。心の中では、月森の不義理を恨めしく思った事も少なからずあるのだ。もしかしたら、勝手な思い込みで彼を傷つけていたかもしれない。
月森はいつもそうだ。香穂子には決して心配を掛けないようにと、辛いところを極力見せないでいる。だからこそ、何も言わない彼の心を分かって上げたいし、守ってあげたいとも思う。
それなのに・・・。
モニターを見つめながら、香穂子は震える両の拳を強く握りしめた。
『今すぐにでも君に合って抱きしめて、俺の胸の中の想いを伝えたい。愛してるよ、香穂子。』
メールの最後に添えられた月森の言葉と、新しいメールアドレス。
月の光が優しく夜道を照らすように、いつでもどこからでも、私を見守ってくれているんだね。
優しい月の光と暖かな愛にに守られて、私はここで生きている。
月森が伝えてくる想いは2年前と同じく、いやそれ以上に熱く真っ直ぐこの胸に届いてきた。
凍った心がゆっくり溶かされるようにじんわりと熱が広がり、心と身体を暖かくする。溶けた氷の滴は涙となって、香穂子の瞳から静かに流れ落ちた。
「私も会いたいよ・・・・蓮くん」
香穂子はポソリと呟くと、かかえたままの“小熊のレン”を、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「遠距離なんかに負けない・・・か。くよくよしちゃいられないよね」
夢の中で再び見た、まだ何も知らなかった頃に自分が言った言葉を改めてかみしめた。
あの時は分からなかったけれど、今ならこの言葉の意味が分かる。どれだけ大変な辛い試練なのかも。
距離と言うよりも自分の心との戦いなのだ。自分の弱さに負けない、自分自身を、なによりも大好きなあなたを信じるということ。
パソコンを閉じると、急突然思いついたように急いで身支度をした。
香穂子はヴァイオリンケースを手に取ると、部屋を飛びだした。
輝く日の光を浴びながら、二人でよく合奏した、海の見える公園を目指して街中をひたすら駆け抜ける。流れていく景色を見ることもなく、心地よい風を受けながら、ひたすら遠くに見える海辺だけを見詰めて。
踊り早まる鼓動は息が上がっているからなのか、それとも嬉しさから来る胸の高鳴りなのか。
夢を掴んだあなたの側にいたいから。
戻る場所があるからこそ頑張れると言ったあなたを、私はいつでも大きく受け止める場所でいよう。
言葉にするのはもどかしいから、まずは想いを音色に乗せて届けよう。
言葉では伝えきれない溢れる想いを、優しい海風たちが、海の向こうにいるあなたにきっと届けてくれるばず。
帰ってきたら返事を書こう、蓮くんの気持ち確かに届いたよって。そして今度は私の気持ちを届けるの・・・。
あなたが私にとっての月の光なら
、
私はあなたにとっての太陽でありますように、と。