天使の舞い降りる場所・6
『あの・・・一体これから、何が始まるんですか?』
『レンもカホコさんも、そんなに心配で不安そうな顔しなくても平気だよ。誰も君達を取って食いやしないから』
『私たちからお礼がしたいと・・・受け取ってもらいたいものがあるって言ったでしょう。今からそれを渡すのよ』
押し寄せる緊張のあまりに眉根を潜めて問えば、ね?と顔を見合わせた後に、含みのある笑みを向けてくる。
何か無邪気な悪戯を企んでいるような、ワクワクした出来事を待つかのような。
先の展開が掴めずに、俺も香穂子も困ったように顔を見合わせて瞳で会話するしかない。
受け取って欲しいものがあるから・・・・・・・。
そう言われて、俺も香穂子も新郎新婦に連れられてやってきたのは、ホール中央に広く設けられた歓談用のスペース。まさに中心ともいえる、大きなシャンデリアの真下だった。しかもいつの間にか俺達を囲むようにして、賑やかに歓談中だったゲストが人垣を作って見守っていた。ワルツの時ほど大きく広い輪ではないけれど、空間の真ん中にポツンと、俺達と新郎新婦が向かい合うように佇んでいる。
これからまるで、何かのセレモニーが始まるようではないか。
パーティーの進行予定スケジュールは、全て聞いていたと思っていたのだが。二人と示し合わせたかのように、驚いた様子も無いゲスト達を見ると、どうやら知らないのは俺達だけ・・・という事になるようだ。
仕組んだのはパーティーを仕切っているヴィルヘルムなのか、それとも目の前の新郎新婦なのか。
いや、この際どちらでもいいか。同じ血を引いているだけに、考える事は一緒かもしれないから、ここは大人しく腹をくくるしか無いだろう。隣の香穂子も突然の成り行きに戸惑っているようで、不安そうに自分の手を握り締めて瞳を細めながら、きょろきょろと周りを見渡している。
渡すと言っても、ここは広間の中央だ。何か用意されている様子も見受けられないし、新郎新婦も特に変わった様子は見られない。彼らが手にしているのは、新婦が純白のウエディングフーケと、新郎は白い手袋。後はジャケットの左胸にブーケとお揃いの花で作られたブートニア・・・それくらいなものだろうか。
コツンと大理石の床を高く鳴り響かせながら、新婦のイリーナさんがゆっくりと香穂子の元へ歩み寄ってきた。
ホール中の視線を一身に浴びながらも真っ白い清らかさと光を纏いながら、凛として堂々とした姿で。
香穂子の目の前で立ち止まると、視線を合わすように少し屈みながら、手に持っていた真っ白いウエディングブーケを、そっと香穂子の胸元に差し出す。キョトンと目を丸くして目の前のブーケと新婦を交互に見やる彼女の瞳を、慈しむように、愛の限りを注ぐ聖母のような眼差しで優しく見つめて微笑んだ。
『これを・・・このブーケを、カホコちゃんに受け取って欲しいの』
『えっ!? だってまだパーティーは終わっていないのに!』
『いいのよ、後はゲストの皆さんとお話しする時間だけですもの。それに、教会ではブーケトスに参加せずに二人で隅っこにいたでしょう? 心配してたのよ。カホコちゃんに届くように、自慢の投げ技を披露しようと思ってたから、残念だったわ』
『み・・・見てたんですか。だって私、お客さんだし。そこまで甘られませんよ・・・・』
『気にしないでいいのに。未来へ役目を引き継ぐのも、私たちの仕事なの。私にはこれくらいしか出来ないけれども、今日の感謝と、あなた達にも祝福が訪れますように・・・祈りを込めて・・・・・』
差し出されたのは、ヨーロッパの伝統である白とグリーンをあしらった、優美な自然を感じさせるナチュラルブーケ。二種類の色合いの異なる大輪の白いバラとを束ね、小さなアイビーの葉が動きをつけており、ブーケを握る手が隠れるほどの大きな白いシルクのリボンが、まるでブーケを花に例えた花弁のようだ。
甘さとナチュラルさが同居する透明感のある花色は、気高さと清楚さの中に、ほっと和むふんわりと可愛らしいイメージが感じられる。
『受け取ってもらえるかしら? 次の花嫁さん?』
『・・・イリーナさん・・・ありがとう・・・ございます』
『バラの白が表すのは清楚や気高さ。間に散らしてあるの星型の白い小花は、ステファノティス。ウエディングの花と呼ばれているわ。そして花を囲むグリーンのつる葉はアイビーと言ってね、花言葉は永遠の愛。始まりの白と永遠を意味するグリーンのブーケは、永遠の幸せを約束してくれるのよ』
『幸せが、いっぱい詰まっているんですね』
『えぇ、そうよ。たくさん込めたこの幸せが、きっとあなたを導いてくれるわ』
香穂子の手が差し出されたブーケの根元を掴むと、しっかりと託すように、大きなリボンに隠れた彼女の両手を上から覆い包んだ。ふわりと漂う温かさが重なった手の平から舞い上がり、俺の心だけでなく、新婦と同じ瞳で見守るゲスト達の表情や心をも優しさで染め上げていく・・・そんな気がした。
「良かったな、香穂子」
「うん、凄くうれしい。まさかもらえるなんて、夢にも想ってなかったから・・・」
花嫁からブーケを受け取った未婚の女性は、次の花嫁になれると言われている。
心の底で欲しいと願っていたブーケを手ずから渡されて、込められ託された想いごと、しっかりと受け取る香穂子。手の温もりと向けられた微笑みごと大切に胸に抱き、大きな瞳をうっとりと幸せそうに細めていた。
『じゃぁ、今度は僕の番かな』
そう言った新郎のゲオルクさんが、真っ直ぐ俺の元へ歩み寄って来た。まさか今度・・・というのは俺の番ではないだろうなと、目を見開くように驚き、戸惑いながらも視線を逸らせずにいる目の前に立ち止まる。
『昔ヨーロッパでは男性が野に咲く花を摘み、花束を作って想いを込めて捧げたのがブライドブーケの始まりなんだ。愛を受け入れた証として花束の中から一輪の花を抜き、男性のボタンホールに刺したのがブートニアと言われている。この意味、分かるかい?』
『・・・・・・・・』
黒いフロックコートの胸に刺してあるのは、ブーケと同じ一輪の花。白いバラとアイビーの葉をあしらったブートニアを外し、俺を見てニコリと笑った。
『レン、自分は関係ないなんて思っては駄目だよ』
『まさか・・・そのブートニアを?』
『ブーケとブートニアは、二つで一つだ。同じ花を使っているんだよ。ブーケが彼女の元にあるのなら、このブートニアも、レンの元へ行くべきだ。そう思わないかい?』
『え、いや・・・俺は・・・・!』
ゲオルクさんとイリーナさん、それに周りを囲んで見守るゲスト達の視線が俺に集中する。
俺もそう思う・・・君と同じように俺の元へと。
そう思うし、心の底では願う気持があるのも確かだ。
だが鼓動が張り裂けそうで・・・顔に集まる熱が火を噴きそうで。
皆の視線に押しつぶされてしまわないように、後ずさらないようにするのが精一杯。
恥ずかしいとか照れくさいを通り越して、このままでは身の内を駆け巡る熱で焦げてしまう。
想いを込めて女性に贈った花束と、愛を受け入れた証の一輪の花。それは昔のプロポーズなのだから。
時代は流れたとはいえ、由来をわざわざ聞かされた後で、香穂子と揃いのブートニアを俺に刺すとは・・・・。
一体俺はどうしたら良いんだ・・・。
助けを求めるように隣に佇む香穂子をちらりと見れば、胸にブーケを抱いたまま嬉しそうに微笑んで。
「良かったね蓮くん、お揃いだね〜」
香穂子は無邪気に喜んでいるが、彼らが裏に込めたもっと深い思惑に気付いていないのだろうか。
俺を見上げる彼女の笑顔に、もう何も言う事が出来なかった。
『カホコさんがブーケをブーケを受け取っているんだから、レンも僕から受け取ってくれなきゃ困るな。きっと、彼女が悲しむよ。知っているかい? 花婿からブートニアを受け取った男性は、次の花婿になれるんだ』
『そんなジンクス、聞いた事ありません』
『だろうな、僕がついさっき考え付いたんだ。イリーナもゲストの皆さんも、素敵だと賛同してくれたんだけどな』
『ゲオルクの言う通り、とても素敵じゃない! 二人揃って受け取れば、きっと効果も二倍よ』
『と、いう事だ。レン、観念してくれ。さぁ、ピンを刺すから動かないで・・・・・・・・』
動かないというより、もはや動けないのだが。
心の中で小さく溜息を吐く間にも俺のタキシードの左胸にピンが刺さり、胸元から漂う白バラの甘い香りが鼻腔をくすぐった。着けられている間は気恥ずかしくて顔を逸らしていたのだが、香穂子は・・・と思い視線をやると神妙な面持ちで、俺の胸に託されるブートニアをじっと食い入るように見つめていた。
あの・・・と。ピンが身体に刺さらないようにと首だけ動かして、直ぐ側で微笑を称えて見守っているイリーナさんに、声をかけると、何かしら?と穏やかに・・・でも悪戯っぽく瞳を輝かせながら小首を傾げた。家族だから当然だが、良くも悪くも、やはり二人ともヴィルヘルムに同じものを感じて、僅かばかり眉根を寄せてしまう。
『お気持はとても嬉しいんですが。何もホールの真ん中でやらなくても、俺達がいたテーブルで受け取っても良かったのではないですか?』
『人知れず、ひっそりと幸せになるのも良いけれど、皆で分かち合った方がもっと幸せになれるのよ。それにあなた達二人が嬉しそうで幸せだと、周りの皆も温かくて幸せな気持になれるの。奏でる音色がそうであるように』
『俺達の音色が、お二人にも届いたのでしょうか・・・・』
『えぇ、届いたわ。とても温かくて・・・嬉しかった。だから二重三重のおまじないよ、私たちにはこれくらいしか出来ないけれども。離れていても、負けちゃ駄目よって応援したかったのよ』
ね?と視線で促せば、俺の襟元でブートニアのピンを刺すゲオルクさんも、周りに集うゲストも皆、包むような微笑を称えて俺と香穂子を見つめながら、しっかりと頷いた。
まるで儀式のようだな・・・。
一体パーティーのメインイベントは先程のワルツなのか、この贈呈式なのか。
いや・・・多くの人々に見守られる中、新郎新婦手ずから引継ぎ、誓い示すようなこの感覚は、もっとそれよりも深いものな気がする。でも心地良くて優しくて、いつまでも浸っていたい。
彼女は俺の胸に刺される、揃いの花飾りにどんな想いを馳せているのだろうか。
俺が注ぐ視線に気が付いたのか、ふと絡んだ君の瞳が一瞬頬を染めてはにかんだ後、胸元を飾る花から漂う香りのように甘く揺らめいた。それだけで不思議と心が、甘さと温かさを伴い穏やかになってゆくようだ。
香穂子が受け取ったブーケのように、しっかりとブートニアに両手が添えられて。
僕も役目は引き継いだよ、次の花婿さん。
そう笑顔で言われて、ポンと軽く胸元を叩かれた。
『小さな未来の新郎新婦の出来上がりだ!』
『なっ・・・・・・・!』
『ふふっ。あら、今でも良いのではなくて?』
「そ、そんな・・・・。蓮くん、ど・・・どうしよう・・・」
それっきり彼女は言葉を失い、白いブーケまで染まるのではという程に真っ赤になってしまった。
縋るように見上げて、きゅっと腕を掴むと、恥ずかしさに耐えられなくなったのか、小さく俯いてしまう。
どうしようと俺に言われても、困ってしまうではないか。きっと俺も、真っ赤な顔をしているに違いないのだから。
胸元を見下ろせば、白いバラとアイビーの葉で作られた、ブーケとお揃いのブートニア。
俺の胸に咲く花も永遠の幸せを導いてくれるのだろうか、君の手にあるブーケと共に。
ならば、俺も願いを込てみようか。
君があの大聖堂でブーケを欲しがっていた気持が・・・込めたかった願いが・・・ようやく分かったよ。
俺達は祝福を与える天使の役目だと想っていたのだが、祝福を受けた彼らもまた、俺達にとっては天使だったのだ。いや、彼ら二人だけではなく、この場にいる人々が皆・・・・。
想いの鎖は受け継がれ、広がってゆく。受け継がれる人の想いを乗せて、さらに大きく深いものとなって。
重なり合う音色に込められた想いも、この身が奏でる想いも。
おめでとう・・・と。
どこからともなく、あちらこちらかから声が沸き起こり、くすぐったい拍手が沸き起こった。
本当の意味で受け取るのは、まだ大分先の事で早いけれど。
手にしたブーケとブートニアが導く先が、どうかこの温かさでと、俺に向ける君の眩しい笑顔でありますように。
今だけは暫しの間、共に描いた夢に浸ろう。