天使の舞い降りる場所・4

披露宴のクライマックスであるワルツの始まりに備えて閉じらた、深い飴色の重厚な扉の前まで来ると、先導していたヴィルヘルムがくるりと振り返り、俺達の方に向き直った。


『俺の先導は、ここまで。演奏は単なるBGMでなく、立派なセレモニーの一つなんだ。前に言ったろう? 新たな門出を迎える新郎新婦のワルツを、未来の新郎新婦である恋人達が奏でるんだと』
『まさと思うが、ゲストに触れ回ったのか?』
『そうとも! 今回のメインイベントだから気合を入れてね。俺の企画力に感謝して欲しいな』
『・・・・・・・・・っ!』
『・・・君達が奏でるからこそ、意味がある。皆が、レンとカホコを待っているよ』


からかっているのかと、喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、一気に高鳴った鼓動と顔に集まった熱を抑えるように、大きく溜息を吐いた。本当に触れ回るとは思わなかったが、今更何を言っても仕方が無いか。
その裏にある、俺と香穂子の幸せを願う彼の想いが、熱く温かく包むように伝わってくるのが分かるから・・・。

ワルツのステップが演奏に変わっただけで、交わされる想いや意味は同じ、どちらも違いが無いのだろう。
正直照れくさいのは確かだが、でも・・・悪くないと、今は思う。言葉通りそうなって欲しいと・・・心のどこかで夢を抱き、強く願わずにはいられない自分がいた事に、彼は何度も俺に問いかけて気付かせてくれたのだ。


「俺達にとっても、新たな門出になれたらいいな。行こうか、香穂子」
「うん、未来に向かってね」


エスコートの腕を組む代わりにヴァイオリンを携えて、お互いに笑顔でエールを贈り合えば、互いの手の中にあるヴァイオリンが、君と俺の心をしっかり繋いでくれる。絡める腕よりも強く、触れ合う温もりよりも熱く・・・。


さぁ、行っておいで・・・と。


笑顔を湛えて見送る彼がスッと脇へ下がると、入れ替わるように扉の両脇に控えていたドアボーイによって、硬く閉ざされていた扉が重い音を立ててゆっくり開かれた。





扉から続く白い大理石のアーチを潜ると、中から一気に溢れ出した光と輝きに眩み、思わず目を細めた。
それは黄金があしらわれた壁や天井の装飾や、光が反射する真っ白い大理石の床だけでなく、大広間を埋め尽くす、華やかな衣装に身を包んだ紳士淑女たちが放つもの。部屋の中央・・・一際大きなシャンデリアの下がダンスホールとして設けられ、周りをぐるり取り囲むように人々が集い、扉から真っ直ぐ続くのは俺達を導くようにゲストによって作られた花道。


確かに、注目されているな・・・。全ての視線が俺達に向いていると言ってもいい。
しかし興味に溢れた不快なものではなく、見守るように温かくて心地良く。どこかで感じたなと思い出すとすれば、まるで大聖堂から式を終えて出てきた新郎新婦を出迎えた人々の、眼差しと空気に似ている気がする。

本当の主役が登場するのはこの後なのにと、気恥ずかしく思えてしまう程に。
ちらりと隣を見れば、困ったように照れてはにかむ香穂子の視線と絡み、言葉の代わりに微笑みを向けた。


例え前宣伝のお陰だとしても、俺も君も共に温かく迎えられる事が・・・祝福される事がこんなにも心高揚して、幸せな気分になるとは思わなかった。穏やかな温かさが、心から波紋のように身体中に広がってゆき・・・満ち足りるような感覚。この場だけで終わらせたくなくて、いつか俺の手の中へ確かなものとして手に入れたいと、温かな想いは願い、そして決意の炎となって強まるばかり。




大きなシャンデリアの下を通り抜けて、ちょうど取り囲む人垣の突き当たり。踊る新郎新婦の邪魔にならないようにフロアーの隅辺りに場所を定めると、視線を一身に集める中、囲むゲストを見渡す。呼吸を整えて香穂子と互いに目で合図し合うと、揃って深々と挨拶をした。温かい拍手が沸き起こる中、まずは俺だけが長い前奏部分を奏でる為、先に一人ヴァイオリンを構える。


静かに弓を降ろして高く透き通る音色が響き渡ると、ゲストから漏れるのは溜息と感嘆の声。

何事かと視線を向ければ、ヴァイオリンの音色に乗って大広間の扉から登場したのは主役である新郎新婦。新郎は黒のフロックコートとベストを着て、シルバーのアスコットタイを。新婦の纏う純白のウエディングドレスは挙式の時のとは違っていて、スカート部分は踊り動きやすいようにと、床すれすれのフロアー丈でボリュームの押さえたAライン。艶やかなブロンドの長い髪をすっきり纏めて、肩と背を大きく出したホルターネックを強調している。


皆の祝福と期待に笑顔で応えながらダンスフロアーの四方をぐるりと回り、ワルツの始まりを告げる舞踏会のような優雅な振る舞いで、ゲストに挨拶をしている。ヴァイオリンを奏でながら隣で自分の出番を待つ香穂子をちらりと見れば、うっとりと蕩ける遠い視線を向けて、釘付けになっていた。


俺だけを・・・そう言ったのに。こればかりは仕方がないかと心の中で苦笑しつつ、絵物語の世界に浸る香穂子の夢見る少女のように可憐な横顔に魅入っていた。でも早く気付いて欲しくて・・・俺を見て欲しくて、彼女の心に優しく語りかける。

余所して他に気を奪われいられるのも今のうちだよ、演奏が始まれば君に余所見なんてさせないからと。

心配せずとも、俺も君もお互いに惹きつけられて、きっと余計な事は考えられないし、余所見なんて出来ないに違いないが・・・・。





長い前奏が終わりを告げると中央にある大きなシャンデリアの下に立ち、お互いの手と腰を取ってステップを踏み出す構えを取る。それを合図に俺も香穂子の心の手を取る為、彼女に向き直れば、既に楽器を構えて真っ直ぐ俺を見つめていて・・・・・。いつでもいいよと、吸い寄せられずにはいられない瞳が甘く語りかけてくる。

独奏の余韻が静かに広がる波紋のように響き渡る中、互いに呼吸を合わせて、同時に弓が空を切った。




演奏者が瞳を閉じて自分の中に音楽の世界を創るように、俺は香穂子を、香穂子は俺だけを見つめて、俺達だけの世界を作り出し、音色に乗せる。

空を切るボウイングはヴァイオリンの呼吸のようでもあり、穏やかに、時には息を弾ませて。
絡み合う視線はどこまでも甘く、浮かぶ笑顔に愛しさが溢れ、足取り軽いステップのように浮きたつ心。
音色を奏でながら心の中では手を取り合い、君と共にワルツを踊るのだ。


俺のと香穂子の音色と、そして互いの心が溶け合って生まれる、もう一つの音色・・・。
ピタリと重なり溶け合う音色に、俺を見つめる瞳に嬉しそうな笑顔の花がぱっと咲く。柔らかく浮かべる微笑が雪解けの中からそっと顔を覗かせる春の息吹なら、彼女の笑顔は満開の春そのもの。真っ直ぐ向けられる想いと心に満ちる温かさが、俺にも満開の花を咲かせてくれる。

掛け合い共に紡ぎ出す音色は言葉に出す代わりに、心にある感情の全てを音色に託して交わされる対話。
甘く密やかな愛の囁き合い。描き出すのは、喜びに満ち溢れた春の到来にも似ていた。



しかし春の訪れは俺達だけでなく、この大広間全体にもやってきたようだった。
香穂子に視線で語りかけてフロアーをみれば、視界に映るのは、人々の視線を浴びながら幸せそうな表情で踊る新郎新婦。彼らの姿を見た君も、嬉しそうに瞳を輝かせて返事をしてくる。

柔らかい光と人々の祝福と、俺と香穂子が奏でるメロディーに身を任せながら作り出す彼ら二人の世界は、生涯で最も輝くウエディングデイに相応しい、まさに祝いのシンフォニーと言えるだろう。集う人々の想いが一つとなり、オーケストラのように壮大な愛と祝福の音楽を作り出す。幼い頃に読み聞かせてもらった、童話のエンディングシーンを髣髴とさせる光景の中で、ふわりと広がる真っ白いドレスが軽やかにフロアーを行き来する様子は、まるで風に乗って舞い漂う、真っ白い花びらのように思えた。


彼らが花びらなら、俺達はそれを幸せという名の空に舞い漂わせる、優しい春風。
凍てついた冬を払うかように訪れた俺だけの春の妖精に、目元と頬を緩ませて、溢れる愛しさと願いを込めて微笑みかける。




奏でる音色に身を任せてこのまま君と一つになり、共に温かい風になって、いつまでも漂っていたいと思う。

どうかこの瞬間が、永遠のものでありますようにと・・・・。