天使の舞い降りる場所・1

ベルリンの中心地から少し離れたところにある、古き良き街並みを残し、自然と溶け合った閑静な街。
フランツ家の邸宅に程近いネオ・バロック様式で立てられた、街のシンボルとも言える石造りの大聖堂の中では、厳粛なセレモニーが執り行われていた。




高く巨大な天蓋には黄金色の輝きも眩しい見事な装飾と、聖書にまつわる場面をリアルに描いたステンドグラスが覆うように施され、まさに圧巻だ。中央のヴァージンロードには赤い絨毯が敷かれており、邪気を払うとされる白くて香り高い花に彩られながら正面の祭壇まで真っ直ぐに伸びている。そして祭壇の前に立つのは、黒のフロックコートと純白のウエディングドレスに身を包んだ新郎新婦。白い花の放つ、春の訪れを思わせる芳しい香りは二人の門出に相応しく、皆の祝福と共に聖堂内に満ち溢れていた。


石造りのドームに反響する晴れやかなオルガンの音色、そして牧師が述べる祝福の妙なる響きは、厳か以外の何ものでもない。俺だけでなく、集まった人々の心に木霊し共鳴し合って、知らぬ間に手を合わせたくなる気分になる。

神の前で誓う結婚式は本来こういう雰囲気のものなのだろうか。
それに教会は、音楽と深い繋がりがある。
遥か彼方の時空を超えた壮麗な装飾の教会は、精神の引き締まりと高揚を感じさせてくれるようだ。



新郎新婦の宗派がカトリックとプロテスタントで別々だと、牧師と神父が両方いる。今回もそのようで、中央の祭壇に二人の司祭がいることが不思議そうな香穂子に、そう説明したら驚いていた。牧師と神父って違う人なの?・・・・と目を丸くしていたのに苦笑しつつ、プロテスタントは牧師で賛美歌、カトリックが神父で聖歌なのだと説明をした。ちなみにこの大聖堂はステンドグラスがあるのと、お説教がラテン語でなくドイツ語なところをみると、プロテスタント系なのだろう。


賛美歌が奏で始まったところで隣に座っている香穂子が数度、肘で突付くようにして俺を呼んだ。首だけ向けると、内緒話をするように身体を寄せて見上げてきたので、彼女の口元へ耳を寄せるように身体を僅かに傾けた。教会という場所柄を考慮して俺はスーツ、香穂子はシックな色合いのワンピースという装いだ。綺麗に化粧を施し、普段より大人っぽい印象の彼女に至近距離で見つめられて、胸の鼓動が急速に早鐘を打っていく。

周囲に聞こえないようにと、顔を寄せ合い小声でヒソヒソト囁きあう。


「ねぇ、蓮くん。私たち関係ないようなお客さんなのに、本当にお式にまで参列しても良かったの? しかもこんないい場所で」
「本人や家族が是非にと言うんだから、良いんじゃないのか。もう始まっているのだから、今更帰るわけにもいかないだろう?」
「それはそうだけど・・・・何だか逆に申し訳なくて。今日だって、パーティーで遅くなるからって、泊まる部屋まで用意してもらっちゃたのに」
「お城に泊まれると、あんなにはしゃいで喜んでいたじゃないか」


そう言うと香穂子は、うっと言葉を詰まらせて頬を赤く染め、視線を逸らすように俯いてしまった。



こんな場所・・・というのは正面の祭壇に程近い前方で香穂子は一番ヴァージンロード側、俺はその隣の席に座っている。恐らく最前列にいる親族のすぐ後ろ辺りになるのだろう。規模の大きい大聖堂内を良く見渡せる他、祭壇前に立つ二人の表情まで良く見える。俺達の後方の席にも余すことなく参列者で埋め尽くされているのだから、香穂子が気後れするのも無理は無い。

膝の上できゅっと握り締められた両手を覆うように、そっと俺の片手を重ねると、俯いた顔がふと上げられた。重ねた手の温もりを心に伝えるように力を込めながら、大きな瞳に微笑みかける。


「それだけ期待されているという事だろう。新郎新婦のワルツはパーティーのクライマックスといえる重要なものらしいから。何にせよ、いい演奏をしなければいけないな」
「蓮くんにそう言ってもらえると安心してきた。幸せそうな二人そのものだって言われる曲を奏でられるように、しっかり目に焼き付けておかないとね」


あ・・っと小さな声を上げて瞳を輝かせた香穂子の興味は、祭壇前の二人へと注がれた。
前方を見ればちょうど指輪の交換が行われており、彼女は交わされる仕草の一つ一つを、中央の通路から身を乗り出さんばかりに釘つけになっている。しかし俺は祭壇前のやり取りは横目で見つつ、うっとりと夢見る少女のように瞳を蕩けさせている香穂子の横顔をじっと見つめていた。


やがて新婦顔を覆うヴェールが新郎によって取り除かれ、緊張していた表情が見詰め合った瞬間に、お互いふわりと柔らぐ。その表情の変化に思わず目が奪われた。
伝わる想いや絆の深さを目の当たりにして、憧れにも似た羨ましい・・・という感情が芽生えた程に。
香穂子が羨望の眼差しで魅入る理由が、ようやく分かった気がした。


いつかは俺も・・・と、そういうことなのだろうな・・・・・。



新婦の肩を抱くように引き寄せ、新郎の腰に手がしっかりとまわされ重なる唇・・・誓いのキスが交わされた。
二人の変わること無い愛を、神と共にセレモニー列席者の前で示すことによって改めて確認するのだ。心暖まる幸福感が、広い聖堂内に満ち溢れていった。







約1時間程のセレモニーが終わると、新郎新婦が腕を組んで新たな未来へと歩み出す。大聖堂の外へ出た途端、あちらこちらから飛び交う祝福のライスシャワー。バスケットに入れたバラの花びらを撒く、先導役の子供の愛らしい姿に二人の顔にも柔和な微笑が浮かんでいた。


「幸せそうだね〜」


ライスシャワーを降りかけた後に、通り過ぎる横顔と背を見つめながらそう呟いた香穂子の顔も、同じように微笑んでいて。たが視線は聖堂内で見た時とは違い、どこか虚ろで遥か遠い先を見ているようだった。


俺の目には映らない、君にしか見えない景色。
何を重ね、何を想って見ているのだろうか・・・・。
思い描く未来の姿の中には、君の隣に、俺はいるのだろうか?


「行こう、蓮くん・・・・・・」
「えっ、香穂子!?」


たくさんの親類や友人達に祝福される賑やかな輪から離れるように、突然くるりと背を向けて歩き出した。
灰色の厚い雲に覆われた寒空の下に、冷たい風が吹き抜けて俺の頬をなぶり、彼女の赤い髪を凪いでいく。
少し俯いて顔にかかった髪が、ヴェールのようにその表情を覆っていて分からないが、ゆっくりと遠ざかる彼女の背中が、代わりに痛い程俺の心に訴えてくるのが分かる。
温めて欲しいと・・・そう縋らずにはいられない想いを必死に耐え隠すように見えて・・・・ハッと我に返ると彼女を追いかけた。

同じ速度で隣を歩きながらそっと頭から包み込み、力を抜いて身体を預ける肩を抱き寄せた。







新婦の投げた白いブーケが宙を舞い、集まった女性達の中へと歓声を沸き起しながら落ちていく。石壁の窪みに収まって寒さを凌ぎながら、人ごみから離れて香穂子と二人、その様子を見守っていた。


「香穂子はブーケを取りに行かないのか? 未婚の女性なら誰でも参加できるんだろう?」
「私は・・・いいよ。だって、そこまで図々しく甘えられないもの」
「香穂子なら参加すると思っていたから、意外だった。本当は欲しかったんじゃないのか?」
「・・・欲しくないって言ったら、嘘になるけどね。子供っぽいって笑われるかも知れないけど、次のお嫁さんになれるって・・・やっぱり嬉しいじゃない。だって女の子の憧れだもん」
「笑わないよ、俺は・・・・・。とても大切な事だと、思うから」
「夢見ていられるうちが幸せなのかなぁ〜って、ちょっと思ったら何だか切なくなっちゃったの。ごめんね、良くないよね、こういうの・・・お目出度いときなのに。反省しなくちゃ」


ブーケを受け取った女性を賑やかに囲む様子を、遠目に映す瞳はどこか寂しそうで、切なさが漂っていた。
君に受け取って欲しかった・・・そう想う気持ちが俺の心のどこかにあったのは確かだ。
香穂子の為なのか・・・俺の為なのか・・・。


静かに語る香穂子をじっと見つめていると、すっと彼女の腕が絡められ、俺を見上げてふわりと微笑んだ。


「私には蓮くんがいるもの」
「香穂子・・・・」
「前にヴィルさんの家にお邪魔してワルツを合わせた後、お兄さんや義姉さんのイリーナさんも交えてお茶をしたでしょう? 私がこっちのお式に興味深そうな反応したから、蓮くんってばそれとなく話の方向を上手く持ってってくれて・・・お陰でお式も見させてもらえることが出来たし。その気持が嬉しかったら、今は充分満足だよ」


ありがとう、そう言って甘えるように肩先に頭を擦り付けた。それにね・・・と小さく囁いて、上目遣いに悪戯っぽい瞳を輝かせる。


「もしここで私がブーケを受け取ったら、蓮くんがきっと困っちゃう」
「俺が?」
「だ、だって・・・・・・・」


香穂子が喜ぶのは分かるが、なぜ俺が困るのだろうかと不思議に思っていると、急に頬を真っ赤に染めて、ごにょごにょと恥ずかしそうに口ごもり始めた。絡められた腕にきゅっと力が込められ、柔らかい身体が更に押し付けられた感触に、俺の顔にも急速に熱が集まるのを感じる。


「次は私たちだねって言われているようで・・・嬉しいけれど、凄く恥ずかしいじゃない!」
「あ・・・・。そ、そういう事か・・・。気が付かなかった・・・・」


それは確かに嬉しいけれども、照れくさいかもしれないな。頬を染めて恥ずかしそうにする君に、堪らなく愛しさが募るけれども、それ以上に俺も真っ赤な顔をしてるのだろう。
君が遠く見つめて思い描いていた景色の中に、俺がいたのだと分かったから。
言葉の端や仕草から伝わって、心の中に嬉しさが込み上げ、じんわりと温かさが広がっていくのを感じる。


「蓮くんには、まず叶えて欲しい夢があるもの。ヴァイオリニスト・・・・。蓮くんの夢は私の夢でもあるんだから」
「香穂子の夢も、俺の夢でもあるんだ。俺はどちらも叶えて見せるよ。俺の夢も、君の分の夢も」


どちらからともなく微笑み合えば、自然と互いの顔が近づいてゆく。
ここは建物の窪地だし、人ごみから離れているから平気だろう。そう思って身を屈めると、壁に隠して覆い被さるように、柔らかい唇へと触れるだけのキスを何度も降らせた。
きっと大聖堂の前に佇む新郎新婦に集う祝福の天使が、ここにも迷い込んだのかも知れない。






夢見ていられるうちが幸せなのかと・・・・・。
俺の中で、香穂子の言葉がずっと離れずに何度も木霊していた。


いつも側にいる事に慣れてしまったからからすっかり失念していたけれど、もうすぐすれば彼女は日本に帰ってしまうのだ。だからだろうか、幸せな二人を羨ましいと思いつつ、どこか眩しすぎて目を反らせずにはいられなかったのは・・・俺も、香穂子も。

一度手に入れてしまった温もりを、再び手放す辛さを味わうのはもう沢山だと思うから、余計に熱い炎が激しくざわめき立ってゆくのだろう。


彼女がブーケに願いをかけたかったように、俺も確かな約束が欲しいのだと。


雰囲気に、酔ってしまったのだろうか・・・・・・パーティーはこれからだというのに・・・・。
心の歯車がギチリと音をたてて噛み合わさり、大きく回り出してゆく。