黄昏空を映して・1

今日の君とのデートは街を散策しつつ、帰国前にお土産を買いたいという香穂子に付き合い店を巡るもの。
ベルリン中心地の繁華街を訪れ数件の店を回った後に、中央駅近くにある大きな老舗デパートを訪れた。
人も車も流れが早いのにどこかゆとりを感じさせるのは、日本の都市と全く変わらないかそれ以上にエネルギッシュな街並みに、豊かな自然と歴史がバランス良く調和しているからなのだろう。



繁華街の大通りに面して店を構えるこの店も、白い石壁に赤い屋根の建物は威風堂々とした威厳と風格を放っており、中に入れば外観の重厚さと対を成すかのような真新しさが広がり中央が吹き抜けになっている。
見下ろすホールではイベントも催されており、この辺りはどうやら日本と変わりがないようだ。

ドイツらしい実用的な品揃えに加えて高級感を醸し出しているこの店は食品売り場が特に有名で、観光客だけでなく地元の人々も多く訪れている。俺の隣を歩く香穂子はポケットから取り出したメモを片手に、服や雑貨類、装飾品には目もくれず真っ直ぐ食品売り場を目指して慣れたように甘い香りを漂わす店内を回っていた。


どうやら彼女は、帰国の土産にと菓子類ばかりを買い集めているようだ。
俺が両手に携えている紙のショッピングバックには、既に先程別な店で彼女が大量に買ったチョコレートや菓子類がいっぱいに詰まっているのに・・・まだ買うのだろうか?


溢れる外国産の菓子類を目の前にして、嬉しそうにあれもこれもと棚から次々に取る香穂子の手は止まることなく、瞳の輝きと共に勢いを増して行く。


「香穂子、随分たくさん買うんだな。その手に持ちきれない程抱えているものもお土産なのか?」
「うん、そうなの。お友達のと家族のでしょう? あと大学の先生とかお世話になってる人たちへとか。でも半分くらいは私が食べる分かな。だってイリーナさんやヴィルさんに薦めてもらったら、凄く美味しかったんだもの。ドイツでしか手に入らないこっち限定なお菓子は、今のうちにたくさん買っておかなくちゃ!」


両手いっぱいに菓子の包みを抱えてへへっと肩を小さく竦めて笑う香穂子の顔は、おいしい物を食べている時と同じくらい幸せが溢れており、俺までつられて微笑んでしまう。彼女の持つ不思議な力の一つだ。


どうやら俺と正反対に甘いものに目がないヴィルヘルムやお世話になった彼のお義姉さんに、いろいろと教えてもらったらしい。大学の講義やレッスンが終ってフランツ家に迎えに行く度に、今日はあれを食べたから帰りに同じものを買っていくのだと、待ちきれずにはしゃぐ香穂子と店に立ち寄ったのを今となっては懐かしく思い出す・・・まだつい最近の出来事なのに。もちろん菓子の事だけでなく、世界的な若手ヴァイオリニストであるイリーナさんと合奏したり、一緒に出かけた事なども同じくらいに興奮して話していたけれども。


俺は甘い菓子類は普段食べる事が少ないからあまり興味は無いけれど、人生の半分は損しているぞと至極真面目に切々と菓子談義をいつも俺に語るヴィルヘルムの言う通り、そうかもしれないな。
香穂子が感じる喜びや楽しさを共に共有出来ないのなら、人生の半分以上は確実に損をしていると思う。


「あ! ドイツ限定のハリボーみっけ!」


少し離れた棚にある目的の物を目ざとく見つけると大きな瞳をキラキラ輝かせ、腕の中の菓子たちを落とさないように気をつけながら小走りに駆け寄ってゆく。手の平サイズの袋をわしっと掴むと、抱えた腕の中でポンポン放り込んでいった。しかし彼女にとっては余計かもしれないが、見ている俺の方が心配になってしまう。

今俺の両手にあるものも含めて半分は香穂子のだというが、そんなにたくさん食べきれるのだろうか?
それ以上に荷物がまとまるのかも心配なのだが・・・。


片付けが終らないよと、溢れた荷物の中心で困り果てた末に涙ぐむ姿が目に浮かんで、俺も手伝うのはほぼ決定なようだなと小さく笑いを零すと、前髪を掻き揚げつつ彼女を追って傍らに立った。
俺も棚に手を伸ばし、彼女が手にする同じ袋を一つ手に取れば、どこか懐かしさを覚えるパッケージ。
これは以前に何度も口にした、君との思い出と一緒に刻まれた馴染みのあるものだ。


「この菓子は以前日本にいた頃も見たことがある。香穂子がよく鞄に忍ばせていた硬めのグミキャンディーだな。高校時代に練習の後で、君がその手で食べさせてくれたのを思い出す・・・懐かしいな」
「嬉しい、ちゃんと覚えていてくれたんだね。日本でも手に入るから馴染み深いけど、実はドイツのお菓子だったんだよ。いろんな種類があってこれはドイツの限定版だから、あの頃のとはちょっと違うけど。こうして見ると、随分前から気が付かないうちに、この国に私も蓮くんも一緒に触れていたんだね」


見上げる君の瞳が漂う菓子の香りのように甘く緩んでいたのは、俺と同じく懐かしさに浸っているからなのだろう・・・共に見る同じ想い出に。手に取った菓子を一度は棚に戻しかけたが再び手に引寄せると、きょとんと首を捻る彼女へ微笑を向ける。これは俺の分だからとそう言えば瞳が大きく見開かれ、やがて愛しさが溢れる深い笑みに変わった。


一つの菓子が繋ぐ記憶はあの頃に食べた懐かしの味だけでなく、過ごした時間や感じた想いまで。
そして時を経た今、君と共に新たに味わうもう一つの味は、いつか後に新たな想い出を君と俺との間に呼び起こしてくれるだろう。


「言ってくれれば、俺が日本にいる君の元へ送り届ける事も出来る。遠慮なく言ってくれ」
「本当!? ありがとう蓮くん。蓮くんはお菓子殆ど食べないから、頼もうと思ったけど迷ってたの」
「離れていても君と話ができる機会が増えるのは俺も嬉しい。それに香穂子が好きなものを俺も知ることが出来るし、何よりも君の為に何か出来る事が嬉しいんだ」
「ふふっ・・・お菓子が無くなるたびに蓮くんとお話できるのなら、いっぱい食べちゃうかも。あっ! でも美味しいからつい食べ過ぎて太っちゃったらどうしよう・・・」
「まずは帰ったら、この大量に買ったみやげ物のお菓子の片付けだな。荷物が整理できるまでは、今夜は眠れないぞ。だが俺も手伝うから、安心してくれ」
「そっか〜忘れてた。私荷物整理って苦手なの・・・いつもギリギリまで片付かなくて慌てちゃうんだよ。どうしよう、頑張らなくちゃ」


嬉しいけどいろいろ大変だ〜と困ったように眉を寄せて肩を落としていたものの、いつまでも落ち込んでいないのが彼女の良いところで、じゃぁ早く帰らなくちゃねとパッと花開いた笑顔を向けてくる。

少し持つからとそう言って両手に持ったショッピングバックを片手に持ち直し、香穂子がやっと腕の中に抱える菓子を半分受け持つと、賑わう人並みを抜けながら会計を済ませる為に共にレジヘ向かう。楽しげに足取りも軽い彼女は自分のと俺の腕の中を交互に覗き込みながら、鞄よりも私のお腹の方へ先に収まりそうだよと悪戯っぽくペロリ小さく舌を出す香穂子。


もし荷物が片付かなければ、君はまだ俺の元にいてくれるだろうか。
君の笑顔に湧き上がる、忘れかけていた・・・今まで考えないようにしていた心の中の想いに蓋をして。

そればかりは手伝う自信がないが・・・と俺が困ったように苦笑を漏らすと、一緒に食べようねと誘う君と一緒に先程俺が手に取った一番上に乗っている懐かしいグミキャンデーとあの頃の俺たちが、脳裏で楽しそうに笑っているように見えた。