未来への鍵・5



夏のバカンスが終わり秋になると、音楽界は本格的にシーズンが始まる。連日行われるオペラ、コンサート、室内楽やソロまで・・・クリスマスが終われば舞踏街も盛んに行われる。自分の勉強の為にと脚を運び、生の音に触れるだけでなく、俺自身の演奏活動も多くなった。

冬が近付き少しずつ寒さが増してきたが、日が短くなったからといって、今までのように部屋の中に籠もってもいられない。録音した音源を聞いて研究するだけでなく、ヨーロッパでは日本で聞くことがない楽曲も聞く事ができるから、いろいろなCDを聞いては楽譜を探す。実際に奏でてみてこれはと思ったものは、コンサートのリストに加える為に。作曲者の意志を読み取り彼らの想いを蘇らすだけでなく、多くの人に音色を伝えてゆくのが音楽家の勤めだと思う。

大学で講義を受けてレッスン、そして打ち合わせや収録、演奏会など・・・。数日前には先生の紹介で、世界的に有名な指揮者が振るオーケストラのエキストラとして参加する機会をもらった。ソリストの集団と言える正規の楽団員ともなれば、厳しいオーディションが課せられる。エキストラと言っても誰もがなれる訳ではないから、厳しい世界の中で更に広さを知るのは貴重で良い経験だ。

だが俺も、いつかは指揮者の隣で奏でるソリストの場所へ立つのだと。奏でながら新たな誓いを胸に刻み、更に練習へ励む日々がが始まる。音楽というのは、求めても求めても果てが無い。だからこそ自分の好奇心が失ったときに、音や心の成長も止まらないよう音楽の高みを求め続ける限り、これからもずっと走り続けるのだろう。



いつもの先生ではなく珍しく俺のレッスンをしてくれた学長先生や、友人のヴィルヘルム。そして直接顔を見ていないのに声や気配だけで全てを察知する、勘の良い香穂子までもが、疲れているのでは・・・と俺を心配してくれる。あまり意識をしていなかったが、確かにそうかも知れないな。 ちゃんと食べて休息を取っているのかと香穂子が心配していると、そう言った学長先生が下宿するうように誘ってきたが、そこまで甘えるわけにはいかない。

俺の演奏を聞いた学長先生がもっと恋をしろと言ったように、音楽に打ち込むほど、俺の中で香穂子が足りないと強く感じていたのも本当だ。俺自身や音楽のエネルギーは君という、ヴィルヘルムの言葉には反論する隙間もない。もうすぐ一時的に帰国ができると分かった日から、香穂子に会いたい気持ちが日増しに強くなる一方だった。君も渡欧前は、こんなもどかしい気持ちを抱えていたんだろうな。




急激に動き始めた流れに飲み込まれないよう、無我夢中で音の世界に没頭し走り抜け、穏やかな気持ちで空を眺める事さえ無かった気がする。何も考えず、ゆったり散策する時間は久しぶりだな。それだけ周りが見えなかったという事なのだろう。香穂子と寄り添うためにプロの夢を掴んだのに、このまま心配をさせて見失っては本末転倒だ。


瞳を閉じて、胸一杯に澄んだ空気を吸い込もう。透き通る空気が俺の中に満ちれば、心の中まで透き通るのを感じる。溜まっていた淀みが消えて軽くなったから、広くなった心の器へ新しい気持ちがたくさん入れよう。何のためにヴァイオリンを奏でるのか、俺の音色は誰のためにあるのかと、もう一度自分を見つめ問いかけるんだ。







森や緑地を多く抱えるこの街には、至る所に大きな運河や公園があり、休日ともなれば多くの人が散歩に訪れる。自然に囲まれてはいるが大きすぎず小さすぎず、いろいろな意味で便が良い。音楽の香りがするこの街では、いつの間には一日が柔らかな日の中に暮れてゆく・・・。豊かな感性や心は、こういった場所に身を浸すことから生まれてきたのだろう、そう思う。

芝生の広がる緑地や並木道、そして整えられた遊歩道が寄り添う大きな運河。暮らす人々はお気に入りの散策コースがそれぞれにあるようだが、俺の場合は自宅から近いこの公園だろうか。気分転換だけでなくよく香穂子に会いたくなった時や、俺のヴァイオリンを届けたい時に、広い空と水のある公園に脚を運んでしまう。

メールや電話で話してくれたように、きっと君も懐かしい海を望む公園で、今日もヴァイオリンを弾いているのだろう。海や空が一つに繋がっているように、見えない糸電話となり届けてくれる・・・俺たちを繋いでくれる。そう信じていると言ったら、君は笑うだろうか?




芝生にシートを引いてランチを楽しむ家族連れや、木陰のベンチで読書をしている人。遊歩道を吹き抜ける爽やかな風を運ぶのは、心地良さそうにサイクリングをする数台の自転車たち。音大の構内にもあるカスタニアの木は、赤い花を咲かす方に実を付けるため、子供と一緒に栗拾いを楽しむ親子連れも多い。日の光を受け止めて煌めく運河の水面や森よりも、冬が始まる前に楽しもうと集う人たちの笑顔が輝いて見えた。





秋が深まり、目に映る景色や感じる空気に冬の気配を感じるようになった。森に囲まれたこの国は、黄金色に輝く秋が最も美しい。観光のシーズンでもあるから、カメラを構えた旅行者の姿を、いろいろな場所で見るようになり、ふいに懐かしい日本語が耳を通り過ぎることもある。もしかしたら香穂子が、人混みの中からひょっこり顔を出しそうで・・・つい周囲を探してしまうのは、彼女に会いたい気持ちが高まっている証なのだろう。

赤や黄色に染まった葉や高く澄み渡る青空が、煌めく湖面に映り大きな鏡となる。だが水に映った景色は同じではなく、受け止めた光によって少しずつ色を変えてゆくんだ。君の音色を聞いたとき、心に浮かぶ景色がたくさんあるように。


運河沿に整えられた石畳の遊歩道を歩く速さは、いつもよりゆっくりで。一人で歩くというよりも、例え離れていても、俺の側にいるのを感じる香穂子と、語り合いながら歩くのにちょうど良い早さだろうか。

この場に香穂子がいたのならどこへ行きたいだろうか、何をするだろうかと考えるだけで心が弾む。君の事を思うだけで心が笑顔になれるんだ。きっと染まる落ち葉を踏みしめてはしゃいだり、駆け寄った欄干に身を乗り出しながら、煌めく水面を見つめるのだろうな。郊外にはブドウ畑もあるから、もし香穂子がいたら遠出をするも良いかもしれない。

香穂子にも見せたい・・・そう思っていろいろな景色を探しながら両手の指でフレームを作ると、どこを切り取っても絵になる。綺麗な絵葉書を見つけるのも楽しいが、自分がみた景色を君にも届けたい。互いを知る事によって近づく心の距離もある、それにこの中に君がいることも伝えたいから。無邪気に駆け出す君を追い、くるりと悪戯に振り向いたところを、心のフィルムに収めるだけでなく、持っていたデジカメで一枚を切り取った。




運河を見渡せる遊歩道沿いのベンチに座り、足下にヴァイオリンケースを置くと、鞄の中から一枚のCDを取り出した。細かい作業が好きなヴィルヘルムらしく、透明なケースと同じ大きをした正方形にカットれた、ピンク色のカードの裏には曲のタイトルが十数曲。見覚えがあるラインナップは、プロとして出すヴァイオリニストの月森蓮のアルバムと同じ。未来への鍵だと、そう言われてヴィルヘルムからもらった一枚のディスクに書かれていたのは、表面にブルーのマジックでたった一言「Eteruno」。永遠の意味を現し、君に捧げた曲やアルバムと同じ名前・・・。




レッスンや収録での音源を聞いた後、夜の静寂の中で手元にあったCDを手に取り、暫く見つめていた。結局は気になり、もらったその日の夜にCDをさっそく聞いたのだが、オーディオのスピーカーから流れる音色に俺が驚いたのは、恐らく彼の予想範囲内なのだろう。ソロを奏でる自分の小曲が数曲続き、同じアルバムのコピーかと思っていた・・・が。ただ一つ違っていたのは、二重奏を奏でていた相手が全て香穂子だったからだ。

彼女が母親の怪我の為に予定を早めて夏休みを切り上げ、日本へ帰国する当日。俺がCDを収録していたコンツェルトハウスに学長先生達とやってきたあの日、特別に時間をもらってステージに立ち、二人の音色を重ねた。まだそう遠くない日の出来事だから、思い出せば音色や感動が昨日の事のように蘇ってくる。俺に内緒で二重奏の譜面が香穂子に渡り、彼女はそれを練習していて、周囲のスタッフが俺たちのために技術と時間を生み出してくれた。


二重奏は全て香穂子の音色で、アルバムに収めたらどうかという意見もあったが、悩んだ末に愛の挨拶だけは彼女と奏でた方を使った。想いは音に乗り素直に音色に現れる、心のこもり方が違うというのが満場一致だった・・・というのは素直すぎて逆に照れ臭さが募ったが。


スタジオでは何度も音源を聞き比べていたが、まさか一枚のアルバムに収められていたとは、思っても見なかった。スタジオや自宅で聞いた音源よりも煌めく艶を感じるのは、レーベルの技術スタッフが本物と同じように磨き上げてくれからなのだろう。「音そのもの」を美しいものに仕上げる為に、音場のバランス、楽器の響きや艶などを演奏者とスタッフで協議しながらベストの音造りをする。そして各曲の頭の位置をどこにするか、曲間を何秒に設定するかなどを曲想に合わせ、御納得のいくまで細かい作業をしてく・・・気の遠くなる細かい作業と膨大な時間。

真摯に音楽に向き合うからこそ出来る、彼らは音楽のマイスター(職人)だといえるだろう。



ライブでないCD は普通、響きの良いコンサートホールを借り切って行う事が多い。ノイスが入らないだけでなく、失敗が許されない本番と違った落ち着きが生まれるから、演奏家本人の「心」を語るのに適している。この一枚に収められた曲立ちが語るのは、俺の心であり香穂子の心。


日本や世界中の何時どこでも誰もが聴けるもので、 時には予想外のひろがりを持つ場合がある。演奏会と同じように離れた場所にいる聴衆と、同じ空間を共有して演奏できる。演奏会の強い印象は何物にも代えがたく、人々の心に残るだろう。だが時間が経つと徐々にその印象は変わり、大きいエネルギーを使って行った演奏会なのに、場合によっては薄れるかも知れない。

CD と言うものは、何回聴いても同じ音が出てくるものですが、何が語られているかによって、聴くたびに違って聴こえてくる不思議な力がある。この一枚からから聞こえる君の音色が・・・俺の声が時を超えて語りかけてきた。
いつまでも色褪せない想い、そして新たに積み重ねられる想いが道を作り、互いを近づけてくれる・・・永遠の愛へと続く道へ。


恐らくこれは世に出回ることのないプライベートな物に間違いはなく、俺と君が詰まった世界でたった一つの宝物だ。嬉しさにこの喜びを伝えたくて、すぐに香穂子へ電話をしようと受話器を握り締めたが、何とか思いとどまった。時差もあるし、今はまだその時ではないと・・・まだ早いとそう思うから。伝えるならば直接君に会い、想いを言葉に託しながら、本物のアルバムと一緒に手渡したい。いや、どちらが本物かというのは、妙な言い方だな。どちらも君への贈り物である事に、代わりはない。


香穂子の音色を心に焼き付けるように、朝になるまで何度も繰り返し聞きながら、君が好きだという想いは泉のように溢れるばかり。なぜこんなにも、君の事が好きなのだろう。会えない不安や寂しさを夜風と音色が優しく包み込んでくれた。



俺は君から、大切な宝物をたくさんもらっている。形のある物、無い物・・・プレゼントに込められた感謝の気持ちや、叱咤励ます言葉の思いやり。例え君が海を離れ遠くから見守るだけだったとしても、そお真摯に生きる姿から勇気や正直さを学んだ。いや・・・君だけでは無かったんだな。


このアルバムを作るにあたり、これまで出会った人たち顔を思い浮かべた。
学長先生やヴァイオリンの先生、ヴィルなどヴァイオリン科の友人達。そして俺を見つけ手てくれたプロデューサー、事務所やレーベルのスタッフ。そして香穂子・・・誰よりも大切な君。

手に持つ一枚のディスクが重く熱さを感じるのは、身近にいるだけでなく、顔を合わせるだけの人たちからの想いが集まった物だから。香穂子の言葉を借りるなら「素敵な贈り物」だ。この人からの贈り物は何だろう、あの人には俺から何を贈ることが出来るだろうかと。想いを馳せながらヴァイオリンを奏でたら、きっと音楽も俺自身も、そして香穂子と俺が紡ぐ未来も変わっていく・・・そんな風に思えた。




瞳を緩めて微笑みを注いだ一枚のディスクを、大切に鞄の中へしまい込んだ。ベンチから立ち上がりケースから
ヴァイオリンを出すと調弦をして、君の元へと繋がっている遠く澄んだ青空を振り仰いだ。

君のように強くなりたい、自由になりたいと願う心は今でも変わらない。だが何も制限のない状態が自由ではないのだと、最近思うようになった。海を離れて恋を育む俺たちのように、本当の自由とは、高く羽ばたくためにあえて不自由さも選べること。だから今から逃げ出さず、最後まで真摯に向き合おう。


君に出会えて良かった。巡り会うという奇跡に気付くことは、最高の感動であり、全ての感情の源。
自分に必死で今をどう生きるかを考えている、狭い世界の中では気付けなかったこと。
そう・・・俺の音楽人生は、いつだって君の前から始まっているんだ。


香穂子、君に会いたい・・・。
弓を乗せて奏でる曲は、君を想いへ捧げたEteruno。

煌めく運河の水面から吹き抜ける涼しい風が、頬をそっと包むように優しくなぶってゆく。頬に感じる温もりと、微笑む楽しげな笑い声は、君だろうか。自分の心へ語りかけた誓いの言葉が、君にも届いたのだろう・・・きっとそうに違いない。愛しい音色と共に心を飛ばした君が、光と共に俺を包み込む心地良さに、瞳を閉じ身を委ねていた。