未来への鍵・17
俺たちをモデル役へと引っ張り出した張本人は、先ほどまでは毅然としたヴァイオリニストの顔を見せていたが、演奏が終わればインカムを着けてガーデンを動き回っていた。偉大なステージにサプライズは付きものだと、そういって差し出されたのは、新郎新婦専用だと言う持ち手に花の飾られたたシャンパングラス。まだ何かあるのだろうかと警戒しつつも、次はどう動くのだったかと説明を受けた段取りを思い出すよりも早く、周りのスタッフ達と共にエスコートしてくれた。
自然の中で伸びやかに愛を誓った後は、至福のデザートたちが待っている。パヴィヨンの隣に場所を移し、花の付いたシャンパングラスを片手に乾杯を終えたら、これからはゲストと共に二人の思い出を紡ぐ時間だ。ゲストがグラスを片手にデザートや会話を楽しんでいる間に、香穂子と俺がヴァイオリンの演奏を披露する・・・という趣向らしい。
ほっと一息ついて周りを見渡せば、緑濃く茂る様々な樹木に囲まれ、パレットのように四季の花が彩るイングリッシュガーデン。街安らぎに満ちた温かさが心地良いのは、中にあるとは思えないほど閑静で落ち着き、花とハーモニーを奏でながら美しい景色を楽しませてくれるからだろうな。
胸に空気を吸い込む俺に背伸びをして見つめる君は、スタッフ達だけでなく庭の花たちもゲストをおもてなししようと頑張っているんだよ、楽しそうでしょう?と。頬を綻ばす香穂子がきゅっと手を握り締める温もりが、俺の心に鮮やかな花を咲かせてくれた。そうだな・・・だが自然の演出だけでなく、スタッフの心遣いや香穂子の笑顔があるからだと、そう思う。
香穂子によると専属の庭師が丹誠込めて作り上げているそうで、毎年初夏には「サー・エドワードエルガー」というバラが咲き乱れるそうだ。モデルを頼まれた模擬挙式を終え、演奏に備えてマリアベールとレースのショートボレロを脱いだ香穂子は、動きやすくなったとご機嫌だ。香穂子らしいなと愛しさに頬を緩める俺の手を引き、窓から眺めていた庭を、あちらからこちらへと案内してくれる。
白いドレスの裾を摘み持ちながら駆け回るたびに、ふわりと裾を揺らす君は、花から花へと舞飛ぶ蝶のようだな。今は季節違いで茎だけになっているバラの前で立ち止まると、愛の挨拶が咲くんだよと、身振り手振りで花の説明をしてくれる。これくらいの大きさだと嬉しそうに瞳を輝かせ、両手で花の形を作る・・・想いを束ねたその可憐な花が愛しくて、緩めた瞳のまま君の手ごと包み込んでしまうんだ。
緑の絨毯に咲き乱れる赤く大輪のバラと、奏でる音色のような甘く優しい香りが目に浮かぶようだ。俺たちにとって大切な愛の挨拶などの名曲を生み、時を経た今なお多くの人に愛される作曲家に捧げられた花なのだろう。
煉瓦の小道には白い雲のようなパラソルがいくつも立てられ、デザートブッフェのテーブルが並んでいる。ずらりと並ぶ数え切れないほどのスイーツと、大勢のスタッフが直接取り分けてくれる様子はまさに壮観で、屋外の爽やかな空気と皿に盛られた甘いご馳走に、ゲストの笑顔も満開に花開く。俺たちも自由に動き回っていたが、真っ直ぐ向けられた瞳がふいにそらされたかと思えば、熱い眼差しがパラソルの下に注がれ・・・香穂子も瞳も更に眩しく煌めいた。
「蓮くん見てみて、デザートがいっぱいだよ。お日様の光を受けた可愛いケーキたちが、宝石みたいにキラキラして美味しそう。綺麗な景色の中で外の空気を吸いながら、みんなで食べる料理って、もっともっと美味しくなるよね。いいなぁ〜私も食べたいよ・・・あの苺のショートケーキが私を呼んでいるの。早く行ってあげなくちゃ」
「留学して久しぶりに会えたのだから、デザートよりも俺を見て欲しい・・・俺はデザートよりも甘い君が食べたい」
「えっと・・・その、ごめんね。蓮くんも素敵、でもケーキも可愛くて美味しそうなの。どっちを見たらいいか困っちゃうよ。俺よりもケーキが大事なのかって言わないでね、もちろん蓮くんが一番大好きだよ」
生クリームの上に飾られた真っ赤な苺みたく、真っ赤に頬を染めた香穂子も、白いドレスの生クリームを纏った甘い苺のようだな。ケーキの苺が呼ぶ声が聞こえるのだと言い張り、周囲を気にしてそわそわ落ち着き無く肩を揺らしながら、一つだけ良いでしょう?と。人差し指を立てつつ上目遣いにこっそりねだられれば、惚れた弱みで嫌だと言えない。甘い苺を囓った後に俺が蕩けてしまうくらい、幸せそうな笑顔を浮かべるのだと分かっているから・・・君というショートケーキを俺は食べるとしようか。
ブッフェ台にいるパテシエたちは、急遽新婦のモデル役をすることになった香穂子のウエディングドレス姿に、笑顔で祝福を告げていた。心に決めた相手でなければブライダルフェアでモデル役は引き受けない、そう言い張っていたそうだから、誰もが俺たちを見て温かな言葉と眼差しを注いでくる。まだおめでとうじゃないんです!と、真っ赤な頬を膨らます君の熱が移り、じんわり身の内から照れ臭さに焼き焦がされてしまいそうだ。
苺のケーキが呼んでいたと言っていたのに、結局はあれもこれもと、数種類のケーキを皿に盛る事になってしまったな。どれが美味しそうかと指先を顎に当てて迷いながら、きょろきょろと目を移らせている君に、気付かれないよう微笑みを向けていたのを気付いただろうか。ガーデンの隅にある空いたテーブルを見つけて寛ぐと、早く食べたいとねだる香穂子はおあずけをくらった子犬のように落ち着きがない。
ケーキの盛られた皿と一本だけのフォークを、皿を俺が持っているのにあまり納得できないようだが、もしもドレスを汚してしまっては大変んだから。頬を膨らませて拗ねる君を微笑みで宥めつつ、香穂子はいろいろなケーキたちの声が聞こえるんだな・・・。そう微笑むと周囲の微笑みを集める君は、どの果実よりも真っ赤で甘い苺に変わった。
「白いケーキだけ香穂子を呼んでいるんじゃなかったのか?」
「うん、そうだったんだけど、近くに行ったらみんなが私を呼んでいたの。ほら、囁き声は遠くには届かないでしょう? ねぇ蓮くん、最初に苺がたべたいな。ほんのちょっぴり、ケーキの生クリームをつけてね」
「良かったな、香穂子。君を呼んでいたショートケーキや、他のデザートたちもたくさん助け出すことが出来て」
うん!と元気よく頷く香穂子に、君を食べたい俺の声も聞こえて欲しいのにと、困った笑みが浮かんでしまうが今は心秘めていよう。小皿に乗せたショートケーキの苺をフォークに刺し、あ〜んと雛鳥の口を開ける香穂子の口元へ運ぶ。苺の唇が苺を食べているような気持になるのは、俺だけかも知れないな。美味しいねと満面の笑みを浮かべた香穂子が、甘い潤いを運んでくれるから、いつしか俺も同じ笑みを浮かべている事に気付く。もう一口は蓮くんのだよと・・・フォークを受け取った香穂子が、残った苺を俺の運んだその時に、聞き覚えのある声が俺たちを呼んだ。
「お〜い、レン。カホコ〜!」
「蓮くん、私たちを呼ぶ声が聞こえるよ。あっ、今フラッシュが光った」
「・・・この声は、ヴィルヘルムか」
瞳を交わして同じ方向を振り向けば、先ほどの模擬挙式で最前列に座っていたヴィルヘルムが、手を振りながらやってくる。小脇には書類の入った淡いピンク色の封筒を抱え、来日前に新しく買ったデジカメを首から提げて。ケーキやフルーツを溢れるほど盛った皿とフォークを片手持ち、見学のカップル達で賑わうガーデンの人混みを器用にすり抜けながら。二人で振り向いたときには、彼の手がしっかりデジカメを握り締めシャッターを押していた所を見ると、ひょっとして食べさせ合っていた今の姿を映したのだろうか・・・?
「レンもカホコもおめでとう! カホコ〜ウエディングドレスがとてもよく似合うね。二人が結婚するなんて、俺知らなかったよ。日本に帰国したのはコンサートやCDの打ち合わせだけじゃなかったんだな、そうかそうか。だったら内緒にしないで言ってくれれば良かったのに。俺、日本に来て良かった・・・最高の瞬間に立ち会えたんだから。デジカメを買い換えた甲斐があったよ」
「・・・・は、結婚!? いや、違うんだ。これには訳があって・・・」
「あのっヴィルさん、勘違いしないで下さいね。これは本当の結婚式じゃなくて、お芝居なんです。二人で演奏する流れでどういうわけか、私たち新郎新婦のモデル役も頼まれたんですよ・・・上司の頼みで断れなかったんです」
「お芝居と言うよりも、予行練習だろう? 二人ともすごく幸せそうだったよ。レンなんか顔が緩みっぱなしだし、見ている俺の方がくすぐったいったら。周りにいたカップル達から、羨ましそうな甘い溜息が零れていたよ。本当に想い合っているからこそ出せる優しい空気があるんだ。幸せそうな君たちに、未来の新郎新婦が自分を重ねていたんだろうね」
隅っこにいたつもりだろうけれど、君たちのファーストバイトはしっかり周りの注目を集めているよ・・・と悪戯な瞳で俺が持つケーキの皿に視線を送る。ファーストバイトの言葉の意味を尋ねる俺に、今食べさせあっていただろう?と。最初は何のことだと首を傾げた香穂子も俺も、驚きに目を見開き視線を合わせ慌てて見渡すと、近くから遠くから・・・俺たちに注がれる視線を感じる。
だがどれもが優しく温かく、見守るような心地良さに溢れていて、だからこそ余計に照れ臭さが募るんだが。一気に熱が集まる顔は、フォークの先に刺さった苺の欠片と同じくらいに、お互い赤く染まっているのだろうな。隠れてしまいたい気持を押さえ苺に託すように、香穂子は握り締めたフォークの先に残った、甘い欠片にぱくりとかじりついた。
「ヴィルさん、いつ頃こちらに来たんですか?」
「もらった名刺の地図を見ながら来たんだけどちょっとだけ迷っちゃって、ついさっき来たんだ。レンからカホコに会えた連絡と、これから二人で演奏するからって聞いてたから必死で急いだよ。模擬挙式が始まる直前に着いたんだけど、空いてた席がちょうど最前列だったって訳。間に合って良かったよ、しかし君たちが出てくるとは思わなかったなぁ」
「模擬挙式の人前式でみんなの方を向いたら、すぐ目の前にヴィルさんがいるんだもの。まさかそんな近くにいるとは思わなくて、びっくりしちゃいましたよ・・・あの時に段取りが半分飛びそうでした。でも来てくれて嬉しいです、それに蓮くんに教えてくれてありがとうございます」
「デジカメと携帯にたくさん写真を撮りすぎて大変だけど、あとで整理が楽しみだよ。バッテリーをたっぷり充電しておいて正解だったかも、君たちに関して俺の勘は本当に当たるんだよな」
俺たちの隣にある白い円形のガーデンテーブルにケーキの盛られた皿を置くと、首にかけていたデジカメを外し、撮った画像を操作しながら俺たちの傍にやってくる。掲げられたモニターに三人で顔を寄せれば、これが自分なのかと目を疑いたくなるほど緩んだ微笑みを浮かべる俺と、幸せそうな香穂子のシーンが切り取られている。もちろん誓いのキスも、最前列の特権を最大限に利用した、ベストショットだと胸を張って自慢する・・・その写真を頼むから他の誰にも見せないで欲しいんだが。
「うわ〜私たちの写真がたくさんだね。ねぇヴィルさん、これ後で焼き増ししたのをもらえますか? あ、でも大騒ぎになりそうだから、学長先生には内緒にしていて下さいね」
「残念だったな〜実はもう携帯の写真を送ったばかりだったんだ。でもきっと大丈夫、二人ともカホコの晴れ姿を喜んでくれるよ。それよりもカホコの額に、レンの赤い花が咲いてるよ」
「え、ヴィルさん本当ですか! やだ、恥ずかしい〜。もう蓮くん、だから軽くちゅっとしてねって言ったのに」
「跡は付いていないから、心配しないでくれ。ヴィル、香穂子をからかうのは止めてくれ」
おでこが熱く疼くのと瞳を潤ませながら、両手の平で額を抑える香穂子が頬を膨らませて俺を睨んでくる。額が疼くのは目には見えないけれど、俺の誓いが君に刻まれた証。心に沸き上がる嬉しさと、可愛らしさが際だつ仕草に困った微笑みを浮かべるが、宥める効果もなく拗ねて俯いてしまった。八つ当たりと分かっていても、もどかしい深い溜息の矛先は自然とヴィルヘルムに向いてしまい、腕を組みながら眉を寄せる俺がいる。だが本人は満面の笑顔でにこにこと微笑ましそうに俺たちを見つめるだけだ。
「二人の演奏が聞けるかと思って楽しみにしていたんだけど、もう終わってしまったのかい?」
「いや、これからだ。ゲスト達が寛ぐこのひとときに、香穂子と俺からヴァイオリンの二重奏を届けるんだ。デザートと俺たちの音色で甘いもてなしがしたいのだと、企画者である香穂子の上司が言っていた。祭壇の隅にいた、黒いドレスのヴァイオリニストだ。君も彼女を知っているだろうか」
「あぁ知ってるよ。顔を見たときはピンと来なかったけど、ヴァイオリンの音色を聞いたらすぐに分かった。父がコンマスをしているウイーンのオケで何度か共演をしているんだ。コンクールやプロの第一線で世界中を駆け回っていたときの音色も良かったけど、今の方が深みや強さ、温かさがあって俺は好きだな」
「ヴィルさんも、チーフを知っていたんですね。そっか、やっぱりすごいヴァイオリニストだったんだ・・・」
「さぁ次は君たちだろう? お腹だけじゃなくて、俺たちの心もいっぱいに満たしてくれよな。レンとカホコのヴァイオリンは、どんなスイーツにも負けない最高の演奏になると信じているよ。音色は収められないけれど、演奏する姿はしっかりデジカメに収めさせてもらうよ。そうだカホコ、レンを借りるよ・・・ちょっといいか?」
「・・・・・・?」
香穂子に少し待っててもらうと、離れた場所から俺を呼び、手招くヴィルヘルムに歩み寄る。真っ直ぐな瞳が真摯さを増し、香穂子や周囲を気にして声を潜めれば、俺も周囲を気にして自然と声を潜めてしまう。ここは日本だからと、香穂子といるときも日本語で話していたヴィルがドイツ語に戻るのだから、何か大切な事を伝えに来たのだと分かった。
『どうしたんだ、何あったのか?』
『なぁレン、カホコにあの事は伝えたのかい?』
『あの事・・・?』
『日本で行うレンのデビューコンサート、二日目のアンコールでカホコと一緒に二重奏をする提案をさ。プロデューサーのビンチックさんには了承が取れた、あとはカホコの返事次第じゃないか。で、カホコは何て言ってたんだい? もちろん一緒に演奏すると俺は信じているけど、返事を聞きたかったんだ』
『コンサートのアンコールの事は、まだ伝えていない。ついさっきCDを渡したばかりだし、いろいろ巻き込まれて香穂子と演奏することになってしまったから、落ち着けなくて。だがこの演奏が終わったら伝えるつもりだ。もう一度一緒のステージに立たないか・・・と』
『そうか、まだだったのか・・・すまなかったな。俺も楽しみすぎて気が焦っていたのかもしれない。久しぶりに会ったんだもんな、答えを急ぐより前に大切にしたい時間が必要だよな』
健闘を祈るよと、小さく浮かべた微笑みを真っ直ぐ受け止めると、去り際にぽんと叩かれた肩に、手の平がしっかりと力を託してくる。俺の中で生まれる新たな緊張と、高鳴る鼓動。香穂子がどう受け止めてくれるか、不安も期待もあるけれど、今はこれからの演奏だけを考え集中しなくては。
離れた場所から様子を伺う香穂子の元へ歩み寄ると、そろそろ用意があるんだろう? そう笑みを浮かべ、持っていた再びデジカメを首に提げた。演奏を楽しみにしているよと笑顔を浮かべ手を振ると、テーブルに置いたデザート皿を持ち人混みの中に消えてゆく。僅かに頭一つ抜き出た体格をと光に溶けるブロンドの髪は、どこへ行っても目立つから見失うことはないけれど。演奏が始まったらきっと、いつの間にか最前列で演奏を聞いているのだろう。
「蓮くん、ヴィルさんと何のお話しをしていたの? CDとかコンサートの話?」
「あぁ、そんなところだガーデンでの演奏が終わったら、香穂子に話したい事があるんだが、良いだろうか?」
「どうしたの急に改まって・・・何か緊張するけど、楽しみにしているね」
ふわりと浮かべる笑顔が俺の中に広がり、音を生み出すための大きな煌めきに変わる。心の弦を震わす音は、俺の心の声であり、真っ直ぐ向けられる君への想い。交わる瞳が生む温かさのままを、君と奏でる音色に重ねれば、心地良いハーモニーが生まれるだろう。愛しいこの想いを伝えたい、ヴァイオリン奏で音色を重ねたい・・・想いは高まり、募るばかり。白いドレスのスポンジだけになった生クリームのケーキを、二人で手早く分け合い、一口ずつ食べさせあえば、口の中にも心にも優しい甘さが広がった。
付いてるぞ・・・そう言って香穂子の唇へ指先を伸ばすと、恥ずかしそうにはにかみキスをねだるように唇を差し出してくれる。端についた白い生クリームを指先でぬぐい取ると、舌先で舐めようと口元へ運ぶが、背伸びをして腕を掴む香穂子が自分の胸元へと引き寄せてしまった。
何をするのだろうかと見守っていると、生クリームの付いた指先に触れる柔らかな熱い感触。
君の赤い舌先がぺろりと悪戯に舐めたのだと気づき、悪戯が成功した笑顔を上目遣いに浮かべる君へ身を屈め、お返しのキスをそっと唇に重ねよう。いまひとときは、甘い夢を見ても・・・いいだろう?
「・・・やっぱり、ヴァイオリンを持つと落ち着くな」
「私もね、いつも演奏前は緊張するんだけど、今日は慣れないモデル役でもっと緊張してたの。早くヴァイオリンが弾きたくてウズウズしていたから、やっとヴァイオリンに触れられて嬉しい。未来を新郎新婦さんはきっと期待も不安もあるだろうから、音楽で語る今の私たちが何かの力になれたらいいなって思うの。ほら、素敵な景色を見たり音楽を聴くと心がリラックスして、お互いの心が近くなるでしょう?」
「俺たちの想いも心も、音色を奏でる度にもっと深く重なる・・・それをみなに届けよう。俺たちが歩む未来を、ヴァイオリンの音色という誓いの言葉に代えて」
模擬挙式やガーデンパーティーの緊張から解放され、ヴァイオリンを抱き締める香穂子は、やっと会えたねと愛器を胸に抱き締め頬を綻ばせている。手に馴染むヴァイオリンの感触が、落ち着きと安らぎをもららしてくれるのは俺も同じだ。ガーデンの隅に用意された場所で楽器を用意し、演奏に備え調弦を済ませると、握り締め合う手の変わりにヴァイオリンという心の手で互いを繋ぎ、瞳で合図を交わし合う。
黒のドレスを身に纏ったままのチーフがマイクを片手に俺たちを紹介してくれるのが、何とも言えず気恥ずかしいが・・・。
持ち手に花の付いたシャンパングラスをヴァイオリンに持ち替えたら、さぁ今度は俺たちのステージの始まりだ。デザート台やガーデンに散っていた挙式見学のカップルたちが、ハート型の芝生の中央に進み出た俺たちを囲むように集まってくる。
輝く緑と芝生のステージで、輝く木漏れ日のスポットライトを浴びながら見つめ合い、呼吸も鼓動も重ねて。振り上げた弓が同時に空を切ると、艶やかな音色がそよ風に踊り出した。ぴったりと重なる第一音目のハーモニーを感じ、重なったねと嬉しそうに瞳を輝かせ語りかける香穂子を、真っ直ぐ受け止める俺も同じ表情をしているのだろう。楽しい、そう思う心が奏でる音色を皿に輝かせ、温かな日差しに溶けて羽ばたくんだ。
楽しいねと語りかける瞳に、俺も楽しいと返せば、鼓動が弾み心とヴァイオリンの弦を震わせる。
緩やかに・・・ときには軽快に弾むボウイングが楽しげに歌っているだろう?
俺は君しか見えなくて、君も俺だけを見て欲しい。二人で奏でよう、愛の歌を。