夜に生まれ夜に託して・前編
シャワーを借りて冷えた身体を温めた後、ゲストルームから自分用の枕を持って月森の部屋に戻ってみれば、彼は先にベットに入っていて。眼鏡をかけて本を片手に、上半身を起こした姿勢で寛いでいた。

部屋の照明は落とされ、ナイトテーブルのオレンジ色の明りだけが、闇に照らす月のようにほのかで温かい光を放っている。暗闇で見る彼に甘さと艶っぽさを一層強く感じるのは、照らすオレンジ色の光の錯覚なのか。それとも暗闇が奥に眠る姿を引き出すからなのだろうか・・・。

恥ずかしさと、期待と・・・・心を掴まれ、引き付けられずにはいられない想いと。
視線も心も逸らせずに思わず立ち竦んでしまい、胸の鼓動は張り裂けそうに高鳴るばかり。
ゲストルームから持ってきた枕に顔を埋めるようにして、ぎゅっと抱きしめた。


どうして、こんなにドキドキしているんだろう。
さっきから心臓の音が、口から聞こえてくるみたい。
彼と身体を重ねるのは初めてではないけれど、久しぶりだし、それに・・・。
夜を一緒に・・・帰る時間を気にせず朝まで過ごすのは、初めでだからなのかな?
互いの熱情に浮かされ、流れるままに身を沈めるのとは、行き着く先は同じでも全く違うように思えるから。

なのに心の中でジタバタしっぱなしの私とは反対に、静かに寛ぐあなたは余裕さを醸し出していていて。ずるいやら、くすぐったいやら・・・。
抱きしめた枕の向こうで、見えないようにぷうっと小さく膨れた。



月森は読みかけの本を膝の上に乗せて顔を上げると、先程から部屋の入り口に立ったままの香穂子に、クスリと小さく笑いかけた。

「そんな所で立っていて、寒くないか?」
「さ・・・寒い・・・かな?」

本当は身体中が熱くて、顔から火を噴きそうなんだけれども。

抱えた枕を少しずらして顔を覗かせれば、夜目にも分かる、眼鏡の奥で柔らかく微笑んだ瞳。
本を閉じると、上半身だけを器用に捻りつつベッドサイドのテーブルに置き、眼鏡をはずしてその上に重ねた。身体を戻しながらベットの布団を少しだけ捲って、入りやすいようにと優しく誘う。

「こちらへ・・・こないか・・・」
「う、うん・・・・・・・」

躊躇いがちに掛けられる声が、ほんの少し掠れていた。
押さえきれずに漏れる情熱の糸に絡め取られ、引き寄せられるように、枕を抱きしめたままゆっくりベッドへと歩み寄る。

目の前まで来たところで、寄りかかっていた身体を起こして枕を端に寄せてくれた。隣に作ってくれた場所へ持ってきた枕を置けば、ポスンと小さな音がして、ベットの上に枕が二つ並んだ。
二つ仲良く並んだ枕に微笑ましさを感じつつも、あからさまに恥ずかしさが高まり、収まりかけた熱が再び火を噴きだした。ちらりと蓮くんをみれば、同じように並んだ枕に視線を注がれていて。

「えっと・・・あの・・・」
「いや・・・・すまない。何でも無いんだ」

慌てたように顔を赤らめ口元を手で覆いながら、絡んだ視線をフイと外した。そんな私も照れて染まった頬を正視出来なくて、火を噴きそうな熱さのまま俯いてしまう。



時間にして見れはほんの一瞬だけど、長いような沈黙が、甘さの漂う空間を支配する。
しかし沈黙を破ってたのは月森だった。


「香穂子、ずっと外にいては風邪を引いてしまうぞ」
「お・・・お邪魔します・・・」


優しい呼びかけが、心を後押ししてくれた。
そうだよね・・・いつまでも突っ立ったままじゃいられないよね。

そっと潜り込むと、捲られた布団が覆うようにかぶせられて、そのまま抱き寄せられた。
ベットのスプリングが微かな揺れを伴って軋んだ音を立てる。視界が回り、あっという間に腕の中に閉じ込められてしまった。

ふわりと被さった布団よりも、腕の中に包まれて感じる体温の方が温かくて、ずっと浸っていたいくらいに気持ちが良い。久しぶりにに触れ合う体温は、やはりここが私の居場所なのだと、安心させてくれる。ドキドキ緊張してきた心も、次第に溶けて落ち着いてきた。


まるでベットの中は二人だけの小さな世界。
一つの布団に一緒に包まる距離は額を寄せ合い、吐息が触れ合うほど近く。届く声は耳朶に、心に直接響き渡る。身体だけでなく、互いの心や想いも何もかも、温もりと共に沿わす事ができるの。


「へへっ・・・蓮くん、あったかい」
「ほら、すっかり冷たくなってしまったじゃないか」
「だ・・・だって・・・・」

照れくささを隠すように胸に耳を寄せれば、パジャマ越しでも胸の鼓動が聞こえてくる。耳を打つ心地良い音と、ほんのり伝わる温かさ。余裕そうに見えたのに、聞こえてくる鼓動は私のと同じくらいに早かった。

私だけじゃなかったんんだ・・・そう思ったら何だが嬉しくて。
小さく笑った振動が触れ合った体から伝わったらしく、くすぐったそうに目を細めた。

「どうした?」
「蓮くんもドキドキしてる。私だけなのかなって思ってたから、ちょっと安心しちゃった」
「君と一緒にいる時には、いつもこうだよ。胸の高鳴りを、止めることが出来ないんだ」


甘えるように擦り寄ると、額に柔らかくて温かい唇が触れた。  
優しいキスは瞼に・・・鼻先に・・・頬に・・・そして唇にと降りてくる。

「ねぇ、蓮くん」
「ん・・・・・・・?」
「今は、楽しい?」
「今?」

くすぐったさに身をよじりながら訪ねると、突然の質問に、顔を離して真上から見下ろす顔がきょとんとしていた。


や・・・やだ私ったら!


自分の言葉の足りなさに気がついて、慌てて言葉を付け足す。
今っていうのは、この状況ではなくて・・・・!

「えっと・・・生活とか、ヴァイオリンとかの話!」
「・・・あぁ。・・・言葉もこの国の風習にも慣れたし、友人も出来た。随分回り道をしてしまったが、俺がやりたい音楽をようやく見つけられた」
「良かった・・・安心した。私も負けていられないな。蓮くんが先へ行っても、私がすぐ追いついていくからね」


語られる言葉の調子に合わせてゆっくりと髪を撫で下ろす、手の平が作り出す心地よさに身を委ねながら、真摯に見つめる琥珀色の瞳を受け止める。私の心に静かに染み渡る、込められた想いは限りなく熱い。

言葉にすれば簡単で短いけれども、裏に潜んでいる重さは計り知れない。海を越えて文化も言葉も風習も違う国。しかも世界中からプロを目指す実力者が集まる中で味わっただろう辛さや苦労は、大変だったんだねの一言で片付けられないのだと、痛いくらいに分かるから。


想いに触発されたんだろか?
言わずにいようと思ったけど、隠し事はしたくないから、この際話しておこうと思った。
結局は未遂に終わったから黙っていても言いことなんだけど、気持ちが許さなくて。
というより吐き出したかった・・・聞いてもらいたかったのかも知れない。
ずっと心にポッカリ空いたままになっていた答えの穴を、彼に埋めてもらうように・・・。


「本当はね、一度だけこっそり会いに来ようとしたんだよ。寂しさに耐えられなくて、どうしても会いたくて・・・・・・」
「本当なのか!? 何時ごろの話だ?」
「う〜ん、ちょうど去年の今頃かな。でも、止めたの成田空港まで来たけどね。ずっと蓮くんから会いたいって言ってこないのは、きっと何か訳があると思ったから」
「すまない・・・俺の我侭のせいで、君にも寂しい想いをさせてしまった」
「いいんだよ、お互い様。それに大切なのは今と・・・これからでしょう?」


髪を撫で下ろす彼の手に自分の手をそっと重ねて、胸の上に引き寄せる。
ヴァイオリンを奏で、私をも包む大好きな手を、愛しみ慈しむように両手で包み込んだ。

「確かに寂しかったけど、蓮くんが辛くて苦しいときに、傍にいて力になれなかったのが、一番悔しい。でも、それは一人で乗り越えなきゃいけないものだったんだよね。だから私に言わなかったんでしょう?」


何も言わず私の言葉を、ただじっと聞いている。
眉根を寄せる表情が、耐えるように少しだけ苦しそうに見えた。

蓮くんはいつも辛いことや苦しいことを、たった一人で心の中に抱え込む。
そうさせるのは彼が持つプライドの高さ、あるいは私を心配させないようにとの優しさ・・・。
今も昔も、ちっとも変わらない。
青く冴え渡る月も光のような孤高さが誇りでもあり、向けられる背中が時には寂しくもあった。

ずっと思ってた。もっと私を頼って欲しいと・・・。
でも、私が一体何をしてあげられるんだろう。
私はこんなにも、あなたを頼りっぱなしなのに。蓮くんがいないと駄目なんだって。


「今はね、あの時こっそり行かないで良かったと思う。お互いが会いたいって思わなければ、心のどこかで後悔した筈だし。苦しみながらも頑張っている蓮くんの邪魔して、重荷になったりしたかも知れない」
「邪魔とか重荷とか、そんなのある訳ないだろう!」


珍しく声を荒げてた月森が、包んでいた香穂子の手を振り払って彼女の肩を強く掴んだ。
驚いて目を見張る大きな瞳を真っ直ぐ射抜いたものの、ハッと我に返って力を抜いた。

「・・・・・すまない」
「うぅん、私こそごめんね・・・。こんな時にケンカは良くないよね」
「そうだな・・・」

互いに見合わせて、バツが悪そうにクスリと笑った。
ベットの中で腕に抱かれたままケンカするなんて、滅多にあるものじゃないけれど。
後味悪いし悲しすぎるから、今後は気をつけなくちゃ。やっぱり大切な人の腕の中では、幸せな気分でいたいじゃない。


じゃぁ仲直りね、そう言って彼の額に自分の額をコツンと合わせた。
触れ合った前髪の感触を楽しんだ後で頭を離そうとすると、腰に回された腕に力が込められ、額を合わせたまま、強く胸に押し付けられるように抱き寄せられた。

「香穂子のお陰だよ」
「私の?」
「音楽を楽しむこと・・・。君に教えてもらった筈なのに、いつの間にか忘れてしまっていた。それを再び君が教えてくれた・・・。いつも俺の傍にあった君の想いと音楽が、俺を暗闇から救ってくれたんだ」

言葉と共に吹きかかる熱い吐息が、甘い痺れとなって全身を駆け巡る。額を合わせて間近で見つめられているのに、逸らすことも瞳を閉じることも出来ない。吸い寄せられるように、琥珀の瞳に映る自分の姿を見ていた。

「今は楽しい・・・いや、幸せだ。何よりも、香穂子がここにいてくれる・・・手を伸ばせは触れられるこの距離に。君に会えないのが、何よりも辛かった・・・。」
「ありがとう。蓮くんの言葉や気持ちが、凄く嬉しい。ずっと、聞きたかった・・・・」
「香穂子・・・・」

シュルッとシーツが衣擦れの音を立てる。
片腕を支えに半身起き上がった月森が、香穂子の上に覆い被さった。顔の両脇に肘をつき、包むように真上から、奥底に炎の灯った瞳で熱く見下ろす。


ベッドのスプリングが軋み、微かに揺れる振動がそのまま私の心へと伝わり、熱く振るわせる。
炎の灯る瞳を・・・熱さを・・・目の裏に焼き付けたくて、じっと逸らさず見つめ返した。



そっと瞳を閉じると熱孕んだ唇が重なった。
これから先を告げる、始まりの合図。

初めは触れるだけ。
再び触れた唇はすぐには離れず、ついばみながら角度を変え、何度もキスが交わされた。時間をかけて柔らかい感触を味わうと、閉じた入り口をなぞりながら舌を誘い出す。薄っすらと唇を開けば、隙間から入り込んだ舌が歯列をかすめ、吐息ごと深く絡め取られる。気が遠くなりそうな意識の中で、背に回した腕に力を込めて強く縋り付き、夢中になって口付けに答えていった。

深まる口付けの合間にも、彷徨う彼の手がパジャマのボタンを一ずつ器用に外していく。

私達に覆い被さっていたベットの布団は、いつしか邪魔だとばかりに勢い良く捲り除けられ。
同じく素肌を晒した彼が再び覆い被さり、私の上で忙しなく身動きをする。


熱い流れに身を任せながら互いに貪る様に求め合い、数年分の空白を埋めていく。
どんなに求めても満たされることなく、止むことの無い行為。



部屋を満たすのは、散らした汗と、熱く甘い吐息と、荒い息遣い・・・。