memorrys

何度となく訪れた月森の部屋。
情事のあと特有の甘く気だるげな空気が、室内を満たしていた。


闇色のヴエールに追い立てられるように灯る赤紫色の残照が、窓から差し込んでほのかに色を付けている。
一糸纏わぬ姿のまま絡み合うように寄り添い合う二つの躰が、薄闇の室内で白く浮かび上がっていた。


余韻に包まれながら微睡む、幸せなひととき。
上質の絹のように滑らかな肌の感触と人肌の温もりは、なぜこんなにも心穏やかにさせてくれるのだろう。


卒業してからここ最近は互いに忙しく、ともに会う時間が少なくなっていたから、暫くぶりの逢瀬に余計に心が浮き立ってしまう。


「香穂子・・・」


囁きと共に抱かれていた腰を強く引き寄せられ、更に月森の腕の中へと閉じ込められた。
答えるように背を抱き返し、引き締まった広い胸へ甘えるようにすり寄る。
まだほんのりと汗ばんでいる躰を肌で感じると、つい先程まで見せていた、彼の情熱的な姿を思い出してしまう。


何だか急に恥ずかしくなって、照れ隠しに胸に顔を埋めた。
伝わる胸の鼓動、汗の香り、暖かさ。
私を丸ごと包み込んでくれるあなたの腕の中が、世界で一番大好きで安心する場所なの。



「蓮くん・・・どうしたの?」
「合格が決まった。今朝、向こうの大学から通知が届いたんだ」
「・・・・・・そう・・・おめでとう」


一瞬飛び跳ねた鼓動と身体を、きっとあなたは感じ取ってしまっただろうか。
予想もしていなかった突然の知らせに、高まっていた熱は一気に冷めっていった。
忘れていた訳では無かったが、どこか今までどこか信じられなかった別離。
これで確実なものになってしまったのだ。


おめでとう・・・その言葉は、紛れもない真実。
彼に知られていけないのは、言葉の裏にある本当の想い。
自分が不安になったとしても、不安な気持ちを伝えたくはないから。
きっと困らせてしまう・・・決心が鈍ってしまう。
重荷になりたくないからこそ、笑顔でいなければ。


自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、息苦しいくらいに心が締め付けられてゆく。
笑顔でいたいのに、顔が上げられない。あなたの顔を見る事が出来ない。



しばしの沈黙の後、シーツの擦れる音と共に、月森が勢いよく香穂子の上に覆い被さってきた。
腕を掴み、身体を押さえつけるようにのし掛かってくる月森を、香穂子は驚いて見上げた。
触れる程の近さで、真っ直ぐに見下ろしてくる瞳の奥に宿るのは、ほの暗い炎と射るような強さ。


「・・・・・本当にそう思っているのか?」
「どうして・・・当たり前じゃない・・・。蓮くんは嬉しくないの?」


揺らいだ瞳と低く囁く声から、彼の苛立ちを感じ取った。
なぜ? と思考を巡らす間もなく月森が、香穂子の首筋にわざと音を立てるように、強く吸い上げて赤い花を次々に咲かせていった。
痛い程に感じる刻印から逃れようと身をよじるが、四肢を押さえつけられて身動きすらままならない。
首筋から胸元へ鮮やかな赤い花が開き広がってていく。


「やっ・・・っつ、蓮くん!」


香穂子の悲痛な声に反応した月森は、先ほどまでの強引さがプツリと切れたのか、脱力したように体重を預けてきた。首筋に顔を埋めたまま、力無く溜息を吐く。


「・・・すまない」
「蓮くん・・・?」


月森の背に、そっと腕をまわした。


「合格は嬉しいさ。夢見てきたプロのヴァイオリニストへの第一歩だから。でも本当は、きみに会えなくなるという現実を改めて突きつけられて、ずっと動揺していた。覚悟はしていたはずなのに、情けないな」


耳元に直接語りかけてくる月森の低く静かな声に、香穂子は黙って耳を傾けていた。


「先程の祝いの言葉は、香穂子の心からのものだと思っているよ。ありがとう。ただ、きみの本心が知りたかったんだ」



何を言っているの?
私の本心?



月森は自分の身体を一緒に香穂子を抱き起こすと、向かい合うように座らせた。
体勢が変わった事に動揺しているらしい香穂子を落ち着かせるようにと、赤くしなやかな髪をゆっくりと撫でてゆく。


「香穂子はいつも、どんな時でも俺の前では笑顔でいてくれる。それは香穂子の素敵なところだから、俺も大好きだよ。気付いているか?最近では、笑顔でいられる話ではない筈の留学の話の時だって・・・。無理に微笑むたびに心が曇ってゆくのが、見ていて辛い。俺の為を想ってくれているのは十分承知だ。だから、余計に心配なんだ。このままでは、きみがいつか壊れてしまいそうで・・・・・・」


壊れないように・・・消えてしまわないようにと、柔らかな身体が今ここにあるのを確かめるように抱きしめた。


「俺の頼みを聞いてくれ・・・心に、溜め込まないで欲しいんだ。むしの良い事を言っているのは分かっている。言ってもらった所で、願いを聞き届けてあげられない事も・・・・・・」



驚きに目を見開いた。
信じられない気持ちでいっぱいだった。どうして彼に分かってしまったんだろう。


いいの? 本当に言ってもいいの?


「蓮くん・・・」
「ん・・・?」
「一度だけ・・・一度だけだから、我が儘言ってもいい?」
「あぁ・・・」
「蓮くん、きっと困っちゃうよ・・・」
「構わない、聞かせてくれ」


月森は優しく見守るように、じっと香穂子の一言一言を待っている。
流れてくる暖かさがゆっくり溶かした心の氷は、香穂子の瞳から大粒の涙となって溢れだした。


「・・・・・・行かないで・・・行か・・・ないでっつ・・・。蓮くんの側に・・・いたいよ!」
「俺もだ、ずっと香穂子の側にいたい。その言葉が、聞きたかったんだ」


溢れ出そうな嗚咽は、塞がれた唇に飲み込まれていった。
離れたくないと、引かれ合うように互いを強く抱きしめて、咬むように深く想いを伝えていく。
流す涙の数だけ、ずっと押さえつけていた心が、少しずつ軽くなっていくのを感じながら・・・・。







聞こえてくるのは熱い息づかいと、甘く泣き叫ぶようなあえぎ声だけ。



瞳から止めどなく流れる涙は、あなたから与えられる熱と快楽によるものか。
それとも、迫り来る悲しみによるものなのか。



あぁ・・・そうだったのか。


そういえば今までも、何か重大な事を聞かされるのは、いつもあなたの腕の中だった・・・・・・。
過剰なショックを与えないようにと、不器用なあなたなりの優しさだったんだね。
うぅん、蓮くんだけじゃない。きっと私も不器用だったんだよ。


「たとえ身体は離れても、心はずっと香穂子の側にある」


普段は決して見ることが出来ない、熱に浮かされた最中にあなたがくれた言葉。
汗で張り付いた前髪をそっと除けると、苦しそうに切なげにひそめられた瞳とぶつかった。
溶けてしまいそうな程に熱く繋がれた身体から、言葉以上の想いが確かに伝わってきて、また涙が溢れてしまう。


私もだよ・・・・。
海を隔てたとしても、私の想いもあなたと共にあるから。
言葉にしたかったけど、口から溢れ出てくるのは、あなたを求める吐息のみ。


離れたくない・・・あなたが欲しい。
一度堰を切った想いは止まることが出来なくて溢れるばかり。


身体で伝えたいのに、どんなに強く縋り付いても足りなくて、脚までも絡め合う。
繋がって解け合うほどに、あなたがもっと欲しくなる。
そんな私の心に気付いているのか、抱きしめ返してくる腕に籠もる力は果てしなく強い。
身体だけでなく、私の心にまで印を付けようとするように・・・・・・。


いつも側にいるのがどこか当たり前だと思っていたから、今まで気付かなかった。
だから無くなると分かった瞬間に、思い知らされた。
こうして側にいられる事が、どれだけ大切なことなのか。
そして自分の中にも、触れ合う度に離れ難くなってゆく、貪欲にあなたを求める気持ちがあったと言うことを・・・。


「香穂子・・・・・」


律動が急に早まり振り、激流に流されないようにと、汗で滑る背に必死に縋り付いた。


「・・・蓮・・・くん・・・・・・」


離れたくない、一緒にいたい。
だからせめて今だけは、この手を離さないでいよう・・・。







※15禁程度の性表現が若干ですが含まれます。
15歳未満の方および、微量でも不快感や嫌悪感
を示される方は速やかにお戻り下さい。
飛ばして頂いても、ストーリーに影響はありません。

深月の書くものなので大したものでもありませんが、
それでも良いという方はスクロールして下さい。