待ち合わせ
かつて世界へ羽ばたく希望と、別離という切なさを乗せて大空へと飛び立った飛行機は、あなたへと向かう想いと私を乗せて彼の地へ飛び立った。
まずフランクフルトのマイン国際空港まで11時間。日本からの直行便は1日3本。
見送った時には少しでも長く一緒にいたくて、彼が発ったのは最終便だったけれど、今回取ってくれたチケットは一番早い便だった。早く会いたい気持ちと想いががここからも伝わってきて、チケットを眺めたり抱きしめては、嬉しさのあまり頬が緩んでしまう。
入国審査を終えて、そこから国内線に乗り換えて、ベルリンのテーゲル空港までは約1時間。
ベルリン行きは1時間に3便と本数が多いから、乗り継ぎの待ち時間が少なくて済んだ。
フランクフルトでは大きなロビーと人の多さ、溢れる外国語に圧倒されて、蓮くんの言う通り、やっぱり迎えに来てもらえば良かったかも・・・・とちょっとだけ不安になってしまったけれども。
だめだめ、ここで弱気になってどうするの。
強いこと言っちゃったし、ちゃんと一人で行き方覚えないと、突然行って驚かすこともできないじゃない。
でもそんなことしたら、蓮くん心配のあまり、逆に怒り出しちゃうかもしれないな。
悪戯は程ほどにしないとね、と思わず笑みがこぼれた。それに一人でこっそり会いに行くんだったら、たぶんこんなにもウキウキした気分にならなかっただろうと思う。
待ち合わせは、お互いの“会いたい”の気持ち。
ちょっと遠いけれど、待ち合わせ場所はベルリンのテーゲル空港。
デートの前のように、そわそわしたり落ち着かなかったり。大変なときでも嫌なことがあっても、後ちょっと我慢すれば会えると思うと力が沸いてきて、頑張ってどうにか乗り切ることができた。
すごく久しぶり。
もうすぐ会える・・・・。
ドイツへ旅立つ彼を見送ったのと同じ出発ゲートをくぐる直前に、吹き抜けの大きなロビーをぐるっと見渡した。旅行に行くのか楽しげに騒ぐグループ、日本での滞在を終えて帰国する外国人の姿。楽しさと期待に胸膨らます人もいれば、その一方で別れを惜しむ人もいる。恋人との別れを惜しむカップルに数年前の自分達の姿を見ているようで、つい昨日のようにあの時の感覚が脳裏と身体に蘇ってきた。
ざわめくロビーには人の数だけドラマがある。
自分もその中の一人なのだろう。
あれから3年か・・・。
月日が過ぎるのは驚くほど早い。
愛しさ、懐かしさ、切なさ・・・・。
今まで抱えてきた様々な感情が溢れ出して、何だか気持ちが上手く言葉にならない。
でも私だけじゃない。蓮くんだってずっと悩んで苦しいときを乗り越えて着たんだから。
午前中に日本を出発して、フランクフルトに到着したのが現地の昼遅い時間。乗り継いでやっとベルリンまで辿り着いた頃には、夕方になっていた。
飛行機を降り立った瞬間に身を包んだ、ひんやりと冷たい空気。空気の色やにおい、時間の流れまで、身にまとう感覚の何もかもが違う。辺りはすっかり暗闇に覆われ、飛行機や建物の明かりが広い滑走路に浮かび上がり、幻想的な光景を見せていた。
入国審査は乗り継ぎのフランクフルトで済ませてあるから、ベルリンでは最終目的地までそのまま運んでくれた荷物を受け取るだけと実にスムーズだ。ヴァイオリンケースを肩にかけて手荷物の小さい鞄をしっかり握りなおし、反対側に受け取ったスーツケースを持つ。
準備を整えると心を落ち着かせる為に、大きく深呼吸をした。
ゲートの向こうに見えるロビーには多くの人が出迎えの為に集っているのが見える。
あの中に蓮くんもいるんだ。
どこにいるだろう・・・すぐ見つかるかな・・・見つけてくれるかな・・・。
近づくにつれて、ざわめく周囲の声がどこか遠くに聞こえ、人ごみを抜ける足も自然と速まっていく。抑えきれない気持ちが溢れすぎて、早鐘を打つ胸の鼓動がもたらす息苦しさを堪えながら。
いた! 蓮くんだ!
到着ゲートを出たすぐ正面に、彼がいた。
ぜんぜん変わってない・・・いや、少し大人っぽくなって更にかっこよくなったかな。
すぐに分かったよ・・・多くの人の中で、彼の姿だけがひときわ違う色を放って輝いて、浮かび上がって見えたから。視線の力に吸い寄せられるようにその姿を捕らえたら、もう彼しか見えなかった。
「香穂子!」
「蓮くん!」
到着ゲートから出てきた私にすぐ気がついた彼が、私の名前を呼んで駆け寄ってくる。私も駆け寄りたかったけど、大きくて多い荷物がそうさせてくれなかった。もどかしさを歯がゆく感じているうちに、すぐ目の間には蓮くんの姿が・・・。
「・・・・っ!!」
久しぶりの感慨に浸るまもなく、背中が折れそうな程強く抱きしめられたと思ったら、唇をふさがれた。
温かくて柔らかい・・・大好きな彼の唇で。
触れるだけような優しいキスではなかった。
奪うようにむさぼり、噛むように深く絡み合うキス・・・。
きっと余裕なんて、お互い無かったんだと思う。
今まで心に抱えてきた言葉や想いを伝え受け止めながら、気が遠くなるほど長い時間、唇と舌で交わす感触に浸り合った。
両手が塞がっているから、背を抱き返すこともできない。けれども不自由な姿勢のままで必死答え、そして求め続ける。みんな見てるのに、なんて気落ちはどこにもなかった。
「蓮くん、すっごい熱烈歓迎・・・」
「言いたい事とか、いろいろ考えていたんだが、気持ちと身体が先に動いてしまった」
力は少し緩めてくれたものの、もちろん私をまだ腕に抱いたままで。身体を包み、心まで満たされる温かさに身を委ねながら彼を見上げると、照れてはにかみながら、困ったように小さく笑った。
奥に秘めた情熱とか、さらっと大胆なこと言うところは相変わらずで、いつでも、私を真っ赤になるくらい動揺させてくれる。そして誰よりも優しくて温かい。
何年たっても、やっぱり蓮くんは蓮くんなんだって思った。
「会いたかったよ、香穂子。道中、無事で良かった」
「私も、会いたかったよ・・・・」
そう言った途端、涙が堰を切ったように溢れ出した。
泣いたら駄目だよ、そう思うのに涙が止まらない・・・緊張が一気に解けて安心して・・・嬉しくて・・・。
せっかくきれいにメイクしたのに・・・。
笑顔で会いたかったのに・・・。
泣き顔を見られたくなくて、コートの上から広い胸にぎゅっと顔を埋めて押し付けた。
コート越でも鼓動や体温が伝わってくるみたいで、ずっとそうしていると少しずつ安心してくる。
何も言わずあやすように、しばらくの間ずっと優しく髪を撫でていた蓮くんが、耳元へ語りかけて来た。
「顔を上げてくれ・・・久しぶりに会えたんだ。もっと良く、君の顔を見せてくれないか?」
「・・・・・・・・」
「香穂子?」
「だって・・・泣かないって決めてたのに・・・今すっごく可愛くない顔してるもん」
「そんなことはない。笑顔だけでなく涙さえも、君の全てが、俺は愛しいと思う」
埋めた胸から顔を離して見上げると、優しく微笑んだ彼の、甘く揺らめく瞳が私を見つめていた。
彼の琥珀色の瞳が、私を映している。
私の瞳も、きっと彼の姿を映しているのだろう。
「すまない。俺は、いつも君を泣かせてばかりだな・・・」
「違うよ、これは嬉しいからなの。蓮くんが謝ることじゃないんだから」
月森の指先が香穂子の目尻にそっと触れ、光る雫を拭い去る。
指先は涙の跡を辿るように、輪郭を確かめるように瞳・・・頬・・・唇・・・と、ゆっくりとなぞっていく。唇をなぞった指先はもう一度頬を辿り、手のひらで優しく包み込む。
「綺麗になったな・・・香穂子。すっかり見違えた」
「蓮くんも大人っぽくなった感じだね。更に格好良くなって、ドキドキしちゃう」
どちらともなくクスリと微笑み合うと、頬を包んだ手があごを捕らえて上向かせた。覆い被さるように顔が近づき、再び瞳を閉じると背中の手に力が込もり、彼の柔らかい唇が降りてきた。
今度は、触れるだけの優しくて温かなキス。
最初のキスで伝え切れなかった、想いを込めて・・・・・・・・。
「じゃぁ、そろそろ行こうか。疲れただろう? 大きな荷物は俺が持つから」
「い、いいよ。自分で持つ」
「この街を甘く見ない方がいい。君はそのハンドバックと・・・・俺の手だけを、しっかり握っていてくれ」
「・・・・・・分かった」
静止をする間も無く、蓮くんは私の手から大きなスーツケースとヴァイオリンを取り、ヴァイオリンケースを肩にかけた。街のことを言い出されたら、実際に暮らしている蓮くんに対して反論の仕様が無いじゃない。
はぐれない様にって意味かと思って一瞬ムッとしたけど、ちょとだけ照れくさそうに手を差し出す蓮くんが、それだけではないのだと、隠れた想いを伝えてくれた。
一緒に寄り添えられる口実だって、ちゃんと分かったよ。
ハンドバックを小脇にしっかり抱えると差し出された手ではなく、飛びつくように彼の腕に自分のそれを絡めて強くしがみ付いた。
「クリスマスと年末年始、これから暫くの間よろしくね。年明けてからも少しはドイツに・・・蓮くんの元にいられるから」
「こちらこそ、ようこそドイツへ。それよりも君を、日本へ返せなくなってしまうかもしれないな」
あなたが私の前にいてくれるから、名前を呼ぶことができる。
私の声が届いて返してくれて、大好きな琥珀の瞳に私の姿を映してくれる。
当たり前のようだけど、それってとても素敵で素晴らしい。
もしもこの先、二人でいることが当たり前に思う時があったら、今日感じた幸せな気持ちを思い出そうね。
期待に胸膨らます日々は、今始まったばかり。