光りと影の狭間で・1

緑豊かな広い庭を持つ一軒の邸宅レストラン、ここが私のアルバイト先。

ヨーロッパの貴族が週末を過ごす邸宅をイメージしていて、石造りの門や建物の外観は、土色の風合いが温かく落ち着いた佇まいを見せている。街中にありながらも静かでゆったりとした時間が流れていて、海の向こうにいる彼の住む土地を思い起こさせてくれるこの場所は、私の憧れでお気に入りの一つだった。

平日はランチやディナーの営業をしているけれど、一番のメインは週末を中心に一日二組限定で、ガーデンと邸宅を貸切って行われるウエディングパーティー。私はここで挙式やウエディングパーティーの時に、ヴァイオリンを弾かせてもらっているの。オープンして一年足らずだけど、ゲストを家に招いたようなアットホームなもてなしと美味しい料理が人気を集めているみたい。そいうえば最近は季節も関係なく、平日でもパーティーが増えているような気がする。


アンティーク家具が醸し出す居心地の良い雰囲気と、一面ガラス張りのコンサヴァトリーから差し込む光りに包まれて。生の演奏を聞きながら緑溢れる庭で気軽に語らい、ガーデンでのデザートブッフェを楽しむ。
型に嵌らず誰もがリラックスできるこんなパーティーなら、主役の新郎新婦もゲストも楽しいだろうな・・・心にに残るだろうなって。ほんの少し羨ましさを感じながらも、祝福に包まれ幸せそうに微笑む二人にそう思えた。

心から溢れるほどの温かさは私を支え励ましてくれるから・・・ありがとうの気持と祝福を、ヴァイオリンの音色に乗せて精一杯伝えよう。そして海の向こうにいる蓮くんにも届きますように・・・。



午前中のパーティーを終えて足早に控え室に戻るとヴァイオリンを机に置き、鏡前の椅子にかけてあった上着を手に取りドレスの上に羽織った。再び部屋を飛び出し、通り過ぎようとしていた隣の部屋の前で慌てて立ち止まり、コンコンと数度ノックをしてひょっこり中へ顔を覗せかる。
部屋の奥の机にいる若いスーツ姿の女性は電話中のようで、会話が終るのをそのまま待って声をかけた。

進行スケジュールが変わったり、控え室で寛ぐ親族の為に突然演奏を依頼される事もあるの。
声をかけたのは、いつ呼ばれてもいいようにと居場所を知らせる報告だった。


「チーフ、すみません。ちょっと電話してきま〜す」
「日野さん、お疲れ様。おっ、また電話か〜そう言えば宴席の前にもかけなかったっけ? 熱いね〜若者は。彼氏と長電話するなら椅子でも持ってたらどう?」
「もう・・・からかわないで下さいっ!」


ヴァイオリニストの彼氏によろしくとそう言って、デスクに頬杖を付いて浮かべたにやりと悪戯っぽい笑みに、頬から火を吹いたような熱さを感じた。ドアの端を強く握り締めて、隙間からむっと膨れる私に楽しげな笑い声を漏らしながら、ごめんごめんと謝る彼女はパーティーの運営やスタッフのスケジュールを管理する責任者だ。仕事の出来るキャリアウーマンな雰囲気と存在感を漂わせているけれど、私よりも少し年上でまだ若い。スタッフの中では年が近かったり気の合う事もあって、何かと相談相手になってもらっている。仕事は怖いけど、オフではとっても気さくで楽しいお姉さんだ。


「からかうだなんて人聞き悪いな〜応援してるんだぞ、私も。日野さんの為と、このお店の為に」
「どうして私と蓮く・・・いえ、彼との事がお店が関係あるんですか?」
「あなたが楽しくて幸せそうだと、ヴァイオリンも同じように歌っているから分かるのよ。そういえば知ってた? 日野さんは、うちの店の看板娘なのよ」
「看板娘って・・・私が? え、え〜っ、どうしてですか!!」
「このレストランでパーティーをしたカップルや、参列されたゲストの口コミで広まったみたいね。生演奏もプランの中で売り物の一つだけど日野さんにぜひって、密かにご指名が来てるんだから。それに私もオーナーも、あなたのヴァイオリンのファンなの」


驚きのあまりに隙間から覗いていたドアを思いっきり開け放ち、数歩駆け込んでそのまま立ち止まってしまった。他にもヴァイオリニストは数名いる筈なのに、妙に最近お呼びがたくさんかかるのはそう言う訳だったのかと、改めて気が付いた事実に呆然としてしまう。

私はただ楽しく弾いているだけなのに・・・側にいる大切な人たちの為に奏でたいって。
どうか幸せになって欲しいと祝福を込め、私もいつかそっちへ行くからと願いながら。

でもみんなに私の演奏が好きだと言ってもらえるだけでなく、認めてもらえるのは嬉しいかも。


「オーナーが、ブライダルだけじゃなくて、ランチでも演奏を頼もうかって言ってたよ。ギャラが倍増だね」
「いや・・・でも私、昼間は大学やレッスンがあるし・・・」
「そうだよね〜夏休みも長期で休み取ってるじゃない。ブライダルのシーズンオフなのが救いだよ。こっちの事は気にしないで、向こうで楽しんでおいでね。あっ、お土産忘れないように!」


行ってらっしゃいと笑顔でひらひらと手を振るチーフへ、失礼しますと頭を下げてくるりと背を向ける。部屋を出ようとした時に日野さんと再び背中へ声をかけられ、肩越しに振り返った。


「何でしょうか、チーフ」
「彼氏と喧嘩でもしたの? 」
「え・・・ど、どうしたんですか突然に」
「ならいいんだけど、最近元気がないぞ。寂しいのとは、ちょっと違う感じがしたから」
「ち、違います。そんな事、ありません・・・・・あ、じゃぁ電話に行って来ます。午後の挙式前までには、控え室に戻りますから!」


胸にちくりと刺さるものを感じて、苦しさに息を詰まらせた。一瞬顔色を変えた事を気付かれないように慌てて笑顔を作ったけれど、引きつっているのが自分でも分かる。これ以上は追求されたくなくて・・・動揺を悟られたくなくて、顔を背けたまま後ろ手でドアを閉めると早鐘を打つ鼓動のまま一気に廊下を駆け出した。





バイト先で休憩や演奏の空き時間になると真っ先に向かうのは、スタッフ用の休憩室にある公衆電話だった。国際通話の可能な電話は私にとって貴重な存在。いつもここで長い間居座っているから、私専用だとちょっとした有名人になってしまったみたい。休憩室に入ると電話空いてるよと、皆に声をかけられて恥ずかしいやら困ったやら。以前は無かったのに、今では丁寧に明るい木目の丸椅子まで置かれている。

絶対に誰かが私用にと気を使ってくれたんだと、恥ずかしさと照れ臭さが込み上げてきた。
誰か分からないけど、ありがとう。優しい心遣いに心の中でお礼を述べて座ると、受話器を持ち上げ通話カードを入れる。手帳を見ないでも分かる番号を国際番号から順に押していくと、呼び出し音が鳴る毎に私の心臓も悲鳴を上げたように緊張で激しく高鳴った。


「やっぱり、いない・・・」


けれどもどんなに待っても聞こえてくるのは耳に馴染む蓮くんの声ではなく、延々と続く電話の呼び出し音。
強く握り締めた受話器を耳から引き剥がすように切り電話へ戻すと、もたれかかるように身体を預けて溜息を吐いた。

朝かけたときも電話に出なかった・・・今日だけでなく、昨日もその前も。

ここ暫くはどの時間にかけてもつながらない日々が続いているのをみると、家を空けて留守にしているのかも知れない。忙しくなるから電話が繋がりにくくなるって、そういえば前に蓮くんが言ってたじゃない。夏は演奏会のシーズンだし、もしかしたら海外のコンクールに出るという可能性だってあるのだから。


少し前までは数ヶ月連絡を取り合えない事だってしょっちゅうだったのに、今は数日の不在が私の心をひどく騒がせる。今まで平気だったのに、どうして我慢が出来なくなったんだろう。
あなたの為に強くなりたいのに、弱い自分が許せない・・・。
本当は甘えて縋りたいのに、寄り掛かりたい唯一人のあなたはここにいないし、声も聞く事が出来ない。


忙しいのか、それともあえて出ないように居留守を使われていたらどうしよう・・・。
そんなまさかと浮かび上がる不安を消すように軽く頭を振り、降りかかる髪がヴェールのように覆い隠す中、唇を強く噛み締めた。込み上げる焦りと不安が立ち込める暗雲のように、私の心を徐々に曇らせてゆく・・・。
駄目だよ弱気になっちゃ、このままでは雨が降ってしまうから。


腕時計をみて時差を計算すると、私のいる日本は昼間でも蓮くんのいるドイツは早朝。朝が弱いからひょっとして、まだ寝ているかも知れない。心の中で詫びながら、でもどの時間にかけてもいないのなら、迷惑を承知でタブーな時間にかけるしかなかった。


もう一度・・・もう一度だけ電話をかけてみよう。
今度こそ彼が電話に出てくれますように。


「よしっ、頑張ろう!」


大きく息を吸い拳を握り締め、心にえいっと気合を入れると再び受話器を持ち上げた。
ドイツにある蓮くんの家の電話番号を押し、諦めと期待が鬩ぎ合う中、長い呼び出し音に耳を澄ます。
気付けばこんな事を、もう1時間以上も続けていた。どうしよう、休憩時間がもうそろそろ終ってしまう・・・。



だって私から、ごめんねって・・・ちゃんと蓮くんに謝らなくちゃいけないんだもの・・・。