アドヴェント(Advent)・前編
クリスマスの準備が始まるのは11月末の日曜から。正確に言えばクリスマスの4回前の日曜日から一斉にクリスマスシーズンが始まる。この4週間の期間を待降節、アドヴェントと言う。
今日はそのアドヴェントの初日である、11月最後の日曜日。
教会前の広場に立てられてた巨大なクリスマスツリーには、数日前からクレーンで取り付けられていた飾りや電飾が煌めくように灯され、白と灰色に煙る街並みに一際鮮やかに浮かび上がっている。
クリスマスマーケットも始まった。広場に面した教会のバルコニーで司祭が高らかにマーケットの開催とアドヴェントのプロローグを告げると、鐘と音楽が荘厳に鳴り響く。音の余韻に浸る中、教会前に集う子供達が賛美歌を歌っていた。
いよいよだな・・・。
待ちに待った日まで、もうすぐ・・・。
寒さが厳しく、陽に閉ざされて暗いほどに、クリスマスマーケットはその明るさを増す。
待ち望んでいた明るさに救いを求めるように集い、楽しげに過ごす人々の心や表情と同じように、俺の心もどこか浮き足立っているのかも知れない。
だからだろうか。
こういった人混みは正直苦手なのだが、自然と引き寄せられるように、足はマーケットの中へと向いていた。
辻音楽師が奏でる優しい音色を遠くに聞きながら、賑やかに行き交う人の波に乗って、宛もなく漂う。
目はただ何気なく、周りの景色を映していった。
石造りでクラシカルな造りの高い建物に囲まれた、箱庭のような広場。
ログハウス風に木で屋根や壁をしっかり造った小屋が、狭い路地の両側に所狭しと並んでいる様は、まるで日本の夏祭りのようだと思う。木工人形を売る店、リースやキャンドル、甘い菓子を売る店・・・・実に様々だ。湯気の立ったカップを両手で包むようにして身体を温めながら、誰もが寒さを忘れたように、この空間を楽しんでいるように見えた。
夜ともなればツリーや小屋を彩るイルミネーションの電球が煌々と照らされ、箱庭のような広場からオレンジ色の光が溢れ出す事だろう。
マーケットで一際目を引くのが、ツリーに飾るオーナメントを売る店の華やかさだ。
種類の多さと精巧な造り、色とりどりの輝きに目を奪われて思わず脚が止まってしまい、しばし魅入ってしまった。マーケットにはもちろんクリスマスツリーにする、もみの木を売る店もある。
店の人に聞いたところ、ドイツでクリスマスツリーを飾るのは、12月24日からと決まっているらしい。
ふと・・・思いついた。
せっかくだから、香穂子と一緒に飾るのはどうか。
ツリーにするもみの木やオーナメントを、マーケットで二人で一緒に選んだり・・・きっと、楽しいだろうな。
君は子供心に帰ったようだと言うかも知れない。けれども、子供の時でさえ、こんなに楽しい思いをした事は無かったと思う。
気付けば、あちらこちらの店を真剣に見て回っていた。
ツリーや飾りもそうだが、香穂子が好きそうな小物やキャンドル・・・甘い物を扱った店はあるだろうかと。
彼女が来る時の為にとしっかり下見をしている自分に、思わず苦笑してしまう。
まぁ・・・それも、いいのかも知れない。
目を輝かせながら店や小物に魅入る彼女の姿が、目に浮かぶようだ。
しっかりと腕を絡めた君が、楽しそうに俺を見上げる笑顔。
はしゃぐあまりに君は駆け出してしまうだろうから、はぐれないように気を付けなければ・・・と、今からする心配さえも、甘く胸をときめかす。
笑い声が耳に届き、腕の中に甦る温もり。
呼びかければ、振り向いてくれる・・・・。
まるですぐそこにいるかのような、彼女の面影を追いかけていた。
冬の太陽は輝きも頼りなく、気忙しく沈んでしまう。
次第に暗さを増す部屋の中で、一本のキャンドルに火を点した。
リビングのテーブルに置かれているのは、ドイツの家庭でクリスマス伝統の、アドヴェンツクランツ。
もみの木で出来た丸いリースを平置きにして、中心から等距離に4本の太くて丈の長いキャンドルが立てられた物だ。
もみの木の緑に青いリボンがかけられ、小さな松ぼっくりと青く小振りのドライフラワーがあしらわれている。立てられた4本のキャンドルは赤。クリスマスカラーに惹かれた・・・というのもあるが、青と赤が優しく寄り添う組み合わせが何となく俺と香穂子に思えて、一目見て迷わずこれを手に取った。
11月最後の日曜日にまず1本目のキャンドルに火を点すことで、クリスマスに対する心の準備も始まる。
次の週、12月初めの日曜には2本目のキャンドルに火が点され、その次には3本目・・・最後の4本目のキャンドルに火が点れば、クリスマスはもう数日以内。
クリスマスを楽しみにしている香穂子がやってくるのに、家の中が殺風景では、きっと彼女もがっかりするかも知れない。そう思って今年は手に入れてみた。家庭によっては手作りをするらしいが、俺はそこまで器用ではない。だから、昼間に立ち寄ったクリスマスマーケットで購入した。
クリスマス気分を盛り上げるというより、今の俺には、君を待ち望む気持ちに合うような気もしたから。
キャンドルに点る火の数が増えるたびに、会える日も近づいてくる。
最後のキャンドルに火が点る時には、君が俺の側にいるだろう。
4本目の・・・最後のキャンドルの火は、君と一緒に点したい。
そう、願いながら・・・・・。
柔らかな炎の揺らめきに己の気持ちを託し、想いに耽る。
部屋の中はすっかり暗くなってしまったが、キャンドルの火影を、ただじっと見つめていた。
暗闇をほのかに照らす明るさと温かさに感じるのは、荘厳さ。
まさに心を照らす光のようだと思う。
一度この暗さに身を浸してしまうと、心地よくて、不思議な事に、電気をつけようという気さえ失せてくる。
夜は暗いもの、冬は寒いもの。そう割り切ってしまえば、楽しむ余裕さえ出てくると言うものだ。
緑をバックに4本の赤いキャンドルが立ち、もみの木の緑を一層深いものにしている。
土台となっているもみの木は、冬でも緑を失わない。それ故人々は、もみの木に自然の力強さと遠い春を、厳しい冬の中にイメージするのだ。
まるで、香穂子のようだと思った。
暗く厳しい冬に、俺の心を照らす君という太陽。
どんな時であっても前向きで、くじけることのない力強さ・・・。
今は互いに離れているが、やがて訪れるであろう、ずっと共に過ごせる日々。
それを、遠い春と例えるならば・・・。
「・・・・・・・・!?」
思索に浸った意識と静寂さを割って入ったように、電話のベルが鳴り響いた。
明るさを拾うように目を凝らして壁に掛かった時計を見ると、時刻は夜の9:00。
こんな時間に、一体誰だ?
点ったキャンドルの火はそのままにして、そっとソファーから立ち上がる。ほの明るいリビングを足早に横切って、部屋の隅に置かれた電話の受話器を取った。
「Hello?」
「あっ・・・あの・・・えっと・・・蓮くん?」
「香穂子か!?」
「こんばんは! 良かった〜蓮くんだった。いきなり外国語は、やっぱり戸惑うよ。間違い電話したらどうしようって、いつもドキドキなんだもん」
来るべき日を待ち望む為の物、アドヴェンツクランツ。
キャンドルに点した火は、待ちきれないこの想いを、密かに叶えてくれたのだろうか?
タイミングの良さに驚きつつも、炎の見せた幻想で無いことに、少しだけ安堵してしまう。
元気だった?
耳に届く明るい声が、温かさとなって全身に伝わるのを感じた。