カノープス通信

  2002年10月号-1

  ──今月の詩──
   『秋の夢』


白い 秋の満月のもと
東京郊外の 小さな庭のある家の
ガラス戸の 外がわに張り付き
てらりと光っている二匹の大なめくじの。
その ぬらぬらした躯の内で
ひとつの不思議な夢が醸成され。
それはやがて青白い光を放って皮膚を浸透し
肌寒い夜気の中に立ちのぼり。
二匹の大なめくじの 霧のような夢が
郊外の庭に眠る 無数のなめくじたちの力を
ひそかに呼び覚まし。
それは 呼応して 叢の中からも
コンクリ−トのドブのほとりからも
捨てられたカンバスの下からも
子供が忘れた虫捕り網の陰からも。
愛もなく 涙もなく 言葉もなく 存在する
無数の なめくじたちの躯から。
それら ひそかな夢は ひそかに生まれ
やがてひそかに ひとつの気団を形成し。
黙々と家路を急ぐサラリ−マンの
受験勉強に疲れて漫画を開く少年の
皿洗いを追えて雨戸を閉める母親の
頭上の 東京の夜空を ひそかに覆い。
白い月光の下 人知れず ひたひたと。
その のっぺりと動かないものたちの
久遠の昔に得て 使うことを忘れていた
静かな 大きな力が。
白い月光の下 いつしか ゆたゆたと
光たゆたい 泡が生じ 波がうねり うねり。
なめくじの夢に。
東京は海となり。
ひたひたと よせてくる なめくじの 夢に。
太古のまどろみの。
海となり。










解説(……というか弁解というか……(^^ゞ)

この詩は、実家の押入れから発掘してきた高校三年生の時の詩です。
題材の選び方や行末のスタイルに、当時心酔していた(今でも好きですが)萩原朔太郎と草野心平の二人の詩人の影響が非常に顕著ですが、でも、既にとても私らしい作品でもあると思います。
一か所だけ行の順序を変え、一か所だけ言葉を差し替え、あとは、何箇所か、ひらがなを漢字に直しただけで、ほとんど手を入れていません。
どうも私は、このころからまったく作風が変わっていないようです。
特に、ワンセンテンスがのらりくらりと長いところ(^_^;)
この詩、よく見ると、全体が長い長いワンセンテンスじゃないですか。
私の長文体質は、この頃にはすでに完成していたらしいので、たぶん、もう直らないのです(^_^;)
こういう、ゆったりとした、ゆらぐようなリズム・テンポが、たぶん、もともと私の身の裡に備わった『私のリズム』なのだと思います。

ちなみに、この詩は、実際に実家のガラス窓に信じられないほど巨大なナメクジが二匹並んで張り付いていた事件を題材にしています。
詩を書く女子高生は今も昔も数多くいると思いますが、
よりによってナメクジの詩を書く女子高生というのは、今も昔も、わりと珍しいのでは……?
我ながら、ちょっと一味違う(^_^;)高校生だったと思います(つまり、
変人!
ただ、『受験勉強に疲れて……』云々のあたりに、『普通の高校三年生』っぽさが、ちらっと覗いております(^^ゞ


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