2.奇跡の日々

(1)


 次の日から、子供たちは、毎日、森の小屋にいる男の人のところに通いつめました。
 男の人は、大きな樫の木の枝が張り出した下の小さな古い廃屋をこぎれいに整え、居心地良さそうに住んでいました。
 そうしてみると、その小屋は、想像していたような恐ろしげな神秘的なところなんかでは全然なくて、ただの、古いけれど感じのいい、こぢんまりとかわいらしくて親しみやすい普通の小屋でした。

 そして、そこで、男の人は、約束通り、子供たちに笛を吹いてくれました。
 格調高い古曲から最新の流行り歌、おなじみの童謡、民謡まで、子供たちが所望する曲で男の人の知らない曲は、ひとつもありませんでした。
 また、見たことのない弦楽器をつま弾きながら、甘く伸びやかなその声で、みんながよく知っている歌や全然知らない歌、長い長い物語の歌や短い戯れ歌、あまり子供向けとは思えないような情熱的な恋の歌まで、ありとあらゆる美しい歌を歌ってくれました。

 それからまた男の人は、約束通り、子供たちに、いろんなお話も聞かせてくれました。
 その話は、時に、ちびたちにはわからないんじゃないかと思うような内容のこともありましたが、声音や抑揚だけでも音楽のように快いので、小さなリュリュでさえ不思議とおとなしく聞いていて、大きい子たちの邪魔にならないのでした。
 また、チェナも知らないような難しい言葉が平気で混ざったりもするのですが、それも別に気になりませんでした。知らない言葉があっても話の前後からだいたいの意味はわかるし、わからなければわからないなりに、その部分は聞き流しても、話全体はおもしろかったのです。

 男の人が最初にしてくれた物語は、チェナたちにとってはおなじみの、<カザベルのラドジール王>の物語でした。
 きっと、初めて会った時、子供たちがラドジールのわらべ唄を歌っていたからでしょう。
 けれど、男の人の話は、チェナたちが知っているラドジール王の話とは、まったく違いました。
 男の人は、まず最初に、子供たちに、こう尋ねました。
「君たちは、ラドジールについて、どんな話を知っているかな?」

 チェナは、ラドジールの話を、何通りも知っていました。
 ひとつは、学校で習った、歴史の中の実在の王様としてのラドジール王。
 もうひとつは、母親が小さな子供たちを脅すのに使うおとぎ話の魔物としてのラドジール。
 もうひとつは、大人たちの間で怪談として繰り返し語られ続け、旅の語り部の長い叙事詩にも仕立てあげられた、怪奇な英雄伝説の中の食人王ラドジール。

 去年の冬、年老いた語り部が語っていったのは、こんな伝説でした。

 後に王となる若き冒険者ラドジールは、ある時、手にしたものを王位に導くという伝説の至宝<シルドーリンの宝玉>を求めて聖地シルドーリンの妖精族の地下遺跡を探索し、苦難の末に宝玉は手にしたものの、聖地を侵したことで、遺跡に遺されていた妖精の呪いを受けて錯乱し、同行していた恋人を殺してその肉を食ってしまった。
 それから彼は、時々、急に女の声で話し出すことがあるようになった。
 それは、彼が殺して食べた恋人の声だった。
 その声は彼に未来を語って常に彼を助け、以来、彼は、あらゆる戦いで勝利を得、ついには王座についた。伝説の宝玉は、そのような皮肉な形で彼を王座に導いたのだ。王となってからも、その予言は百発百中、戦地においては優秀な軍師の役割を果たして、彼に勝利をもたらし続けた。
 だが、一方で、ラドジールに取り憑いた、滅びし古き種族の呪いは解けてはおらず、王位についてからの十三年間に、彼は十二人の妃を娶って、皆、婚礼の晩に殺して食べてしまった。
 そのために、彼はますます呪われ、彼の城ではさまざまな怪異がうち続き、勇猛で知られた彼もしだいに心を弱らせ、ついには、良心の呵責に耐えかねてか、あるいは死んだ妃たちの怨霊に錯乱させられてか、若干三十五歳の若さで、城の物見の塔から身を投げて死んだ。
 カザベル城の石畳には、今でもラドジールの血痕が残っていて、どんなにこすっても消えないという――。

 あの、<十三人目のお妃>の遊びや唄は、この伝説が下敷きになっているのでした。

 リドやシーリンやヤーシェといった、ちょっと大きい子供たちは、この伝説を、ところどころ聞きかじっていたので、得意になって口々に言い立て始めました。
「ラドジールは、<食人王>だよ。一度も戦に負けたことがない、すごい英雄で、とっても強かったけど、自分のお妃を殺して食べちゃったんだ」
「そうそう。お妃を毎年一人づつもらっては十二人も食べたんだ」
「それと、もう一人、一番最初に、恋人を殺して食べたんだって。その時からラドジールは、時々、急に女の人の声でしゃべるようになって、あれは死んだ恋人の魂がお腹の中でしゃべってるんだっていって、みんな怖がったんだって。でも、戦争の時はいつも、その声が、どうやれば勝てるか教えてくれて、その通りにするとどんどん勝てたから、ラドジールが女の人の声でしゃべりだすと、家来たちはみんな、一生懸命、その言うことを聞きとって、紙に書き留めたって。ラドジールは自分が女の人の声でしゃべったときのことはいつも覚えていなかったんだって。男の人なのに女の人の声で話すから、<両性具有王>っていわれたんだって」

「ねえ、シーリン、『ろうせいぐう』って何?」
「『りょうせいぎゅう』だろ?」
「オトコオンナのことだよねっ!」
「オトコオンナって、うちの姉ちゃんみたいののことか?」
「ばか、あれはただのオテンバだよ」

 小さな子供たちがわいわい騒ぎ始めると、男の人は、笑ってそれをさえぎりました。
「わかった、わかった。なるほど、よく知ってるね。では、今日は、君たちが知っているのは全然違うラドジールのお話をしてあげよう」

 その言葉通り、そのお話の中のラドジールは、チェナがこれまで知っていたどのラドジールとも、全然違っていたのでした。

 男の人の物語の中のラドジールは魔物でも英雄でもなく、ただの人間でした。
 それも、チェナと同じように笑ったり怒ったり、時には怯えたりもする、チェナと同じ十四歳の男の子なのです。
 ただ、チェナと違うのは、彼は裕福な家の子で、容姿、頭脳、力などのすべてに恵まれ、強気で自信に溢れ、いつも自分がみんなの中心でなければ気が済まない性格だったということだけです。
 そんな彼は、いつも子供たちの王様で、将来自分はきっと本物の王様になるのだと思っていました。
 ある時、シルドーリンの丘の下の滅び去った妖精族の遺跡に、持ち主に王位をもたらす伝説の秘宝が埋もれているという噂を耳にした彼は、肝だめしの冒険を思い立ち、取り巻き連中を引き連れて、大人たちに内緒で町を抜け出し、シルドーリンの坑道跡に、こっそり入り込みました。
 けれど古い坑道はあちこち崩壊しており、子供たちは当然のごとく道に迷い、地下の迷宮をどうどうめぐりしはじめます。
 そんな極限状態の中で、どっちに進むかという口論から仲間割れが起こり、仲間に背かれ主導権を奪われたラドジールは、意地になってみんなと反対の方角へ歩き出します。
 彼に従ったのは、彼の義妹ただ一人でした――。

 男の人は、子供たちの一人一人を、それはいきいきと語ったので、チェナは、自分がその子供たちの一人になったような気がしました。そして、自分がこの中の誰かなら、きっとラドジールの妹だろうと思いました。それほど、男の人が描き出すラドジールの妹は、聞けば聞くほどチェナにそっくりに思えたのです。
 ラドジールには、事情あって家に引き取られてきた遠い親戚の娘である義妹がいて、彼女は、すべての資質に恵まれたラドジールとは対照的に何から何まで冴えない、のろまでうすぼんやりとした女の子なのでした。
 そんな彼女に、ときに他の人に見えないものを見てしまうという何の役にたつでもない奇妙な力があったというので、チェナはよけい、彼女を自分と似ていると思いました。
 そんな義妹を、ラドジールは、家に連れてこられて以来一度も妹とは認めず、冷たくあしらってきたけれど、妹のほうは、輝かしい兄を無邪気に崇拝し、慕っていました。
 この秘密の探険行にも、ラドジールは妹を連れていくつもりはなかったのに、彼女は敬愛する兄に勝手についてきていて、兄が、それまで取り巻きだった子供たちのすべてに背かれた時、ただ一人、彼に従ったのです。

 他の子供たちと別れて歩き出した二人は、やがて、妖精族の遺跡らしい、礼拝所を思わせる小さな石室を発見しました。
 そこには、おそらくは占いに使われたと思われる古い水盤が残っていて、その底には、今もなお、鏡をはめ込んだように、澄んだ水が溜まっていました。
 ふたりが石室の中を調べようとした時、落盤が起こって、ふたりは、そこに閉じ込められました。
 妹は、大怪我をした上に、岩に足を挟まれて動けなくなり、ラドジールの救出の努力もむなしく、やがてそのまま衰弱して死にました。
 けれど、彼女は、死ぬ前にラドジールに言ったのでした。
 私の肉を食べて生き抜いてくれ、と。

 ラドジールは、この、二つばかり年下の妹を、妹としてではなく、ほのかに好きだったのだと、チェナは思いました。だから、彼女をずっと妹として認めなかったのだし、町中の少女たちの憧れの的である自分が愚鈍な義妹などに惹かれてしまうのがおもしろくなくて、そんな自分が許せなくて、それで、ついいらいらして、彼女につらくあたってしまっていたのだと。

 語り手である男の人は、それをはっきりと言葉にはしなかったので、小さい子供たちには全然わからなかったでしょうが、少し大人のチェナには、ちゃんとわかりました。

 ラドジールは、妹の最後の言葉に従ってその肉を食べることで妹の魂の一部を自分の中に取り込めるような気がして、遺体から切り取った肉片を、一口だけ食べました。
 食べながら、泣きました。
 この時、ラドジールは、妹の魂の一部と一緒に、人に見えないものを見るという彼女の不思議な力の一片を、自分の中に取り入れたのでした。

 やがて灯火も尽き、夢ともうつつともつかぬ闇の中にただひとり取り残されて水盤の水でかろうじて命を繋ぎながら、もはや救いを希う気力もなく放心していたラドジールの前に、夢か幻か、光り輝く妖精の女王、永遠なるキャテルニーカが現れて、彼に宝玉を手渡し、帰りの道を示します。
 女王の指さす方向に見える微かな光に向かって、夢中で這い進み、ラドジールは、ついに地上に生還します。
 地上は、夜でした。
 ラドジールを導いた光は、満天の星明かりだったのです。
 すべては地底の闇が見せた幻覚だったのかと思ったけれど、宝玉は、たしかに彼の手の中にありました。
 彼は宝玉を握り締め、丘の上から広い世界を見渡して、いつの日か、この地上のすべてを支配する王となることを、自分の体内の妹の魂に誓いました。
 自分を裏切り、妹を殺したこの世界に、復讐するために。
 そしてそのまま、町へは帰らず、伝説の丘の上からあてもない旅に出ました――。


 この、村の大人たちなら決して子供には聞かせないような少々異様な物語に、子供たちは、目を丸くして聞き入りました。
 男の人はお話の前半の、どこにでもいるような子供たちのどこにでもあるような仲間割れを、実に生々しく本当らしく描き出したので、それにつられて、その後の、死んだ妹の肉を食うというラドジールの異常な行動や妖精の女王の出現という不思議な出来事も、まるで本当のことのように思えて、子供たちは、すっかり幻惑されてしまったのでした。

 話が終わると、子供たちは深いため息をつき、シーリンがおずおずと尋ねました。
「ねえ、それは本当にあったことなの? あたしたちが今まで聞いていたラドジールのお話はみんな嘘で、これが本当のお話なの?」
 男の人は静かに答えました。
「いいや、シーリン。そうではないよ。人にいろんな顔があるように、物語には、いろんな姿があるんだ。どれが本当かというんじゃない。どれも本当だ」
 子供たちが不思議そうな顔をしていると、男の人は笑って説明を加えました。
「君たちだって、家で親と一緒にいる時と、こうして友達同士でいる時と、学校に行くようになれば学校にいる時とで、自分にそのつもりはなくても、きっと、少しずつ違う顔をしているだろう。そして、たいていは、そのどれかひとつだけが本当の君で他は違うなんてわけじゃなく、そのどれもが、その時その時の、君たちの本当の姿だ。
 物語も、それと同じなんだよ。物話には、現実に近い話や、神話やおとぎ話などの現実から遠い話といった、いろんな段階があって、それぞれ違う姿をしている。実際にあったことがもとになっている話には、実際の出来事に近い話と遠い話とがあることは確かだが、けれど、いつもいつも、実際にあったことが一番本当なのではなく、現実から離れたおとぎ話の方に、むしろ真実があることもある。現実にあったことがどんどん抜け落ちていって、かえって本質に近づく話もあれば、後からついた尾ひれの中にこそ、隠されていた真実が、やむにやまれず顔を出してしまう場合もあるものだ。
 どんな服を着ていても君たちが君たちであるように、どんな形をとっていても、物語は、どれも本当なんだよ」

 そんなことを、さも簡単なことを言うような気安い口調で説明されても、子供たちにはますますわからないばかりでしたが、それでも子供たちは、この人に『その話は本当か』と聞いても無駄だということだけは理解して、それからは、誰も、そう尋ねなくなりました。
 なんといっても、そんな質問をして煙に巻かれて時間を無駄にするより、その分、もっと新しいお話をねだった方が、ずっと得なのですから。

 その後も、男の人は、ラドジールにまつわる物語をいくつか語ってくれましたが、その物語の中のラドジールたちは、必ずしも全部がこの時の物語の少年の成長した姿とは思われず、また、必ずしもこの時のようにいきいきとした感情を持った人間として描写されるとも限らず、むしろ、チェナたちが知っている伝説の中の狂王に程近かったり、あるいは、はっきりと、血に飢えた魔物であったりしました。子供たちはもう、そのどれが本物のラドジールなのか、などとは尋ねませんでした。

 男の人は、本当にたくさんのお話を知っていました。そしてそれは、ほとんどが、子供たちが知らないお話でした。
 全然聞いたことがない物語のこともあるし、聞いたことのある別の物語と、ちょっと似ていて、ちょっと違うこともありました。
 たとえば、聞いたことのあるような物語が、見知らぬ異国を舞台に、聞き慣れない名前の英雄を主人公に語られたり、逆に、チェナたちにおなじみの主人公が聞いたこともないような冒険をしたり。
 また、同じ名前の主人公でも、神様のはずが人間だったり、英雄のはずが悪党だったりして全然違う人としか思えなかったり、お話の中身も、知っている二つのお話が混ざっていたり、知っているお話の一部が抜けて逆に余分な場面がつけ加わっていたりすることもありました。
 それは、まるで、いくつもの物語の内容や舞台や主人公の名前や特徴をそれぞれ別々の紙に書いて、その紙をまぜこぜにしてから組み合わせ直したかのようでした。

 男の人は、<イルベッザの羊飼い王アルファード>という、聞いたことのない英雄が活躍する物語を、いくつも語ってくれました。
 群雄割拠の乱世に貧しい羊飼いから一国の王に成り上がったというこの英雄は、戦乱を収めて後は長く善政を布いて、仁慈厚く公明正大な名君として後世に至るまで民に慕われ続けたというのですが、チェナは、イルベッザに限らず、いつの時代かのどこかの国にそんな名前の有名な王様がいたなどとは、史実としても伝説としても聞いたことがありませんでした。

 けれど、<アルファード>という名前自体は、チェナにも馴染み深いものでした。
 チェナの知っているアルファードは、<ドラゴン退治のアルファード>と呼ばれる神話の英雄で、いくつもの勇壮な冒険物語の主人公として炉辺の昔語りに語り継がれ、歌に歌われ、絵入り本に繰り返し描かれ、幾多の詩歌や絵画やお芝居の題材にもなって古くから民衆に愛され続けてきた、怪力無双の若き勇者です。
 この、昔話の中の心正しい豪毅な偉丈夫は、元をただせば実在の歴史上の人物であるラドジールとは違って、いつの時代のどこの人とも知れない単なるおとぎ話の英雄のはずで、別にイルベッザの王様などではなかったはずですが、男の人の語る<イルベッザの羊飼い王アルファード>は、チェナたちの知っている<ドラゴン退治のアルファード>と、とてもよく似ていました。

 そして、よけいややこしいことには、彼の語る<羊飼い王アルファード>の物語のいくつかは、チェナたちが、若き日のラドジールやその他の英雄の物語として知っているものとそっくりだったり、逆に、チェナたちがアルファードの冒険譚だと思っていた話が、ラドジールの冒険として語られたりするのです。

 無邪気で単純明快なおとぎ話の中の、強く明るく男らしい、一点の曇りもない太陽のような英雄アルファード。
 そして、彼と同じく人間離れして強いけれど、戦場での常軌を逸して嗜虐的な振る舞いは史実としても悪評高く、妻殺しや人肉嗜食、狂気や神がかりや両性具有といった数々の妖しい伝説に彩られて闇の匂いのつきまとう、血に飢えた小暗い英雄ラドジール。
 そんな、正反対の二人が、同じ一枚のコインの裏と表であるかのようで、チェナは、聞いているうちに、なんだか落ち着かない、奇妙な心持ちになったこともありました。

 一度、そういう、主人公が入れ替わったような話の後で、子供たちの一人が、
「おもしろかったけど、それはラドジールの話じゃないの?」と、不平を言ってみましたが、男の人は、
「別の世界では、アルファード王の武勲なのさ」と、わけのわからないことを言って、涼しい顔をしているばかりでした。



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