五月。 少しガタつく木製の雨戸を開けようとして手をかけると、古びて少しささくれだった木肌が、ほんのりとおひさまの温もりを伝えてきました。昨日の天気予報どおり、今日は晴れなんですね。 最近ちょっと開きにくくなってきたこの雨戸は、少し持ち上げるようにして横に引くのが上手く開けるコツです。ずいぶん前から少し開けにくくなっているのですが、コツさえわかっていれば開けられるので、本当に壊れて使えなくなるまでは、このまま使う予定です。大きくて少し重いけど、この、木の感触が好きだから。 雨戸を開けたら、はたして、予想通りの眩しい朝日が小さな庭いっぱいに溢れていて、爽やかな風と一緒に家の中に雪崩れ込んできました。ぴかぴかに磨き上げた木の廊下が、陽光に輝きます。 引き開けた雨戸を戸袋の中でがたがたと動かして重ね、手際よく仕舞います。ここに来たばかりの小さい頃は、この、雨戸の開け閉てに、けっこう苦労したものです。小さな身体で大きな雨戸とがたがた格闘したのも懐かしい思い出です。 庭を見渡せば、まるで洪水みたいに五月の朝の光が降り注いで、草木も犬小屋も何もかもをどっぷり浸して、空中で若葉と戯れています。子どものころ、こんな日は、五月の妖精が木の枝の上で風とダンスを踊っているのだと思っていました。本当に妖精が見えたと言い張って、祖母を微笑ませたこともありましたっけ。 本当にいいお天気。 わたしの結婚式の朝が、こんなにいいお天気で良かったです。 台所から、とんとんと、包丁がまな板を叩く音が聞こえます。祖母のそれと比べると若干たどたどしいあの音は、父かしら、それとも、父の新しい奥さんのジャニーンが、慣れない形の日本の包丁に戸惑っているのかしら。 わたしの結婚式のためにカナダからやってきた二人が、昨夜から、うちに泊まっているのです。 わたしが朝ごはんを作ろうとしていたら、スノーウィの散歩から帰ってきた父が、花嫁さんなんだから今朝は何もしなくていいとわたしを台所から追い出して、ジャニーンと二人で朝食の支度をはじめて。父は単身赴任が長かったので、あの年代の男性には珍しく、一通りの料理は出来るのです。 日本の古い家の台所を興味津々で見回すジャニーンと、彼女にあれこれ説明しながら一緒に料理を始めた父は、目も当てられないような熱々の新婚さんぶりで、わたしは邪魔をしないようにそっと台所から退散しました。 父の新しい奥さんを、わたしは何と呼んでいいか、実は少し戸惑っていたのですが、父もジャニーンも最初から『ジャニーンでいい』と言ってくれて、おかげで気が楽になりました。別に、亡き母以外の人を『お母さん』と呼びたくないとか、そういうこだわりがあるわけではないのですが、母を早くに亡くしたわたしの中では、『お母さん』というもののイメージは『若い女性』のままでしたから、今になって突然、六十過ぎの人を『お母さん』と呼ぶのは違和感があって……。申し訳ないけれど、父より年上の彼女は、わたしにとっては、『新しいお母さん』というよりむしろ『新しいおばあちゃん』のように思えて、でもまさか『おばあちゃん』とも呼べないし……という、そんな少々失礼な戸惑いを、二人の提案が軽く払拭してくれて、ありがたかったです。 あ、反田さんのお母様を『お義母さん』と呼ぶのは、まったく抵抗ありません。『お母さん』ではなく『お義母さん』ですから。むしろ、なんだかうれしい響きです。わたし、自分は結婚しないと思っていたので、お姑さんを持つこともないと思っていて、そういう人と仲良くしたり喧嘩したりなんてことも、できないと思っていたのに。 反田さんのお母様は、あの反田さんのお母様だけあって、とてもやさしそうな方で、しかも、反田さんが言うには、わたしのことをものすごく気に入ってくださっているのだそうで、あんまり期待が大きくてこれからがっかりされるのが少し怖くなるくらいなのですが、反田さんは、そんなことは絶対にないからと笑ってくれました。蕭子さんなら絶対に大丈夫だから、と。本当かしら。反田さんのご家族と、仲良くなれるとうれしいです。 そうそう、反田さんのことは、これからは、反田さんではなく『貞二さん』と呼ばなくてはなりません。なんだか照れくさいですが、反田さんは、もう『反田さん』ではなくなるので……。 反田さんは、『司貞二』さんになってくれるのです。 別にわたしは、家を継ぐために婿に入ってもらいたいとか苗字を残さなければならないとかいうことはなく、わたしが反田になってもいっこうに構わなかったのですが、祖母も父もわたしも一人っ子なので、わたしが司でなくなると苗字が絶えてしまうのがもったいないと、反田さんが自分から申し出てくれて……。 だから、別に反田さんがこの家に婿に入ったのだとか、そういうことじゃなく、たまたま苗字だけわたしのほうに合わせてくれたのだということで、これから、わたしと反田さんと――いいえ、貞二さんと二人で、新しい『司家』を作ってゆくのです。 ただ、反田さんが『タンテイ』さんでなくなるのは、ちょっと申し訳ないですね。探偵小説好きの反田さんにとっては、ちょっとうれしい、お気に入りのあだ名だったらしいのに。 でも、子供の頃からのお友達はきっと、苗字が変わっても反田さんのことを『タンテイ』と呼び続けるでしょう。そして、それを聞いた事情を知らない人たちは、(別に探偵じゃないのに、名前とも関係無さそうなのに、なんでそう呼ばれているんだろう)と、不思議に思ったりすることでしょう。 窓から吹き込む五月の風を胸いっぱいに吸い込んで、小さいころから見慣れた庭を、なんとなく、新たな感慨をもって見回しました。 生まれ育った家を出てお嫁に行く場合には、きっと、もっと特別な感傷に浸ることになったのでしょうが、このままこの家に住むわたしにとっても、なんだか、今までのこの家、この庭と、明日からのこの家、この庭は同じものではないというような、不思議な感慨があって。 新婚旅行は後日行くことになっているので、明日、わたしたちの結婚第一日目は、わたしにとっては住み慣れたこの家で始まるのです。すでに反田さん――貞二さんの荷物は、あらかた運びこんであります。たいした荷物もないので引っ越しトラックを使うこともないと、うちに訪ねて来るたびに衣類などをスポーツバッグだのデパートの紙袋だのに詰めて少しずつ持ち込んでいたのです。もし足りないものがあれば買えばいいし、ご実家はすぐ近くですから忘れたものがあればいつでも取りに戻れますし、気楽なものです。 ちなみに新婚旅行は、六月に、反田さんのご家族にスノーウィの世話をお願いしてカナダに行ってくることになっています。わたしにとって、人生で初めての海外旅行です。なぜカナダかというと、もちろん、父とジャニーンの新居を訪ねるためです。他にもあちこち観光します。氷河を見るのが楽しみです。憧れのプリンスエドワード島にも行くのです。 今まで一度も行かなかった、行くつもりもなかった海外に、今頃になって初めて行くことになるなんて思っていませんでしたが、それを言ったら、今まで一度もお付き合いしたことがなかった男性というものと、この歳になって生まれて初めてお付き合いし、その上結婚まですることになったんだから、人生何もかも、決めつけるにはまだ早かったみたいですね。 今日は忙しい一日になるはずなのに、今だけは、ぽっかりと手持ち無沙汰に、静かな時間が流れます。台所のほうから、お味噌汁の良い匂いが流れてきました。 人が朝ごはんを作ってくれるのを庭を眺めながらのんびり待つなんて、祖母が生きていた頃の休日以来で、なんだか子供に還ったみたいな、懐かしい気持ちです。料理は嫌いじゃないけれど、たまには誰かにご飯を作ってもらうのも、幸せなものですね。 お味噌汁の香りに、スノーウィがしきりと鼻をひくつかせています。さっきもうドッグフードを食べたのに。 ダメよ、お味噌汁はあげませんよ。塩分が多くて身体に悪いんだから。スノーウィには、まだまだ長生きしてもらわなくちゃ。 心の中のその言葉が聞こえたのでしょうか、スノーウィはすごすごと犬小屋に入って行きました。 今日は特別な日だから、あとでスノーウィにもパティスリー・キハラの犬用ケーキをあげることになっているのですが、スノーウィはまだそのことを知りません。 犬小屋から頭だけ出して、まだ未練がましくお味噌汁の匂いを嗅いでいるスノーウィの、その情けない顔つきを見て、ふっと、思いました。 そうか、反田さんは、なんとなくスノーウィに似ているのです。特に、しょんぼりしたり、すまなそうにしたり、物欲しそうにしたり、情けない顔をした時の雰囲気が。 そういえば反田さんは、全体的に犬っぽいです。朗らかで感情表現が豊かで開けっぴろげで人懐こいところとか、いつも元気いっぱいに張り切ってて、前向きを通り越して前のめりすぎてときどき空回りしたり、落ち着きがなくてちょっとおっちょこちょいな感じだったりするところも、散歩を前にして逸ってるスノーウィ――今はもう年寄りだから少しおとなしくなったけど、若くて元気だった頃のスノーウィ――とそっくり。 人見知りなわたしが、反田さんには、なぜだかすぐに親しみを抱けたのは、きっと、そのせいもあったのですね。どうりで、なんだか知らない人のような気がしなかったわけです。反田さんが情けない顔をするとほっとけないような気になってしまうのも、スノーウィを思い出すからだったんですね。 元気でおっちょこちょいなところだけじゃなく、あったかくて優しくて、そばにいてくれるとそれだけで心強いところも、まるでスノーウィみたい――。 そんなことを考えたら、なんだかおかしくなって、くすっと笑ってしまいました。 じゃあ、わたしが反田さんと親しくなれたのは、スノーウィのおかげもあるのかしら。スノーウィは、わたしと反田さんの結婚の、陰の功労者だったりして? だったら、なおさら、今日はスノーウィにもケーキをあげなくては。ね、スノーウィ。楽しみにしていてね。 ふと見ると、木戸の脇の木苺の茂みで、数粒の実が色づきかけています。明日の朝には、今年最初のひと粒が食べられるかしら。 去年の木苺の季節には、反田さんが勝手に木苺を摘むのを、ちょっと苦々しく思ったりしましたっけ。一年後にこんなことになるなんて、全く想像もせずに……。 去年、この木苺は、わたしと犬のものでした。 今年から、この木苺は、わたしと犬と、そして貞二さんのもの――。 |
後書き 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 目次ページの謝辞にも書きましたとおり、この作品は、ツイッターでの雑談をきっかけに生まれたものです。 私が自宅の庭のキイチゴを犬と分けあって食べたことを呟いた時の、『最近は子どもたちがキイチゴを食べなくなったから、キイチゴはもっぱら私と犬のもの』という何気ない一言に対する『いいフレーズですね、小説のタイトルになりそうな……』というリプライが発端になって、最初は『そういうタイトルの架空の作品の内容を妄想する』という遊びから始まり、それをたまたま見ていた方が第一話のプロットを提供してくださったことで、実際にその作品を私が書いてみようということになり、さらに他の方から第二話の元となるアイディアが飛び出し、様々なアイディア提供や助言を受けながら、途中、ちらっと第二話以降を競作しようなんていう話も出てきつつも、最終的には私の単独作品として完成した――それが、この作品です。 その経緯は、『ツイッターまとめ』として記念に記録してありますので、もし興味がある人がいましたら、一種の『メイキング』としてお楽しみください。 『木苺は私と犬のもの』まとめ http://togetter.com/li/516639 あ、ちなみに、各話の結末からラストの一行まで書いてありますから、未読の方には超ネタバレになりますので、ご注意を! そういうわけで、この作品は、私一人ではなく、タイトル発案者にして基本設定の共同考案者である島村ゆに様、第一話プロット提供者にしてヒロインの命名者である村崎右近様(右近さんが『司 祥子』という名前を考え、私が漢字を『蕭子』に変更しました)、第二話の元アイディアとともに数々の助言をくださった『ページのP』様をはじめ、構想にお付き合い下さり助言や励ましをくださったフォロワーの皆様(直接内容にかかわらなかった発言は『まとめ』に入れていないので、実際の発言者はもっと大勢いました)、みんなで作り上げた作品です。 そして、作品は読まれることによって完成するとすれば、今、読んでくださったあなたも、読み手として、この作品の成り立ちに寄与してくださった一人です。 あらためて、ありがとうございました! |
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