〜司書子さんとタンテイさん〜





第二話 ジギタリス殺犬未遂事件

(3)


 反田さんは「ちょっと失礼しますよ」と、さっさとパソコンのスリープを解除し、検索をはじめました。
 うちのパソコンはわたししか使いませんから、スリープ解除のたびにいちいちパスワードを要求するような設定にはしていないのです――が、セキュリティ対策を考えると、やっぱり、そう設定してしておくべきでしょうか……。
 幸い、こっそり書きためている創作童話だの、学生時代に若気の至りで書いてしまったセンチメンタルなポエム――そんなもの削除してしまえばいいのでしょうが、古い日記帳や子供の頃に描いた絵などと同じく想い出の品なので、恥ずかしくて読み返せないけど捨ててしまうのも寂しく、まだ取ってあるのです――だのの恥ずかしいものは全部自室のノートパソコンのほうに入っており、こちらのパソコンには、家計簿ソフトと親戚の住所録程度しか入っていません。ブックマークも、父のSNSページだの、お店屋さんのサイトだの、お料理レシピの投稿サイトなど、無難なものばかりですし。――自室のノーパソは、絶対に人に見せられません!

「えーっと、ジギタリス、毒、犬……と」と、反田さんがブツブツ言いながら打ち込みます。一本指打法なんですね。でも、そのわりに速いです。びっくりするほど速いです。わたしのブラインドタッチより早いかも。さすがです……。
 反田さんの後ろから、わたしも一緒に画面を覗き込みました。
「あ、それ、その上から三番目のサイトも、ちょっと開いてみて下さい」
 ふたりでふむふむと読んで、
「あ、それから、その次は飛ばして、その下のも」
 ふたりでふむふむ、と……。

 わたしはあまり目が良くないので、気がつくと、つい、反田さんの背中にほとんど密着して、肩から顔を乗り出してしまっていました。いやだ、わたしったら、なんて失礼なことを……。幸い、反田さんは画面に集中していて気づかなったようですが、顔が熱くなりました。慌てて少し後ろに身を引きます。……画面が見難いです。最近また視力が落ちてきたみたい。そろそろ眼鏡が必要かしら。

 あちこち見てみたところ、スノーウィの症状は、やっぱりジギタリス中毒の可能性もありそうですが、かといって、他のものの中毒や病気ではなく間違いなくジギタリスが原因だと言い切ることもできなさそうです。……要するに、よくわかりません。荻原先生だって断定はしなかったのだから、素人にわかるわけがありませんね。
 が、もしジギタリスだとしても、少しでも食べたら必ず死ぬというようなことはなさそうなので、ちょっと安心しました。花束の様子から見て、スノーウィがこれを食べたとしても、ごく少量でしょうし、小型犬なら少量でも危ないかもしれませんがスノーウィはそこそこ体重がありますし、荻原先生も大丈夫とおっしゃっていたんだから、大丈夫でしょう。さっきは派手な泡ヨダレにびっくりしたので、取り乱して『死んじゃう』などと騒いだり泣いたりして、とても恥ずかしいです……。

 反田さんは、モニターを睨みながら腕組みをしました。
「うーん……。たしかに犬がジギタリスを食べると中毒するらしいですが、やっぱりね、俺、思うんですけど、別に犬を毒殺するのに、特にジギタリスの花を使う必要は、あんまり無さそうですね。もちろん、たまたま自分ちの庭にジギタリスが咲いてたからジギタリスを使うということもあるかもしれませんが、それにしたって、本気で毒殺するつもりなら、さっき言ったように、花束を投げ込むなんていう不確かな方法じゃなく、俺だったら、犬が必ず食べるようなうまそうな肉団子にでも混ぜてやりますね。一口で丸呑みできるような大きさの。もし俺だったらね。――あ、いや、俺はそんなことしませんが」
「……だから、別にスノーウィを毒殺しようとしたんじゃなく、通りがかりの人がたまたま花束を落っことして、それが蹴り飛ばされたか何かして、うちの庭に入ってしまったのでは?」
「お墓参りに行く人がですか? でも、お墓に、こんな花、供えますかね? 墓って言えば菊って決まってません?」
「そんなことはないですよ。本来、仏花の種類に決まりはないと聞きました」
「でも、花屋に売ってますか? こんな花。だって、毒があるんでしょ?」
「あまり見かけませんけど、絶対売ってないってことはないと思います。毒があるって言っても触っただけで害があるものではないので。毒がある花は他にもいろいろあるけど、たとえばスズランとかユリなんて、活けておいたコップの水を飲むだけで毒だと言われているのに、普通に花屋さんで売ってますし。
 ……けど、この花は、花屋さんで買ったものではありませんね。たぶん、お庭のを切ってきたんだと思います。故人がこの花を好きだったのかもしれないし、たまたまその季節に庭に咲いていたものを切っただけかもしれませんが。花屋さんだったら、花束は根本を輪ゴムで束ねて包装紙とかセロファンとかで包みますから。
 でも、お庭のお花でも、それを持って電車に乗ってお墓参りに行くんだったら、普通、新聞紙でもいいから紙で包むと思うんです。だから、これをお墓に供えるために持っていたとしたなら、その人は、お寺に歩いていけるご近所の方で、しかも、最近越してきた新住民の方ではなく、このへんのお寺に先祖代々のお墓がある古くからの地元の方だと思います。
 お墓に供えるのにリボンというのも変ですが、このリボン、たぶん、わざわざラッピング用に買ったものではなく、ケーキか何かの箱にかかっていたのを再利用したものですね。だから、切った花を仮に束ねるのに、たまたま手近にあったものを使っただけかもしれません。それか、普段、あまりお花や花束に興味や縁がない方で、花束といえばリボンという漠然としたイメージだけ持っていて、実際にはリボンをかけるまえに根本を輪ゴムで束ねたり包装紙で包むのだと思いつかないような人。決めつけるようですが、たとえば、年配の男性とか? もちろん、年配の男性で園芸が趣味の人も多いし、女性でもお花に全く興味がない人も大勢いるでしょうけど、確率的に、最もお花や花束と縁が薄い層は、高齢男性ではないかと……」

 話し終わって気づくと、反田さんが、ぽかんと口を開けてわたしを見ていました。
「司書子さん、すごいなあ……。シャーロック・ホームズみたいだ……。俺、そんなこと何も思いつかなかったですよ……」
 えっ……。感心するほどのことじゃないと思いますが……。たぶん、反田さんも、花束に縁のない男性の一人なのですね。

 反田さんは気を取り直したように続けました。
「でも、まだ、墓参り説で確定したわけじゃありませんよ! うーん、でもたしかに、犬を毒殺するのに、ジギタリスをわざわざ目立つ花束に……って、俺もさっきから思ってたけど、やっぱり不自然ですよねえ……。全部飲み込ませちゃえば胃の中でも調べない限りバレないのに、こんなやり方では、絶対、一目でわかる痕跡が残るし。実際、俺たちは残った花束を見て、スノーウィはこれを食べて具合が悪くなったんだと思ったわけですからね。ということは、これは、示威行為、脅迫行為ではないでしょうかね。スノーウィを殺すことよりも、司書子さんを脅すためですね。スノーウィではなく、実は司書子さんが標的なのかも」
「は!?」
「スノーウィに恨みを持つものの犯行ではなく、司書子さんに恨みを持つ人の犯行かもしれません。司書子さんに恨みがあって、嫌がらせに司書子さんの犬を毒殺しようとか、実際に殺さないまでも、犬に毒を食べさせたぞ、と、わざと目立つやり方で誇示して、司書子さんを怖がらせようとしているとか……」
「まさか! 脅かさないでください!」
 そんなことを言われると、ありえないと思っても怖いし、気味悪いです……。
「司書子さんに、誰かに恨まれる心当たりなんて、ありませんよね……?」
「特に無いですけど……」
 そんなの、心当たりは無くたって、わたしが気づいていないだけかもしれないし、わからないじゃないですか。わたし、鈍感だから、そんなつもりはなくても、配慮の足りない言動で知らないうちに人の心を傷つけているかもしれません。だからって殺したいほど恨まれるようなことはさすがにしていないと思うのですが、人によって何をどんなふうに受け取るかは違うでしょうし……。まさかとは思いますが、不安になってきました……。
「いや、司書子さんは人に恨まれるような人ではないですが、世の中には、意味不明な逆恨みをする人もいますからね。うーん……。……ん? 待てよ?」
 反田さんは、さっきから、話しながらもちらちら目をやって操作していたパソコンの画面に、はっとしたように顔を近づけました。開いていたのは、園芸図鑑サイトの、ジギタリスについての解説ページのようです。
「司書子さん、これ……。ジギタリスの花言葉……」
 反田さんに指し示されて、わたしも画面を覗き込みました。
 ジギタリスの花言葉として、『熱愛』『隠し切れない恋』『熱い胸の想い』などの言葉が並んでいます。
 まあ、素敵。どちらかというと地味な花ですけれど、花言葉は情熱的なんですね。でも、それがいったい何なんでしょう……?

 反田さんは、何を思ったのか、今度は『ジギタリス 花言葉』で検索して、次々と該当サイトを開いていきます。どのサイトにも、おおよそ似たような言葉が並んでいます。いったい何を調べたいんでしょう。
「あの……花言葉が何か?」
「司書子さん……」
 反田さんは、妙に思いつめたような声で言いました。
「あの花束……。もしや、誰かから司書子さんへの、愛の告白ではないですか!?」
「は?」
「あの花束は、スノーウィを毒殺しようとしてじゃなく、毒があるなんて知らないで、花言葉に託して司書子さんに思いを伝えようと、庭に投げ入れられたものなんじゃないでしょうか。そういえば、犬に食べさせるのにわざわざリボンを付ける必要なんかないし」
「はぁっ!?」

 思わず、素っ頓狂な声を出してしまいました。そんなバカな。愛の告白をするのに、むき出しの花束をこっそり地べたに置いて行くだなんて、誰がそんな素っ頓狂なことをするというのでしょう……。そもそも、このわたしに誰かが愛の告白だなんて! もういいトシの、こんな地味なハイミスに。

 思わず、声に出して断言してしまいました。
「ありえません!」
「なんでです? なんでありえないんです?」
「だって、わたしなんか好きになる男性なんて、いるわけないじゃないですか」
「なんでですよ! 司書子さんを好きになるのって、そんなに変ですか!? 好きになっちゃおかしいですか!?」
 反田さん、なぜかほとんど喧嘩腰です。
「だって、いいトシだし、地味だし……」
「地味なのはわざとでしょ? せっかくの綺麗な髪の毛、ひっつめちゃってさ。まあ、ひっつめも、それはそれで魅力的ですけどね。司書子さん、自分のこと、わかってないですよ。司書子さんは美人ですよ? 服装とか化粧が派手でないのも、清楚なのが好みな人には、かえってポイント高いんですよ。たとえば俺とかね。俺、最初に図書館に行った時、カウンターに司書子さんがいるの見て、まず、『おっ、好みのタイプの清楚な美人がいる、ラッキー!』って思いましたもん」
「えっ……」
 反田さんったら、こんな際にまで、またそんな無駄なお世辞を……。
「すいません、失礼なヤツで」
 すいませんと言いつつ、実はまったくすまなく思っていなさそうな、開き直った軽い口調です。
 まあ、美人の基準なんて人それぞれですし、もし本当にそう思ったとしても、口に出したら失礼ですが思うだけなら自由ですね。でも、わたしは、そんな軽佻浮薄な男性には、別に美人だと思われたくもありませんが。まったく、図書館を何だと思っているんでしょう。
「そんなわけで、トシだの地味だの、それは司書子さんが勝手にそう思ってるってだけで、相手もそう思うとは限らないんですよ。司書子さんが自分のことをどう思っていようが関係なく、ハタから見れば十分綺麗な女性なのは事実なんだから、男のほうから一方的に好かれちゃうのは防ぎようがないでしょうが」
「だから、そんな人、いませんってば。恋愛なんて若い人がするものです!」

「司書子さんって、あんがい頑固ですよねえ……」と、反田さんはため息をつきました。
「あのさあ、さっきからいいトシいいトシっておっしゃいますけど、それを言ったら、俺のほうが、司書子さんより三つも上なんですが? じゃあ、三十五歳の俺は、もう恋愛しちゃいけないって言うんですか? もう女性を好きになる権利はないって言うんですか? 何歳だろうと、好きになっちゃうものはなっちゃうんだから、仕方ないでしょうが……」
 反田さんがちょっと不貞腐れた声を出しました。しまった、ごめんなさい、そういえば、わたしがいいトシだとしたら、三つ年上の反田さんは、もっといいトシでした……。そんなつもりじゃなかったんだけど、そういえば反田さんに失礼でしたね……。慌ててフォローを試みました。
「あっ、すみません! そんなつもりは……。それはわたしだけのことですから! 自分は自分、人は人ですから、別にいいんです。反田さんは、いくらでもご自由にどうぞ!」
「『ご自由に』って……。へこむなあ……」
 反田さんがしょんぼりしました。
 どうしましょう。フォローしようとして、なぜかよけいに事態を悪化させたみたいです……。わたし、本当にダメですね。反田さん、ごめんなさい。

 でも、反田さんは、素早く気持ちを切り替えてくれたようです。
「まあ、いいや。じゃあ、司書子さんは、もしもこの花束が誰かからの愛の告白であろうと、相手にする気は一切ない、と」
「当たり前です!」
「そりゃまあ、そうですよね。ああ、良かった。いいですか、本当に、絶対相手にしちゃダメですよ、そんなキモいことをするヤツ。どうせロクなヤツじゃありませんからね。陰気でヒョロい、根暗なキモメンに決まってますから! きっとロクに風呂にも入ってなくて、頭がフケだらけですよ!」

 反田さん、まるで、もう、わたしに想いを寄せる男性が存在すると決めてかかってるみたいですね。しかも、容姿性格生活習慣まで、いつの間にか勝手に設定ができてます。そんな人、反田さんの想像の中以外に、いやしないのに。

 話しながらも、ときどきパソコンに目をやってはあちこちクリックしていた反田さんが、ふと手を留めました。
「……まだあるぞ、ジギタリスの花言葉。『不誠実』だって」
 花言葉にネガティブなものもあるのは、よくあることですね。ましてや、毒のある花ですから、不吉な花言葉もありがちでしょう。
 が、反田さんは、なんだか、腕組みをして考え込んでいます。しばらく難しい顔で考えて、突然、叫びました。
「司書子さん! これは深刻な状況ですよ! 司書子さんの身に危険が及ぶかも!」
 反田さんは血相を変えて振り向き、わたしの肩を両手でがっしと掴みました。その顔、怖いです……。
「やっぱり、今すぐ、警察に行きましょう!」
「えっ……!」
「これはきっと、ストーカーのしわざなんです!」
「は? ストーカー……?」
「そう。単に司書子さんに密かに想いを寄せている根暗男ってだけじゃなく、司書子さんをストーキングしている異常者なんです! この花束はね、やっぱり、単なる愛の告白ではなく、たぶん、警告なんですよ。毒があるって知ってて、わざとスノーウィが食べるように近くに置いたんです」
「はあ……。警告……」
 あんまりびっくりして、つい、オウム返しをしてしまいました。空想癖を自認してきたわたしでも、反田さんの飛躍した想像力に、ちょっとついていけません……。

 反田さんの妄想は止まりません。
「そう。ストーカーっていうのはね、勝手に相手を自分のものだと思い込んだり、相手も自分を好きに違いないと思い込んだりするんですよ。一方的にそう思い込んでた司書子さんが、最近、俺と、そのう……懇意にしてるから、それを見て、司書子さんが自分を裏切ったと思ったんですね。それを、不誠実だと受け取ったんです。で、司書子さんの、その『不誠実』に対して、警告を与えることにしたんですね。まずは司書子さんがかわいがっている犬に目立つ形で危害を加え、『態度を改めないなら、次はお前だ』という警告をしてきたんですよ!」
「ええっ……?」
「だから、次は司書子さんの身が危ないんです!」
「そんな、まさか……」
「まさかじゃありませんよ! 司書子さん、ストーカーに心当たりはありませんか?」
「えっ?」
「例えば、司書子さんちの垣根の前をやたらウロウロしてる男とか。通りがかりに、さりげない風を装って、やたらと庭を覗きこんでくるとか、犬の散歩にかこつけて、一日に何度も、しょっちゅう家の前を行ったり来たりしてるとかね」

 ……えーっと、言われてみれば、そういう男の人に、とても心当たりがあるんですが……。

 思わず、口から出てしまいました。
「……反田さん」
「えっ?」
「それは反田さんです」

 そういえば、反田さん、最初の頃、しょっちゅう犬の散歩で家の前を通りかかってましたよね。いくらなんでも遭遇回数が多すぎて、多少こちらの散歩時間がズレても必ずと言ってもいいほど反田さんに会うので、やたら散歩の回数が多いか、でなければ散歩の時間が異常に長くて、しかも同じ所を何度も通っているとしか思えませんでしたが……。あと、反田さん、家の前を通りかかると、必ず庭を覗き込みますよね。前にご自分でおっしゃってたとおり、うちの庭の雰囲気が好きだから鑑賞しているのだとは思いますが……。
 まあ、そのくらい、誰のことでも、邪推すればいくらでもストーカー扱いできてしまうってことですよね……とは思いましたが、でも、たしかに、反田さん自身が、ご自分で挙げたストーカーの行動例にすっかり当てはまってしまってるような気も……。

 まじまじと反田さんを見ると、反田さんは、ぐっと言葉に詰まった様子でしたが、やけになったように叫びました。
「俺以外で!」

 ご自分の行動については、弁明しないんですね……?

 わたしがちょっと引いたのがわかったのでしょうか、反田さんは、ぶすっとして言いました。
「言っとくけど、俺はストーカーじゃないですからね! 司書子さんに花を贈りたければ、ちゃんと、正々堂々と手渡しますよ!」

 それはそうですよね。だいたい、反田さんはわたしと一緒に縁側にいたんだから、外から花束を押し込めるわけがありませんし、そもそも、そんなことをする理由も必要もありません。

「ストーカー野郎に抜け駆けされちゃったけど、俺だって、今度、司書子さんに花束贈りますからね! あんなショボいのじゃなくて、花屋で買った立派なやつ!」
「えっ、なんでですか?」
「なんで、って……」と、反田さんはおおげさにがっくりして見せました。「贈りたいからですよ!」
「えっ、そんな……。けっこうです……」
 そんな、理由もなくお花なんかいただいても、申し訳ないし、困ります……。
「うわ……。ほんとに酷いなあ……。こっちこそ、『なんで』ですよ。俺が花贈っちゃ、なんでダメなんですか?」
 反田さん、わりと本気でしょげてしまったようです。ごめんなさい。ご厚意はありがたいのです。お花は大好きですし。
 でも、お庭に咲いた花のおすそ分けならまだしも、お花屋さんの花束なんて、高いですから……。
「だって、そんな……。そんなもの、いただく理由がないし、高いから申し訳ないです」
「理由があればいいんですか? じゃあ、誕生日に贈りますよ。それならいいでしょ? 誕生日に真赤な薔薇を歳の数だけ! いや、司書子さんなら白い薔薇かなあ、イメージ的に……。司書子さん、誕生日、いつです?」
 わたしがとっさにうっかり答えると、反田さんはポケットから手帳を取り出してメモして、パタンと閉めながら、しかつめらしくうなずきました。
「よーし! 誕生日、ゲット!」

 えっ……。まさか本当に誕生日に花をくれるつもりでしょうか。困るんですけど……。しかも、よりによって薔薇を三十三本だなんて、とっても高いだろうし、それに、そんな大きな花束、活ける花瓶がありません。薔薇は水揚げが難しくて萎れやすいですし……。本当に困ります。誕生日がとうぶん先で良かったです。それまでに反田さんがこの気まぐれな思いつきを忘れてくれますように。

「……さて、のんきな話をしている場合じゃなかったです!」と、突然、反田さんが声音を改めました。「そういうわけで、司書子さん、警察行きましょう。俺、付き添いますから」
「えっ、今からですか……?」
「そう。今から」
「でも、警察行って、何て言うんですか?」
「だから、ストーカーに狙われてるかもしれないから身辺を警護してくれって……」
「でも、それ、全部、ただの、反田さんの想像じゃありません?」
「いや、全部じゃないでしょ? たしかに想像入っちゃった部分もありますが、少なくとも、庭に毒草の花束が落ちていたのは本当ですよ」
「でも、毒草と言ったって、うちの庭を含めて一般家庭の庭で普通に栽培している花ですし、別にわざとうちの庭に投げ込まれたんじゃなくて、誰かが道ばたに落としたものをたまたまスノーウィ−が庭に引きずり込んだだけかもしれないし、庭に花束が落ちてたってだけじゃ、警察は相手にしてくれないと思うんですけど……。というか、警察だってお忙しいのに、そんなことなんかでお時間とらせたら申し訳ないです」
「『そんなことなんか』じゃないでしょう。司書子さんの身の安全がかかってるんですよ!」
「だから、かかってないと思うんですが……」
「もう! 司書子さんはのんきだなあ! 危機感がなさすぎますよ! あのね、いくらこのへんは治安が良いったって、女性の一人暮らしには、やっぱりいろいろと危険があるんですよ。身辺の安全には、十分気を配って下さいよ」

 たしかに身辺の安全には留意するに越したことないでしょうが、でも、やっぱり、これだけのことじゃ警察は動いてくれないと思うんです……。スノーウィも無事だったわけだし、そもそも、もしかすると別にジギタリスのせいじゃなく、ただの食あたりとか別の病気かもしれないし……。

 困っていると、反田さんは、しばらく考えて言いました。
「うん、でも、まあ、たしかにそうですよね……。庭に花束が落ちてたってだけじゃ、たしかに、警察も動きようがないですね。じゃあ、警察はいいです。でも、そうしたら、心配だから俺に司書子さんの身辺を警護させてください」
「えっ? 警護っていうと……」
「俺、ここに泊まり込みますから!」
「えっ! ……あのぅ……困ります……。そういうわけには……」
 反田さんが純粋に善意でおっしゃってくれているのはわかりますが、常識的に考えて、それはちょっと……。
「……あ、そうですよね……。それはそうですね……。すみません、心配のあまり、つい……」
 反田さんは、また、ちょっとしょんぼりしました。せっかく善意でお申し出くださったのに、申し訳ないです。
「いえ……。お気持ちは嬉しいです」
「ほんと、すみません。別に下心があったわけじゃないんで」
「はい。わかってます」
 反田さんのご厚意に対する邪推の気持ちはまったくないのだと伝えたくて、心をこめてうなずくと、反田さんは元気を取り戻してくれました。わたしは人の感情を読み取るのが苦手なので、反田さんのように、表情が大げさなくらい豊かでよく変わる人は、わかりやすくてありがたいです。
「じゃあ、犬の散歩のついでに、ここの周りを巡回警備しますよ。それならいいでしょう? キャンディの散歩の時間を伸ばして、家の周りを何周かぐるぐる周りながら、不審者がいないか警戒しますから。キャンディも大喜びで一石二鳥ですよ。あいつ、お袋が甘やかしておやつをやるもんで、最近ちょっと太り気味だし、ちょうどいいや」
 そういうことなら……。番犬のスノーウィがいない今、わたしもやっぱり、なんとなく心細いので、お言葉に甘えることにしました。ただし、お仕事やご自分の生活の負担にならない範囲でということで……。

 反田さんは、がぜんはりきって、なぜかまたパソコンで検索をはじめました。
「警備をするのに武器がいるよな! スタンガンとか催涙スプレーとか? スタンガンってネットで買えるのかな? ちょっと検索させてくださいね」
 そういって、通販サイトを見ていますが、そんなものが必要でしょうか。一度変な単語で検索したりネットショップで変な商品を見たりすると、しつこく関連広告が出るので、うちのパソコンにあまり変な検索履歴を残さないで欲しいんですけど……。しかも、どんどん関係ない商品を見始めているような……。
「へぇー、こんなのも売ってるんだ。すげえ! おっ、これ、カッコいいなあ……。探偵七つ道具みたいだ。ちょっと欲しいなあ……。こっちはなんだこりゃ? アホだなあ……。こんなの誰が買うんだよ……」

 なんだか関係ないページに夢中になってしまったようなので、その間、わたしは、なんとなく、ゴミ袋の中の花束をもう一度よく眺めてみました。お花、ぐちゃぐちゃに踏み荒らされた上、すっかり萎れてしまって可哀想に……。解けかけたリボンも、土にまみれて、情けないありさまです。
 これ、きっと、ケーキとかプレゼントの箱にかかっていたリボンの再利用ですよね。たぶんお店の名前でしょう、何やらロゴが入ってますし。
 祖母もよく、お菓子の箱などについてきたリボンを、クッキーの空き缶に貯めていましたっけ。他にも、綺麗な包装紙だのボタンだの何だの、いろいろと集めていました。
 解いたリボンを丁寧に巻いて年季の入ったクッキー缶に仕舞いこむ祖母の仕草が目に浮かんで、思わず涙ぐみそうになった時、「年寄りはこういうものを捨てられないのよね。お庭のお花を誰かにプレゼントする時なんかにも使えるしね」と言った祖母の言葉が、ふいに耳に蘇りました。まるで、今、耳元で言われたみたいにはっきりと。思わず目を上げて、きょろきょろと祖母の姿を探したくなるほどに……。
 もちろん、祖母の姿はどこにもありませんでしたけれど。

 この花も、お年寄りが花束にしたのではないかしら。しかも、きっと男性――おじいちゃんです。だって、リボンの結び方が、不器用な縦結びで……。
 リボンを取っておいたのは、奥様とかお嫁さんとかですね、きっと。墓参りに行くのに、お庭の花を切って、そのままではばらけてしまうからと、奥様かお嫁さんが取っておいたリボンを拝借して、不器用に結んで……。
 でも、うちの前で落としてしまって、お年寄りだから腰が痛くて屈めなくて、それで拾うのを諦めて、お花無しでお墓参りに行ったのです。
 その、しょんぼりした後ろ姿を想像して、胸が痛みました。ああ、おじいちゃん、お気の毒に……。うちの前なんですから、遠慮なく声をかけてくれたら拾って差し上げたのに!

 ……なんて、それこそ、反田さんのストーカー妄想以上に根拠の薄い、ただの想像ですけれど。

 ところで、このリボン……。よく見ると、『Patisserie KIHARA』と書いてあったのですね。リボンが泥だらけな上によじれていたし、デザイン化された筆記体なので、よく見ないと何という字が書いてあるかわからなかったのですが。
 『パティスリー・キハラ』って……もしかして、ご近所の木原洋菓子店のことでしょうか? そういえば、何年か前に改装した時に看板も新しくなって、何か横文字になっていませんでしたっけ。あまりちゃんと読んでいなかったのですが、もしかしたら、いつの間にか今風に改名していたのかも。
 木原洋菓子店のお菓子は、この辺では贈答品の定番なので、うちもよく頂きましたが、以前は、たしか、よくある、ピンクやブルーの真ん中に一本金のラインが入った、昔ながらのナイロンリボンがかかっていたように思います。が、最近では、こういう、シックな色合いの洒落たロゴ入りリボンに変わっているのかもしれません。
 このリボンが木原洋菓子店のものだとしたら、この花束の主は、やっぱり、ご近所の方ですよね? ご近所の方が遠方に住んでいる誰かを訪ねるのに木原洋菓子店のお菓子を手土産に持って行ったとか、地方発送サービスで送ったなどで、遠方の方がこのリボンを手に入れる可能性も、あるにはありますが、その遠方の方が、たまたまそのリボンで束ねた花束を持って我が家の前を通るとは、あまり考えられません。
 これ、もしかして、何か手がかりになるのでは……?

 怪しい通販サイトに夢中になっている反田さんの背中を、つんつんとつついてみました。
「あの……反田さん。これ……」
「なんです?」
「このリボン、パティスリー・キハラって書いてあるみたいなんですけど。もしかして、二丁目の木原洋菓子店のリボンじゃないでしょうか」
「えっ!」
 反田さんは、わたしが差し出した花束の袋を奪い取るようにして、顔を近づけました。
「ほんとだ……。そうですよ、これ……。俺、こないだ木原に聞きましたもん、店名を入れたオリジナル・リボンを発注することにしたって。あ、知り合いなんですよ、あそこの息子」
「ということは、やっぱり、この花束の主はご近所の方ってことですよね」
「その可能性が高いですね! よし、これは大きな手がかりだぞ! 司書子さん、お手柄ですね!」
「……いえ、それほどのことでは……」
 ほんとにたいしたことじゃないんですが、反田さんが褒めてくれると、なんだか意外なほど嬉しくて、内心、少し照れてしまいました。
 反田さんは、勇ましく言いました。
「よし! さっそく、木原んとこに行きましょう!」
「えっ!?」
「何が手がかりがあるかもしれないじゃないですか! 最近、あそこでケーキを買ったヤツが怪しいですね! あのリボン、発注したの、つい最近のはずですからね! 今からすぐ行って、最近誰がケーキを買ったか、木原のやつに聞くんです!」
 ……いくら、リボンが変わったのがつい最近だとしても、ケーキを買った人なんて大勢いるだろうし、いくらその大半がご近所の人だとしても、ケーキ屋のご主人だって、それを全員憶えていたりはしないと思うんですが……。
「さ、行きますよ、司書子さん!」
 反田さんは、パソコンをスリープすると、すっくと立ち上がりました。本当に行くんですか……。

 と、思って、後をついていきかけたら、反田さん、急に立ち止まって、くるりと振り返りました。
「あ、そうだ。その前に。せっかく上げていただいたので、お祖母ちゃんにお線香上げさせてもらっていいですか? そういえば、俺、まだ一度もお祖母ちゃんにご挨拶してなかったですよ」
 それもう、もちろん……。
 反田さん、良い方ですね。



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