〜司書子さんとタンテイさん〜





第一話 お祖母ちゃんの髪飾り事件

(8)


 せっかくわざわざ寄っていただいたので、反田さんに、縁側でお茶をお出ししました。わたしは一応、一人暮らしの女性ですので、けじめとして身内以外の男性をやたらと家に上げるわけにはいきませんが、通りから丸見えの縁側は半ば公共スペースなのでオーケーなのです。祖母も、この縁側で、ご近所さんから通りすがりのセールスマンまで、いろんな人に気軽にお茶をお出ししていました。そういえば、祖母が亡くなってから、縁側に人をお招きすることも、すっかり途絶えていましたが……。
 反田さんと並んで縁側の端に腰掛け、お庭を見ながらお茶を飲んでいると、なんだか不思議な気がしました。まるで、ずっと昔からのお知り合で、今まで何度もこうしてお茶にお招きしてきたみたい。祖母も交えて、こうしてお茶を飲んだことが何度もあると、錯覚しそうになるくらいです。実際に昔からのご近所さんだったとはいえ、それを知らなかったわたしにとっては単なる図書館の利用者の一人でしかなかった反田さんと、こんなふうに親しくお話することになるなんて、ちょっと前まで、全く思ってもみなかったのに。

 反田さんは、嬉しそうにあたりを見回して、両手を上げて伸びをしました。
「ああ、いいなあ……。何か懐かしい感じのお庭ですよねえ。派手じゃないけど、和むというか、ほっとするというか、ね。いつまでものんびりしていたくなりますね。なんか、この中だけ時間の流れが違いそうな。いつも垣根越しに眺めてて、良いお庭だなあ、一度ゆっくり見学させていただきたいなあ、なんて思ってたんですよ」
「そんな……。人様にお見せするほどの庭では。祖母が丹精していた庭ですけど、今は雑草だらけで、お恥ずかしいです。祖母の生前は、もっとちゃんと手入れしてたんですけど、わたし一人では、どうしても手が回りきらなくて……」
 四季折々の花木や宿根草、蕗や茗荷、様々な薬草やハーブ、梅や木苺やブルーベリーなどの果樹の数々が自然な趣で配置されたこの庭は、長年司書として務め上げた大学図書館をすでに定年退職していた祖母が、毎日、丹精込めて手入れをしていたのです。それを草だらけにしては天国の祖母が嘆くと思い、わたしも一生懸命草取りはしていますが、この季節、草は、取っても取っても、あっと言う間にまた生えてきます。ほんの小さな庭とはいえ、働きながら一人で手入れしているのでは、とても追いつきません。わたしだって祖母が生きていた頃のままの庭を守っていきたいと思っているので、悲しいことですが……。
 いけない、また涙ぐみそうになりました。
 本当に涙が出てしまう前に、我慢して涙を押し戻したつもりだったのですが、ちょっと目が潤んだこと、反田さんに目ざとく気づかれてしまったみたいです。
「わわ、ちょっと司書子さん、雑草が生えたくらいで泣くことないですよぉ!」と、反田さんが笑いました。「そりゃあ仕方がありませんよ、司書子さん、お仕事してるんだから。そんなに毎日毎日、草取りばっかりしてるヒマもないでしょ?」
 反田さんが実に気楽な感じでおおらかに笑い飛ばしてくれたので、なんだか少し心が軽くなりました。別に雑草が生えたから泣いたのではなく、何もかも祖母が生きていた頃のままにしておきたいのにそうできていないことが悲しかったのですが、それも、そう、仕方のないことですよね……。
 自分の泣き虫が恥ずかしくて、たぶん少し赤くなりながら、ハンカチで涙を拭って、なんとか微笑みました。
「すみません、泣き虫で……」
「いえいえ。別に」
 反田さんは、いかにもどうってことなさそうに、にこにこしています。そんなふうにさらっと流してくれると、わたしがすごく気にしている泣き虫という欠点も、まるで庭の雑草程度のささいなことみたいに思えてきます。大人のくせにこんなに泣き虫だっていうことを身内や親しい友人以外に知られたら、きっとものすごく呆れられたりバカにされるだろうと恐れていたのに……。反田さんは、不思議な人です。
「それにしても、こうして司書子さんのお宅にお邪魔しているなんて、何か不思議だなあ……」と、反田さんがしみじみ言いました。「ちょっと前まで、ただの、図書館員と利用者だったのにね」
「あ、それ、わたしも今、同じことを思ってました。なんだか不思議だなって」
「気が合いますね」
「はい」
 わたしたちは顔を見合わせて笑いました。
 それから、反田さんが、急にちょっと改まって言いました。
「あのね、俺が最近、また本を読むようになったのは、実は司書子さんのおかげなんですよ」
「え?」
「司書子さん、憶えてます? 俺、前に、図書館で司書子さんに調べ物を手伝ってもらったことがあるでしょう」
「……そうでしたっけ?」
「ああ、やっぱり忘れられてた。そんなことだろうと思ってましたけどね」
 反田さんは苦笑いしました。
「すみません……」
 わたし、人の顔を憶えるのが、とても苦手なのです。反田さんのことは、いつも探偵小説ばかり借りる人として顔を見憶えていましたが、そうなる前に、何かレファレンスを受けたことがあったのでしょうか。憶えていなくて心苦しいです。
「あ、いや、別にいいんですよ、司書子さんはお仕事で毎日いろんな人に本の場所を聞かれたり、レファレンス・サービスっていうんですか? いろいろ質問受け付けたりしてるんだから。だから俺も、利用者の一人としてそれをしてもらっただけで、別に特別扱いしてもらったわけじゃないのはわかってます。ちょっと何か聞かれた人全員のことをいちいち憶えてなくても、しょうがないですよね。でもね、俺は、それがすごーく嬉しかったんですよ」
「はあ……」
「俺、さっき言ったように、子供の頃は本が好きだったけど、大人になってからは、たまに長い時間電車に乗る時にキオスクで『ナントカ何号殺人事件』みたいなやつを買って時間つぶしに読むくらいでね。自分は本が好きだったってことも忘れかけてて。図書館も、近くにあるのは知ってたけど、特に行こうと思ったこともなかったんです。図書館に行くことなんて、全く思いつかなかったんですよね。それが、三年前だっけな、町内会の関係で法律とか条例を調べる必要が出まして。で、必要に迫られて、図書館に行ったんですよ。でも、何をどう調べればいいのか、まったくわからなくて。その時に親切に案内してくれたのが、司書子さんです」

 ああ! 思い出しました! 反田さんのお顔は憶えていなかったけれど、そのレファレンスの件なら憶えています。
 住民団体関係の法律だの条例だのについて聞かれても、わたし、そんなこと何も知りません。公務員試験を受ける時に基本的な法律も多少勉強したはずですが、そんなの、もう忘れているし。ただ、図書館員として、そういう関係の本がどの分類に当たるか、その分類が自分の図書館では書架のどの辺にあるかだけは知っています。あらゆる分野のレファレンスに対応すべき図書館員といっても、一人の人間があらゆる分野についての高度な専門知識を持つことは不可能ですから、必要なのは、専門知識そのものではなく、それを知るためにはどこを調べればいいかを知ってること、自分の館のどこにどんなことについて書かれた資料があるかを、なるべく数多く把握していることです。それには、たゆまぬ勉強に加えて、一つの館に長く勤めて選書に携わり続けることが有効なのですが、未熟者のわたしには、まだまだ勉強と経験の両方が足りません。
 だから、わたしにできたことは、反田さんを書架にご案内して、知りたいことは何なのかというお話をじっくり伺いながら、そういうことが載っていそうな本をタイトルを頼りにあれこれ開いては該当箇所を探すことだけでした。わたしが反田さんのために何かを調べたというより、ふたりで相談しながら一緒に調べ物をしただけ、反田さんの調べ物を、微力を尽くしてせいいっぱいお手伝しただけなのです。未熟ゆえにたいしてお役にも立てず、お恥ずかしい限りなのですが……。

 そう言うと、反田さんは、いやいや、と、かぶりを振りました。
「俺はそれが嬉しかったんですよ。司書子さんが、俺と一緒になって、俺の調べ物に一生懸命になってくれたってことが。俺、図書館で職員の人に何か聞くのなんて初めてでしたからね。それくらい自分で探せばいいのにって迷惑そうな顔されるかもとか、無知丸出しで呆れられるかもとかって、ちょっと不安なわけですよ。でも、司書子さんは、俺は自分が何を探したいかもうまく説明できなくて要領を得なかったのに、ちっとも迷惑そうな顔なんかしないで笑顔で対応してくれて、すごい親身に話を聞いてくれて、忙しい時間を割いて一緒に一生懸命、本を探してくれてね。いや、もちろん、それが司書子さんのお仕事だっていうのはわかってますよ。俺だけじゃなく、誰にでもそうするんだってことはね。だからこそ、感激したんですよ。図書館って、便利な、良いところなんだなあって。こんなふうに誰でも親切に調べ物を手伝ってもらえるところだったんだって。しかも、通りすがりに棚を見たら、面白そうな小説本もいっぱいあるじゃないですか。俺、なんとなく、図書館にはもっとお堅い本しかないと思い込んでたんだけど、あんがい、柔らかい本もあるんですね。で、それを見て、そういえば子供の頃は本が好きだったっけなあと思い出して、次は何か軽い読み物でも借りに来てみようかなあ、と。その結果、子供の頃から好きだった探偵ものに、もう一度、どっぷりハマりまして。だから、俺が読書の楽しみを思い出せたのは、司書子さんがあの時、親切に対応してくれたおかげなんです」
 なんて嬉しいお言葉でしょう。図書館員冥利に尽きます。
 わたしにとって、あの一件は、決して完全に上手くいった事例ではなかったのです。結果的に反田さんの調べ物の用は済みましたが、あれは、わたしにちゃんと力があれば、あんなに時間がかかるような事ではなかったはずで、ただ、わたしが未熟で要領が悪かった故に、ほんの簡単な問い合わせに、本来必要な以上の時間をかけてしまったのです。わたしの及ばなさのために、一人の利用者の調べ物に無駄な時間がかかってしまい、その利用者の方にも余分なお時間を取らせた上に、その間、他の利用者へのサービスの機会をロスしてしまったという、反省すべき事例だったのです。
 わたし、いつもそうなのです。要領が悪いせいで、一人一人の利用者の方のお役に立ちたいという気持ちの強さが裏目に出て、レファレンスでも何でも、一つ一つに必要以上の時間をかけ過ぎ、その結果、同僚にしわ寄せをしてしまったり、他の利用者の方を気づかぬうちに疎かにしてしまっていたり……。そもそも、日ごろから、一つのことに夢中になると他のことが見えなくなる悪いクセがあって、それでこの間も、カウンターを放り出して髪飾りを探していて注意されたばかりです。
 けれど、だからこそ、その時の利用者である反田さんが、それを、丁寧な対応だったと、役に立った、嬉しかった、満足したと言ってくださると、とても救われる気がします。少なくとも一人の利用者の方は確実に喜んでくれたのだと、自分はお役に立てたのだと実感できるのは、とても貴重な、嬉しい経験です。
 わたし、感激しました。つい今さっき、自分に図書館員として適性が足りないことをあれこれ考えた直後ですから、なおさらです。さっきは雑草の件で悲しくて泣きそうになりましたけど、今は、感激で目が潤みそうです。
 とても嬉しかったのですが、胸がいっぱいすぎて、
「まあ……」としか言えませんでした。
 すると、
「そうそう、それですよ」と、反田さんが目を細めました。「その、まあ、っていうのが、また良くってねぇ」
「えっ?」
「司書子さん、よく言うじゃないですか。あの時も、言ったんです」
「そ、そうですか?」
 言われてみれば、そうかもです……。
「俺、リアルで『まあ』なんていう女性に初めて会いましたよ。いや、お年寄りならいるのかもしれないけど、若い女性では」
 たしかに、若い人ではあんまりいないかもです……。
 わたし、年寄りっ子なので、どうやら、しゃべり方がいろいろと古臭いらしいのです。『まあ』の件だけでなく、『わ』とか『わよ』などのいわゆる女言葉の語尾とか、キッチンのことを『台所』、ベストのことを『チョッキ』などと昔風の言い方をしてしまうとか、これは本の読みすぎの影響もあると思いますが『造作もない』といったような古めかしい言い回しを普通に使ってしまうとか……。
 子供の頃は、それでよく笑われたり、からかわれたりして、ただでさえ人見知りなのに、ますます人前で話すのが苦手になったりしました。たしかに、同年代の女の子はみんな男の子と同じようなしゃべり方をしていましたから、うっかりすると祖母から伝染った女言葉が出てしまうわたしは、ちょっと変に見えたでしょう。だからわたし、いつの頃からか、誰にでも『ですます』調の丁寧語で話すようになりました。『ですます』調なら、女言葉の語尾が隠しやすいので。でも、それはそれで、友達相手に丁寧すぎるとか、『お上品』だ、堅苦しいなどと、やっぱり笑われました。笑うと言っても、友人たちに悪意があったわけではなく、みな、『それが蕭子らしい』とか『可愛い』とか、好意的に言ってくれたのですが、それでもやはり、たまにうっかり古臭い言い回しをしてしまった時など、きまりが悪かったです。
 社会に出てからは、地の言葉遣いが丁寧であることは、仕事中についうっかり地が出ても失敗しにくいためにむしろ大きな強みとなりましたが、それでも、言葉遣いについては、いまだにちょっと、学生時代の劣等感が残っています。反田さんは、『それが良い』とおっしゃってくださいましたが、学生時代の友人と同じく、『自分たちは友達だから、それが蕭子らしくて可愛いと好意的に捉えてあげられるけど、一般的な基準ではやっぱり変だ』というように思っているのではないでしょうか……。
 ひさびさに言葉遣いを指摘されて、つい、昔の劣等感が浮上してしまいました。
「変ですか……?」
「いやあ、そういうんじゃなくて、良いなあと思って。古風で上品で、可愛らしいじゃないですか。あの時、司書子さんが何かの拍子に『まあ』って言って、その瞬間、俺、胸がこう、キュンとしまして」
 反田さんは、おどけた様子で自分の左胸を押えて見せました。
「まあ……」
 いやだ、うっかり、また言ってしまいました。本当に口癖みたいです。恥ずかしくて、口を抑えて真っ赤になってしまいました。

 反田さんは、それを見てまた笑いました。
「うーん、良いなあ……。何とも言えないなあ……。でね、さらに実を言うと、俺、図書館が良い所だっていうだけじゃなく、司書子さん自体、素敵な職員さんだなあと思ったんですよ。司書子さん、あの時、すっごく丁寧で、親身だったでしょう? 言葉遣いが丁寧ってだけじゃなく、なんとか俺の役に立ってくれようと、ものすごく一生懸命になってくれてるっていうのが、すっごい伝わってきて。あと、こっちのことを尊重してくれてるなっていうのも、伝わってきてね。無知丸出しの俺の質問に、すごく真剣に向き合ってくれてるんだって。親切な人だなあ、誰に対してもこんな風に一生懸命に対応してあげてるんだろうなあ、真面目で一生懸命な人だなあ、お仕事頑張ってるんだなあ、偉いなあ、きっと素直で純粋で頑張り屋さんなんだろうなあ、そういう人って良いなあって思って。しかも、しゃべり方とか仕草も、なんか奥ゆかしくって、見た目も清楚でね。『今どき貴重な大和撫子発見か!?』って思って、そこにダメ押しの『まあ』で止めを刺されまして。それで、俺、すっかり司書子さんのファンになっちゃったんですよね」
 反田さんは、ちょっとおどけた口調で言って、照れくさそうにほっぺたを掻きました。
 えーっと……。お言葉の前半は素直に嬉いけど、ありがたいけど、後半のほうについては、どう反応していいのか困ってしまいます……。反田さん、お店屋さんの人ですから、お口がお上手なんですよね。ちょっとしたお世辞やお愛想も普段から言い慣れていて、こうしてさらっとお上手が言えるのですね。すごいです。羨ましいです。
 わたし、そういうのが全然駄目で。社交辞令が通じなかったりお世辞が言えなかったりするだけでなく、人からお世辞やお愛想を言われるのも、とても苦手なのです。なぜかというと、どう反応していいかわからないからです。人間関係の潤滑油としての社交辞令を軽んじたり否定したりするつもりは全くないし、お世辞を言ってくれるということはわたしを喜ばせようと思ってくれているということですから、そのお気持ちはありがたく思うのですが、それに上手く対応できないので、すぐに困ってしまいます。わたしだって一応大人ですから、お世辞を言われればそれがお世辞だということくらいわかりますが、それに対してうまく返答できずに黙って赤くなったりしてしまうので、まるでお世辞を真に受けているみたいに思われそうで、恥ずかしいのです。お世辞を言われたら『褒めても何も出ませんよ』と軽口で返すのが模範回答だというのは知っていますが、わたしは、どうしても、その言葉を口に出すことができません。わたしなんかがそんなことを言っても、なんだかわざとらしくなってしまう気がして、気恥ずかしくて。
 実は、例の『ちょっとそこまで』という決まり文句も、わたし、未だに、どうしても口に出すことができないのです。だって、実は『そこまで』じゃないのに『そこまで』だなんて無用な嘘をつくことが、どうにも気持ち悪くて。いえ、それは『嘘』ではなく単なる決まり文句なのだと、朝早くなくても『お早う』というのと同じようなものなのだと、頭では理解しているのですが、それでも、どうしても抵抗があって、気恥ずかしくて口に出せず、実は今でも、ご近所の方に『どちらへ?』と聞かれると、毎回正直に行き先を告げているのです。隠さなければならないような場所に行くなら、わたしだって嘘くらいつけますが――たぶん、つけると思いますが――、別に人に知られて困るようなところに行くことなどないので、隠す必要もありませんし。
 とはいえ、大人なのだから、そういう決まり文句くらい言えないとまずいとは、思っているのです。決まり文句が言えないために恥ずかしい思いをすることも、しょっちゅうです。でも、やっぱり、言えないのも恥ずかしいけど言うのも恥ずかしくて、どうしても駄目なのです。
 でも、もしかして、今なら……とても気さくでお話ししやすい反田さんになら……わたし、今までどうしても言えなかったあの言葉を、言えるかもしれません。そう、今こそ、勇気を出して、思い切って……!
「……ほ、褒めても、何も出ませんよ?」
 小さな声になってしまいましたが、少しどもってしまいましたが、ついに、言えました! 恥ずかしいけど! 頑張りました! これでわたしも、一歩だけ、一人前の大人に近づけた気がします……。
 わたし的には快挙だったのですが、反田さんは、なぜか、ぷっと吹き出しました。
「司書子さん、今のそれ、無理して言ったでしょう」
 やっぱり、バレてしまいました。恥ずかしい……。
「……はい。わかります?」
「わかりますよぉ。なんか、すっごい頑張ってましたよね?」
 反田さん……。そんなににやにや笑わなくても……。別に、誰でも言うような普通の決まり文句を言っただけのつもりなのに。やっぱり、わたしの言い方はよほど不自然だったのでしょうか。わたしなんかが一人前に人並みの軽口を言おうだなんて、やっぱり分不相応だったんでしょうか。落ち込みます……。
「あのさ、無理しなくていいんですよ」
 反田さんの言葉に、びっくりして目を瞬きました。
「司書子さん、そういう軽口みたいなの、苦手なんでしょう」
「えっ……。あ、はい……」
「だったら、無理に言わなくても」
「え……?」
「そりゃあ、まあ、言う必要がある時もあるでしょうけど。でも、俺には言わなくていいですよ。俺と一緒の時は、そんな無理しないで、普通に、楽にしててくれていいですから。司書子さんらしく、ね」
 とても優しい声でした。
 無理してたのがバレたのが恥ずかしくて、また赤くなって俯いてしまいましたが、心の中が、なんだかじわっと温かかったです。

 隣で反田さんが、庭を見回してしみじみと言いました。
「ああ、ほんとにいいなあ、この庭……。ずっとここに座っていたいなあ……」
 ほんとに。
 少し雑草は生えていますけど、木苺やユスラウメが実り、様々な宿根草の花が咲くこの庭は、今が一年で一番美しい時期です。雑草だって可愛い花をつけていて、わたし、本当は雑草も嫌いじゃありません。
 梅の葉をそよがせて吹き過ぎる五月の風が心地よくて、わたしも、いつまででもこうして座っていたいような気がしました。
 ふと目の前を横切ったアゲハ蝶を追って木苺の茂みのあたりに目をやると、元気な姿の祖母が立っていて、優しく笑ってうなずくのが見えた気がしました。いえ、もちろん幽霊なんかじゃなく、ただの、わたしの空想なのですが。
 わたし、昔から空想癖があって、庭やお部屋に、いろんなものを見てきたのです。月夜の庭に舞い降りる白銀のペガサスや蕗の葉の下の小人、スズランの葉影の妖精、納戸に潜む狼や、コタツの中のサラマンダー……。大人になった今はもう、そんな荒唐無稽な空想は、もう、しなくなったけれど、しないだけで、できなくなったわけではないのです、たぶん。あんな、見たこともないものたちをありありと目の前に描き出せていたくらいだから、毎日見ていた大好きなお祖母ちゃんの姿を木苺の茂みの横に思い描くくらい、明るい初夏の真っ昼間だろうと、何の造作もないはずです。
 わたしは微笑んで、空想の中のお祖母ちゃんに、声に出さずに告げました。
 ――お祖母ちゃん、ありがとう。おかげで琴里ちゃんの髪飾りは見つかって、光也君は琴里ちゃんに謝る事ができて、しかも、琴里ちゃんのアドレスをちゃっかりゲットしました。そしてわたしは、なぜか、こうして反田さんとお茶を飲んでいます……。

 帰りがけに、反田さんは、また木苺を一粒、通り過ぎざまに手を伸ばして無断で摘んでいきました。
 今まで、わたし、気後れして文句を言えずにきたけれど、反田さんとずいぶん気安く話せるようになった今なら、勇気を出して言えるかもしれません。『人の家の木苺を勝手に食べないで下さい、それはわたしと犬のものです』って。
 ……でも、やめました。まあいいいかって思ったから。反田さんになら、お祖母ちゃんの木苺を少しだけ分けてあげてもいいです。
 それにわたし、木苺を食べた時の反田さんの子供みたいな笑顔が、ちょっと好きかもです……。


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