それからしばらくたったある日のこと。 カウンター当番が回ってきて児童室に行くと、女の子が泣いていました。小学三年生の高村琴里《ことり》ちゃんです。よく、お友達と連れ立って児童室にやってくる常連さんで、今も、周りに集まったお友達が、慰めている様子です。それを、男の子たちや、小さいお子さんを連れてきたお母さんたちが遠巻きにしています。 いったいどうしたというのでしょう……。 様子を見に行くと、泣いている琴里ちゃんに代わって、お友達が教えてくれました。 「琴里ちゃんのピン留めが片方無くなっちゃったの」 「お祖母ちゃんから貰った、大事なピン留めなんだって」 「お祖母ちゃんが作ってくれた、琴里ちゃんの宝物なんだよ」 「さっきまであったんだけど、気がついたら取れちゃってて、探しても見つからないの」 まあ、お祖母様から……。 そういえば、琴里ちゃんは、いつも素敵な髪飾りをつけていました。愛らしいちりめん細工のお花のついたピン留めで、子供用にしてはやけに上品で高級感があるし、ちりめん細工だなんて小学生にしては渋い趣味だと思ったし、いつも同じ物を付けているので、印象に残っていたのです。あれは、お祖母様の手作りだったのですね。お祖母様、良い趣味をしていらっしゃいます。お祖母様の手づくりアクセサリーを、小学生のお孫さんが宝物にして毎日身に付けているなんて、とても素敵。 でも、いつも頭の両脇に一つずつ付けていたそれが、たしかに、今は片方しかありません。 可哀想に。館内で落としたのでしょうか。もうみんなで探したけど見つからなかったのですよね。だったら、わたしが同じ所をまた探しても、出てきやしませんよね。今はカウンター当番で、ここを離れられませんし……。運良く誰かが発見して、拾得物として届けてくれたりするといいのですが。 そこに、たまたま、反田さんが入って来ました。 「あれぇ? どうしたんですか?」 つかつかと寄ってくる反田さん。 反田さんは、あれからすぐに、本当に児童室にやってきて、以来、すっかり常連となっているのです。 わたしが詮索すべきことではないとはいえ、お仕事があるのになんでそんなにしょっちゅう図書館に来られるのかと、つい疑問に思ってしまいましたが、反田洋品店はご両親と反田さんとお兄様のお嫁さん――お兄様は会社勤めなのだそうです――でやっていて、近所に住む親戚も手伝ってくれているので店番の人手は多く、まとまったお休みはなかなか取れない代わりに日中のちょっとした時間の融通は利きやすいのだそうです。……と、これは、図書室でではなく、朝の犬の散歩で会った時に伺いました。 そう、反田さんはあれからもずっと、うちの前を犬の散歩コースにしていて、散歩の時間もわたしとだいたいかちあうので、わたしたちは何度も顔を合わせているのです。 わたしが散歩を終えてスノーウィを繋いだりエサをやったりしている所に通りかかって垣根越しに立ち話してゆくこともあるし、散歩中に出会って、家までの数ブロックを並んで歩きながら、ちょっとした世間話をしたこともあります。 たとえば、反田さんが犬の散歩コースを変えるきっかけとなった商店街の裏の道の工事のこととか、それから商店街の再活性化運動のお話とか。 反田さんは商店会で『商店街再活性化プロジェクト・チーム青年部リーダー』とかいう役職を務めていて、ご実家の洋品店でも、地元の方言や名産品をモチーフにしたオリジナルTシャツやグッズなどを扱う『地元愛コーナー』を自ら発案、創設し、任されているのだそうです。 そういえば犬の散歩の時も、毎回、言ってはなんですがちょっとヘンなTシャツやポロシャツを着ていると思っていたら、それらはみな、反田洋品店のオリジナル商品だったらしいです。 その中でも、御狩原南商店街のマスコットである狩衣姿の白ウサギ『ミカリちゃん』がプリントされたTシャツは、反田洋品店が提供した、件の『プロジェクト・チーム青年部』のユニフォームなのだとか。 ちなみに、『プロジェクト・チーム青年部』というのは、実は、反田さんとそのお仲間の数人で面白がってやっているサークル的な活動なのだそうです。活動の半分くらいは飲み会だとか。お酒を飲んでわいわいおしゃべりしながら、いろんなアイディアを出すのだそうです。 反田さんは、よければわたしを『協賛メンバー』に認定して『ミカリちゃんTシャツ』をプレゼントするとおっしゃってくださいましたが、『会費無料、活動参加不要の協賛メンバー』というのが意味不明なのはもちろんのこと、商売物をタダでいただくわけにはいきませんし、それに、大変申し訳ないのですが、デザインがちょっと……と思って、お断りしました。もちろん、デザインがダサいから要らないなんてまさか言えないので、『Tシャツは着ないので』と言い訳しましたが。 それにしても、つい最近まで単なる利用者の一人に過ぎなかった人から、こんなふうに個人的なお話をいろいろと伺い、こうしてご近所同士の付き合いになっているのが、なんだか不思議な感じです。 というかそもそも、図書館の利用者であろうとなかろうと、人見知りなわたしが、祖母のおまけとしてではなく自分一人でご近所の方とお近づきになり、世間話などをしていること自体が不思議なのです。 これはもう、反田さんのお人柄ですね。図書館で顔を見知っていた程度のわたしに親しげに話しかけてきたことからもわかる通り、とても気さくで、話し好きな方なのです。 そうして世間話をしているうちに、わかったことがあります。最初からそうだろうとは思っていましたが、反田さんは、どうやらわりと世話好き……というか、はっきり言って無類のお節介らしいのです。きっと、親切だから、困っている人を見ると放って置けないのでしょう。何かトラブルを見かければ、無関係なことでもなんでも、自分から首を突っ込みにいかずにはいられないようです。 だから、目の前で小学生が泣いているとあれば、放っておくはずがありません。 正直、ちょっと、助かった、と思いました。 わたしは今、一人でカウンター当番で、本の貸出をしなくてはいけないからカウンターを離れられませんし、琴里ちゃんは泣き止まないし、この状況は、わたしの手には余ります。 わたし、児童文学が好きだし、子供もそれなりに好きなつもりで、就職以来ずっと児童室担当を志願しつづけてきましたが、実際に子供と接するのは、実はあまり得意でないのです。相手が何歳だろうと、つい、大人に接するのと同じような接し方をしてしまうので、堅苦しく思われて、子供さんが緊張してしまうようです。 でも、反田さんなら子供の相手も手馴れているし、親切だから一緒に髪飾りを探してあげてくれるでしょう。 そんな下心で事情を話すと、案の定、反田さんは大張り切りで、 「司書子さん、任せてください。俺が探しますよ」と請けあってくださいました。 ちなみに、反田さんは、あんなに謝っていたにもかかわらず、あれからもずっとわたしのことを『司書子さん』と呼び続けているのですが、文句を言う勇気もないし、そもそもわざわざ抗議するほどのことでもないので、気にせず聞き流すことにしています。 反田さんは、琴里ちゃんに向かって、 「心配すんな! お兄さんが探してやるからな」と胸を叩いてみせました。 琴里ちゃんのお友達が、ひそひそ声で、「お兄さんだってさ……」「オッサンだよね」「オヤジだよね」と笑い合っています。 そこで反田さんが、急にその子たちに向き直り、 「おい、そこの女子!」と声をかけたので、その子たちは、オッサン呼ばわりを聞きとがめられたかと思ったようで、一瞬、顔を見合わせて首を竦めましたが、別にそういうわけではありませんでした。 「君たち、この子の友達だろ? 一緒に探すんだぞ」 「えーっ、もう探したよ……」 「でも、見つからなかったんだろ? 一度で諦めちゃダメだ。もう一度探そう!」 そして、その様子を遠巻きに見ていた男の子たちにも声を掛けました。 「君たちも捜索を手伝うこと! いいか、君たちは少年探偵団だ! みんなで協力して、この子の髪飾りを探し出すんだ!」 「ええーっ?」 女の子たちは半笑いで疑問の声を上げましたが、男の子たちはノリが良いです。 「よっしゃ!」「ラジャー!!」などと口々に応えて、面白そうに寄って来ました。すっかり遊び感覚のようです。 でも、男の子たちの中で一人だけ、少し離れた所で書架の影に隠れるように様子をうかがっている子がいます。反田さんが手招きして呼びました。 「おい、坂本少年! 何やってんだ、おまえも来い!」 そう、あの眼鏡の男の子は坂本光也《みつや》君と言って、反田さんとは、この児童室で知り合ったお友達同士なのです。 二人の出会いは衝撃的でした……。 光也君も児童室の常連で、琴里ちゃんと同じ小学校三年生ながら、主に高学年の子が読む少年探偵団シリーズをすでに読み始めているのですが、その日、少年探偵団シリーズの書架の前で、読みたい巻を取ろうとした彼の手と、偶然同じ巻に伸ばされた反田さんの手がぶつかったのをきっかけに、同じ少年探偵団のファン同士、たちまち意気投合して友情が芽生えたのです。それ以来、二人は、児童室で会うたびに少年探偵団シリーズの感想を熱く語り合う仲です。 わたし、同じ本に手を伸ばしたのをきっかけに親しくなる二人というものを、はじめて実際に目の当たりにしました……。物語の中では王道のシチュエーションだけど、そんな物語のようなことが、目の前で現実に起こるなんて! こんなことが現実に起こるのなら、もしかしたら、わたしがタクシーに飛び乗って「あの車を追ってください!」なんて、物語の中の憧れのセリフを口にする日だって、いつか来ないともかぎりませんね。 それにしても、そんなきっかけで本当に友達をつくってしまう反田さんは、すごいです。わたしだったら、もし誰かと同じ本に手を伸ばして譲りあうことになっても、それをきっかけにその人と親しくなるなんて、絶対無理に決まってます。たとえその人がどんなに好みのタイプの素敵な男性であったとしても……というか、好みのタイプの素敵な男性だったりしたらなおさらのこと、恥ずかしくて口なんかきけないに決まってて、それをきっかけに交際が始まるなんてことは、絶対にありえません。その点、反田さんは、全く好みのタイプでも素敵でもないので、あまり緊張しないでお話できたのですが……。 あ、いえいえ、反田さんが話しやすいのを、素敵でないからだなんて言っては失礼ですね。反田さんが話しやすいのは、たまたま同じ本に手を伸ばしただけの小学生男子とあっという間にお友達になってしまう、あの気さくなお人柄のおかげでしょう。反田さんのご人徳です。 それはともかく、今日の光也くんは、ちょっと変ですね。なんであんなふうに、棚に隠れるみたいに一人だけ引っ込んでいたんでしょう。反田さんの『少年探偵団』へのお誘いにも、少年探偵団ファンの彼なら大喜びで飛びつきそうなものなのに、なんだか、しぶしぶと言った様子です。 反田さんも、それは感じたのでしょう、わざわざ光也君に「おまえが団長だぞ」と言って、ハッパをかけています。 「さあ、少年探偵団結成だ! いいか、みんな、集まれ。まずは作戦会議だ」 そう言って、反田さんは、まずは琴里ちゃんと、そのお友達の女の子たちから、今日の琴里ちゃんの図書館での行動を事細かに聞き取りはじめました。琴里ちゃんが館内のどことどこに行ったか、図書館に来る前にすでに落としていた可能性はないか、トイレには行ったか、トイレから出てきた後に琴里ちゃんが髪飾りをつけているのを確認した子はいるか……。てきぱきと質問しては、どんどん可能性を絞り込んでいっています。なんだか、さすがです。さすが、『探偵小説の人』だけのことはあります。 最初は『少年探偵団』ごっこをバカにした様子だった女の子たちも、だんだん真剣な顔になってきました。 が、結局、捜索範囲は絞れなかったようです。 次に反田さんは、子供たちを数人ずつに分けて、館内外の捜索場所を指定しました。みんな真剣に反田さんの顔を見上げて指示を聞いています。 「わかったか。じゃあ、捜索開始だ! ただし、館内では絶対に騒がないこと。大きな音を立てたりおしゃべりしないで静かに探せ。これは秘密任務だからな。気づかれないようにやるんだ。一般室や新聞コーナーにいる大人の人の邪魔にならないように、くれぐれも気をつけるんだぞ」 子供たちは真剣な顔で足音を忍ばせて散開していきました。幾人かは反田さんと一緒に館外の植え込みなどに、幾人かは館内の他のコーナーに向かい、残りは児童室の中を再捜索しはじめます。書架はもちろん、奥のほうの、パーテーションで区切られた畳敷きのお話コーナー、中央に並べられた円形ベンチや、随所に置かれたスツールも一つ一つ動かして。もちろん琴里ちゃんも、もう泣くのはやめて真剣に探しています。小さい子を連れたお母さんたちも、手伝ってくれています。 児童室にたまたま居合わせた人たちみんなが一体となって、一人の女の子の落し物を探してくれている……。なんだか、少し感動しました。これも、反田さんの采配のおかげなのです。反田さんが、みんなの気持ちを一つにしたのです。いくら仕事中だからって、誰かが拾って届けてくれるのを待つだけで何も動こうとしなかった自分が、少し恥ずかしくなりました。 けれど、結局、髪飾りは見つからないまま、外周や一般書架を探していた子たちも戻ってきて、反田さんを囲んで頭を寄せあい、再び作戦会議がはじまりました。わたしは探す前から諦めてしまったのに、反田さんは、まだ諦めていないのです。 その時、低学年の小さな子が、突然、 「きっと、エンメージのかんざしババアのしわざだよ」と言い出しました。 ……エンメージ? かんざしババア……? 反田さんも、きょとんとしています。 子供たちが騒ぎ出しました。 「おじさん、知らないの? かんざしババア! オレたち、みぃんな知ってるよ。髪ゴムとかパッチン留めとかリボンとか、女子が頭に付けるやつを盗む妖怪なんだ!」 「うちのお姉ちゃんもかんざしババアにパッチン留め盗られたって」 「三組のユカリちゃんも髪ゴム片方隠されたけど、次の日、出てきたって」 低学年の子供たちの盛り上がりを、坂本君が突然さえぎりました。 「バカ、そんなの作り話に決まってるだろ! おまえら妖怪なんか信じてるのかよ、幼稚だなあ!」 そう、吐き捨てるように。今日の光也君は、なんだかご機嫌が悪そうです。 「エンメージって、あの、花野橋の近くのお寺のことか?」 反田さんが聞くと、子供たちがいっせいにうなずきました。 「そうそう!」 ああ、苑明寺……。たしかに、町内にそういうお寺がありましたが、うちの菩提寺ではないので馴染みがなく、とっさに思い出せませんでした。 「よし! 手がかりができた! 琴里ちゃん、坂本少年、明日の放課後、空いてるか? よし! 明日、一緒に苑明寺に行こう」 反田さんは、子供たちと相談して、あっというまに数人で苑明寺を訪ねる計画を立てました。小さな男の子たちは、少年探偵団の活動だ、妖怪の正体を突き止めるのだなどと楽しそうにしていますが、まさか反田さんまで本当に妖怪の仕業だと信じているわけでもないでしょうに、お寺に行ってどうするというのでしょう。反田さん、たしかにすごい行動力ではありますが、さすがにそれは暴走、迷走なのでは……? というか、もしかして、探偵小説が好きすぎて探偵ごっこがしたいだけなのでは……? でも、まあ、一緒に行くという子供たちには、必ず自分の名前を出して親の許可を取ってくるようにと念を押していることだし、反田さんや子供たちの館外での行動にわたしが口を出す筋合いはないので、黙って見ているしかありません。 反田さんは、商店会の関係で、子供向けの地域探検とか郷土玩具講習とか、そういう地域活動にいろいろと協力しているそうなので、これも、突発的ではありますが、地域の子供たちを連れて地元のお寺を訪ねてみるという郷土学習の一環みたいなものでしょう……と、思っておくことにします。 もはや琴里ちゃんの髪飾り探しとは関係ないような気がしますが、そもそも反田さんは本来無関係なのだから、勝手にあてにしたりせず、わたしが閉館後にでももう一回髪飾りを探して、それで見つからなければ落し物で届くのを待つしかないですね。 ……と思っていたら、反田さんがつかつかとカウンターにやってきて、 「司書子さんも、もしお休みだったら一緒に来ませんか?」と、プロポーズでもするかのような真剣な面持ちで誘われましたが、明日は勤務日です。断る口実に困らなくてよかったですが、でも、実は、ちょっと、ちょっとだけ、残念なような気もしました。だって、少年探偵団だなんて、なんだか楽しそう……と、ちらっとだけど思ったのは、絶対に秘密です。 結局、その日、琴里ちゃんの髪飾りは見つかりませんでした。 |
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