〜司書子さんとタンテイさん〜





第一話 お祖母ちゃんの髪飾り事件

(1)


 五月の朝。雨上がりの庭先で、オレンジ色の宝石みたいな木苺の実を、一つ摘んで口に入れました。
 亡き祖母が手づから植えたという木苺です。以前図鑑で調べたところ、カジイチゴという種類のようです。淡いオレンジ色に透き通る小さな丸い実が美味しいだけでなく、四月に咲く白い花も清楚で美しく、祖母はこの木を、とても愛していました。

 もう一度手を伸ばして摘んだ二つ目は、蜘蛛の巣がついていたので犬のスノーウィにあげました。
 もう一つ。きれいな実だから、今度はわたし。
 もう一つ。ちょっと虫喰いがあるから、これはスノーウィに。ごめんね、スノーウィ。でも、スノーウィは犬だから、虫食い跡なんか気にしないよね? ……そんなふうに思いつつ、また、わたしが一つ、スノーウィにも、もう一つ。

 木苺の実は、熟してからも木に成らせておくと、あっという間にヒヨドリに食べられてしまいます。目ざといヒヨドリたちの先を越すためには、毎日見ていて、熟したその日にすかさず摘んで食べないといけません。しかも、ありんこやカメムシもこの実が大好きだから、競争率が高いのです。
 でも、お祖母ちゃんの木苺は、わたしと、うちの犬のもの。
 だから、この季節、わたしは毎日こうして、朝晩の犬の散歩のついでや仕事帰りに、木戸の傍の木苺の枝に手を伸ばし、一つ、二つと摘んでは、犬と分けあって食べるのです。

 わたしは、この、小さな庭のある古い家に、今は一人で住んでいます。
 この家は、祖母のものでした。わたしを小さい頃から育ててくれた、大好きなお祖母ちゃん。
 わたしの母は身体が弱く、わたしが小学校に上がる前に病気で亡くなりました。転勤や海外出張が多い仕事をしていた父は、幼い娘を自分の実家に預け、それからわたしは祖母の手で育てられました。
 その祖母も昨春に亡くなりましたが、それからもわたしはこの家で、白いむく犬のスノーウィだけを相手に、祖母が生きていた頃そのままに、ひっそりと暮らしているのです。
 祖母が亡くなった時には、長い海外赴任の末に任地に住み着いてしまった父が、こちらに来て一緒に暮らさないかと誘ってくれましたが、わたしにはわたしの仕事がありますし、スノーウィはもう老犬ですから、海外になんか連れていかれません。
 それに、何より、わたしは、祖母と暮らしたこの家を、祖母とわたしとで築き上げ、長年守ってきたこの家での穏やかな暮らしを、愛しているのです。
 地元御狩原《みかりはら》の市立図書館で司書として働いてささやかに自活しながら、休日には、晴れれば庭の手入れをし、雨が降れば祖母仕込みの手仕事や保存食作りに勤しみ、夜には大好きな本を読み……。言うなれば家と職場を往復するだけの毎日ですが、図書館員の仕事は好きで目指して実現した子供の頃からの夢ですし、わたしは、自分のこの小さな世界を大切に思い、慎ましくも平穏な日々の暮らしに満足しています。
 いつまでもここで、祖母が遺したこの家で、祖母の想い出とともに、ひとり静かに暮らしていかれたら……。そんなふうに、思っています。

 今日は休日。
 図書館は土日も開館していますから、休みは、休館日の月曜日を主とした平日に交代で取ります。だから、家族や恋人のいる人は休日が合わずに苦労しているようですが、わたしは一人暮らしで、恋人もいないし、休日ごとに友人と遊び歩くタイプでもないので、お休みが平日でも全く不都合はありません。どうせ一人で家にいて、庭の手入れをしたり、普段出来ない家事をまとめてしたりするだけですから。以前、新分館の開館準備にあたっていた頃と比べれば、最近は格段に残業が減りましたが、それでも、仕事のある日はどうしても、掃除洗濯も滞るし、夕食も、時にはコンビニのお惣菜のお世話になることもあります。だから、せめて休日には、ゆっくりと、一週間分の常備菜を作ったり、まとめ作りしたお弁当のおかずを小分け冷凍したり、家や庭の手入れをしたり、さらに余裕があれば庭の果実をジャムや果実酒にしたり、祖母に教わったささやかな手仕事の数々を嗜んだり、そんなふうに、のんびりと、スローな生活を楽しみたいのです。変わらない日常を、丁寧に暮らしてゆきたいのです。料理も手仕事も祖母には全く及ばないのですけれど、祖母がしていたことは、なるべくわたしも続けたいと思っています。祖母が生きていた頃のままの家や庭で、祖母の流儀を守った家事をしていると、まるで、祖母が隣で一緒に手を動かしてくれているような気がするのです。わたしよりずっと器用に手先を働かす祖母の姿が見えるような、不器用なわたしに辛抱強く家事を教えてくれる祖母の言葉が聞こえるような……。

 いけない、祖母のことを思い出したら、つい、涙ぐみそうになってしまいました。
 もう三十二歳にもなるというのに、わたしは、泣き虫なのです。泣き虫は、どうやったら直るのでしょうか……。

 でも、お祖母ちゃん、わたし、相変わらず泣き虫だけど、ちゃんと頑張って生きてます。これからは女だって手に職をつけて自活しなきゃねというお祖母ちゃんの教え通り、頑張ってお仕事して自力で生活していますし、お祖母ちゃんの糠床も、万難を排して死守しています。どうか、天国から、わたしとスノーウィを見守っていてくださいね。今日は、お祖母ちゃん直伝のきゃらぶきを作るつもりです。お祖母ちゃんみたいに上手くは出来ないかもしれないけれど、お祖母ちゃんが教えてくれたことは、みんな覚えてます。わたしを導く優しい声とシワシワの手の感触も一緒に……。

 そんなことを考えて、涙が零れないように五月の空を見上げたら、眩しい朝日が目に染みました。



 その時、ふいに、すっとんきょうな大声で呼びかけられました。
「あれぇっ!? シショコさんっ!?」

 ……シショコ……? それはわたしのことでしょうか。わたしの名前は蕭子《しょうこ》ですが……。
 顔を上げたら、垣根の向こうに、茶色いトイプードルを連れた見知らぬ男性が立ち止まり、ぽかんと口を開けてわたしを見ているのでした。
 わたしより幾つか年上の方でしょうか。どこかで見たことがあるような気もしないではないのですが、やっぱり知らない人です。
 ここで犬の散歩をしているということは、ご近所の方なのでしょうが……。
 わたしの戸惑いには構わず、男の人は、日焼けした顔に人懐こい笑顔を浮かべて、嬉しそうにまくしたてました。
「やっぱりシショコさんだ! 髪の毛下ろしてるから雰囲気が違って、一瞬わかりませんでしたよ。いつもひっつめてるからわからなかったけど、髪の毛、そんなに長かったんですね。いいなあ、綺麗な黒髪だなあ……!」
 驚きにすくんでいたわたしは、やっとのことで声を絞り出しました。
「えっと、あの……。どちらさまですか?」
 男の人は、慌てたようでした。
「あっ、すみませんっ! あの、俺、反田《たんだ》です……って言ってもわからないかもしれないけど、図書館の利用者です! あの、ほら、覚えてるかどうかわかりませんけども、しょっちゅう探偵小説の新刊をリクエストしてるものです。図書館では、いつも大変お世話になっております!」
 身体をまっぷたつに折り曲げて深々とおじぎをされ、思わず少し身を引きながら、一瞬遅れて思い出しました。
(……あーっ! 『探偵小説の人』!)

 そういえば、たしかに知っている人でした。
 ご本人が言うとおり、探偵小説の新刊をいつも片っ端からリクエストしてくる利用者の方です。
 読書の自由を守るために図書館では個々人の貸出記録を保持せず、職員も一切口外しませんが、この方のようにいつも同じジャンルや作家の本を頻繁にリクエストなさる方は、どうしても覚えてしまいます。決して口外はできないことですが、心の中でついつい『探偵小説の人』『ファンタジーの人』などというひそかなあだ名がついてしまったり、新刊見計らいでその人の好きなジャンルの新刊がくれば、きっとこの本はあの人が喜んでくれるだろうな、などと、お顔を思い浮かべながら購入の棚に置いたりもします。
 ただ、わたしは人の顔を覚えるのが苦手ですし、図書館ではなく思いがけない別の場所で、仕事を離れてプライベートモードになっている時に会ったから、わからなかったのです。
 慌てて、こちらこそ、と丁寧なお辞儀を返しましたが、わたし、人見知りするし、たまたま自宅近くの館で働いていますが個人的に仕事とプライベートは分けたいほうなので、図書館の利用者の方が実はご近所さんでもあり、外で親しげに話しかけられたり普段着姿で庭先にいるところを見られたりするというのは、申し訳ないけれど、少々気が重いです。
 が、反田さんは、そんなわたしの内心などつゆ知らず、嬉しげにおっしゃいます。
「シショコさんはこちらにお住まいだったんですねえ。ご近所さんだったんだ! 知りませんでしたよ!」

 さっきも言ってたけど『シショコさん』って何なんでしょう……?
 たしかに、わたしの小さい頃の愛称は『ショコちゃん』で、苗字のほうも、たまに子供さんなどに『シ』と読み間違えられることがあるので、それらを合わせるとそういえば『シショコ』になるかもしれませんが、だとしたら、なんでこの人がわたしの子供時代の愛称を知っているのでしょう?
 気になって、思わず訊いてしまいました。
「あの……シショコって……?」
「あっ、すみません、すみません! 失礼しました! いつも心の中で勝手にそう呼ばせていただきていたので、ついうっかり……。司《つかさ》さん、でしたよね。でも、苗字しか知らないし、図書館の司書さんなので、心の中で、司書子さん、と……」
「ああ……」
 なんだ、そういうことだったのですね。
 わたしも心の中でこの人に『探偵小説の人』という内緒のあだ名をつけていましたから、まあ、お互い様です。
「すみません……」
 反田さんは、本当にすまさそうに眉毛を下げ、頭を掻き掻き、しょんぼりと謝りました。
 わたし、お仕事の時は誰にでも笑顔の接遇を心がけていますが、オフでは、実は、人と話すのが少し苦手です。特に男性とは。
 でも、反田さんは、なんでしょう、あんまり話しにくい気がしません。特に個人的な会話をしたことはなくても、一応、図書館で顔見知りだったからでしょうか。それとも、反田さんが、とても気さくであけっぴろげな雰囲気をお持ちだからでしょうか。
 だからといって急に愛想良く気の利いた受け答えできるかというとそんなわけもなく、小さな声で
「いえ、別に……」と応えて曖昧に愛想笑いを作るのが精一杯でしたが、反田さんはわたしの反応が薄くても全く気にしません。
「最近、図書館であんまりお見かけしないなあと思ってたんですが、こんなところでお会いできるなんて」と、謝罪のポーズから一転、世にも嬉しげに、顔全体でにこにこします。笑うと、細めた目の目尻が思いっきり下がって、とても優しい感じです。

 しばらく、垣根越しにお話しました。
 反田さんは、駅前の商店街の洋品店の息子さんだということでした。
 反田洋品店なら、わたしも知っています。というか、御狩原南商店街には洋品店は一軒しかないので、祖母は普段着はいつもそこで買っており、わたしが今羽織っている犬の散歩用のパーカーも、たぶん、祖母が生前に反田洋品店で買ってきてくれたものです。
 話しているうちに反田さんも祖母を見知っていたことがわかり、問われて他界したことを告げると、丁寧にお悔やみを言ってくださいました。生前の祖母を知る人だと思うと、さっきまで実は少し警戒していた反田さんが本当にご近所の方なんだとわかって、一気に警戒が解けました。
 今まで会ったことがないのに、今朝、急にここで会ったのは、反田さんが犬の散歩のコースを変えたためだそうです。いつもの道が工事中だったので、別のコースを開拓してみたのだとか。

 反田さんがしばらく図書館でわたしを見かけなかったのは、わたしが四月から、一時離れていた児童室担当に返り咲いていたからでしょう。うちの図書館では、児童室の担当でもローテーションで一般カウンターに入ることもありますが、やはり児童室にいる時間が長くなります。
 それを言うと、反田さんは、
「児童室かあ……。子供の本もいいですね。俺、少年探偵団とか好きだったんだよね……。小学校の図書室にあって、友達と競争で全巻読破したんですよ。一般の棚にある目ぼしい探偵小説はだいたい読んじゃったし、この機会に、童心に帰って、もう一度、少年探偵団でも読んでみようかなあ。大人が児童室に入ってもいいんですよね? 大人が子供の本なんて変かなあ……?」と、照れくさそうに言いました。
 今すぐにでも児童室に飛んで行きたそうな、そわそわした様子です。職業柄、読書への意欲を見せられれば後押ししたくなりますし、児童室には大人にも読んでほしい名作がいっぱいあります。それで、つい、半分お仕事モードになって、
「大丈夫ですよ。児童文学が好きな大人だって、いっぱいいます! わたしも児童文学が好きですし、子供の頃に好きだった本を大人になって読み返すことも、よくあります。優れた児童文学は奥が深いですから、同じ本でも、大人になって読むと、子供の頃とはまた別の発見があったりして楽しいですよ!」と、おもいっきり力説してしまいました。
 人とお話するのは苦手ですが、本の話となれば、お仕事モードに入るからでしょうか、とたんにいくらでも話せるようになるのです。しかも、わたしも『児童文学が好きな大人』の一人ですから、そういう仲間が増えるかもしれないと思うと、嬉しくて、はりきってしまいます。
 反田さん、最初はちょっと厚かましい感じがして、実はちょっと引いてしまったのですが、良い人なのかもしれません。図書館員としてしか知らなかったわたしに外で会ってためらいもなく声をかけてきたのは、商店街のお店屋さんの人だからもあるのでしょう。商店街のお店屋さんの人にとっては、お店のお客さんがみんな、お客であるのと同時にご近所のお友達でもあるのは当たり前のことで、どこで会っても愛想よく声をかけて世間話をしたりするのでしょうから……と、そこまでは良かったけれど、次の瞬間、反田さん、木戸の横の木苺の木に目をとめて、
「おっ、木苺ですね? 懐かしいなあ。子供の頃はよく線路の土手なんかで通りすがりに摘んで食べましたよ」と言いながら、垣根越しにひょいと手を伸ばし、わたしが次に取ろうと思っていたちょうど熟れ頃の木苺を一粒、無造作に摘んで、いきなりポイっと口に入れてしまいました。
 わたしは危うく、
(あーっ、その木苺は、わたしと犬の……!)と、叫びそうになりました。
 自分でも、たかが木苺の一粒くらいでケチくさいとは思いますが、この木苺は、わたしにとっては、ただの木苺ではないのです。祖母はこの実が大好きで、毎年初夏には祖母と一緒に楽しく笑い合いながら摘んでは食べた、その思い出が、何年分も積み重なっているのですから。

 それに、もう一つ。この木には、特別な想い出があるのです。

 去年、楽しみにしていた木苺の季節を前にして、祖母は突然亡くなりました。本当に突然のことでした。春先には、まだ元気で家にいて、木苺の芽吹きを眺めながら、今年は木苺をジャムにしてみようかね、なんて言っていたのに……。
 お葬式が終わって、お葬式と諸々の手続きのために一時帰国していた父も任地に戻り、ぽっかりと静かになった一人の夕べ、犬の散歩から帰ってきた薄暮の庭で、ふと目を上げたら、木苺が橙色に熟して、小さなぼんぼりみたいに薄闇に浮かび上がっていました。もう薄暗かったから、本当なら木苺も暗がりに沈んでよく見えないはずなのに、その時は、なぜか、常に無いほど大きく実ったその実が、まるで内側に明かりが灯っているみたいにぼうっと淡く輝いて、わたしを招いているように見えたのです。
 祖母の入院やらお葬式やら後片付けやらでバタバタしているうちにいつのまにか木苺の時期も過ぎかけていたのだ、と、その時はじめて気づきました。
(ああ、そういえば、今年はバタバタしてて木苺どころじゃなかったな、この木苺でジャムを作ろうって楽しみにしてたお祖母ちゃんが逝ってしまっても、季節が巡れば木苺は熟すんだな……)と、ぼんやり考えながら、毎年の習慣で半ば無意識のうちに手を伸ばし、一粒摘んで犬にやり、もう一粒を自分の口に入れて食べた瞬間――目の前に、祖母の姿がありました。
 祖母は、生前そのままに優しく微笑んで言いました。

 ――蕭子、泣かないで。わたしは、ここにいますよ。ずっと、お前を見守っています。お前は大丈夫。一人で何でもできるように、わたしがみんな教えてあげたでしょう? だから、お前は大丈夫。さあ、顔を上げて、しっかりと生きなさい。そして糠床は毎日混ぜるのよ――

 泣くなと言われてはじめて、自分の頬を涙が伝っていたことに気がつきました。
 涙を拭いながら、
「……お祖母ちゃん?」と呼びかけましたが、その時には、祖母の姿は消えていました。

 あれは何だったのでしょうか。まさか幽霊? それとも、悲しみやお葬式疲れがわたしに見せた、ただの幻覚? もしかして、わたし、悲しみのあまり少し頭がおかしくなっていたのでしょうか? 自分では、自分がおかしいような気は、全くしていなかったのですが……。
 それに、わたしだけでなくスノーウィも、あれを見たのだと思います。スノーウィもわたしと同じ方を見て、戸惑いがちに尻尾を振っていましたから。そして、祖母の姿が消えると、尻尾の動きが徐々に止まり、やがて諦めたようにゆっくりと垂れ下がっていき、スノーウィは、首を傾げて鼻を鳴らしながらわたしを見ました。
(……ねえ、お祖母ちゃんはどこへ行ったの?)と、言っているみたいでした。
 わたしは、しゃがみこんでスノーウィの首に抱きつき、また泣きました。
 そういえば、あの時、わたしは、いつから泣いていたのでしょう。まさか、犬の散歩の間も、自分で気づかないうちに泣いていたのでしょうか。帰ってきて木戸をくぐってからだったと思いたいのですが……。

 そんなわけで、その日から、この木苺は、わたしにとって特別な木になりました。
 祖母の幻と会えたのは、あの一回きりだけど、それからも、木苺を口に入れる時、わたしは目を閉じて祖母を想います。その姿を、声を、心に思い描きます。そして毎回、もしかしたらもう一度、あの時みたいに祖母が姿を現してくれないかと、祖母の声が聞こえて来やしないかと、ほんのちょっとだけ期待します。そんなふうに思いながら食べるせいでしょうか、木苺を食べる時、わたしの心の中の祖母の面影は、ひときわ鮮明になる気がします。その面影が話しかけてくれることは、あの日以来、無いけれど、でも、まるで今にも何か言いそうに思えるくらいに……。
 だから、わたしにとって、この木苺は、ただの木苺ではないのです。
 でも、そんなこと、他人には言えません。
「うん、この味、この味。懐かしいなあ」と無邪気に言って嬉しそうに目を細める反田さんに、
 ――ええ、美味しかったでしょ、お祖母ちゃんの木苺。でも、それ、ほんとはわたしと犬のなのです……。
 なんて、心の狭いことは、とても言えません。……言えませんが、やっぱり反田さん、ちょっぴり遠慮がなさすぎる人です……。

 何も知らない反田さんは、
「いやあ、犬の散歩コースを変えたら司書子さんに会えたなんて、ほんと、ラッキーだなあ……。じゃあ、今度、近いうちに、児童室に行きますね!」と、元気に去って行きました。
 後ろ姿を見送って、なんだか、どっと疲れました。ずっと年寄りとの静かな二人暮らしだったからでしょうか、あんまり元気すぎる人と接すると、それだけで、わたし、いつもちょっぴり疲れてしまいます……。



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