長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語 

<<<トップぺージへ  <<目次へ <前へ || 次へ>


 <第三章 イルベッザの闇> 

(第二章までのあらすじはこちらから




 里菜がその次にリューリに会ったのは、それから三日後の夕方だった。里菜とアルファードが宿舎の管理人室に届いた伝言に従ってイルベッザ城の通用門の前でユーリオンと待ち合わせし、やがて出てきたユーリオンに案内されて歩き出したところへ、後ろから、元気な声が響いたのだ。
「リオンさまぁ、待って!」
 足を止めて振り向いた三人に、リューリが駆け寄ってくるなりわめいた。
「ああ、よかった、間にあって。リオン様、ひどいわ! アルファードとリーナを食事に誘っておいて、あたしだけ誘ってくれないなんて! ずるい、ずるい!」 
 息をきらしながらわめくリューリは、今日は白衣ではなくラフな私服姿で、無駄な飾りのない少年物らしい上着を無造作にはおり、この寒いのに、下は短い半ズボンだ。キャテルニーカといいリューリといい、妖精の血筋は北方出身だから寒さに強い人が多いのかもしれない。
 そのボーイッシュであっさりした格好は、さばさばした気性の彼女にとても似つかわしいと、里菜は思った。童顔でやせっぽちの里菜がそんな格好をしたら、ただ子供っぽいだけだろうが、華のある美貌で抜群のプロポーションのリューリなら、そういう無造作な格好をしても、やたらと様になる。しかも彼女には、なよなよした、媚びたところがないから、思いきりよく脚を出しても変にいやらしくなることもなく、健康的で潔く、爽やかだ。……と、里菜は思ったのだが、それは『あちら』の世界でショートパンツやミニスカートを見慣れたものの感覚で、この世界の人から見ると、これは、かなり勇敢な、ぎょっとするような格好らしい。
 その証拠に、リューリの半ズボン姿を見たとたん、ユーリオンは、顔をしかめていきなり説教を始めた。
「リューリ。いいかげんに、そんな男の子みたいな格好をするのはよしたまえ。もう小さな子供じゃないんだから」
「あら、リオン様、あたしが子供じゃないって、やっと分かってくれたの?」と、リューリは涼しい顔をしている。
「そんなことは、前から言っているじゃないかね。君のような年で、そんな、脚を丸出しにして半ズボンなんか穿いている女の子は、他にいないだろう?」
 そういえばたしかに、里菜はこの世界で、小さな女の子以外で膝より短いスカートを穿いた女性は見たことがないし、半ズボンに限らず、ズボンの女性も、あまり見た覚えがない。そういう文化なのだろう。
 だが、リューリは、まるで気にかける様子もなく、しゃあしゃあと言う。
「いいじゃない。他の人が何を着ようと、あたしは、この格好が好きなのよ。動きやすいし。女の子はズボンを穿いちゃいけないって法律でもあるの? シーン様に逮捕されちゃう?」
「いや、ズボンはいい、ズボンは。シーンだって、君くらいの頃は、いつもズボンを穿いていた。まあ、世の中には、女性がズボンを穿くといやがる男もいるが、私は別に構わないと思っているよ。だが、半ズボンはいけない! それだけはだめだ。他人に迷惑だからやめたまえ。ほら、気の毒に、アルファード君が目のやり場に困ってるじゃないか!」
 里菜は、リューリの脚にうろたえているらしいアルファードを睨みつけてやろうかと思ったが、半ズボンくらいで困っているならかわいいものだと思い直した。
「なによぅ、迷惑だなんて」と、リューリはふくれて、これみよがしに胸を張って顎をつんと反らし、アルファードを睨みつけた。
「あなた、あたしの服に何か文句ある? 何着ようとあたしの勝手でしょ!」
 もう脅さないと言ったくせに、やはり彼女はアルファードに、かなり根強い反感を持っているらしい。
 いきなり喧嘩腰でつめよられたアルファードは、
「いや、たしかに君の自由だが……」と口篭りながら、迷惑そうに目を逸らした。
 ユーリオンが閉口したように言った。
「リューリ。君はどうして、そう、むやみとつっかかるんだね。今日は、アルファード君は私のお客なんだから、彼に失礼な態度を取るようなら、一緒に食事に連れていくわけにはいかないよ。だいたい、君にはこのあいだ御馳走したばかりだろう。私は、この二人とゆっくり話がしたくて食事に誘ったんだ。私が誰かと食事をするたびに、毎回毎回君も誘うわけにはいかないんだ」
「だめよ、だめ。あたしも行く!」
「やれやれ、また、たかられるのか。リーナ君、君が彼女に今日のことを話したのかね。別に内緒でもなんでもないんだが、しかし、よりによってまずい相手に話してくれたものだ」
「ち、違います、あたしが話したんじゃ……」
「キャテルニーカに聞いたのよ」と、リューリは勝ち誇ったように言った。
「あの子、本当に素直でいい子ねェ。もう、かわいくてかわいくて、あたしの一の子分よ!」
 ユーリオンは、本気とも冗談ともつかない様子で大袈裟に溜息をついた。
「しかたない、見つかってしまったものは運が悪かったとあきらめて、君にも御馳走しよう。だけど、私はアルファード君たちと話がしたいんだからね。あんまり邪魔をしないでくれよ」
「やったあ!」と、叫ぶなり、リューリは、歩き出したユーリオンの片腕に飛びついてぶら下がった。
 ユーリオンは頭痛でもするように、こめかみを押えてうめいた。
「……リューリ、頼むから、人前でそういうふうにベタベタくっつかないでくれないか」
「えっ、じゃあ、人前じゃなければくっついていい? それなら今度、どこか二人っきりになれるところで……ねっ?」と、リューリが必要以上に大声で言ってますます甘えかかるのを、ちょうど終業時間で<賢人の塔>から出てきた職員たちが目にして、笑いをこらえながら通りすぎていく。このふたりのこんな様子は、構内の名物なのである。
「リューリ。みんなに笑われてるじゃないか」と、ユーリオンはますます渋い顔をして言った。
「君はそんなに私の評判を落したいのかね。だいたい、君が、『十三のとき、おでこに』というところを抜かして、私にキスされたと言いふらすから、ただでさえ私は困っているんだ。これがスキャンダルにならないのは、私が日頃、非常に品行方正だからで、そうでなければとっくに職を追われているところだよ。まったく、あんな罪のない無邪気な様子をしておいて、あれは最初から全部、私を陥れるための君の策略だったのかね」
 ユーリオンは、振り向きざまに里菜に話を振った。
「リーナ君、このリューリはね、私の失脚を目論む工作員なんだよ」
「はあ? し、失脚? 工作員?」
 いきなり訳のわからないことを言われて、里菜は唖然としたが、彼らふたりの間では、これは言い古された冗談ででもあるらしく、リューリは平然と笑っている。
 それを見てユーリオンは、怖い顔を作って言い聞かせた。
「リューリ。私はなりたくて<長老>になったわけじゃないが、それでも、なった以上はやりとげたいこともいくつかはある。まだその半分にも手をつけていないんだ。それに、同じ辞めるにしても、女性関係のスキャンダルでの――それも娘のような年の女の子に手を出したと白い目で見られての失脚なんていうみっともないことだけはいやだよ。それなのに、君ときたら……。リューリ! 聞いているのかね。君のおかげで私はみんなの笑い物だ! いいかげん離れないと、食事に連れていかないよ!」
「はあい……」
 リューリはしかたなさそうにユーリオンから離れると、一番後ろを歩いていた里菜の隣にやってきて囁いた。
「リーナ、抜け駆けしようったって、そうはいかないわよ! 見張ってるからね!」
「そんな、抜け駆けだなんて……。別にそういうんじゃ……。あたし、おじさんには興味ないって言ったでしょ。あなたこそ、アルファードにちょっかい出さないでよ」
「あたし、ボーヤには興味ないわよ。それに、あたしのリオン様はおじさんじゃないわ!」
「アルファードは坊やじゃないわ。リオン様が年上すぎるのよ。どう考えたって、おじさんよ。オヤジ! 中年! 年寄り! だって、なにしろ<長老>よ、<長老>」
「<長老>は役職名だってば! 何よ、あなたのなんか、ただの筋肉バカじゃないの! 若けりゃいいってもんじゃないわよ」
 ふたりは顔を突き合わせて睨みあった。
「年寄り!」
「筋肉バカ!」
「年寄り!」
「筋肉バカ!」
 思わず声も高くなる。まるで猫の喧嘩である。
 その時、ふいにふたりは、それぞれ後ろから襟首を掴まれて引き離された。ぎょっとして振り向くと、リューリの後ろにユーリオンが、里菜の後ろにアルファードが、怖い顔をして立っている。
「リーナ君。年寄りというのは誰のことかね」
「リューリ。筋肉バカというのはもしかして俺のことか?」
 それぞれじろりと睨まれて、里菜は真っ赤になり、リューリもさすがに首をすくめて小さくなった。
「リューリ」と、ユーリオンが怖い声で言った。「喧嘩をするなら、置いていくよ」
「やだ、やだ! 喧嘩なんかしてないわ! ね、リーナ。あたしたち、会ったその日に意気投合しちゃって、もう大親友なのよねーっ! 仲が良すぎて、ちょっと悪ふざけしてただけよね!」と、リューリが強引に里菜の腕を取ってくっついてきたので、里菜はあわてて調子を合わせた。
「う、うん。ねーっ!」
「なら、いいがね。同じ年ごろの女の子どうし、仲良くするのはいいことだ。リューリ、君はここでは先輩なんだから、リーナ君には親切にしてやらなけりゃいけないよ」
「わかってるわ。食堂にも浴場にも案内したのよ。ね! 今日も仲良くおしゃべりしましょうね!」
「ねっ!」と、むやみに大声で相槌を打ちあうふたりを見て、ユーリオンは笑い出した。
 ユーリオンが三人を連れていったのは、構内の目立たない一角にある、落ち着いた雰囲気の店だった。さすが<長老>いきつけの店だけあって、宿舎街の食堂とは大違いの、高そうな店だ。それもそのはず、ここに出入りするのは、お偉いさんばかりなのだ。
 別に、下っ端の役人でもただの学生でも、この店に入っていけないわけではないのだが、値段が高いので偉い人しか寄りつかないのである。
 まわりにいるのはなんだか偉そうな人ばかりで、里菜は自分がみすぼらしく場違いに思えて、ちょっと緊張してしまったが、リューリはいかにも慣れた様子だ。よほどしょっちゅうユーリオンにたかっているのだろう。
 ユーリオンとアルファードが、村の誰彼の消息や古いしきたりなどについて話し込んでいる間、里菜はリューリに小声で尋ねてみた。
「ねえ、リューリ、あなた、よくここへ来るの?」
「うん、たまにね」
「だって、ずいぶん高そうじゃない?」
「もちろん、自分でなんか払えないわよ。治療師の給料って、こんなに大切で大変な仕事なのに、たいしたことないんだもの。リオン様にたかるの。あと、ゼールおじいちゃまなんかも、よく奢ってくれるわ。あたしのこと、『恐怖のたかり娘』なんて呼ぶの」
「おじいちゃま?」
「そ。<賢人>ファドゼール様のことよ」
「えっ、あの、眉毛長くて、頭のてっぺん、ちょっと禿げた……?」
「そうよ。会ったの? あたしたち、とってもいいお友達なの!」
「お友達って……、あのおじいさんと?」
「そうよ。悪い? 愛に年の差は関係ないけど、友情にも関係ないのよ。あのおじいちゃま、かわいいでしょ!」
「か、かわいい……? かしら……。うーん、そうね……」
「そうよ、おちゃめで」
「確かに、おちゃめよね」
「でしょ? もう、いつもひょうきんで面白いの。何度かここで奢ってもらったのよ」
「賭けで儲けた老後のおこづかいでね?」
「そう、そう! よく知ってるじゃない」と、リューリは笑った。
「それでね、あたしの誕生日には、女神印の砂糖菓子を山ほど買ってくれたの! あ、あなた、田舎モノだから知らないかしら。イルベッザじゃ有名なお菓子なのよ。薄い花びらの形をした薄荷の風味の砂糖菓子でね、すっごくおしいんだけど、すっごく高いのよね。昔のお姫様たちが食べたような、王室御用達の、高級で上品なお菓子なの。自分じゃちょっと、買えないわね」
「へえ……。ねえ、リューリ、あなた、ただの治療師なんでしょ? なんでそんな、<賢人>様なんかと知りあいなの? 何かコネがあるの?」
「あら、あなただって、もう<長老>と知りあいじゃない。ゼールおじいちゃまとも会ったんでしょ。一度でも会えば、後は、そのチャンスを生かすも殺すも『押し』しだいよ。押しの強さと明るい笑顔。それさえあれば、ほんのちょっとしたツテからでも、どんどんコネができるの。あなたもそんなおどおどしてちゃだめよ! だからってね、何も、奢ってくれそうな人とか、偉い人に取り入れって言ってるんじゃないのよ。まあ、だいたい<賢人>になるような人は、みんなひとくせあって、それぞれ面白いけど、もちろん<賢人>じゃなくても面白い人はいっぱいいるから、要は、老若男女、職業を問わず、気が合えば友達になればいいのよ。いろんなタイプの友達がいると楽しいわよ。あなたもあたしを見習って、もう少しずうずうしくいきなさいよ」
「リューリ、あなたって、すごいわね……」
 そこへ、向こうの話がとぎれたユーリオンが口を挟んだ。
「リーナ君、いいんだ、いいんだ、リューリなんか見習わなくて。いくらなんでも、リューリのずうずうしさは度を過ごしてる。『たかり娘』は、一人で十分だ。リューリ、こういうスレてないおとなしいお嬢さんに、たかりのコツなんかを教えるんじゃない」
「たかりのコツじゃないわ。人脈造りのコツを伝授してたのよ」
「君の場合、どっちでも同じことだ。ところでリーナ君、今度は君の話を聞きたいね」
 それから里菜は、ユーリオンから、<マレビト>としてこの世界に現われた時のことや里菜の魔法の力のこと、前の世界のことなどをあれこれ聞かれた。リューリは、里菜を、ただの貧乏な田舎の娘だと思っていたから、この話を聞いてびっくりしていたが、すぐに一緒になってあれこれ尋ねだしてユーリオンにうるさがられた。
 ユーリオンは、職業柄、『あちら』の世界の社会や政治のしくみに特に興味を示した。里菜はほとんど質問に答えられず、もっと勉強しておけばよかったと後悔したのだが、それでもユーリオンは里菜の話をずいぶんと面白がってくれた。
「いやあ、実に啓発的な話だねえ。うむ、君の国では、政府がずいぶんいろんなことをするんだねえ。いくつかは、実にすばらしい仕事もしているようだが……。しかし、政府がそんなに大掛かりなことをあれこれやっていては、さぞかし金がかかるんじゃないかね。税金は高いのだろうねえ」
「さあ……。あの、あたし、まだ自分で払ったことないし、よく知らないんです……」
「なるほどね。君はまだ学生だったっけね。で、君の親御さんが税を払っていたわけだね? ふむふむ。いや、実に参考になる。ちょっと君の意見を聞いてみたいんだが――ああ、君が専門家でないのはわかってるから、君の、一民間人としての素朴な意見でいいんだよ。この国の常識に染まっていない、型に嵌らない意見が聞きたいんだ。実は今、私たちは、ある問題についてみんなで対策を考えてるんだがね……」
 こうして、里菜は、この国の政府が抱えている諸問題についていきなり意見を求められるはめになり、大いに困惑したが、里菜がごくあたりまえのことを言うだけで、ユーリオンはいちいち斬新な発想だと感心してくれる。
 彼と話していて里菜が驚いたのは、この国には福祉という概念がほとんどないらしいことで、それどころか、おそらくこれは宗教らしい宗教がないことと関係するのだろうが、福祉以前の、慈善という考え方さえひどく希薄であるらしい。そういえばこの国には、国立の学校や治療院はあるが、孤児院とか養老院とか、そういうものはまったくないのだ。この世界では、そういう問題は親戚縁者や地域の共同体の中で解決すべきもので、誰も、国が心配しなければいけないものだとは思っていなかったのである。そして数十年前まではたしかにそれで十分事足りていたし、古くから人の出入りが少ないエレオドラ地方では、今でもそれで何の問題もなく、うまくやっている。
 が、その他の地方では、国の統一で人々が流動的あちこち移り住むようになり、都会への流入も増えるとともに、だんだんと地域の相互扶助システムが崩れ始め、特に都会ではいろいろと問題が出てきていた。そこへもってきて、ここ数年の急激な避難民の流入で、そういうのどかなシステムは一挙に崩壊し、あらゆる社会問題が噴出してしまったのだ。
 この国の政治は今、おそらく、大きな転換期を迎えようとしているのである。ユーリオンは、そのことを薄々感じてはいながらも、その発想は時代の常識の枠を大幅に越えることはできず、多少新しいことを考えても国民や役人たちの意識がついて来ずで、なかなか苦しい板挟みの立場にある。その彼にとって、里菜の言葉は、まさに、自分がばくぜんと模索していた新しい行政のありかたに形を与えてくれる天啓と聞こえた。
 だが、感銘は受けても、それをそのまま実行できるというものではないらしい。
「うーん、なるほどね。国がそこまでするなんてことは、誰も考えつかなかったね。すばらしい。たしかに、それもひとつの解決だ……。特に、その、なんて言ったか、孤児院だっけね、それはぜひ作るべきだね。しかし、そのアイディアを実行に移すには、致命的な問題点があるんだ……」と、ユーリオンは溜息をついた。
「残念なことに、我々には金がない。今の財政の状況では、絶対に予算がとれない。かと言って、税金を引き上げると、暴動が起こるだろうなあ。私は火あぶりにはなりたくないからねえ……」
「えっ! 火あぶり?」
「そう。実は、昔、さっき待ちあわせをしたイルベッザ城前の広場で、王様が一人、火あぶりになったことがあるんだ。アルファード君は、知ってるね。王政に反対する民衆の暴動だったんだが、そこで王様を一人火あぶりにしても、結局王政は終らなかった。ただ、暴動を陰で操っていた王の従兄が、新しい王になっただけだ。まだ、時が至っていなかったんだろうね。その後、幾は熟し、今度は火あぶりなしで王政が廃止され、今の<賢人会議>が生れたわけだ。今でも、あの広場には、毎年、王が火あぶりになったその日の夜中に、幽霊が出るという噂もあるよ。いや、しかし、火あぶりは熱いだろうねえ」
 どうやら、この、『予算がない』というのと『暴動が起こる』『火あぶりにされる』というのは、ユーリオンの口癖らしい。この後、里菜は何度も、彼の口からこの言葉を聞くことになる。まったく情けない<長老>なのだ。
 それでも、彼は里菜の思いもよらない発想に感銘を受けたらしく、しまいには真面目な顔でこんなことを言い出した。
「君、私の相談役にならないかね。いや、なに、非常勤でいいんだ。ときどきこんなふうに意見を聞かせてくれればそれでいい。君は、他の誰も思い付かないようなことを言ってくれるから、とても参考になる。公式な役職じゃなくて個人的な相談役だから、何も堅苦しく考えることはないよ」
 里菜は驚いて固辞したが、
「それなら、時々、今日みたいにアルファード君やリューリと一緒に食事を御馳走するから、その時に話を聞かせておくれ」という提案には、もちろん異存はなかった。
 里菜はこの日、ふと思い当ったのだが、歴史に名高い魔法使いユーディードは、実は非凡な軍師でもなんでもなくて、もともと、軍人か役人ではあったのかもしれないが、ごく普通の人だったのではないだろうか。ただ、きっと、彼の型破りな意見に謙虚に耳を傾けて、取り入れるべき部分を柔軟に取り入れたアルムイード王が偉大だったのだ。その点、このユーリオンも、あまり貫禄はないし、里菜ごときの意見に大真面目に感心する様子は何とも頼りないが、実はすごく優秀な為政者なのかもしれない。
 そういえば里菜はこの日、ユーリオンの例の魅力的な笑いじわも、さんざん見た。そして、彼に笑いじわがあるわけがよくわかった。彼は実は、とほうもない笑い上戸なのだ。特に、酒が入ると、もうだめだ。それこそ箸がころんだようなたあいのないことで、一人で笑い出し、それがいつまでも止まらないのである。
「ああ、いや、すまない、どうにも笑いが……。失礼。いや、別にたいしておかしくもないんだが、これがどうにも止まらなくて……」と、ユーリオンは笑いの合間に苦しそうに弁解した。
「実は、私は、仲間うちでは『笑い上戸のリオン』と呼ばれていてね……」
 そう言って、涙を流さんばかりに笑い続けるユーリオンを、リューリは何とも愛しそうに眺めていたが、里菜とアルファードはただ、本当にこの人がこの国で一番偉い<長老>なのだろうかと、あきれて顔を見合わせた。
 こうして、ユーリオンはけらけら笑い、リューリは酔う気配もなくひとりでがぶがぶと酒を飲み、里菜とアルファードは少々あきれながら、四人は楽しい一時を過ごした。
 アルファードは相変わらず無口だったし、例によってほとんど酒も飲まなかったが、どういうわけかユーリオンにひどく気に入られて、その後、彼に別の店に引っ張っていかれてしまった。
 ユーリオンは、実は、若い人と話したり酒を飲んだりするのが何より楽しみなのだ。なにしろこの国では、三十過ぎて独身などというのは本当に特殊な存在で、同年配の仲間たちは早いものではそろそろ娘の縁談の心配をしていたりするのものだから、独身で気の若いユーリオンは、彼らと酒を飲んでも話題に取り残される悲哀を味わうことが多いのである。彼も、上級学校の学長だったころはしばしば学生たちを引き連れて飲みにいったりしたものだが、うっかり<長老>などになってしまった今では、あまりそういう機会もなかったので、この日、彼は上機嫌だったのだ。
 だが、ふたりについていこうとしたリューリは、
「君、私の一か月分の給料を飲み潰す気かね」と、追い返されて、しかたなく里菜と宿舎に引き上げた。
 もう、かなり夜遅い時間だったが、構内には、まだ、まばらに人影があった。外の街では、こんな時間に出歩くのは犯罪者と特殊部隊くらいのものなのだが、構内には今のところ魔物が出ないのだという。
 並んで宿舎に向かいながら、ふたりはまだおしゃべりを続けた。
「ね、リーナ、リオン様ってすてきでしょ? 笑うとかわいいの! 親衛隊に入る?」
「入るって……。親衛隊って、あなたの他にもいるの?」
「いない、いない。この構内で働く女の人には、リオン様のファンは掃いて捨てるほどいるけど、親衛隊には入れてあげないもん。あなたは特別よ」
「あ、ありがとう、でも、いいわ」
「そうよね、あなた、アルファード一筋だもんね。ちょっと見てればすぐわかるわ」
「……そんなにすぐわかる?」
「わかるわよ。わからない人は、よっぽど鈍いのよ。でも、あなたも、かなり鈍いんじゃない?」
「どうして?」
「だって、あなた、全然片想いみたいなこと言ってたけど、どう見ても、彼、あなたにぞっこんよ」
「えっ、そうかしら!」
「嬉しそうね。にこにこしちゃって、もう。そうよ。あたしに気を引かれないくらいだもの、よっぽどよ。それに、さっき、お店に行く途中、あなたのことをちらちら見ながら通った男を、火を吹きそうな目で睨んでたわよ」
「えっ?」
「気がつかなかった? 通りすがりの男が、あなたを眺めてったのも? ほんとに鈍感ねえ。睨まれたのは、あたしの同僚の治療師なんだけど――じゃなかったら、悪いけど、あたしとあなたが一緒にいて、あたしじゃなくてあなたのほうを見るなんて考えられないけど、彼、あたしは見慣れてるし、はっきり言って、あたしにはとっくに完璧にフられてるしね。
 で、あなたのこと、たぶん治療院に来た新しい見習いかなんかと思って、ちょっと好みのタイプかなあ、なんて思ったらしくて、すれ違った時に、ちょっとそういう目で、あなたを眺めてったのよ。で、あいつに、あの迫力でじろりと睨まれて、すくみ上がってそそくさと逃げてったわ。かわいそうに」
「えー。そんなことあったの? ほんとに?」
「うん。あいつ、『俺の女に手を出したら問答無用で焼き殺す!』みたいな、すごい目つきしたわよ」
「そ、そう?」
「嬉しそうじゃない。だめよ、そんなの嬉しがっちゃ。あたしだったら、ああいうのは我慢できないわね。なんかもう、全身で『俺の女だー!』って主張してる感じじゃない。あなた、よく黙ってあんなでかい面させとくわね。あたしだったら、顔洗って出直して来いって言ってやるわよ」
「……そう?」
「そうよ。いくら好きな相手にだって、平気であんな『持ち主』みたいな顔させとくもんじゃないわよ」
「そう? ……でも、いいの。あたしは気にならないから」
「そりゃあ、気にならないでしょうよ、気がついてないんだもん」
「気がついても、気にしないわ。アルファード、やさしいし。あたしがそれでいいんだから、いいじゃない」
「あーあ……。まあ、いいけどね。でもね、あなたって世間知らずでネンネっぽいから忠告しとくけど、ああいう男って、外づらと内づらと違うこと、多いわよ。気をつけてね」
「ええっ? アルファードは、絶対、そんなんじゃないわ! それに、外づらって言ったって、あたし、アルファードと、ずっと一緒に暮らしてたのよ!」
「……ですってね。ですってね! なんで黙ってたのよ、この裏切り者!」
「別に隠してたんじゃないわ。こないだは、たまたま話がそっちに行かなかっただけよ」
「そのへんの事情、きっちり説明してもらうわよ! ねえ、一緒の部屋で寝起きしてたわけ?」
「ううん、寝る部屋は別。ちゃんと、あたしの部屋があったの」
「ふうん。で、一緒に住んでて、何もなかったわけ?」
「何もって、何がよ」
「とぼけないで白状しなさいよ。正直に言わないと、首締めるわよ!」
「だって、白状するようなこと、なにもないもん。だから片想いだっていってるでしょ」
「だから、そんなことないってば。彼もあなたが好きなのよ。それは間違いないってば」
「そうかなあ。でも、一緒に住んでても、養女か妹か、でなきゃ下宿人って感じで、それだけだったの。それは本当」
「ふうん。まあ、たしかに、他の人ならともかく、このあなたとあの彼じゃ、そういうのも、ありかもね。じゃあ、それはまあ信じるけど、でも、それだったら、一緒に住んでたからって、あなたがあいつの外づらじゃない顔を知ってるってことにはならないと思う」
「どうして? 『何か』ないと、一緒に住んでても外づらなの? それじゃ、親子兄弟は外づらの関係? 男同士は、一生、外づらでしかつき合えないの?」
「屁理屈こねるんじゃないの、この子は」
「それに、あなたは知らないでしょうけど、アルファードは、外づらを取り繕うような人じゃないんだから!」
「だからね、違うのよ。わかってないわねえ。嘘や演技で外づら繕ってる人より、嘘も演技もなく、あるがままのその人でいるだけで、深入りしてみるとなぜか思ってたのとは違ってきちゃうって男の方が、かえって始末が悪いのよ。『こんなはずじゃなかった』って思った時には、もう深みにはまってて、抜け出せなくなるのよ」
「何、それ? 実話? 友達の彼氏のこととか?」
「まあね。そういう男はね、本人も変わるつもりで変わるんじゃないんだから困るのよ。男の方は、自分は変わってないつもりで、でも、相手が見込み違いに気づいて離れようとすれば、男の方にしてみれば自分は変わらないのに相手が自分を裏切ったようにしか見えない。本当の自分を受け入れてくれないんだとしか思えない。自分の変わらぬ真心を踏みにじられたと思う。それでもあきらめ切れずに、『変わらぬ真心』の鎖で相手を縛ろうとする。『変わらぬ真心』がある自分には、そういう権利があると思いこむ。それで、もう、後は泥沼。修羅場よ。怖いわよ〜」
「ふうん、何だか良く分からないけど、お友達、大変だったんだ……。でも、そりゃあ、その人は大変だったんでしょうけど、アルファードは違うわ!」
「つき合い始めは、みんな、そう思ってるのよ。でも、ああいう、独占欲強そうな、執念深そうなタイプは、一歩間違うと特に怖いんだから、引き返せない程深みにはまる前に、よく目を開けて見極めておかなきゃだめよ。あなたって、ほんと、何もわかってなさそうだから」
「そりゃあ、わかってないのは確かだけど……。でも、アルファードって独占欲強そう? あたし全然、そんなふうに思ったことないんだけど」
「だからあなたは鈍感なんだってば。あいつ、ああ見えて、けっこう危ない男だと思うわよ。ああいう、表面は静かだけど内側に何か火種くすぶらせてそうっていうのは、どこかで一歩踏みはずすと意外と怖いタイプなの。まあ、それでも好きだってんなら、止めないけど。『毒を食らわば皿まで』の覚悟で、思いっきり泥沼の底の底までふたりでハマってみるのも、本当に好きなら、それはそれで本望じゃない?
 ……でも、あいつもよくわからないやつよね。あんなに露骨に『俺のモノ』づらしておいて、あなたには、そういうこと、何も言わないんでしょ? ずっと一緒に住んでて、何もないんでしょ。もしかして、あいつ、あんまりアタマ悪くて、自分があなたを好きだってことにも気がつかないんじゃないの?」
「アルファードはアタマ悪くないってば」
「うん、まあ、話してみたら、見かけほどバカじゃなさそうだったわね。でも、こういう問題になると、誰でもバカになっちゃうのよ。国中で一番賢いリオン様や、あの知的なシーン様でさえ、そうなんだものね……」
「ねえ、このあいだもあなた、シーン様がなんとか言ってたけど、あの二人って、何かあるの?」
「そうなのよ」と、リューリは溜息をついた。
「おおあり。シーン様は強敵なの。なにしろあの二人は、あたしが生れる前からの付き合いなんだもの……。付き合いって言っても今のところ友達付き合いなんだけど、もしあの二人が何かのひょうしに結婚することになっちゃったら、あたし、あきらめて祝福してあげるつもり。他の女には絶対リオン様は渡さないけど、シーン様じゃ、しかたないもの。シーン様って、すてきでしょ。知的で行動力があってりりしくて。それに、とても綺麗よね。でもね、顔だけよく見ると、別にそれほど飛び抜けた美人ってわけでもないのよ。かといって、厚化粧して着飾ってるわけでもないし、それなのに、なぜか、すごく美人に見えるの。なんていうか、背筋がピンと伸びてて、立ち居振るまいがさっそうとしてるのよ。そういうのって、すてきよね」
「うん。かっこいい。シーン様も、あんなにすてきなのに、まだ独身なの?」
「そうよ。前に、まだうんと若い頃、一回結婚したんだけど、今は独身」
「離婚とか?」
「ううん、死別」
「そう、気の毒ね……。でも、リオン様と再婚しそうなわけ?」
「それがね、しそうもないのよ。<長老>ユーリオンと<賢人>ファルシーンはなぜ結婚しないか、っていうのは、『イルファーラン七不思議』の一つと言われているの。あの二人、いろいろと訳ありなのよ。と言っても、たいした訳じゃないんだけど」
「え、どんな訳?」
「知りたい?」
「知りたい、知りたい!」
 こうして二人の恋する乙女は、真冬の路上で果てしなくおしゃべりに興じ続けた。
 どうやら、リューリにとっては、里菜が<マレビト>であったことより、里菜とアルファードとの関係のほうがよほど重大な関心事らしい。そのことに、里菜はなんとなくほっとして、心がなごむような気がした。里菜も、リューリとは、<マレビト>だのなんだのということは忘れて、普通の友達同士のように、お互いの恋の打ち明け話がしたかったのだ。
 里菜にとっては、魔物退治にいかなくてすむ、うれしい夜だった。こうして、ふつうの女の子らしく噂話に興じていると、いっとき、魔物退治をしている時とは違う無邪気な自分に戻れるような気がした。

<前へ || 次へ>


おまけ:実は、初稿では、上の『知りたい、知りたい!』のセリフの後、リューリが里菜にユーリオンとファルシーンの過去のいきさつを語っていました。が、はっきりいって物語の本筋とは全く関係の無い完全な無駄話だったので、推敲時にカットしました。でも、もし、その話の内容が知りたい人がいたら、『おまけ』として公開しておきますので、たいしたものではありませんがご笑覧ください。→『おまけ』こちら
感想掲示板へ
『イルファーラン物語』目次ページへ
トップぺージへ

この作品の著作権は著者冬木洋子に帰属しています。

掲載サイト:カノープス通信
http://www17.plala.or.jp/canopustusin/index.htm