長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第一章 エレオドラの虹> 

12(前編)

「おーれーはァ村中でェいっちばァん……。おーい、リーナちゃん! おっはよー!」
 例によって妙な歌を歌いながらやってきたローイが、いきおいよくアルファードの家のドアを開け、能天気な大声を上げた。
 背中に赤ん坊を背負い幼児の手を引いているローイの後ろには、さらに数人の子供たちが並んでいる。
「リーナお姉ちゃん、おっはよー!」
 まわらぬ舌でローイのまねして元気に挨拶しながらわらわらと入ってくる子供たちを、里菜は笑顔で迎えた。
「おはよう、ローイ! おはよう、みんな!」
「さあ、今日も元気に『タクジショ』とやらを始めようぜ!」と、言いながら入ってきたローイは、そこで露骨に顔をしかめて立ち止まった。
「なんだ、アルファード、まだいたのかよ!」
「居て悪いか。ここは、俺の家だ」
 アルファードはぶっきらぼうに言ったが、目は笑っている。
「別に、悪かないけどよ。今日は、仕事、無いのかよ?」
「いや、今から出かけるところだ」
「今日はどこの仕事だ?」
「ドリーの家で頼まれ仕事だ。裏の木がでかくなりすぎて家が日陰になったから、枝を切りたいんだそうだ」
「ああ、そうか、あそこは男手がないからな。まあ、がんばって働いてきてくれや!」
「ああ。じゃあ、リーナ、行ってくる。ローイ、あんまり家の中で暴れるなよ」
 こう言い置いて、アルファードが出ていくなり、ローイが叫んだ。
「さあ、ガキども、家の中じゃ暴れちゃいけないってから外で暴れるぞお! ガオー!」
 ローイはわけのわからない吠え声をあげ、いつのまにか両腕に一人ずつブラ下げていた子供たちを、腕を振って揺らしてやりながら庭に出ていった。残りの子供たちも、ローイの奇声を真似ながら、ころげるように飛び出していった。
 里菜もそのあとに続きながら、こう考えて微笑んだ。
(ローイって、保父さんが天職かもしんない……)
 あのドラゴン退治からしばらくの後、例年より早めに山のまきばでの羊の放牧が打ち切られ、それまで規則正しく続いてきたアルファードと里菜の日課は、がらっと変わった。それは、一日中まきばで一緒に過ごした、あの蜜月のような日々が永遠に続くかのように感じていた里菜にとっては、少しばかりさみしいことだった。何しろ、里菜にとって一番重大な変化は、アルファードと一緒にいる時間が減ったということなのだ。
 羊飼いといっても自分の羊を持たないアルファードは、毎年、冬場には、自警団の訓練や村の共同作業に出るほかに、あちこちの家で力仕事を手伝ってわずかな報酬を得て生活している。
 が、放牧が終わって雪が降る前のこの時期は、彼もけっこう忙しい。
 雪が深くなるとそれぞれの持ち主の家畜小屋に閉じ込められる羊たちも、まだ雪がない今のうちは、取り入れの済んだ畑の一角に作られた共同の冬用家畜囲いに放されている。そこはだいたい常に誰かしらの目が届く場所なので、山の牧場《まきば》でのようにアルファードが日がな一日羊たちを見張っている必要はなく、アルファードは、朝、囲いの餌場に飼料を補給したあとは、ミュシカをそこに残して、干し草作りや積雪対策など、雪が来る前の今ならいくらでもある村の共同作業を手伝いに行く。この時期には、アルファードも労働力として結構あてにされていて、のんびり羊の番などさせておいてはもったいないと思われているのだ。
 アルファードが村人たちと一緒に野良で働くのは、一年のうちで、春先に山の雪解けを待ちながら村で出産期の羊の世話をする短い時期と、この冬支度の時期だけだ。
 ところが、アルファードは、この仕事に、里菜を連れていってくれないのだ。魔法が使えない上に家事にも不慣れで力仕事の役にも立たない里菜が手伝えることなど、どうせほとんどないし、その上、里菜には、例の、魔法を消すという変な力がある。いくら里菜が自分のその力を抑えられるようになったとはいえ、いつなんどき何かの拍子で魔法を消してしまって人の作業の邪魔をしないとも限らないというのが、アルファードの言い分だった。
 里菜の魔法の訓練は、いまも続いていた。
 いったん魔法を受け入れた里菜は、魔法を見慣れるにつれて、一時は逆に、魔法を消す力を失ってしまったかに見えた。里菜は、それでも別にかまわなかったのだが、アルファードは、こう主張した。
「君には、その力のほかに、身を守るものがないんだ。その力を自在に操れるようになるまで練習を続けるべきだ」
 それからふたりは、また試行錯誤を繰り返した。やがて里菜は、だいたい自分の思うとおりに、魔法を消したり消さなかったりといった使い分けができるようになっていった。魔法を消したくないときは、そのまま、その魔法のことを気にしないでいればいい。魔法を消す時には、その魔法に意識を集中し、それが不自然なものであることを思い出す。
 その時に、「嘘!」だの「消えろ!」だのと、まず口に出して言ってみることで自分の精神をコントロールするという、ちょっとしたコツを里菜は身につけた。
 だが、里菜にそういう訓練をさせた当のアルファードは、里菜の自己制御を、まだ、完全には信用していないのだ。アルファードは、慎重にも、今だに里菜を村の中に連れていくことを出来るかぎり避けていたし、里菜にも、『家のまわりで子供たちと遊ぶのは構わないが、勝手に村へは行くな』と厳しく言いつけていた。そんなわけで、里菜は日中、家に残されることになった。
 最初の何日かは、里菜はそれなりに張り切った。アルファードのそばにいられないのは悲しいが、それなら、居候なんだから、せめて家事一切を引き受けるくらいのことはしてアルファードの役に立ってみせようと思ったのである。それまでも里菜は、アルファードに教わりながら一通りの家事を手伝っていたのだが、一日中家にいるなら、もっといろいろ出来そうな気がしたのだ。
 だが、その熱意は、すぐに冷めてしまった。
 なにしろ、手のこんだ料理を作ろうにも、この国の料理で里菜が知っているのは、いつもアルファードと一緒に作っていた、日によって材料が少し違うだけの単純なごった煮かスープだけだし、それなら何か『あちら』の料理を、と思っても、家庭科で習った通りに作ろうと思ったら材料も道具も調味料も揃わず、何も教科書通りじゃなくても自分で工夫すればいいじゃないかと気づきはしたが、よく考えてみれば、そもそも里菜は『あちら』でだって料理なんてろくにしたことがなくて、何をどうしていいのか、さっぱり見当がつかない。それに、肝心のアルファードも、どうやら、自分が十年来、日々作り続けていたような変わり映えしないごった煮以外のものが食べたいとは、別段、思っていないらしい。食べ物は、ありあわせの材料で手早く出来て腹が膨れて栄養になりさえすればいいのであって、味など、とりあえず不味くなければそれで十分という、美食とは一切無縁の人なのだ。
 掃除にしたって、家がこんなに古くて、しかも家の中で出入り自由の大型犬を飼っているとなるとそんなにピカピカにしようがないし、第一、こう薄暗くては、少しくらいきれいにしても目立たないし、逆に、多少汚れていてもあまり気にならない。それに、アルファードは最初から散らかすほどの家財も持っていないし、几帳面な性格もあって家の中はそれなりに整っていたから、今さら里菜が一人で張り切って整頓するまでもない。
 独り者の上に魔法が使えないアルファードは、ずっと、パンはパン屋で買い、チーズや薫製といった保存食は他の家から分けてもらったりしていたので、あとは、手のかかる家事といえば洗濯くらいだが、ここでは毎日着替える訳ではないから、それも週一回で充分だ。
 こうなると、里菜には、たいしてやることもない。と言うより、もともと『あちら』の世界でも家事などあまりやったことがない上にこの国の暮らしに慣れない里菜に一人で出来ることなど、たかが知れている。アルファードのほうも、里菜に、手の込んだ料理を作ることとか家をピカピカに磨き立てることなど別に期待してもいないようだし、一人暮しの長い彼は自分の今までの生活に満足していて、里菜がそれをすっかり変えようとなどしたら、かえって嫌がられそうだ。
 だいたい彼は、相手が里菜であれ誰であれ、また、それがドラゴン退治であれ炊事洗濯であれ、何かを人に任せるということが、実は苦手らしい。責任感が強過ぎるのと完全主義者なのとで、ものごとを人任せにできないのだろう。しかも、もともとそういう性格である上に、更に家事については、魔法が使えないことの劣等感から、すべて自分でこなしてみせたいという頑固な意地があるようだ。
 こうした、彼のプライドに関わる事がらには、とにかく何も口を出さないのが得策だということを、里菜はもう学んでいた。
 里菜は、しばらくアルファードと生活を共にするうちに、彼が、最初に思ったような――そして村の人たちの多くがずっとそう思ってきているらしいような――、すっかり人間のでき上がった、超然と悟り切った聖人君子などではないことに、いやおうなしに気づいていた。彼は彼で、実はそれなりに、けっこう難しい人なのだ。
 一度、里菜は、ささいなことで、魔法を使えないことへの劣等感という、彼の『竜の逆鱗』に触れてしまったことがある。重い桶を担いで水汲みに往復し、汗水たらしているアルファードに向かって、何の気なしにこう言ってしまったのだ。
「魔法を使える奥さんをもらったら、こんな苦労は、いらなくなるね」
 そのとたん、アルファードは、振り返りざまに里菜をキッと見すえて、吐き捨てるように言った。
「そして、一生、赤ん坊のように女に世話されろというのか」
 その、普段温和で冷静な彼にはあるまじき刺のある口調に、里菜は、兎のようにビクッっとすくみあがった。
 あれはまだ、あの牧場《まきば》でのドラゴン退治より前のことで、里菜はその時、アルファードの怒った顔を初めて見たのだ。怒った顔といっても、たいして表情が変わるわけではなく、普段よりほんのちょっと目つきが険しくなるだけなのだが、もともとが精悍な顔立ちなので、それだけで印象が一変して、はっきり言って、結構怖い。
 怖いといっても、別に怒鳴るわけでも暴力を振るうわけでも物に当たるわけでもなく、また、いつまでも怒っていて口もきいてくれないというわけでもないのだが、いつも、普通なら怒られて当然の失言や失敗を何でも優しく許してくれる彼がほんの一瞬垣間見せた暗い激情は、里菜にとって、ちょっとした衝撃だった。
 彼は、あまり表に出さないが、実は非常にプライドが高く、しかもそれは、どうやら、魔法が使えないことへの強い劣等感の裏返しであるらしい。そのため、彼のプライドは、非常に脆く、傷つきやすいのだ。
 そんなアルファードにとって、自分と同様に魔法の使えない里菜は、この世でただ一人劣等感を刺激されずに一緒にいられる相手であり、里菜が彼のそばにおいてもらえるのも、もとはといえば、たぶん、そのためだ。
 里菜はそのことを、ちゃんとわきまえていた。
 きっとアルファードは、この世界のことをまだよく知らない上に魔法も使えない里菜のことを、何もできなくて何も知らなくて決して自分の優位を脅かさない都合の良い相手、おとなしく従順で扱いやすいペットのように思っているのだろう。
 あまり嬉しい思われようでもないが、たとえどんな理由からでもアルファードが自分をそばに置いてくれるなら、里菜はそれで良かった。そのポジションに収まっているかぎりアルファードはいくらでも優しく寛大で、頼もしいアルファードにすべてを任せきっておんぶにだっこで暮らすのはそれは居心地が良かったから、里菜はなおさら、そのポジションに馴染んでしまった。
 里菜は、アルファードのヴィーレに対する微妙な劣等感と、それゆえの敬遠も見抜いていた。
 アルファードは、自分でも気が付いてはいないかも知れないが、たぶん、ヴィーレの焼き菓子が実は苦手なのと同様、ある意味でヴィーレが苦手なのだろう。
 ヴィーレは、母親のように彼の世話を焼くことで、彼のものやわらかさの下にあるプライドを傷つけてしまう。彼らの関係は、一見、ヴィーレがアルファードに一方的に献身を捧げているように見えるが、実はアルファードは、ヴィーレの、ままごとの母親めいたやさしさに逆らえないのだ。彼はヴィーレを大切に思ってはいるが、一方で、彼女の献身を、どこか息苦しくも感じているのではないだろうか。
 だから里菜は、ヴィーレのように、アルファードが自分の仕事だと思っている領分にむやみに手出しはするまい、しかもヴィーレのようにそれをいとも易々とアルファードより格段にうまくやって見せたりは、なおさらするまいと――といっても、里菜にはどうせ、やろうと思っても本当にできないのだが――いつのまにか心のどこかで自戒していた。
 そういうわけで、家事について、アルファードが、あくまで自分が責任者で里菜はせいぜい助手として指示通りの手伝いをしてくれればいいという程度に思っているらしい以上は、里菜は、あえて出しゃばる気はなかった。
 里菜としても、まあ、本当に家事が好きでぜひやりたかったというわけではなし、不慣れな別世界で、もともとろくにやったこともない家事を、ただ女だからというだけで生まれつき出来るように思われ、当然のように一任されてもそれはそれで困っただろうから、楽といえば楽、得といえば得だが、どうせ家にいるのに何の役にも立たないのも、さすがに気が引ける。いくらなんでも、これではあんまり役立たずすぎて、子供のお留守番と変わらないではないか。
 考えてみれば、自分はもともと、あちらにいた時から役立たずだったのだと、里菜は、ここへ来て初めて気づいていた。
 あちらにいる時は、里菜は、親掛かりの学生であり、ただ勉強だけをしていれば良かった。たまたま勉強は嫌いではなく、わりと適性もあったようで、それほど苦労しなくてもそこそこの成績をとれ、夜遊びだの喫煙だのは別にしたいとも思わなかったので、学校では、多少引っ込み思案ではあっても真面目な優等生として評価されてきたし、そのことで親の期待にもそれなりに応えていると思っていた。そのために、自分が本当は一人では何ひとつできない子供だということに、あまり気付かずに済んでいて、何となく、自分がもう一人前であるかのように錯覚していた。
 でも、よく考えてみれば、自分は、これまでも、今も、自力で生きていく術を、何ひとつ持っていないのだ。
 今はアルファードに頼り切って生活しているけれど、あちらでも、里菜は、ずっと、父母に、社会に守られ、養われている子供に過ぎなかった。そして、あちらにいたころは、そのことを意識することさえ、ろくになかったのである。
 でも、いくらこれまで、常に誰かに守られることを当然の権利と信じて生きてきた里菜でも、その相手が実の親ではなく、赤の他人であるアルファードとなれば、いつまでも、養ってくれて当たり前と思っているほどずうずうしくはない。
 一応、やはり少しは何か恩返しをすべきなのだろうと思う。
 それなのに、仕事を手伝えないだけでなく家事ひとつ満足に出来ないのでは、他に何をしていいか分からない。
 だが、里菜にも、すぐに新しい仕事がころがりこんだ。それが、ローイとの『託児所』だ。
 このへんの農村では、学校は、主に、農閑期である冬に集中して授業をする。新学期が始まり、幼い弟妹の世話をする年かさの子供がいなくなった今、あいかわらずろくに働かずヒマそうにブラブラしているローイのところに、学令前の子供たちがまとめて押しつけられた。その子供たちを連れてローイが毎日のように里菜のもとに訪れるうちに、自然と里菜も子守りを手伝うようになったのだ。
 ローイと里菜がアルファードの家で子供たちを預かって、よく面倒を見てくれるということが知れ渡ると、そこに集まる子供はますます増え、子供たちは、バターだのチーズだの、アルファードが自分で作れないような食べ物を、子守りのお礼として親からことずかってくるようになった。それは里菜に、自分が村の一員として認められ、少しは人の役に立っているのだという気持を抱かせたし、居候としてアルファードの乏しい食べ物を食い潰すだけだった自分が少しでも食いぶちを稼いだということが嬉しかった。
 一人っ子の里菜は子供の世話などしたことがなかったが、そこはローイが子守りの先輩としていろいろ教えてくれ、子供たちも里菜に懐き、里菜も心から子供たちをかわいく思うようになっていた。
「ねえ、あたしたち、託児所やってるみたいね」
 あるとき里菜がそう言うと、ローイはけげんな顔をした。
「なんだ、そのタクジショっていうのは?」
 どういう仕組みかしらないが、どうも、ここでは、里菜の言葉は、どこかで自動的に翻訳されて相手に伝わっているらしい。その『翻訳』が伝達の過程のどこで起こっているのか――自分の口からは日本語が出ていて、それが相手の頭の中で『翻訳』されるのか、それとも、自分の口から出る段階ですでに『翻訳』されているのか――は、どうにも確認のしようがないのだが、いずれにしても、最初から、互いに別の言葉を話しているという違和感を感じることなく、普通に会話ができている。ただ、固有名詞や、お互いの世界にない事物を指す言葉などは、『翻訳』されずに、そのまま伝わってしまうらしいのだ。
 里菜が託児所について説明すると、ローイは、大喜びで叫んだ。
「なあるほど! そういや、そういうものがありゃあ便利だよな。なあ、リーナ、俺と一緒に都へ出て、都でタクジショ始めないか? 都では、外で働いている母親はいっぱいいるんだが、ばあさんなんかが一緒に住んでないうちでは、いろいろ苦労してるらしいぜ。そういう家の子を、金とって預かる。まずは小さな家を借りて二人で始めてさ、うまくいくようなら、だんだん手を広げて、何軒も家を借り、人も雇って、大々的にやるんだ。そうなったら俺たちはもう金持ちだから、父親のいない子供とか母親が病気して困ってるうちの子なんかは、うんと安く預かってやったっていいよな。毎日ガキどもと楽しく遊んで金を儲け、人の役にも立つ。これはすばらしいぞ!」
 まさか本気ではないだろうとあいまいに笑って済ませた里菜だが、確かに彼は、託児所経営に向くかどうかはともかく、保父さんには向いていると思ったのだ。
 ローイが器用に作ってやったおもちゃで、子供たちがおとなしく遊んでいるときは、里菜とローイは、あれこれとおしゃべりをした。ローイは、子供たちに歌をうたったり、お話をしてやるだけでなく、里菜にも、名調子で、この国の伝説や、歴史を題材にした物語を語ってくれた。それは里菜にとって、面白いだけでなく、とても勉強になったが、もっともローイの語るのは、伝説であるから、必ずしも史実どおりでないのだろう。
 一度、里菜は、ローイに聞いてみたことがある。
「ねえ、ローイ、ラドジール王って、本当にいた人なんでしょ?」
「ああ、そうだぜ。ちゃんと、学校の歴史の時間でも教えている、有名な昔の王様だ。でも、ラドジールが本当に伝説で言われているような食人王だったかどうかは、俺は知らねえよ。まあ、戦乱の世に平民から王様にのし上がったなんて男が、人を山ほど殺してないわけはないし、そのなかには当然、女も大勢いただろうし、彼の言動に少々常軌を逸したところがあったとか、お妃が次々早死にして、十三年の在位の間に結局十二人の妃を娶ったとか、最後は城の物見の塔から落ちて死んだとかいうのは史実らしいぜ。でも、一年に一人づつお妃を迎えて、それをみんな婚礼の晩に殺して食っちまったとか、死んだ恋人が彼の腹の中で予言をし続けてたなんていうのは、いくらなんでも、作り話だろうさ。だいたい、負けた国の王様なんて、ろくなこと言われるわけねえんだ」
「ラドジールの国は、負けたの?」
「そうさ、だから今、カザベルじゃなくてイルベッザがこの国の首都なんじゃないか。でも、負けたのはラドジールが死んでからだよ。彼が生きているうちは、連戦連勝、負け知らずだったってさ。だから今でも北部、特にカザベルじゃあ、ラドジールは英雄なんだ。もしあんたが、ラドジールって名前のやつに会ったら、まずまちがいなく、そいつはカザベルの出身だぜ。北部のやつの前で、あの物語をするなよ。絶対、怒るからな」
「北部の人は、この辺にもいるの? 会ったら、わかるの?」
「この村には、いないよ。でも、プルメールあたりまで出れば、いろんなところの出身の人がいる。そうそう、ヴェズワルの山賊も、大半が北部からの流れものらしいぜ。北部のやつは、言葉がなまってるし――もっとも、あっちに言わせりゃ、俺たちのほうがなまってるんだそうだが――、なんとなく貧乏臭くて服装もダサイから、すぐ分かる。北部は気候が厳しいし、土地も痩せてるから、昔から貧しいんだ」
 やっぱり、ローイの話は、ためになる。これで里菜は、南部と北部の間に歴史的ないきさつからくる微妙な反目が残っているらしいことも、知ることができたわけだ。
 こうして里菜は、ほんの数日の内に、この国について、無口なアルファードが一月半のあいだに話してくれたよりも多くのことを、ローイから教わっていった。
 今日も、里菜とローイは、子供たちを見守りながら、おしゃべりに興じていた。
 ローイとひとしきり乱暴な遊びに興じた子供たちは、いまはおとなしく、家の中で積み木遊びをしている。ローイの背中では、さっきまでぐずっていた赤ん坊が、いつのまにかぐっすり眠っている。
 たあいないおしゃべりをしながら、夕食の材料を物色しはじめた里菜が、つぶやいた。
「あ、いけない。パンが、もう無いわ。アルファードに買ってきてくれるように頼んどけばよかった」
「なに、パンが無い? なら、買いに行けばいいじゃないか。一緒に行こうぜ」
「ううん、だめなの。アルファードに買って来てもらうことになってるの」
「なんで? まさか、あいつ、仕事にいく時、家に金を置いとかないで、全財産持ってっちまうわけ?」
「ううん、そうじゃないけど、アルファードが、勝手に外に出るなって……」
「なにい? 外に出るなぁ? なんでまた、そんな無体なことを」
「ほら、あたし、変な力があるじゃない。それで、人に迷惑をかけると困るから……。家のまわりはいいんだけど、村の、ほかの人がいるようなとこへは、一人で行くなって」
「だって、あんた、もう、その力、抑えられるようになったんじゃねえの?」
「うん。でも、アルファード、慎重だから。それに、山賊が出ると怖いし」
「山賊だあ? 何も俺は、あんたを寂しい山道に引っ張り出そうってんじゃないんだぜ。パン屋は村のど真ん中だよ。そんなとこに白昼堂々と山賊が出るとしたら、それはよっぽどの大襲撃で、そんなのにまきこまれたら、その時はその時で、そりゃもう、しかたないだろうさ。アルファードになんと言って脅かされたか知らねえが、まっ昼間っから山賊が怖くて買い物に行けないなんていったら、誰もこの村で暮していかれないじゃないか」
 そう言いながら、ローイはあきれて、まじまじと里菜を眺めた。
(バカか? そんなの、口実に決まってるじゃないか。アルファードは、ただ単に、あんたを閉じ込めておきたいんだよ。あいつはそういうやつなんだ。まったく、この仔猫ちゃんときたら、アルファードがどんな無体なこと言っても、露ほども疑問を持たないんだからな。恋は盲目というが、こりゃ、重症だな)
 そのときローイは、よっぽど里菜にこう言ってやろうかと思ったのだ。
『あんた、自分の置かれてる状況ってもん、分かってる? そういうのを、軟禁状態、もっと言っちまえば、飼い殺しっていうんだぜ』
 が、さすがに、その言葉はあやういところで呑み込んだ。里菜の前でアルファードの悪口と取られるようなことを言ったら、自分がのほうが憎まれかねないのは分かっているのだ。
 こうなると、ローイは意地でも里菜を連れ出したくなる。
「な、行こうぜ。アルファードは、一人で村に行くなって言ったんだろ。俺と一緒ならいいじゃないか」
「うん、でも……」
「大丈夫だって。俺だって自警団の副団長だぜ。いざとなったら、あんたの一人くらい、守れる。山賊くらい、おっぱらってやるさ」
「だって……」
「ああーッ、じれってえなあ! その、『でも……』とか、『だって……』とかいうの、頼むから、やめてくんない? あんた、一生ここに閉じこもって過ごしたいわけ?」
「そんな、一生だなんて。ただ、しばらくの間、あたしがもっと魔法に慣れるまでだけよ」
「バカか、あんた。アルファードが『もう大丈夫』というころには、あんた、ばあさんになってるぜ。だいたい、やつは心配症なんだ。いいから来いよ。俺が責任持つって。もし後でアルファードのやつが何か文句言うようなら、俺んとこへ言いに来さしてくれ。おーい、ガキども、買い物に行くぜ! ついて来い! さあ、リーナ、あんたも、来な」
 そう言うなり、ローイは本当に、子供たちを引き連れて出ていってしまった。
 里菜はあわてて戸口から叫んだ。
「待ってよ、ローイ! 行くから、ちょっと待って。お金、持っていかなきゃ」
「そうだろ? やっぱり来るんだろ? たかがパン買いに行くぐらいで、ぐだぐだ言わずにさっさと来りゃあいいんだよ」
 満足気にそう言ってゆっくりと歩き出したローイの後ろを、小銭を握った里菜が、小走りに追いかけていった。

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掲載サイト:カノープス通信
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