長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第一章 エレオドラの虹> 

六(後編)

(『6−前編』までのあらまし:ある日突然異世界イルファーランにやってきた内気な女子高生・里菜は、羊飼いの若者アルファードに拾われて、共に暮らすようになった。そこは日常生活の中で当たり前に魔法が使われる世界だったが、里菜には、自分の見ている前で使われる魔法を自動的に無効にしてしまうという特殊な力があることがわかった。その力を制御できるようにならないと、里菜は、この世界で普通に暮らしていけないらしい。それから数週間後、ふたりは、山のまきばで、牧羊犬のミュシカと共に羊を見張りながら、アルファードの友人で里菜とも親しくなった気の良い青年ローイの噂話をしていた──)

 そのとき、ミュシカがピンと耳を立て、鼻面を上に向けて、うれしそうに尾を振った。
「うわさをすれば、ローイだな」と、アルファードはつぶやいた。
 すぐに、まず赤い羽、次に緑の帽子、そしてその下の茶色いくせっ毛と陽気な顔が、坂の上にひょい、と現われた。
「よお! リーナちゃん!」
 元気な声とともに、ローイは手を振って、ずんずんと坂道を上がってくる。相変わらずキテレツな格好だ。
「おい、ローイ。俺には挨拶なしか?」
 アルファードが笑って言う。
 彼が、こんなふうに気安く軽口を言うのは、ローイに対してだけだ。
「ああ? 男に挨拶なんか、するだけもったいないぜ」
 言いながら近付いてふたりの前に立ち止まったローイは、ミュシカを見下ろして、おおげさに顔をしかめてみせた。
「おい、おい、ミュシカ! 俺のリーナちゃんの膝に、気安く頭乗せんなよな! そこは俺の場所なんだよ! な、リーナちゃん?」
 そういいながらも、彼はもう、ミュシカを挟んで里菜の隣に腰を降ろしている。
「もう! ローイってば! 誰が『俺の』なのよ!」
 里菜も笑って言い返した。自分がこんなふうに気軽に彼に調子を合わせられるのが信じられない。知りあってからまだ半月しかたたないのに、まるでずっと昔からの友達のようだ。
(ローイって、ほんとにいいひと。とっても面白いし、いつも明るくて、親切で)
 里菜は、となりに腰を降ろしてペラペラ冗談を言い続けるローイの顔を見上げて微笑んだ。
 ローイはふいに口を閉ざして、一瞬まぶしげに目をそらしたが、それから、いきなり立ち上がって、元気に叫んだ。
「さあて! そろそろまた、リーナちゃんのお勉強につきあおうか!」
 ローイは、ただおしゃべりだけをしに来ているのではないのだ。
 彼は、この間から、何度も、里菜の、例の特殊な力の制御の訓練を手伝っているのだった。魔法が使えないアルファードに代わって、里菜の、いわば練習台を務めているのである。
 最初のうち、何回か、ヴィーレも練習につきあってくれたのだが、彼女はどうしても里菜の力に慣れることができず、怖そうにするので、しだいに練習台はローイの役目に決まってしまったのだ。
「魔法が使えないったって、そのときだけのことで、魔法の力がなくなっちまうわけじゃないんだから、びくびくすることないよな。だいたい、<マレビト>だのなんだの、みんな迷信深いんだよ。どこから来たんだって、リーナちゃんはリーナちゃんだよ。な?」というのが、彼の言い分である。
 里菜は、そんなおおらかでこだわらない彼の態度が、とてもうれしかった。
 彼は、ほかの人とちがって、里菜やアルファードが<マレビト>だからといって、特に気にする様子もないのだ。彼が、あまり他人に心を開かないアルファードの一番親しい友人であり続けるのも、たぶんそのためだろう。

「さあ、いくぜ、リーナちゃん」
 ひらりと上に向けられたローイのてのひらの上に、一瞬、小さな炎が浮かんだ。
 里菜の瞳に炎が映った。
 が、里菜はそれを見てはいなかった。心を空っぽにして、目に映るものを見ない──それが、このところしばらく里菜がしてきた『練習』だったのだ。
 アルファ−ドは、里菜の『魔法を消す力』の本質を、すぐに見抜いていた。里菜は、魔法を信じていないのだ。信じないこと、それが彼女の力の源なのだ。それは本当は、『本物の魔法』の力の一種などではないはずだ。
(おそらく、魔法は、それを信じていないものには効かないのだろう。動物に魔法が効かないのはそのために違いない)と、アルファードは思い至った。
 それは、この世界に住むものにとってはほとんど理解不能な観念だった。
 アルファードがこのことに気がついたのは、彼が魔法が使えず、魔法をあたりまえだと思っていないからだったのだが、魔法は使えなくても子どものころから魔法があたりまえの世界で育ち、それ以前のことを覚えていない彼自身には、意識的に魔法を信じないようにする、などということは、試みてみても、むろん出来なかった。ましてや普通の人に、そんなことが出来るわけはない。それは、自分が目で見ているものを本当はそこにないものと思え、と言うようなものだ。
 とすれば、里菜の力は、あきらかにこの世界に属していない異質な力であることはたしかで、だからこそ、実は魔法からもっとも遠い力でありながら、この世界の人の目には『本物の魔法』に見えるのだ。
 それならば、里菜がその異質な力を制御するためには、ただ、魔法を信じるだけでいいはずだと、アルファ−ドは考えた。
 アルファードは、最初、自分が心の底では魔法の存在を信じていないことを自覚さえしていなかった里菜にそれを自覚させ、その上で魔法を信じるように促そうとした。
 だが、それは、すぐに無駄だとわかった。意識の表面のことはともかく、自分でも気づけないような心の奥底の思いなど、変えようとして簡単に変えられるものではない。
 そこで方針を転換し、魔法を信じさせることは諦めて、今度は魔法を見ない訓練を始めさせた。魔法が使われる瞬間に目をつぶったり、目をそらしたりする訓練だ。だが、そんな方法では、実用的とはいえない。はっきりいって、くだらない努力だ。
 それで、次には、目には見えている魔法を意識から締出す、いわば精神制御の訓練にのりだしたわけである。
 そして、それは、ある程度の成果をあげつつあった。最近、里菜は時々、ほんの一瞬だけ、今のようにロ−イの手の上の炎を消さずにいることができるようになったのだ。
 とはいえ、あえて意識をよそへ飛ばしていても、そう長いこと、目の前のものから注意をそらし続けてもいられない。ロ−イの手の上の炎が、ふっと薄れかけた。
「リーナ! だめだ」
 アルファードの鋭い叱声もむなしく、ローイの手の上の炎が消えた。
「ごめん……。やっぱり見ちゃった」
 うなだれた里菜に、ローイが、手を降ろしながら言う。
「でもさ、今、一瞬だけ、うまくいったよな。進歩、進歩。頑張ろうぜ、な?」
「うん」
 里菜は気を取り直して、うなずいた。
 その様子を見ながら、アルファードは考え込んだ。
(しかし、この方法でも、結局同じことだな。回り中で魔法が使われる村の生活の中で、いつもいつも、見れども見えずとばかりに、ぼんやりしているわけにもいくまい。どうしたものか……)
 さっきのように魔法を消さずにいる時の里菜というのは、つまりは目を開けていても何も見ていない、心ここにあらずの状態にあるわけで、日常生活の中でしょっちゅうそんなふうになっていては困るのだ。
 アルファードが難しい顔で考え込んでしまったので、里菜は、自分がいつまでもうまくできないことに彼が怒ってしまったのかと不安になって、おどおどとアルファ−ドの顔色を窺った。それで初めて自分が怖い顔になっていたらしいことに気付いたアルファードはあわてて渋面を引っ込め、里菜を安心させようと微笑みかけた。
 ただそれだけのことで目にみえてほっとする里菜の姿に、アルファードは、ふいに本能的に悟った。
(この子は、魔法を信じることは永遠にないかもしれない。だが、『俺を』であれば、信じるだろう。この子が、ただひとつ、自分自身よりも信じるものがあるとすれば、それは俺だ。なぜ、俺なんかのことをそんなふうに思ってくれるのかは知らないが、これは事実だ。そして、そのことが彼女の力の制御に利用できるなら、利用するのが彼女のためだ) アルファードは、里菜に歩みより、その目を覗き込んで言った。
「リーナ。魔法を信じなくてもいい。だが、俺を、信じてくれ」
「え……」
「君は、俺の言うことを、信じてくれるね」
「う、うん……」
 静かな力を秘めたアルファードの暗褐色の瞳に見据えられ、里菜は、よくわからないまま、つりこまれるように頷いた。
「じゃあ、今から俺の言うことを、全部、無条件で、信じて欲しい。いいね?」
 里菜がきょとんとしているのも、後ろで聞いていたロ−イが目を丸くして、
「はァ〜あ、なんだ、そりゃあ? あんたいったい何言ってんだァ?」と、あきれ声を上げるのも無視して、アルファ−ドは静かに里菜の背後にまわり、その肩を抱くようにして立った。
「リ−ナ、目をつぶってごらん。ローイ、もう一度、火を頼む」
 ロ−イは釈然としない顔で、それでもとりあえず炎を出して、それをポンポンと空中に小さく投げあげるようにしながら掌の上に浮かべた。
 ちなみに、呼び出した火をすぐ何かに焚き付けるか投げつけるかしないでこんなふうに浮かせておくのは微妙な制御力を要する高度な技で、出来る人は少ない。彼は結構、魔法の力を器用にあやつるのだ。特に、その優男の外見に似ず、火の玉の攻撃魔法にかけては村で一、二を争う使い手である。
 アルファ−ドは静かに里菜に語りかけた。
「リーナ、今、君は見ていないが、ローイの手の上に、炎がある。これは本当のことだ。現実だ。俺の言葉を信じてくれ。目を開けて、炎を見てごらん。君が見ても、それは消えないんだ。本当にあるものなんだから、消えるわけがないだろう?」
 里菜が目を開けた。そのとたん、炎が薄れかけた。
 アルファードが、里菜の肩をつかんだ手に、瞬間、力を込めて、鋭く囁いた。
「リーナ! 俺を信じないのか」
 里菜はびくっとして、アルファ−ドを振り向いた。
「炎は、あるんだ。俺があると言ったら、あるんだ。今は、君自身をではなく、俺の言葉を信じてくれ」
 驚いて目を見張る里菜に向かって、アルファードは穏やかに説いた。
「リーナ。君は、自分では気づいていないだろうが、魔法を認めることが怖いんだ。魔法を認めたら、自分がこれまで信じてきた世界の秩序が嘘だったことになって、それを信じてきたこれまでの自分自身をも否定することになってしまいそうな気がしているんだと思う。でも、恐れることはない。俺が、そばにいるから。君には、俺がついている。恐れずに信じてほしい。リーナ、俺は魔法が存在するこの世界に生きている。君が魔法を否定することは、俺がいるこの世界を、そして俺を、この世界に生きている俺の存在を否定することになるんだ。あの炎が現実のものでないと思うことは、この俺を幻だと思うことと同じだ。君は、それでもあの炎の存在を否定するか?」
 里菜はふいにアルファ−ドの意図を理解して、はっとしてアルファ−ドを見上げ、頷いた。見つめ合うふたりは大真面目だが、はたで聞いているロ−イには、何が何やら、さっぱりわからない。
(なんだァ、アルファードのやつ! なに、ぐだぐだと、訳のわからん、無茶なこと言ってやがる。前から思っちゃァいたが、つくづくあいつは、自分を何サマだと思っていやがるんだ!)
 ローイは、てのひらの上で小さな炎を弄びながらアルファードを睨みつけた。 
 里菜が、また、アルファードに肩を抱かれてこちらを向いた。
 ローイは、アルファードの大きなシルエットの中に取り込まれてしまったかのような、里菜の小さな姿を見やった。彼の健全なバランス感覚が、警報を発する。
(この構図は、よくないぞ! なんだか、気にくわねえ!)
 そのとき、考え事のせいでうっかり忘れていた火の玉が、彼の掌に落ちてきた。火の玉を手の上に浮かべ続けておくためには、非常な集中力を必要とするのだ。
「うわッち!」と叫んで、ローイはあわてて炎を投げ捨てる。
 炎は、地面につくまえに、すっと跡を曳くように消えた。
 魔法の火の玉は、普通、投げてしまえばすぐに消える。それで、戦場で火の玉を投げ合っても普通は火事は起きないのだ。逆に言えば、火の玉の攻撃魔法は、飛距離が短い。結局、接近戦にしか使えないのだが、逆に、あまり接近し過ぎて敵味方入り乱れての乱戦になっても、それはそれでまた使いにくい。つまり、火の玉は、実際の戦場で使うには非常に制約の多い攻撃法で、限られた条件下でしか有効でないのだ。だから、この国では、先の統一に至るまで、剣や槍や弓を中心に、のどかといえばのどかに戦って来たのである。
「熱っちィ−。うう、驚いた。つい、ぼんやりしちまった」と、手をズボンにこすりつけながら、ローイは急に気がついて、もう一度叫んだ。
「あれェ! リーナちゃん、あんた、そういえば、今、俺が魔法を使うとこ、見てたんじゃねえか?」
「う、うん……。あたし、今の、見た……」
 里菜は呆然と答えた。
 ロ−イはもう一度、炎を出した。炎はローイの手の上で、軽やかに踊り続けた。
「リーナ、やったじゃん! おッ、すげえや。大成功だ!」ローイは陽気に叫んだ。アルファードのやりくちは気に入らないとしても、成果は成果だ。
 里菜は大きく目を見開いて、まだ信じられない様子で呟いた。
「あたし、魔法を見た……」
(ここで、『ローイ、ありがとう、あなたのおかげよ』とかなんとか言って俺に抱きついてくれたりするのが正常な反応ってもんだが、リーナは、まあ、そんな正しい反応はしないだろうな)という、ローイの予測のとおり、次の瞬間、里菜はアルファードを振り向いて、
「よくやった。おめでとう、リーナ」と、優しく微笑むアルファードに向かって、心配そうに、こう言った。
「アルファード……。あたしが魔法を見られるようになっても、あたし、あなたの家に置いて貰えるのよね?」
「リーナ、そんなこと心配してたのか。もちろん、君がいたければ、いつまででも俺の家にいていいんだ。部屋は余ってるんだから、何の問題もない」というアルファ−ドの言葉に、里菜はやっと微笑んで、幸せそうに頬を染めたのだった。
 ローイはあきれて、そんなふたりのようすを見やった。
(あーあ、リーナちゃん。そんな心配いらねえよ。逆に、あんたが出ていくと言いでもしたら、アルファードのやつ、あんたの首に紐付けて戸棚にしまってカギかけちまうぜ。まあ、勝手にしてくんな。俺のことなんか眼中にないってか)
 ここにいたって、ロ−イは、今まで自分が付き合ってきたものが、里菜の練習であると同時に里菜とアルファ−ドとふたりの間に繰り広げられた微妙な心理戦であり、自分はまるきり蚊帳の外であったことに気づいて、なんだか報われないような、うんざりするような気分になったのだ。
 里菜は、やっと、気の毒なローイのことを思い出して、彼に向かってにっこりした。
「ローイ、あなたが手伝ってくれたおかげよ。ありがとう!」
(それを言うのが、遅いんだよ)などと思いながらも、ローイは里菜の笑顔を見ると、たあいもなく、やはりうれしくなってしまうのだった。

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