長編連載ファンタジー
 イルファーラン物語

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 <第一章 エレオドラの虹> 

 午後になって、雨はあがった。雲間から秋の薄日が差し始めた。
 アルファ−ドは、夕食の材料にと、家の裏にある小さな菜園に野菜を獲りに行った。
 アルファードは、畑に虫よけの魔法をかけられないので、百姓には、なれない。虫よけの魔法は農薬と違って何の害もないから彼の畑の虫食いだらけの野菜に無農薬などという付加価値がつくこともなく、彼は、自家用の野菜だけをほそぼそと作っているのだ。
 里菜は、ヴィーレとテ−ブルに着いて、この世界のことや魔法のことをいろいろと教わっていた。
 その時、窓の向こうから、里菜がそれまでにおぼろげに築き上げていたこの世界のイメージには全くそぐわない、妙に能天気な、おちゃらけた歌声が聞こえてきた。
「おーれーはァ村中でェーいっちばーん、モボだーとー言っわれーたァおっとこォー」
 声は、朗々たるテノールである。美声なだけにかえって、歌っている歌がヘンなのが際立つ。
(なに、あれ……)
 この世界ではああやって大声で歌を歌って歩く習慣があるのだろうか。それは困った。里菜は少々音痴なのである。
 ヴィーレが、眉をよせて言った。
「いやあねえ。ローイじゃないの。きっと、新しく、女の子が村に来たって聞いて、さっそくちょっかい出しに来たのよ。そういうことだけは、村で一番、素早いんだから」
 ヴィーレは窓をあけて、外をのぞいた。
「よお、ヴィーレ、お前、また、そこにいたのか。アルファードの嫁さんでもないのによお。ずうずうしい女だな。いい年しておままごとでもあるまいに、アルファードも迷惑なこった」
「うるさいわね、あたしの勝手でしょ。あなたにとやかく言われたくないわ」
 ヴィ−レと窓越しに応酬しながら近づいてくる陽気な大声の主を見たくて、里菜も窓辺に駆け寄り、ヴィ−レの陰から外を覗いた。なにしろ、生まれて3人目に見る、異世界の住人だ。里菜から見れば珍獣並みに興味深い存在なのである。
 大股で歩いてくる、妙に背の高い若者の姿が目に入った。
 第一印象は、
(うわあ、電信柱が歩いてくる!)というものだった。
 とにかく背が高い。そのうえ痩せているから、なおさらひょろ長く見える。
 しかも、この背高のっぽの電信柱は、極彩色だ。
 やたらに大きな赤い羽のついた緑の帽子、胸元をだらしなくはだけた真っ赤なシャツにズボンは紫と赤のチェック、その上、腰に巻き付けた鮮やかな黄色の布帯の端を片側に長く垂らしてピラピラとひるがえすという、目がチカチカするような服を着ている。しかもそのズボンときたら、右足は普通の長ズボンだが左足はなぜか膝上までの丈で、左足はその分、靴下が膝下まであるのだが、これがまた真っ赤だ。それだけならまだしも、右の足首にちらりと覗くもう片方の靴下はなんと緑である。
 いままで、アルファードやヴィーレが着ていた、生成りや茶系を中心とした素朴で質素な服がこの世界での標準だと思っていたが、もしかすると彼らは地味好きか、でなければ貧しいのであって、金持ちやおしゃれな人は、こういう服を着ている世界なのだろうか。
 よその世界の風俗に文句を言えた義理はないが、開いた口がふさがらない。
 極彩色の電信柱は、大声で言った。
「アルファードは、いるのか?」
「裏に野菜を取りに行ってるわよ。でも、どうせ、ファードに用事じゃないんでしょ」
「当ったり。村の新しい仲間に、ご挨拶したいと思ってさ。そこにいるのか?」
「いるけど、あなたには会わせたくないわね。せっかくあたしたちが、よそから来た子にこの村にいい印象を持ってもらいたいと努力してるのに、一気にぶちこわしになるもの。もう、ロ−イってば、また、そのヘンなズボンはいて……。そんなズボンをはいた人がこの村の住民だなんて、あたし、恥ずかしいわ! このあいだ、もう一度そのズボンをはいたら絶交だって言ったでしょ!」と叫ぶヴィーレの言葉に、里菜は、あの格好はこの世界でもやっぱりヘンなのだと、少し安心した。
 あとでわかったことだが、この若者の服装は、里菜から見ても十分に突飛だが、この世界の感覚ではモヒカン刈りのパンク野郎に相当するくらいキテレツな格好で、大人たちの顰蹙と若者たちの物笑いの的になっているらしい。
「お前に絶交されても、俺はちっとも困らないよ!」
 電信柱は、平気で怒鳴りかえしながら帽子を取り、勝手知ったる他人の家とばかりに、ドアをあけてずかずかと入ってきた。
 間近に見ると、なおでかい。百九十センチは越えているのではないだろうか。ドアをくぐるのに、頭を下げていた。アルファードもけっこう背は高いが、あのドアは、普通に通っていたはずだ。
 里菜は、物珍しさのあまりに人見知りも忘れて、まじまじと彼を見た。
 近くでよく見れば、なかなか整った、きれいな顔立ちの若者である。だが、なぜか美貌という印象を受けないのは、いかにもいたずらっ子めいた鼻の上のソバカスと、顔全体にみなぎる溢れんばかりの愛敬のせいだろう。
 熟したトウモロコシのヒゲのような茶色いクシャクシャのくせっ毛は陽に灼けて赤みがかり、目は、明るい茶色。
 痩せてはいるが、ひ弱な感じはなく、いかにも俊敏そうで、活気が感じられる。
 服装を除いては、全体の印象は悪くない。性格の良さがにじみでているように見える。
 相手も、一瞬、まじまじと里菜を見た。
「や、あんたが、そうか……」
 それから、突如、すっとんきょうな大声で叫んだ。
「お、お、おっ! やった! かわいいじゃん! 超、俺好み!」
(え、え、えっ。なに、なに、この人……)
 里菜はあっけにとられて、思わず一歩後ずさった。
「俺、ローイってんだ。よろしくな!」
 若者は、里菜の逃げ腰など気にもせず近寄ってくる。
 ガサツで声の大きい男、軽薄で調子のいい男、なれなれしくて押しの強い男、というのが、里菜の『三大ニガテなタイプ』なのだが、彼は、そのすべてにあてはまってしまうらしい。そういう人たちは、知りあってみればけっこういい人だったりすることもあるが、初対面の時は本能的に警戒してしまうのである。彼も、人柄は良さそうに見えるのだが……。
 里菜が、なんとなく気おされて一瞬口が利けずにいると、横からヴィーレが言った。
「あだなは、『かかし』よ!」
 そのひとことで、里菜の緊張も警戒心も一挙に解けた。
 あまりにも、似合ってる。いかり肩をゆらし、長すぎる手足をぎくしゃくともてあましながら歩くさまは、たしかにかかしそのものである。派手な服装も、このあだなを聞いてしまうと、かかしの服にしか見えない。さらにいえば、派手な服装にもかかわらずどこか純朴というか、素朴さを感じさせるのも、かかしにふさわしい。
 里菜は、かろうじて吹き出すのをこらえた。
「あぁ−っ、それを言うなよ! イメージが落ちるじゃないか! こんな伊達男をつかまえて、かかしとはなんだ、かかしとは!」と、喚くローイに、
「イメージが落ちるもなにも、それ以上、落ちようがないんじゃないの?」と、ヴィーレは言い放って、里菜のほうをむき、
「見た目だけじゃなくてね、村の広場や道端で、女の子が通ったら口説こうと思ってぼーっと立ってるようすも、かかしみたいだからよ」と、解説した。
 里菜は笑いをこらえて名乗り返した。
「あたしリーナ。よろしく」
「うん、いい名前だ。歳、いくつ? 俺、十九」
「十七」
「へえ……。も少し、下かと思った。その服のせいだな。あれ、その服……。見たことあると思ったら、ヴィーレが昔、たしか、十二、三のころに着てたやつじゃん。でも、胸のへん、ブカブカ……」
 言い終らないうちに、彼は、飛びあがった。ヴィーレが、思いっきり、脛をけっとばしたのだ。
「いてェ! なにすんだよ、この……」
 言わせもせず、ヴィーレが叫ぶ。
「エルドローイ! あんた、ぶしつけよ! いくらなんでも、失礼よ!」
 里菜は赤くなって、胸の辺りをおさえた。
(ひどい! 気にしてるのに……)
 あわててローイが謝った。
「悪い! ごめんよ! 俺、思ったこと、ついみんな口に出しちまうんだ。いや、でも、胸は小さいほうが、かわいいよ。いや、ほんとに! 胸の大きい女は、頭が悪いっていうだろ。そら、そこにいるヴィーレが、いい例だ」
「なんですって!」と、ヴィーレ。
 ますます真っ赤になりながら、里菜はしかたなく言った。
「いいの、気にしないから」
 これ以上、この話題を続けてほしくなかったのだ。
 とたんにローイが、ズカズカとさらに近づいて、里菜の頭上に長身を乗りだすようにして言った。
「お詫びのしるしにさ、俺が村をご案内するよ!」
 言いながら、いきなり里菜の腕を掴もうとしたので、里菜はギョっとして、思わずもう一歩あとずさり、両手を後ろに隠してしまった。動作が大きくて急な人は、苦手だ。もの静かで真面目な話ぶり、穏やかで慎重な身のこなしのアルファードとは、大違いである。いいひとには違いなさそうだが、強引そうだし、とにかくヘンだ。
 ヴィーレが、里菜をかばうように二人のあいだに割って入った。
「だめよ、勝手に! この子はまだ、ここに慣れてないし、水につかって倒れていて、体調もまだ本調子じゃないの! ファードが、まだ外には出すなって……」
 言いかけたヴィーレを遮り、ローイは叫んだ。
「なんだぁ? この子を連れ出すのにはアルファードの許可がいるのかよ! アルファードはいったい何サマなんだ? この子はアルファードの所有物か?」
「そういうわけじゃ、ないけど……。でも、この子はファードが見つけたのよ。それに、彼も『よそ』から来たんですもの、そういう人をどうすればいいか、きっと、一番よくわかっているわ」
(なんだか、拾った猫をダンボールから出していいかどうかで揉めてるみたい……。あたしって拾い猫?)
 本人そっちのけで言い合いされて、なんだか情けない気分である。
「それにね、これにはちょっと、理由があるのよ」と、ヴィーレは、ちょっと声を落して続けた。
「この子の前で、あたし、魔法が使えないの。この子、魔法を消してしまうの」
「えっ。そりゃ、どういう意味だ?」
「言ったとおりよ。これはまだ、ほかの人には言わないでほしいんだけど、どうも、この子は、魔法を消すっていう特別な力を持っているみたいなの。しかも、自分でそうしようと思ってするんじゃなくて、魔法を消さないようにしようと思ってても、自分でも知らないうちにいつのまにか消しちゃうらしいのよ。だから、この子は、ちゃんと寄り合いで話し合ってみんなに正式に紹介するまでは、うかつに外に連れ出さないほうがいいって、ファ−ドが……。あたしもそう思うわ。だって、何の拍子にどんな騒ぎが起こらないとも限らないでしょ」
「ふうん。そりゃ、ずいぶんおおごとだなあ」
 ちっともおおごとそうでない口調で、彼は言った。彼にとっては、里菜にどんな魔法の力だか反魔法の力だかがあろうと、たいしたことではないのである。彼にとって重要なのは、里菜がなかなかかわいらしい女の子だということだけだ。
「じゃあさ、村の中じゃなくて、山のほうならいいだろう。今度、俺とデートしようぜ!すっごく景色のいいとこ、知ってんだ! あ、木の実がいっぱいなってるとこも教えてやるぜ!」
 元気よく言ってから、ローイは、何か気がついたらしく付け加える。
「……そのう、デートって言っても、子連れでってことになっちまうかもしれないけど」
「えっ? 子供って、あなたの……?」
「やめてくれよ! 俺、子持ちに見える? 兄貴や姉貴の子だよ。俺さ、十二を頭に十二人の甥っこ、姪っこがいるの! いやんなっちゃうよな。鬼の兄嫁には、しょっちゅう赤ん坊のお守りをいいつけられるし、三人の姉貴はみんなこの村のなかで嫁にいってて、村の中、五分も歩けば、必ずいつのまにか甥っこか姪っこが俺にくっついてるんだよ。なにしろ俺は、この通り、優しいもんで、ガキに好かれちまってよ。今日ここに来るのにガキが一人もついて来なかったのだって、めずらしいことなんだ」
 ローイは五人姉弟の末っ子で、幼い頃に母を亡くし、年の離れた姉たちに育てられたために、今でも姉たちには「あんたを育ててやったのは誰?」などと言われて、頭があがらない。そのうえ、今、彼は、第四子で長男である兄夫婦と同居しているのだが、その兄嫁まで、ローイよりそれほど年上でもないのに彼をまるで自分の息子のように思っているらしく、子供たちとひとくくりにして良く面倒を見てくれる一方、遠慮会釈もなく用事をいいつけるのである。
「あなたが子守りをさせられるのは、畑仕事を手伝わずにブラブラしてるからでしょ!」
 ヴィーレは、鬼呼ばわりされた兄嫁のために、正しい指摘をした。
「うるせえ、ヴィーレ、お前、ちょっと黙ってろ! 邪魔すんなよ」
「何の邪魔よ」
「リーナちゃんをデートに誘うののだよ。な、リーナちゃん」
 なれなれしい男である。
「俺さあ、あんたに一目惚れしちゃったよ。なんたってその黒い瞳がいいや。最高だよ。それに、その……」
 なにやらベラベラ言い立てようとするローイを無視して、ヴィーレが里菜に囁いた。
「リーナ、ローイに騙されちゃだめよ。女の子なら誰にだって、おんなじこと言うんだから」
 ローイは、それを聞きつけて叫んだ。
「なんだと、失礼な! おんなじことなんて言うもんか。ちゃんと、相手やその時の状況によって、毎回、言うことは変えている! 女の子を口説くには、創意工夫ってものが必要なんだぞ!」
(ヘンなひと……。すっごく、ヘン!)
 里菜は、もう、あっけにとられて二人の応酬を聞いていた。
(でも、このふたり、なんだか、楽しそう……。ヴィーレって、ただただやさしい女の子かと思ったけど、けっこうポンポン言うんだ。もしかしてこのふたりって、すごく仲がいいんじゃないかしら)
 里菜がふたりの言いあいに圧倒されているうちに、里菜とローイとのデートの件については、彼らふたりのあいだで勝手に合意ができたらしい。
「じゃあさ、リーナちゃん、今日はとにかくあんたの健康に障っちゃいけないから、またあらためて誘いにくるよ。お偉いアルファード大人に、あんたを勝手に連れ出したって後で文句いわれてもつまんないしさ。今度来たときは、絶対、一緒に、山、行こうぜ! 誰にも教えたことのないキノコの穴場にも特別に案内してやるから!」
(キノコの穴場だって……。こんなハデなカッコしてて、嬉しそうにキノコ採りの話だなんて……。ヘンだけど、おもしろい人)
 初対面の相手にはなかなか打ち解けない彼女だが、いつのまにか、この素っ頓狂な若者に好意をもちはじめたことに、気づいていた。
 友達になりたい。そう、思った。
 その気持を込めて、
「うん!」と答え、里菜は彼に笑いかけたのだった。
 そうしながら、里菜は、自分で驚いていた。
(あたし、ここで、この世界でなら、こんなに自然に、あたりまえのように微笑むことができる)
 それは、大きな発見だった。ここでは、自分は、こんなふうに、知らない人に笑いかけることができるのだ。友達になりたいと思えるのだ。この国にも嫌な人もいるのかもしれないけれど、少なくとも自分は、ここでは、自分の思うままに自然に微笑むことが許されるのだ──。
 『あちら』では、すべてが里菜を傷つけた。息をするたびに、空気は火のように肺を焼き、歩くたびに、陸に上がった人魚姫のように、足は見えない血を流した。あらゆる人の言葉が刃物のように心を切り裂き、その痛みを隠すために、ゆがんだ薄笑いを仮面のように顔に貼りつかせて、里菜は、生きてきた。
(きっと、あたしは、醜かっただろうな)と、遠い痛みと新しい喜びを感じながら、里菜は思う。
(でも、ここでなら、あたし、きっと、ずっとほんとはなりたかったように、素直に、やさしくなれる──)
「や、はじめて、俺に笑ってくれた……」
 彼は、ひどく眩しげに里菜を見て、さっきまでの軽薄な口調とは微妙に違う、はにかんだような、どこか朴訥でさえある調子で、そっと言った。
「うん、すっごく、いいよ。かわいいよ……」
 それから、もとの口調にもどって、元気よく叫んだ。
「ホント、また近いうちにくるから、それまで、この、村一番の色男、ローイ様のことを忘れないでいてくれよな! じゃ!」
 そして、里菜にむかって大げさな仕草で投げキッスをして(それがこの世界では普通の習慣というわけではないのはヴィ−レのあきれ顔を見れば明らかだった)、極彩色のかかしは出ていったのである。
(ヘンよ、ヘン! やっぱり、絶対、ヘン! 信じらんない……)
 呆れて見送る里菜の耳に、また、あのおかしな歌が聞こえてきた。
「おーれーはァ村中でェーいっちばーん、モボだーとー言っわれーたァおっとこォー」
 それを聞いて、ヴィーレが、また、言った。
「いやあねえ、ほんと。ヘンな歌、大声で歌って歩いて。彼がいうには、彼のテーマソングなんですってよ。リーナ、この村の人がみんなあんなふうだなんて思わないでね。あれは、村で一番、ううん、たぶん、この国で一番、ヘンなやつなのよ!」
 では、里菜は大声で歌う必要は無いのだ。
(ああ、よかった)と、里菜は胸を撫で下ろした。

 入れ違いに、野菜を抱えて長靴を泥だらけにしたアルファードが帰ってきた。
「おかえりなさい。今、ローイが来たのよ。会わなかった?」
「ああ、そこで会った。リーナを見物に来たそうだな」
「ええ。あたしの家でリーナのこと聞いてきたんじゃないかしら。お父さんもお母さんも相手がロ−イだと口が軽くなっちゃうんだから。リーナの力のことは、彼には話したけど、ほかの人には言わないように口止めしといたわ」
「ああ、あいつは、あれで結構、口は固いからな」
 ヴィーレはチラリとアルファードを見ながら言った。
「彼、今度、リーナをデートに誘いに来るって。今日はまだ体調が悪いからだめって、あたしが断わっといたの」
 アルファードは、ただ苦笑して、
「まったく、あいつは……」と首を振っただけだった。

 ヴィ−レは、夕食を作り終わると、自分は家で食べるからと言って帰っていった。
 それとほとんど入れ違いに、こつこつと小さくドアを叩くものがあった。
 この日、三人目の訪問者は、小さな花束を手に持った六才位の愛らしい女の子だった。ドアの外の夕映えを背にして、少女の赤味がかった銅色の髪が、燃え立つように輝いていた。
「ティ−ティじゃないか。どうした?」
 ドアを開けたアルファ−ドが驚いて尋ねると、少女は、はにかんだ笑みを浮かべ、
「こんにちは、アルファ−ド。あのね、女神様に、お供えの花を持ってきたの」と答えながら、つかつかと部屋に入ってきて、手に持っていた花束をいきなり里菜に差し出した。
「これ、お姉ちゃんに」
「え? あたしに? だってこれ、女神様にお供えするお花じゃないの?」
「そう、女神様にさしあげるお花。だから、お姉ちゃんに。お姉ちゃんは女神様でしょう? おばあちゃんが、そう言っていたわ」
「あのう……。悪いけどそれって、何かの勘違いだと思うわ。ごめんなさいね」
「ううん。違わない。あたし、わかるもん」
 突きつけられた花を前に里菜がためらっていると、アルファードが横から取り成した。
「リーナ、受け取ってやれ。ティ−ティは、きっと、君が<女神のおさな子>だってことを言っているのさ。ティーティは、せんだって亡くなった女神の司祭の孫なんだ。君を歓迎してくれているんだよ。な、ティーティ」
 いきなり女神などと言われ、女神へのお供えの花を差し出されては、受け取るのを躊躇せざるをえないが、歓迎の花だと言われれば、拒む理由もない。なにしろ相手は、可愛らしい小さな子供なのだ。
「そっか、歓迎のお花ね? どうもありがとう、ティ−ティ」
 里菜が屈み込んで目の高さを合わせ、花を受け取ると、少女はぱっと顔を輝かせ、誇らしそうにこう言った。
「お姉ちゃん、あたしね、さっき代替わりの儀式が全部終わって、潔斎も明けたから、新しく司祭になるの。あたしを祝福して」
 里菜は困ってアルファードを見た。村の習慣で、何か特別な言葉やしぐさがあるのかと思ったのだ。だが、アルファードも分からないらしいので、里菜は少女に尋ねた。
「祝福って、どうやるの?」
「ただ、言ってくれればいいの。あたしを祝福するって」
「ふうん。分かったわ。ティーティ、あなたを、祝福します」
 少女はぱっと顔を輝かせて、左手を胸に当てると、かわいらしい声でせいいっぱい厳かに、何やら意味不明の言葉を唱えた。
「ミタマノフユヲイヤマスマスニカガフラシメタマエ」
「へ?」
 きょとんとした里菜の、空いているほうの手に、少女はさらに、
「これも、お姉ちゃんに。おいしいよ!」と言いながら持っていた木の実を押し込んだかと思うと、そのままきびすを返して、スキップでもしそうな足取りで、さっさと出て行ってしまった。
 あっけにとられてその小さな後ろ姿を見送った里菜は、アルファ−ドを振り返った。
「アルファード、今、あの子、何て言ったの?」
「さあ……。多分、司祭の家にだけ伝わる、古い祈りの言葉だろう。そういえば、祭りの時、司祭のばあさまが祠の前で、あんなようなことを言って祈っていたと思う」
「そのおばあさんっていうのが、亡くなって、あの子が跡を継いだわけ?」
「ああ、彼女の家は女神の司祭の家系なんだ。といっても、別に普通の家なんだが、昔から代々あの家の女性が祭りを司り、女神の祠の手入れやなんかをすることになっている。司祭のばあさまは、おとといの夜中に亡くなって、あの子の母親はあの子がまだ赤ん坊の時分に亡くなっているから、あの子が次の司祭なんだ」
「ふうん。さっき言ってたなんとかの儀式って、何?」
「さあ。俺も知らない。なんでも、ばあさまが亡くなってからこっち、なにやら、潔斎だとか儀式だとか言って、ずっと独りで部屋に籠って誰にも会わなかったそうなんだが、さっきの話によると、今、それが終わって出てきたところらしい。それにしても、あの子が君がここにいることを知っていたのは不思議だ」
「あの子、なんであたしに、あんなこと言うのかしら。女神がどうとか、祝福だとか。それに、おばあさんがあたしのことを何か言ってたって……。そのおばあさんって、おとといの夜に亡くなったんなら、あたしのこと、知らなかったはずよね。だって、あたしがここへ来たのは昨日だったんでしょ? きっと、子供のことだから、なにか勘違いしているのよね?」
 里菜は、手の中の野の花を、途方に暮れて見つめた。
「いや、リーナ、司祭のばあさまは、君が来ることをあらかじめ知っていたのかもしれない。あのばあさまには、確かに多少、特別な力があったようだ。それはたぶん、彼女自身の力というより、司祭の地位に伴う力だったんだろう。そして、あの子は、幼くても司祭だ。だから、彼女が女神について語ることは、一見訳が分からなくても、何かの真実を隠していると、俺は思う。必ずしも言葉通りの意味ではなくても、何か象徴的な意味があるんだろう」
 そう言ったアルファ−ドの何やら厳粛で敬虔な声音に、里菜は少し驚いて、アルファードを見た。アルファ−ドはその時すでに、里菜に村の信仰についても簡単に解説してくれていたのだが、その時の彼の淡々とした口ぶりや、一通りの説明を聞き終った里菜が、念の為、「それで女神様って本当にいるの?」と訊ねてみた時──なにしろ魔法が存在する世界だ、神様が実体となってそこらを歩き回るようなこともあるのかもしれないと思ったのだ──の彼の、まるで「サンタクロ−スって本当にいるの?」と聞かれたかのような反応から、里菜は、彼がてっきり自分と同じ現代人の宗教感覚しか持っていないと思っていたのだ。
 が、里菜が驚いて自分を見ているのに気がついたアルファードは、笑って付け加えた。
「まあ、あまり大げさに考えずに、好きなように言わせておけばいい。俺は、十二年間、そうしてきた。彼女らには彼女らなりのものの見方があるんだ。他の者は、きっと、君を女神だなどとは言わないから、心配いらない。そんなことを言うのは司祭だけだから」
 心配いらないと言われても、この時、里菜の頭の中には、鳥の羽だの何だので全身を飾りたてて『謎の古代文明』風に装った村人たちが里菜の前にずらりと並んでお祈りを唱えながら一斉にひれ伏したり、太鼓を叩きながら里菜の周りをぐるぐる踊り回るといった、古いB級SF映画にでもありそうな珍妙な光景が、思わず浮かんでしまったのだった。
(さっきまで、ここって、魔法が本当にあるっていうわりにはごく普通の近代社会のただの田舎の村で、明日からごく普通の田舎暮らしが待っているんだとばかり思ってたけど、もしかして、やっぱりちょっと違うのかもしれない……。お姫様や小人や妖精がいるようなおとぎ話みたいな世界に行ってみたいとは思ったけど、こんな一見普通のところで『謎の古代文明の女神様』にされるのは、ちょっとヤだなあ)と思ったとたん、里菜はアルファ−ドにこう尋ねていた。
「ねえ、ここの人たちって、太鼓叩いて歌ったり踊ったりする?」
「えっ……。いや、この辺では、踊りの伴奏に太鼓を使うことは少ないな。地方によっては太鼓をメインにするらしいが。……リ−ナ、君は歌舞音曲に格別な関心があるのか?」
 アルファ−ドに大真面目に聞き返されて、里菜はぶんぶんと首を横に振った。
 こうして、里菜のこの世界での最初の一日は、家から一歩も出ないうちに、ゆっくりと平和に過ぎていった。

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