『イルファーラン物語』お遊び番外編
天才少年は上腕二頭筋の夢を見るか
☆これは、長編異世界ファンタジー『イルファーラン物語』のお遊び番外編です。
本編第三章の内容を下敷きにしているため、一応、第三章読了後推奨ですが、特に重大なネタバレはないので、本編未読の方も大丈夫で、キャラクター紹介作品案内をご覧下されば話もだいたい分かると思います。
 最近、ぼくに、新しいあだながついた。『少年合唱団』っていうあだなが。
 きっかけは、リーナさんの一言だ。
 リーナさんが、リューリに、ぼくのことを最初に見たときに『うわぁ、ナントカ少年合唱団!』と思ったなんて話したから。

 『ナントカ少年合唱団』というのは、リーナさんの住んでた世界にある、有名な合唱団の名前らしい。
 まあ、この世界にだって少年合唱団はある。声変わり前の男の子だけの合唱団だよね。

 そりゃあ、確かに、ぼくはまだ声変わりしていない。普段は大人ばかりの中に混じっているから、あまり比較されることもないけど、十五歳で声変わりがまだっていうのは、わりと遅い方だと思う。
 実はちょっと気にしてるんだけど、気にしたからって声変わりが早くなるわけじゃないしね。

 それに、ぼくが着ている国立研究所の制服。
 この、白襟がついた紺の上っ張りは、他の所員が着ていると普通に伝統的な学者スタイルに見えるんだけど、ぼくが着ると、たしかに少年合唱団の制服みたいに見えなくもないことは、客観的に見て、認めざるを得ないだろう。

 そもそも、ぼくは背も低いし、体格も華奢だし、顔も童顔だから、昔から、実年齢より年下に見られがちだ。
 だから、まあ、リーナさんが白襟の制服姿のぼくを見て少年合唱団を思い出しちゃったのは、仕方が無いかな。

 でも、それをネタに、リューリや、その仲間の治療師の女の子たちにからかわれるのには、全く、まいってしまう。
 しかも、ぼくがむっとすると、それが可愛いといって、みんな、ますます笑うんだ。
 ぼくは、可愛いなんて言われたくないのに。
 だって、この年になってまで――しかも、ぼくはもう国立研究で一人前に働いているっていうのに、いまだに大人の人や女の人たちから可愛い可愛いって言われるのって、嬉しいわけ、ないよね。
 こう見えて、実はけっこう気にしてるんだ。
 でも、気にしてるなんて言うと、よけい笑われるから、そんなことは口が裂けても言えるわけが無い。
 今だって、『合唱団』って呼ばれるたびにむきになって嫌がったりすると、よけい面白がられて、ますます構われるに決まってるもの。
 リューリになんか、ぼくがむくれているのが可愛いとかいって、頭を撫でかねないよ。

 まあ、リューリがぼくを子供扱いするのは、それなりに仕方ないかもしれない。ぼくたちは、いとこ同士だけど、実の姉弟みたいに育ったから。
 でも、今ではもう、ぼくの方が背も高いんだけどね。ぼくも同じくらいの年の男の子の中ではかなり背が低い方だけど、リューリは妖精の血筋だから、特別に小さいからね。彼女は、たぶん、もうあれ以上は背が伸びないんじゃないかな。でも、ぼくは今、どんどん背が伸びてる途中だし、まだまだこれからも伸びると思う。……ていうか、伸びると良いなと思う。

 でも、誰もリューリが小さいからって子ども扱いしたり馬鹿にしたりはしないんだよね……。
 やっぱり、喧嘩が強いからかなあ。

 うん、リューリは、女の子だし、背もちっちゃいけど、すごく強いんだ。
 ぼくが小さい頃、いじめっ子に絡まれるたびに、リューリがぼくを守ってくれたっけ。

 ぼくは、初級学校の頃、飛び級したりして目立ってたのもあって、しょっちゅういじめっ子に目をつけられてて、リューリはしょっちゅう、ぼくを守って喧嘩をしていいた。
 一度なんか、リューリは、一人でいじめっ子の集団を相手に大暴れして、一人でみんな蹴散らして、ぼくを守ってくれたこともあるんだ。いじめっ子たちがぼくを呼び出して絡んでいるところに、どこでそれを聞きつけたのか、リューリが一人で乗り込んできてさ。
 いじめっ子たちを片っ端からちぎっては投げ、ちぎっては投げ、そこまではまあ良かったんだけど、勢いあまって魔法の火の玉を投げて相手に火傷をさせてしまったものだから、リューリは、停学を食らった。
 そのせいで、リューリは、初級学校の卒業が一年遅れてる。
 それもあって、ぼくはリューリには今でも頭が上がらないんだ。

 そんなわけで、まあ、リューリがぼくに対してお姉さんぶりたがるのは、しかたないんだ。なんたってリューリは実際に実の姉さん同然で、そういう関係って、背丈が逆転したって変わらないから。
 ぼくがお母さんより背が高くなっても、お母さんがぼくのお母さんであることに変わり無いのと同じように、ぼくより背が低くなっても、リューリはずっと、ぼくの姉貴分だ。
 あたりまえのことだけど、身長では追い越せても二歳の年の差までは減らせないしね。

 でも、だからといって、他の女の子たちにまで、リューリに便乗して同じ態度を取られるのはゴメンなワケなんだけど、まあ、ここは一つ、そ知らぬふりで我慢して、みんなが飽きるのを待つだけさ。それが大人の対応ってもんだろう。
 大丈夫、ぼくは昔からから子ども扱いされてからかわれるのには慣れてるし、女の子なんてものは、たいがい飽きっぽいからね。

 それにしても、ほんと、女の子たちの飽きっぽさと気の変わりやすさには呆れるよ。
 だって、あの人たち、ついこのあいだまで、みんな揃って、前の武術大会の槍術の部に出てたカナントって男にキャーキャーいってたのに、今じゃ、その半分くらいはアルファードさんにキャーキャーいっててさ。
 まあ、アルファードさんを間近に見たら、あんな『顔だけ男』とは比べ物にもならないから、乗り換えるのも無理も無いけどさ。

 ぼくは最初から、アルファードさんのほうがずっとかっこいいと思ってたよ。カナントなんて、ぜんぜん目じゃなかった。
 だって、あのカナントって人、確かに顔はいいけど、あれ、顔だけじゃん。あと、派手なパフォーマンスと。
 筋肉も無意味に見せびらかしてたけど、あの筋肉は、飾り物だね。使うための筋肉じゃなく、見せるための筋肉さ。
 確かに、見栄えはいいよ。だって、あれ、必要な場所にじゃなく、見栄えがいい場所だけに筋肉付けてんだもん。脚とかはわりとほっそりしたままだから、すらっとして見えて、たしかに女の子ウケするスタイルではあるよね。

 でも、あれじゃ、足腰のバネと粘りが足りないよ。
 だから、あの人は、3回戦で負けたんだ。ここ一番というときに、足腰の粘りがきかなかったからだよ。
 それがわからないなんて、女の子たちの目は節穴だね!
 あの人、実際に試合で負けてたのに、女の子たちは、あれはきっと運が悪かっただけだって言って同情なんかしてさ。
 そんなこと無いよ、あれはどう見ても実力で負けてたよ! 足腰の強化が足りなかったんだよ!
 ぼく、初級学校の頃から武術の授業は苦手だったけど、自分がやるのは苦手でも、試合を見るのは好きだったんだ。だから、見る目はあるつもりだよ。

 その点、アルファードさんは、決勝戦の相手みたいな筋肉ダルマみたいなのと比べるとやっぱりほっそりタイプだけど、それは、鍛えが足りないからじゃない。ああいうのは、『引き締まってる』っていうんだ。こけおどしの無駄な筋肉はついてないから、身体が軽い。パワーとスピードのバランスが取れているんだ。
 アルファードさんの筋肉は、ぜんぜん無駄なところもないし足りないところも無い、本物の、実用的な、戦うための、戦士の筋肉なんだ。だからかっこいいんじゃないか!
 まあ、女の子にはどうせ分からないだろうけどね。

 それに、アルファードさんのかっこ良さは、見た目だけじゃない。
 生きざまというか在りようというか、そういう、もっと本質的な部分がかっこいいんだ。
 立ち居振る舞いのすべてに、風格というか存在感というか、なにか、見かけだけじゃない、本物の、男としてのカッコよさが滲み出てるんだよ!

 例えば、アルファードさんは、戦いぶりも、技が正確で試合運びに危なげが無さすぎるから一見地味だし、勝っても淡々として、あの、カナントみたいに、派手なポーズとってみせたり、観客席に投げキスしたりしてはしゃいだりしない。相手選手と敬意を込めた握手を交わし、審判と主催者席と観客席に深々と一礼したら、あとは静かに、堂々と退場するだけだ。
 それを、愛想が無いとかサービスが足りないとか面白みに欠けるっていう人もいるみたいだけど、ぼくは立派だと思った。
 あれは、ただの無愛想とは違う。黙って立ち去る後姿に、真摯でストイックな雰囲気が漂ってるじゃないか。
 そう、真の戦士は多くを語らないものさ! うう、カッコいい!

 あと、アルファードさんは、わりと小兵なところがいい。
 アルファードさんだって普通の人に混じってれば十分大きいんだけど、でも、闘技場では、他の選手に小山のようなのがごろごろしてるから、その中では、アルファードさんはわりと小さく見えて、最初に出てきたときは、みんな、『なんだ、小兵だな』なんて言ってたんだ。
 ところが、その小兵が、いざ剣を抜いてみたら、実はすごく強いじゃないか!
 技巧者っていうのかな。
 そうだよ、身長だけが力じゃないんだ! なんといったって、技だよね、技!
 精妙精緻な職人技と冷静な頭脳できっちりとベストを尽くし続けて、自分より一回りも身体が大きい選手たちを淡々と着々と下していく――、そんな姿に、ぼくみたいな背の小さいものは、何か、勇気づけられる気がするんだ。

 そして、なによりも、魔法が使えないという前代未聞のハンディを持ちながら、自分が持たないものを数えるのではなく自分の持っているものを生かして戦っていこうとする不屈の姿勢、奢ることも浮つくこともなくひたすらに修練を積み、自分に打ち勝って己の信じる剣の道を突き進もうとする真摯な姿こそが、一番かっこいいと思う。

 だからぼくは、あの武術大会の日から、ずっとアルファードさんのファンだったんだ。
 アルファードさんは、あの後、祝勝会も途中で抜け出して、あっというまに郷里に帰ってしまったけれど、ぼくは、アルファードさんの勇姿を一生忘れないと思った。その後ろ姿を、ぼくの人生の指針にしたいと思った。
 そして、いつかアルファードさんに使ってもらうために、『まっち』(リーナさんのいた世界では、あれをそう呼ぶんだそうだ)を作る研究を始めたんだ。
 完成の暁には、手紙を添えて、イルゼールに向かう隊商に託してアルファードさんに届けてもらうつもりだった。

 でも、その前に、ああ、なんてめぐり合わせだろう、ぼくは、イルベッザに戻ってきたアルファードさんと直接言葉を交わす機会を得たんだ!
 これも、リューリがリーナさんと友達になったおかげで、リューリがリーナさんに頼んでぼくがアルファードさんと会えるように計らってくれたんだから、このことについては、ぼくはリューリにどんなに感謝してもし足りない。一生、恩に着るよ!

 闘技場では小兵に見えたアルファードさんは、近くで見たら、見上げるほどに大きかった。背も思った以上に高かったし、肩幅も、身体の厚みもあるから、とにかくすごい迫力で、すごい存在感だった。
 握手してもらった手も、大きかった。大きくて、あったかくて、感激しちゃった。今日は手を洗わないぞって思った。ほんとは腕とか肩とか触らせてほしかったけど、失礼だと思って我慢した。

 そして、そんなに大きくて逞しい人なのに、雰囲気は意外なほど物静かで、とても真面目な感じで、なんとなく、『強そう』というより『思慮深そう』と言ったほうが似合いそうな、控えめな人だった。
 さすがだなあ……。そう、本当に強い人は、無駄に威張ったりしないものなのさ!

 アルファードさんは、あまりしゃべらなかったけど、そこがまたカッコいいと思った。
 別に機嫌が悪かったとかぼくらを見下してたとかじゃなく、ただ、ちょっと照れてたんじゃないかな。
 リーナさんが言ってた。アルファードさんはもともと無口だし、実はけっこう照れ屋なんだって。
 あんな強い人が、そんな風にちょっと照れ屋だったりするなんて、それもまた、なんか、いいなあ。親しみが持てるっていうか、ほっとするっていうか。
 ちょっとだけ聞かせてくれた声は、ちょっと低めで、穏やかで暖かで、あんまり想像通りなんで何だか嬉しくなった。

 それに、アルファードさんは、ぼくを子供扱いせず、一人前の大人として扱ってくれた。
 ぼくは昔から、自分で言うのもなんだけど中身はたいがいの同い年の子供より大人っぽかったと思うんだけど、こんな見掛けをしていているから、ぼくのことをよく知らない人からは、実際以上に年下に見られて、必要以上に子供扱いされることが多かった。
 だから、相手がぼくを子供扱いしてるかどうかは、すぐ判るんだ。
 アルファードさんは、ちゃんと、一人前の男同士としてぼくに接してくれたと思う。すごく嬉しかった。

 リーナさんが言うには、アルファードさんは子供が苦手なんだそうだけど、自分は子供好きだと言ってるような人ほど、子供だと思った相手には甘ったるい猫なで声で話しかけたりするんだよね。
 そのたびに、ぼくは、心の中で、
(ぼくはこう見えてもあなたたちが思ってるほど子供じゃないんだけどなあ……)と思って、ちょっとうんざりしていたものだ。
 ぼくは猫なで声なんか出されたくないんだよ。それよりも、アルファードさんみたいに、ちょっと照れて口ごもってくれたりするほうがよっぽどいい。
 きっと、アルファードさんは、もしも相手がほんの幼児でも、大人に対するのと同じように、生真面目に、対等に接しようとするんだろうなあ。でも、相手があんまり小さい子供の時は、大人と話すのと同じ言葉で話しかけても意思の疎通が困難だったりするから、きっと、それで、子供は苦手だと感じてしまうんじゃないかな。
 でも、ぼくは、ほんの小さい頃から、そういう不器用な人たちのほうが、子供の扱いにヘンな自信を持ってるような人たちより好きだったよ。

 実際に会ってみて、ぼくは、ますますアルファードさんのファンになった。

 そんなわけで、ぼくは今日も、こうして、錬兵場の外に、アルファードさんの姿を一目見に来ている。
 錬兵場は昼間は正規軍が使うから、特殊部隊が使うのは夕方からで、ちょうどぼくの仕事帰りの時間なんだよね。ラッキー!
 こうして仕事帰りに錬兵場に寄って、鍛錬をしているアルファードさんの姿を見るのが、今のぼくの毎日の楽しみなんだ。
 ぼくだけじゃなく、なんか、治療院とか食堂とかで働いてる女の子たちも何人か見物に通ってるみたいだけどね。

 今、女の子たちがアルファードさんに騒いでいるのは、アルファードさんが近くに来ていて、もしかしたら手が届くかもしれないと思ってるからだよね。
 イルゼールにいたら姿も見られないけど、こうして本人が近くで見られて、もしかしたら何かの弾みでちょっとくらい話も出来るかもしれなくて、もっとすごく運がよければ、もしかしたらもっと特別に親しくしてもらったりもできるかも……と、そういう状況になったとたん、カナントからアルファードさんに乗り換えるんだもの、現金なものだよ。
 あの人たち、アルファードさんがイルゼールにいる間はアルファードさんの『ア』の字も言わないでカナントの話ばかりしてたのにさ。
 ぼくなんか、アルファードさんがイルゼールにいたってどこにいたって、何年も、ずっと変わらずにアルファードさんのファンだったんだぞ!

 でも、残念だね。アルファードさんは、そのへんの女の子に気安く声をかけたりはしないと思うよ。
 ただでさえ、アルファードさんはとっても真面目で、酒も飲まなきゃバクチもしないで仕事一筋、鍛錬一筋、女なんかには目もくれないらしいって話は有名だし(そんなところもストイックでかっこいいと思う!)、それに、アルファードさんには、リーナさんって人がいるからね。

 あの二人が恋人同士と言えるのか、それはいまいち微妙っぽいけど、少なくともリーナさんがアルファードさんにべた惚れなのは間違いないし、アルファードさんがそれを承知の上でリーナさんをとても大切に思っているのも、間違い無さそうだ。
 そうである以上、アルファードさんは、絶対に、リーナさんを裏切るような、悲しませるようなことはしないだろう。
 そういう、男として誠実そうなところも、またカッコいいと思うんだ。
 なんていうか、ぼくも、いつか大切な人が出来た時にはそういう風でありたいなあ、なんて思うんだよね……。

 あ、アルファードさんが錬兵場に出てきたぞ!
 まず身体をほぐす運動をしている。
 わぁ、自己主張する大胸筋……。見とれちゃうなあ。
 さあ、アルファードさんが剣を振るぞ。
 アルファードさんは、素振り一つするにも、いつも本気の気迫だ。何事も、適当に手を抜いたりしない、そういう人らしい。

 アルファードさんが軍に入ってから、こうして間近で姿を見られるだけじゃなく、アルファードさんの言動についてのウワサもいろいろと漏れ聞こえてくるようになったことも、ぼくにとって嬉しいことの一つだ。
 だって、聞こえてくる話、聞こえてくる話、どれをとっても、、ぼくがますますアルファードさんのファンになるようなことばかりなんだもん。

 アルファードさんは、剣の手入れにも熱心なんだって。アルファードさんの剣は、ぜんぜん高価なものでも特別なものでもない、ありふれた普及品なんだけど、いつもぴかぴかに研ぎ澄まされてて、手入れの仕方にも、いろいろと独特のコダワリがあるらしいんだって。そういうのって、カッコいいなあ。

 うん、アルファードさんって、なんとなく、『匠』みたいな雰囲気があるところがカッコいいと思うんだ。
 どこがどうっていうんじゃないけど、どことなく知性を感じさせるし、どんなことにでも独自のポリシーがありそうな、ちょっとヘンクツそうな雰囲気がまた、いいんだよね。風貌、たたずまい、そのすべてに、なんか『哲学』を感じるんだよ。

 あ、ラドジールさんが来た。あの人、アルファードさんと同じ部屋の仲間なんだって。いいなあ。
 アルファードさんに、何か話しかけてる。アルファードさんも、聞こえないけど何か一言だけ答えたみたい。
 いいなあ、笑い合ってる。まあ、アルファードさんはあまり表情変わらない人だけど、一応、一瞬、ちらっと笑ったみたいだ。同じ釜の飯を食って気心知れあった戦友同士なんだよね。
 男同士、仲間同士、言葉少なに通い合う心……。あの雰囲気、いいなあ。

 あ、ラドジールさん、アルファードさんの腕に触ってる。ぺちぺちって、腕の筋肉確めるみたいに。いいなあ、いいなあ……。ぼくも触りたいなあ……。

 もしぼくがアルファードさんにどこか一箇所だけ触らせてもらえるとしたらどこがいいかなあ。
 やっぱりメインは王者の風格を湛えた大胸筋かな。気品すら感じさせる端正な腹直筋かな。力強く美しい外腹斜筋かな。いや、あの、圧倒的迫力をもって存在感を示す上腕二頭筋を忘れちゃいけない。その華やかな上腕二頭筋を頼もしく支える上腕三頭筋も、地味だけど捨てがたいよね。精妙に支えあう筋肉たちが奏でる、重厚にして華麗なハーモニーは、まさに芸術!
 でも、大臀筋とか大腿直筋とかは、場所的にちょっとまずいよね。触らせてくれなんていったらヘンに思われちゃいそう。背中の菱形筋や大円筋、広背筋なら大丈夫かなあ。
 そうそう、僧帽筋もいいよね、僧帽筋って、あんまり発達しすぎると、首が短く、ずんぐりして見えるんだけど、アルファードさんはもともと首が長いのかなあ、ぜんぜん猪首には見えなくて、かっこいい。マニアックなところでは、ふくらはぎの腓腹筋とかもいいかも……。

 ……ああ、想像してたら、わくわくしてきたよ。
 なんか、見てるだけでも元気が沸いてくるよね! 感動をありがとう!
 さあ、この感動を胸に、『まっち』の開発、がんばるぞ!


 『まっち』の開発をがんばってるあいだに、いつのまにか、春になった。
 冬の間に、ぼくは、『まっち』の実験に失敗して、3回、前髪を焦がした。3回目は前髪だけじゃなく、横っちょのほうもちょっと焦がした。それで、髪を切ったら、リューリに、大人っぽくなったって言われた。ほんとかな?
 でも、それは、髪型のせいだけじゃなく、背が伸びたせいとかもあると思うんだけど。
 そういえば、最近、時々、ちょっと声が出にくいんだ。もしかして、声変わりが始まったのかな?
 声変わりしたら、きっと、もう、少年合唱団なんて言われなくなるよね。

 ところで、最近、アルファードさんが、何かヘンだ。
 ぼくはアルファードさんと個人的につっこんだ話をするほど親しくしてもらってるわけじゃないけど、毎日稽古風景を見つめ続けてきたから、なんとなく分かる。
 なんか、悩みでもあるんじゃないだろうか。
 なんていうのかな、雰囲気が、荒んでいるんだよね。
 荒んでるっていっても、別に怒りっぽくなったわけでも、乱暴に振舞うわけでも、生活が荒れてるわけでもなく、表面上は、あいかわらず穏やかで礼儀正しくてもの静かで、真面目で練習熱心なんだけど……。

 でもね、一人で剣を振っている時に、なんか、周りの空気が違うんだ。空気が冷たく冷えてる感じ? 周りに黒い霧みたなものがもやもやと滲み出してる感じ?
 そんな雰囲気で一心不乱に素振りなんかしている姿は、何か鬼気迫るものがあって、もしかして、ちょっと怖いかも……。

 でも、そこで誰かに声かけられたりすると、その冷たい黒いモヤが一瞬ですっと引っ込んで、ごく普通の顔に戻って、ごく普通に受け答えするんだよね。
 何か、外向きに荒れてるんじゃなくて、自分の内側に冷たい黒い塊を沈み込ませている感じ。
 もしかして、リーナさんとうまくいってないんだろうか。それで何か悩んでいるとか?

 いや、実は、ぼくにも最近、彼女みたいなものが出来たんだけどね。
 ぼくは、自分が恋をしたりすることなんて、もしあるとしても、ずっとずっと先のことだと思ってたんだけど。
 なにしろ、ぼくは、当分は学究一筋のつもりで、今はまだ恋愛なんかに時間を割くのはもったいないと思っていたし、そうでなくても、小さい頃からいつもリューリみたいなとびきりの美少女を隣で見続けてきたら、他の女の子がみんなそれほど魅力的には見えなくなっちゃうのもしかたないだろ?

 でも、運命なんてものは、こっちの都合なんか斟酌せずに、ある日突然、向こうから勝手にやって来てしまうものなんだねえ。うっかり開けておいた窓から小鳥が飛び込んできちゃうみたいに、さ。

 そして、自分が実際に恋をしてみて初めて本当に分かったんだけど、そういう事柄って、誰でも普通にすることだから簡単なのかと思ってたら、案外と、なかなか難儀なものなんだね。
 女の子って、みんな、あんなふうに何考えてるか分からなくて、突拍子もない振る舞いで、こっちをドギマギさせたりオロオロさせたりヤキモキさせたりするものなのかなあ。
 それとも、ぼくの彼女が特別?
 まあ、確かにあの子は、ちょっと、他の、普通一般の女の子より、『何考えてるか分からない度』が高いとは思うけどね。
 うん、ちょっと変わった子なんだ。そこがまた魅力なんだけどね。

 でも、リーナさんも、ぼくから見ると、ちょっと天然入ってるなりに、まあ一応は常識人みたいに見えるんだけど、アルファードさんと二人の時には、やっぱり、何考えてるか分からない女の子になって、思いもよらない理不尽な言動でアルファードさんを困らせたりするんだろうか。
 そして、アルファードさんでも、そんなことでいろいろモヤモヤしたり悩んだりするんだろうか。
 そうだとしたら、あんな男の中の男でもそういうことで悩むんだと思うと、なんか安心するし、親しみ感じるな。

 でも、きっと、違うよね。やっぱり、アルファードさんともあろう人が、そんなことで、あんなふうになるわけがないよ。
 そうだ、きっと、スランプだ! 剣の道を極めてゆくうちに、己の壁に突き当たったんだ。
 それはきっと、いったんは自分の限界を極めたものだけが知る高次元のスランプで、それを乗り越えた時には、新しい地平が開けて、アルファードさんは、サナギが蝶になるように、もっと強く、もっと華麗に生まれ変われるんだ!
 がんばれっ、アルファードさん!
 ぼくは心の中で拳を握りしめた。


 もうすぐ夏が終わる。
 春から夏の間に、ぼくはまた背が伸びた。声が出にくいのも、ますますひどくなった。時々、声がへんなふうにひっくり返ったりしちゃうんだ。やっぱり声変わりが始まったんだな。
 このあいだ、リューリの仲間の治療院のお姉さんたちと食堂で一緒になったら、誰かが、ぼくのほっぺたの産毛がヒゲになりかけてる気がするって言い出して、
「あぁん、私たちのすべすべほっぺがーっ!」とかなんとか、みんなでぎゃあぎゃあ大騒ぎをはじめて(どうでもいいけどいつのまにぼくのほっぺたが『私たちの』になってたんだ?)、
「ティーオ君、すいぶん育ってきちゃったわねえ。もうお姉さんたちのアイドルは卒業?」なんて言われたよ。
 卒業もなにも、ぼくは今までだってあの人たちのアイドルだったりしたつもりは、一度もないんだけど。

 まあ、いいや。好きに言わせておこう。 ぼくは今、いろいろと忙しいんだ。
 だって、ぼくは、大急ぎで、不眠不休で、『まっち』の改良を終わらせなければならないからね。
 アルファードさんとリーナさんが、北の荒野へ旅立つ前に。

 そう、アルファードさんたちは、北の荒野へ、魔王と戦いに行くんだ。
 このあいだ、この街を恐怖と混乱のどん底に陥れた、あの恐ろしい魔王を倒しにね!
 すごいよね、まるで物語の中の勇者様のようだ!
 アルファードさんは、ずっと、ぼくの英雄だったけど、今度は、世界を救う、みんなの英雄になるんだ。

 そんなアルファードさんと、ぼくは、あの日、白昼の闇の中で、肩を並べて共に戦った。
 あの時のことは、今でも夢のようだ。でも、夢じゃない。本当のことなんだ。

 共に戦ったといっても、ぼくは、剣を取って戦うことでアルファードさんの役に立てたわけじゃない。でも、ぼくが、魔法の灯りを点すという、ぼくにしかできないことをする間に、アルファードさんは、ぼくを援護して剣を振るった。
 ぼくはぼくに出来ることで、アルファードさんはアルファードさんに出来ることで、リーナさんやニーカもそれぞれ自分に出来ることで、それぞれに力を尽くして、みんなで協力し合い、補い合い、力を合せて一緒に初級学校の子供たちを守ったんだ。
 このことは、ぼくの一生の誇りだ。

 アルファードさんは、リーナさんと二人で北の荒野へ行く。
 ぼくは、もちろん、ついては行けない。
 アルファードさんと共に旅して、一緒に戦えるリーナさんが、少しうらやましい。
 でも、一緒には行かれなくても、ぼくは、ぼくに出来ることでアルファードさんの力になれる。アルファードさんの役に立てる。
 そう、この、ぼくが開発した『まっち』を、荒野への旅の間に役立ててもらうことによって。


 アルファードさんたちの旅立ちの前夜。徹夜で作ったありったけの改良版『まっち』を持って、ぼくはアルファードさんを宿舎に訪ねた。
 そして、アルファードさんに『まっち』を手渡した後、勇気を振り絞って、思い切って言ってみた。

「あのっ、ひとつだけ、お願いをしてもいいですか? じょ、上腕二頭筋に触らせてくださいっ!」

 ……アルファードさんの目がテンになった。
 上腕二頭筋って何のことだかわからなかったみたい。しまった……。やっぱり、ちょっとマニアックだったかな? 腹筋とか大胸筋くらいなら分かってもらえたのかな? もっとマニアックな箇所を言わなくて良かったよ。半膜様筋とか縫上筋とか前鋸筋とか棘下筋とか長内転筋とかヒラメ筋とか、さ。

 でも、アルファードさんは、お願いの意味がわかると、こころよく二の腕に触らせてくれた。とても嬉しかった。あったかくて力強いあの感触、ずっとずっと忘れないよ!
 いつか、ぼくが大人になって、子供や孫が出来た時には、きっと自慢するんだ。ぼくのこの手は世界を救う英雄の上腕二頭筋に触った手なんだぞって、ね!

 そう、アルファードさんとリーナさんは、きっと、魔王を斃して帰ってくるだろう。
 その偉業に、ぼくが、『まっち』を通してほんのささやかに一役買ったということを、ぼくは一生、誇りに思うだろう――。


(-----『天才少年は上腕二頭筋の夢を見るか』・完-----)



☆献辞☆

この作品は、ゆめのみなと様(@夢の湊)との、感想掲示板でのやりとりから生まれました。ですので、この作品を、ゆめのみなと様に捧げます。(こんなミョーなものを捧げられても嬉しくない……というか、ありがた迷惑とは思いますが(^_^;))


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この作品の著作権は著者冬木洋子(メールはこちらから)に帰属しています。

掲載サイト:カノープス通信
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