〜『里菜と竜兄ちゃん』シリーズ おまけ小話〜

『エゴノキ平のクリスマス』




 小さなクリスマスツリーを飾った部屋で、里菜が赤ん坊に乳をやっている。
 金のリボンと赤い木の実、それに小さなサンタクロースや天使のオーナメントで飾り付けられたツリーには、ところどころに綿で出来た雪が載せられ、緑の葉の合間に色とりどりの豆電球がまたたいている。ホームセンターの特売で買った安価なプラスチック製のツリーではあるが、里菜は、少々音痴なクリスマス・ソングなど口ずさみながら実に幸せそうに飾り付けをして、毎日うっとりと眺め、このツリーに毎年少しずつ飾りを買い足していくのだと、夢見るように語っている。
 俺はクリスチャンではないが、里菜がやりたいというのなら、家庭でクリスマスを祝うことに特に異存は無い。日本におけるクリスマスは、宗教行事ではなく、単に季節の年中行事のひとつだろう。
 壁やドアには、そこここに、里菜の手作りのクリスマスリースも飾られている。里菜が裏山からフジやアケビの蔓を採ってきて輪にしたのに、やはり裏山で採った杉の葉や松ぼっくり、庭のフェンスに絡んで緑の葉をつけていた冬蔦や忍冬の蔓、庭木に実っていた名も知らぬ赤い実などを飾り付け、リボンをあしらって作ったのだ。都会育ちの里菜には――まあ、俺も元は都会育ちと言えば都会育ちだが、俺と違ってつい最近まで都会に暮らしていた里菜には、こういう田舎らしい楽しみが、とても物珍しく、いちいち嬉しいらしい。

 こうして賑やかに飾り付けられていると、こんなボロ家の小さな居間も、すっかり華やいで、豪華に見える。今日はこれから、家族水入らずでクリスマス・イブを祝うのだ。
 一日の仕事を終えた静かな夕べ。部屋はストーブで暖まり、窓は蒸気で曇っている。テーブルの上には可愛らしいキャンドルが飾られ、ストーブの上ではささやかなディナーのためのポトフがことことと煮えて、良い匂いをさせている。
……俺は胸の内でこっそりと思う。――まるで、穏やかな家族の幸せを絵に描いたようではないか。
 去年は、あのツリーの前に居たのは、俺たち二人だけだった。今年は、この秋に生まれた息子の廉《れん》もいる――。

 息子の名前は、里菜が考えた。
 我ながらおかしな話だが、俺は、自分で自分の息子に名前を付ける勇気がなかったのだ。

 俺は、ずっと、自分の名前が好きではなかった。
 いや、今にして思えば、名前自体が嫌いだったわけではないのだろう。竜という名自体は、別に変な名でも何でもない。シンプルで勇ましい、良い名だ。
 ただ、親が俺の名前に込めた期待が、俺にとって重すぎただけなのだ。
 父や母が、ことあるごとに俺に語る名の由来――滝壺に群れる無数の鯉の中で滝を遡ることが出来た特別強く優れたものだけが竜になれるという故事来歴に抵抗があったのだ。
 いや、それも違う。
 別にその故事が嫌いなのではなく、親の、上昇志向と言うか選民志向と言うか競争主義と言うか、衆に抜きんでてあれだの常に努力して上昇し続けよだの男児は強くあれだのという、親が俺にその名の由来を語る時にもれなく一緒に付いてくる説教、及び、ことあるごとに息子にその手の説教をするような親の価値観――その価値観の押し付けが嫌だったのだ。
 だから俺は、自分が我が子に名前を付けようという段になった時、俺の親が俺にしたように、自分が我が子に自分の価値観を押し付けたり過剰な期待で我が子の心を押しつぶしてしまうのが怖くて、情けない話だが、ありていに言うと腰が引けたのだ。里菜には、そんなややこしい胸の内をわざわざ明かしはしなかったが。

 だから、腹の中の赤ん坊の性別が判明し、里菜が「赤ちゃんの名前をどうしようか」と嬉しげに言ってきた時、俺は里菜に、「まずは君が候補を考えてくれ、それからその中から二人で相談して選ぼう」と言った。相談と言っても、俺は、里菜が考えてきた名前にただ賛成するつもりだった。
 すると里菜は、実はもう自分の中では候補を決めていたらしく、すぐに嬉しそうに『廉』と提案してきた。

「清廉の廉よ。清廉潔白の廉、廉士の廉。『いさぎよい』って意味もあるの。で、音も可愛いじゃない? それにね、ほら、竜、里菜、廉、みんな頭に『R』がつくのよ!」

 いや、『みんなR』などというのはどうでもいいことだと思うのだが、それを言った時、里菜は実に嬉しそうだった。自分で、とても良いことを思いついたと得意に思ったらしい。
 でも、『みんなR』はともかく、廉という名は確かに良い名だと、俺も思った。清廉の廉、廉士の廉。良い名だ。
 俺たちの息子は、人に勝たなくてもいい。偉くならなくてもいい。特別に優れてなど、いなくてもいい。ただ、自らの矜持を保って常に清廉であれ。たとえ濁世にあっても、心清くあれ。

 そして今、里菜が廉の名を呼ぶ愛しげな響きに思う。
 当たり前のことだが、きっと、俺の親だって、俺を苦しめようと思って俺を名付けたわけではないのだ。
 俺に良かれと思って、俺の人生を真剣に考えて、祈りをこめて、自分たちが『良い』と思った名、我が子に相応しいと思った名を付けたのだ。
 親が我が子の名前に込める愛を我が事として知った今なら、解る。俺が生まれたとき、両親が俺にこの名前を付けたのは、ひとえに愛情ゆえだったのだと。ただ、その後に親子関係がこじれてしまったために、俺がそれを素直に受け入れられなかっただけなのだと。

 今では、俺は、自分の名前が、もう嫌いではない。里菜が俺の名を呼んでくれた時、俺は、俺の名が好きになった。
 「竜」、と、里菜の声が俺の名を呼ぶ時の、他の人の名前を呼ぶ時とは少し違う甘い響きが好きだ。

 それにしても、子を産んで少しふっくらし、ますます可愛くなった里菜が穏やかな慈愛の笑みで赤ん坊を抱く図は、オーナメントの天使たちを背景に、まるで聖母子像のようだ――などと言うと、さすがに俺の欲目と笑われてしまうだろうか。
 だが、母となっても相変わらず少女のようなあどけなさを残した里菜が、その愛らしさ清純さはそのままに母性の輝きを帯びて内側から光り輝くようなその姿は、俺には本当に美しく気高く、絵の中の聖母のように見えるのだ。見えるものは見えるのだから、仕方がないだろう。
 ああ、俺の妻はなんと可愛いんだろう。
 そして、俺の息子も、なんと可愛いんだろう。今まで赤ん坊を見たことがなかったわけではないが、赤ん坊というのは、こんなに可愛いものだったろうか。

 生まれたばかりの我が子を腕に抱いたとき、俺は、一瞬、やっぱり産科医になっても良かったかもしれないと思ったものだ。俺は父の産婦人科医院を継ぐのが嫌で家を出たわけだが、婦人科はともかく、産科の医師になら、なっても良かったかもしれないと。
 いや、もちろん、今の仕事は好きで選んだ仕事で、この仕事に一生をかけるつもりでいるし、医大を中退して今の人生を選んだことをこれっぽっちも後悔はしていないのだが、でも、もし、俺の人生がもうひとつあったら、そっちでは産科の医者になってもいいかもしれない……というくらいには思った。

 俺は自分が子供嫌いなのだと思っていたが、単に不調法者で子供との接し方が分からないから苦手意識を持っていただけで、別に、子供や赤ん坊自体が嫌いというわけではないらしい。
 自分の息子で存分に赤ん坊に慣れた今では、余所の子供や赤ん坊も、みな可愛く思える。
 考えてみれば、俺は、動物の赤ん坊は昔から大好きだ。小さく頼りない赤ん坊さえ見れば、どんな種類の動物でも、慈しんでやりたい、守り育んでやりたいという衝動が問答無用で沸き上がる。それで人間の赤ん坊だけ嫌いというほうが不自然だったのだ。人間だって動物の一種なのだから。

 乳を飲み終わって満腹した赤ん坊が里菜の腕の中で眠りにつく様は、満ち足りた幸せを絵にしたようだ。
 こんなふうに、里菜が赤ん坊に乳をやっている姿を見て、ときどき、ふと、思うのだ。
 ああ、俺もあんな風に母に抱かれ、慈しまれたことがあったはずなのだ。母もあのように俺を慈愛の眼差しで見つめてくれた遠い日もあるなずなのだ――と。

 俺は、里菜を母に重ねたこと、里菜の中に母を求めたことは、一度もないと思うのだが。

 妻となった女性が、年上の女であったり、見るからに――あるいは言動が母性的なタイプであれば、そういうこともあったかもしれない。妻の中に母なるものを求める男は、とても多いはずだ。
 が、里菜は俺より五歳も年下で、しかも小柄で童顔で、言動もどこかあどけなく少女っぽさを残しているため、実際より更にずっと年下に見えるのだ。外見よりもむしろ雰囲気の問題なので、きっと、年をとっても、いつまでもあんな風であり続けるのだろう。
 だから、俺にとって、里菜は、時に幼な子のように思われこそすれ、決して母のようには思えない相手だった。
 たぶん、俺は、母のように思えてしまう相手は苦手なのだ。きっと、里菜があんな風に幼な子のようで、『母』を感じさせない――それだけでなく、もっと言ってしまうと、失礼ながらあまり『女』を感じさせない女性であったからこそ、たいがいの女性が苦手な俺も、里菜は大丈夫だったのだ。小さく頼りない雛鳥をいとおしむように、里菜をいとおしむことができたのだ。
 今、ああして母性の輝きを宿して赤ん坊を抱いていてさえ、か細い首を傾けて小さな赤子を重そうに抱き運ぶ姿は、俺には、守るべき小さな雛鳥のように見える。廉にとっては里菜は頼るべき母だろうが、俺にとっては、里菜は、たぶんいつまでも、守るべき少女なのだ。

 それでも、赤ん坊を抱く里菜の愛情溢れる表情を見ていると、ほんの少しの古い痛みとともに、思い至る。俺もかつて、母に愛されたことがあるはずなのだと。

 俺の母は、俺を捨てた。その際、俺のことを一度も愛したことがないと、俺をかわいいと思ったことなど産んでこのかた一度もないと、心無い捨て台詞を残した。
 その言葉が、ずっと、呪いのように俺を縛り、俺の心を蝕んできた。
 しかも、母がその言葉を放った際、俺は、思い出したくもないことだが、母の情事の現場をうっかり目撃している。さらに、なおさら思い出したくもない話だが、その場で母の浮気相手に暴力含みで脅されている。……思えば、十歳の子供としては、なかなかとんでもない体験だ。
 今だから認めてしまうが、俺は、その体験のせいで、ずっと、いろんなものが怖かった。例外なく裏切りの可能性を秘めていると思えた女性全般が怖く、自分の中で裏切りや暴力のイメージと結びついて汚れてしまった性というものがおぞましく恐ろしく、裏切られる元となる愛というものが怖く、裏切りの温床となりうる家族というものが怖かった。人と人との繋がりが怖いから他人が怖く、何より、裡に暗い怒りを溜め込んだ自分が怖かった。
 誰も知らないことだが――自分でもあまり気付いていなかったことだが――、俺は、随分と臆病者だったのだ。
 愛さなければ裏切られない、他人と関わらなければ己の裡なる闇が他人に害を及ぼすこともない――、そんな風に思って、人に対して心を閉ざしてきた。愛せるのは動物たちだけだった。
 ……里菜と出会うまでは。

 結婚前に里菜を実家に連れて行った時、里菜が俺の子供時代の写真を見たいというので、古いアルバムを本棚から引っ張り出してきた。
 自分の子供時代のアルバムを見るのは、実に二十数年ぶりだった。十歳以前の写真には母が一緒に写っているものがあるから、それを見たくなくて、ずっとアルバムを開くことができなかったのだ。それ以前に、そもそも、古い写真を見て子供時代を懐かしもうなどという気分には、一度もなったことがなかったし。
 が、里菜の、俺の子供時代の可愛らしい姿――いや、俺は別に子供の頃も特に可愛くなどなかったと思うが、里菜は絶対に可愛らしかったに違いないと言い張った――をどうしても見たいという熱心な要望に負けたのだ。
 俺が『家出した母の写真を見たくないのだ』と言えば、里菜はたぶん即座に引き下がっただろうと思うが、俺は何も言わなかったから、平穏な家庭で育った里菜には、俺にそんなわだかまりがあるなどとは思いつかなかったのだろう。ただ、俺が照れているだけだと思っていたに違いない。

 俺は里菜に、自分の、母に纏わる複雑な心情を、一度も打ち明けたことがない。
 父との対立については、現在進行形で里菜にも関係が出てくることなので話したし、父と母の離婚の経緯などもかなり踏み込んで打ち明けたが、母に対する自分のアンビヴァレントな感情については、あまりに微妙で個人的なことなので、誰かに話そうなどと思いつきもしなかったのだ。そもそも、事が『感情』という曖昧なものなので、言葉では説明のしようがないのである。
 それでも、もしも里菜に話せば、里菜はその純真な優しさでもって全力で同情し、不器用ながらも懸命に慰めようとしてくれるに違いないが、俺はそれを望まない。俺のややこしい事情に、里菜を巻き込みたくない。俺の内面の醜いドロドロになど、里菜を触れさせて、穢したくない。
 里菜には、ただ傍にいて、笑ってほしい。ずっと、悲しいことは何も知らずに、清らかに笑っていてほしい。
 何も知らない里菜が隣でのんきに笑ってくれると、俺も何だか気が楽になり、屈託のない健やかな笑顔に古い傷跡が癒されてゆく心持ちがする。
 同情や慰めにではなく、その無垢な笑顔にこそ、俺は救われる気がするのだ。

 そんなわけで、久しぶりに見た写真の中の母は、記憶にある通り、美しい人だった。
 そして、記憶にあった以上に、若かった。
 考えてみれば、当時の母は、今の俺と大差ない年齢だったのではないだろうか。十歳の子供から見たら三十歳も五十歳も一律に単なる大人だが、実は、母はまだ十分に若かったのだ。そして、心はきっと、見かけ以上にもっと若く、未熟だったのだろう……と、今は想像できる。

 写真の中の母は、優しく微笑んでいた。生まれたばかりの俺を抱いて、父の隣で幸せそうに笑っていた。幼児の俺を見守る眼差しは、紛れもなく母の慈しみを宿していた。
 それを見て、俺は思い出した。母が俺に心からの微笑みを向けてくれた、幼い日々を。

 本当は、忘れていたわけではないのだ。ただ、思い出したくなかっただけだ。子供時代の幸せな記憶のすべてが母の裏切りによって否定されてしまったと思いこんだ俺は、母への恨みつらみによって過去の思い出まで穢したくなくて、それらを心の底に封印しようとしてきただけなのだ。

 母は、俺がまだ小さかった時分は特に、決して悪い母親ではなかった。いわゆる教育ママではあったかもしれないが、それだけでなく、世間一般で良い母親がすると言われるようなことは何でもしてくれた。
 毎日の、手作りのおやつ。栄養バランスを考えた手料理。毎日の宿題や予習復習に何時間もつきっきりで付き合い、学校行事には必ず参加し、PTA役員も積極的に引き受けた。子供のためにと専業主婦を貫き――もともとお嬢様育ちで就職経験もなく、どのみち外で働くような人ではなかったと思うが、母は、自分が専業主婦でいるのは俺のためだと常々言っていた――、日中に外出しても俺が家に帰る時間には必ず家にいるという決まりを自分で自分に課して頑ななまでに守り通し、俺が風邪を引けば枕元で看病してくれた。

 それらは別に誰が強制したことでもなく、母が自ら進んでしていたことだったのだろうが、母がそうすることを選んだのは、『母となったからには完璧に良い母でなければならない、世間に流布する良い母親像そのままでなくてはならない』という義務感のためだったのかもしれない。そして、そのような義務感を持ったのは、父の『正しさ』『立派さ』の圧力のせいだったのかもしれない。

 常に正しく立派で公明正大で自己犠牲を厭わない父は、自分の身内もそのようであって当然だと思っている。自分が苦もなく強く立派で在れるから、それが時に苦になる人がいるということを、分かっていない。いや、赤の他人なら弱い人もいると分かっていて、そういう人々に寄り添い共感する思いやりも、寛大に接する度量もあるらしいが、あの人は、自分の家族は自分の延長だと思っているから、他人はともかく自分の家族だけは自分同様に苦もなく立派でいられて当然と思いこんでしまうのだ。常にそのようであること、そのようであれと期待され続けることが時に負担になるだろうなどとは、思いつきもしないのだ。他人に優しく自分に厳しく、自分の身内にも厳しい――、そういう人だ。
 そして、母はきっと、そんな父の高い要求に応えようと、母なりに一生懸命だったのだ。
 そんな中で、母は精神的な疲れを蓄積していたのだろう。

 なぜそう思うかというと、その精神状態は、俺にも、嫌というほど実感を持って想像がつくからだ。
 父が正しければ正しいほど、その『正しい』要求に応えられない自分がダメな人間のように思え、まだ足りない、まだ父の要求水準に届かない、だから認めてもらえないのだという思いに囚われ、果ての見えない努力を続けるうちに、知らず知らずに疲弊し、摩耗してゆく。

 母の出奔後に大人たちのひそひそ話を漏れ聞いて知ったところでは、母は、甘やかされたお嬢様育ちの、我儘で世間知らずな人であったらしい。美人な上に学業成績も優れていて、常にちやほやされ、注目され、称賛されることに慣れていたのだろうなどとも言われていた。
 もちろん、ひそかに取りざたされた悪意混じりの噂話だから必ずしも事実とは限らないが、俺の知っている母の姿からは、それはとても納得できる話だった。
 蝶よ花よとちやほやされて育った箱入り娘が、社会に出ることもなくそのまま妻となり、ほどなく母となって家庭に閉じこもった。もはや周囲にもてはやされることもなく、美貌も学歴も持ち腐れで、夫は社会的には立派な人だが多忙で不在がちだし、謹厳な朴念仁で思うように構ってもくれず、注目と称賛は子供を通してしか得られない。
 そんな状況で、夫や世間を納得させるような良妻賢母となること、子供を自慢できる優等生に育てることでしか夫に認められることができないと思った母は、俺を、父や世間に認められる『優秀な』子供に育てることに必死だったのだろう。俺を優秀に育て上げることを通して、世間に、ひいては父に、自分を認めて欲しかったのだろう。そうすれば父に自分を振り向いてもらえると思っていたのではないだろうか。

 母はきっと、父をまだ愛していたのだ。だから父に振り向いて欲しかったのだ。自分のほうを見て欲しかったのだ。
 『まだ愛していた』というより、父に片想いの恋をしていたようなものだったのかもしれない。
 子まで設けた夫婦の間で片想いと言うのも変だが――しかも、俺から見れば父は明らかに母を溺愛していたと思うので、はたから見ればコミュニケーション不足故のばかばかしいすれ違いなのだが――、母は常に、父に、もっと自分と向き合ってほしい、自分のほうを見てほしい、自分を構ってほしいと想い焦がれ、それが叶わない不満を抱き続けていたのではないか。だが、父は多忙な人だったし、父の愛情は、生来の口下手と無表情、さらには言葉にしなくても分かってもらえているはずという甘えた思い込みのせいで、母に全く伝わっていなかったのだろう。――その辺は、俺も自戒しなければならない点だ。

 ともかく、母の『片恋』は、どんなに頑張っても、叶わなかった。
 いくら俺が良い成績を取ろうが、スポーツで活躍しようが、父にとっては、優秀な自分の子が優秀であるのは当然のことで、他ならぬ自分の妻が非の打ちどころのない良妻賢母であるのも当然のことだった。自分の妻は良妻賢母であって当然、子供は完璧に育てて当然と思い、多忙もあって、家庭のことは妻がよくやってくれていると安心して任せきりにしたまま、そのような状態を母が負担に感じ、疲れていること、夫のフォローを必要としていることに、たぶん気づいていなかったのだ。

 父も、母を労ったり俺たちを褒めなかった訳ではないだろう。
 少なくとも俺は、そっけない口調ながらも、何かあるごとにそのつど律儀に褒めては貰った気がする。ただ、あの人の場合、その後に必ず、これで満足せず次はもっと頑張れとか、いい気にならず気を引き締めて今後もこの水準を保てなどの、まるで俺が油断して努力を緩めようとしているに違いないと言わんばかりの、なぜか叱責口調の説教が追加されて、褒められたのではなく叱られたような気分になるのだが。
 ……まあ、それはともかく、きっと、母にも、通り一遍の労いの言葉くらいはかけていただろう。父は、そういうところはちゃんとした人だ。誰にでもちゃんと、働きに応じた正当な労いの言葉はかける。
 だが、それは本当に、誰にでも公平に公正にかける労いの言葉で、産院のスタッフを労う言葉と変わりなかったのではないだろうか。母が欲しかったのは公平で公正な労いなどではなく、もっと特別な、甘い依怙贔屓であったに違いないのに。

 母は、たぶん、実はまだ心幼く、子供を育てるより自分が子供のように甘やかされたい人だったのだろう。たまには気を抜きたい、甘えたい、認められたい、癒されたい、自分を見て欲しい、構ってほしい、可愛がって欲しい――その欲求が、父には満たしてもらえなかったから、世間知らずのあまり、偽りの甘言を弄する質《たち》の悪い男に慰めを求めてしまったのだろう……と、今は想像できる。

 つまり、要するに、何もかも、父があまりにも朴念仁だったのがいけないのだ!
 どこぞのパーティーで一目惚れして妻にと乞い願って恭しく貰い受けた才色兼備の令嬢を(……そういう経緯だったらしい)、貰っただけで安心して、ろくに構いもせずに放ったらかしにして!
 父は、釣った魚には餌をやらないタイプか? いや、釣る前から餌なんかやったことがないんじゃないか?
 母は、そんな父のところに、親に言われるままに嫁に来たのだ。それでも、自分に一目惚れして親を通して非常に熱心に求婚してきたという男のもとに嫁ぐのだ、きっと夫に愛されるのだと信じて、若い娘らしく結婚生活に甘い夢を描いて嫁いできたのに違いない。
 それなのに、父は、子供一人生ませた後は放ったらかしだ。実は最初から最後までベタ惚れだったくせに、それを言葉にすることもせず。
 言葉が足りないことに関しては俺も人の事は言えないが、俺は言葉にはしなくても態度には出していたつもりだ。が、父はああいう人だから、きっと、態度にもろくに出さなかったのだろう。信頼という名の甘えの元に、家庭のすべてを任せきりにして、稼いだ金を黙って渡すだけで愛情を証し、夫としての義務を果たしていると信じ込んで。

 うちの親戚には悪しざまに言われている母も、思えば、そんな状況で、健気にも我儘も言わずに良き妻良き母であろうと孤軍奮闘し、一人息子の教育に、いささか行き過ぎなほど熱心に取り組んでいたのじゃないか。
 その努力が、報われなさのあまり、ぽきりと折れた。
 それでもまだ気づいてくれない夫など、恋しさ余って憎さ百倍だろう。
 浮気してたのも、本当は、父に気づいて欲しかったんじゃないか?
 自分はこんなに寂しいのだという、父への当て付けだったんじゃないか?

 ……だが、浮気の現場を発見してしまったのは、幸か不幸か、父ではなく、俺だった。
 幸か不幸かでいえば、どちらかというと幸いだったのかもしれない。
 母はそもそも父に見つけて欲しかったのだとしても、あそこまでしてしまった後では父との間は修復不可能だっただろうし、もし父が現場に踏み込んでいたら、成り行きによっては流血沙汰になっていた可能性もあるから。
 父は、日頃は温和な紳士然としているが、俺の推測では、芯のところは案外激情家なんじゃないかと思う。そして、たぶん、表には出さないが、実は独占欲が強くて嫉妬深い。かつ、もともとはけっこう武闘派らしい。俺や母に暴力を振るったことは一度もないが、どこか、いざとなったら何をするか分からないという雰囲気もあった。一方、母の相手の男も、暴力に慣れた風情だった。いかにも何か凶器でも忍ばせていそうな……。もしかすると、実際に何か隠し持っていた可能性もある。
 現場に出くわしたのが子供の俺だったからこそ、母が平和裡に家を飛び出すだけで済んで、流血の惨事が避けられたのかもしれない。俺も、母ばかりか父までも失わずに――あるいは、人殺しの息子にならずにすんだのかもしれないのだ。

 俺はずっと、自分が母を疲れさせたから母が出て行ってしまったのだと思っていた。
 母は、俺がいるせいで家に閉じ込められ、縛られていると感じ、俺のために自分を犠牲にしていると感じて、自由のない暮らしに息が詰まってしまったのだと。
 母が出て行ったのは自分のせいだと、みんな自分が悪いのだと、俺は思っていた。
 何故なら、母自身が、俺に向かってそんなようなことをいろいろと言ったからだが。

 俺は、あんな言葉をぶつけられてさえ、それまで自分の世界の中心であった母を、憎みたくなかった。嫌いたくなかった。
 それで、代わりに、母に捨てられた自分を嫌った。
 母を憎まずにいるためには、自分に足りないところがあるから母に愛される価値がなかったのだ、自分が至らない駄目な子供であるから母に捨てられても仕方がなかったのだと、自分を貶めるしかなかったのだ。

 でも、今思えば、俺は、とんだとばっちりだったのだ。
 問題は、あくまでも、父と母との間にあった。
 母は、あの時、俺に対して、子供相手に随分と心無い言葉をいろいろ投げつけてくれたが、あれらは、本当は、俺に向けて言われた言葉ではなく、その場にいない父に対する当てこすりだったのだろう。
 俺のことは、たぶん、本当は憎んでいたわけではないのだ。それは、時には負担に思ったり邪魔になることもあっただろうが、そんなのは普通の親子の間でも親が忙しかったり機嫌の悪い時にはたまにはあることの範囲内で、本物の憎しみなどではない。実はただ、顔が父に似ていたから八つ当たりに手頃だっただけだろう。
 母は、俺の良き母でい続けること、父の求める良き妻でい続けることが辛くなって、かといって、ご立派な父に鬱憤をぶつけることもできずに、自分より弱い俺に八つ当たりしたのだ。
 母が、もっと早い段階で、俺にではなく、ちゃんと父に向かって啖呵を切っていれば、もっと物事は変わっていたかもしれないのに……。まあ、今さら俺が言っても、詮もないことだが。

 母は、俺のことなど一度も愛したことがないと、はっきりと言ったが、けれど、今なら俺も知っている。口に出して言われたことが、必ずしも真実とは限らないと。

 あの時、母は、自分では本気でそう思っているつもりだったのかもしれないが、今思えば、あれは、進退窮まったあげく自棄になっての、いわゆる逆ギレであり、単に、『売り言葉に買い言葉』の類だったのだ。
 もちろん、母に喧嘩を売ったのは、俺ではない。
 あの時、母に喧嘩を売っていたのは、たぶん、母の中の、内在化された社会規範だ。そして、それは、父の顔をしていたはずだ。
 母の心の中で、当然のように良妻賢母であることを妻に求める父の圧力や、母親はこうあるべしという世間の風潮が、その規範を逸脱しようとしている母を責めてたてていて、母はきっと、それに対する罪悪感を反抗心にすり替え、わざと露悪的挑発的な言葉を喚き散らしてみたのだ。何を言っても逆らわないはずの俺に、ある意味、甘えて。自分の期待通りに傷ついてくれる弱い存在に残酷な優越感を覚えつつ、あれで父に復讐したような気になっていたのではないか。
 ちなみに、俺は、母のあの言葉を――それだけでなく俺があの時見聞きしたことすべてを――父には何一つ伝えなかったし、今後も伝える気はないのだが、もしかすると、母は、あれを俺に父に伝えて欲しかったのか? そういえば、母は、あの時、父についても、なぜか俺に向かっていろいろと言い捨てて行ったのだが。

 まったく。母よ、弱いものに甘えてはいけない。甘えるなら、父に甘えろ。文句なら、直接父に言え。夫婦喧嘩に子供を巻き込むな。

 取り乱した女性が感情的に口走った妄言など、いちいち額面通りに受け取る必要はないということを、俺は、最近やっと学んだのだ。そういう場合、言われた言葉の内容よりも、彼女にその言葉を言わしめた心理的な背景をこそ汲んで対処すべきなのであると。何となれば、そうした言葉は往々にして本心と乖離しており、時には正反対であることさえあるからだ。女性とは、えてしてそういうものらしい。
 追いつめられて逆上したヒステリー女の理不尽な暴言などを真に受けて、その後二十余年も苦しんできたとは、俺は随分とばかばかしい損をしてきたものだが、当時は、まだ子供だったのだから仕方がない。しかも、相手は、それまで全幅の信頼のもとに盲従してきた、幼い子供にとっては世界の全てにも等しい実の母親だったのだから。

 今では、俺ももう、かつて母が俺に示してくれた優しさのすべてが偽りであったとは思っていない。たとえそれが気紛れなものであろうとも、その時、その時には本物だったはずだ。
 写真の中の母の笑顔は、すべてが作り笑顔ではなかったと思う。
 父と母の間がこじれてしまう前には、俺と母の間にも、ごく普通の、優しい母と母を慕う幼な子との関係があったのだ。母が幼い俺を慈しんでくれた瞬間が、幾度もあったはずなのだ。
 俺はそれを、本当はちゃんと覚えていたのだ。
 里菜のおかげで、そのことに気がついた。そのことを思い出した。それを認めることができた。
 一時の勢いで口に出されただけの心ない言葉より、俺は、それまでの思い出の蓄積を信じる。母に愛された幼い日の自分の記憶のほうを信じる。記憶の中の母の笑顔のほうを信じる。
 そう、俺は、ちゃんと愛されていたのだ。

 もう二度と会うことはないと思うが、母は、俺のことを憶えているだろうか。普段は忘れていても、時には思い出すこともあるだろうか。あんな風に、幼い俺を腕に抱いた日のことを。乳を与えて慈しんだ自分の小さな赤ん坊のことを。あるいは懐かしく愛しい追憶として、あるいは痛みや悲しみとともに。

 母が、その後、どこに行ったのか、どうなったのか、今どこにいるのか、俺は何も知らない。父がそれを知っているのかどうかも知らないし、それを父に訊ねたことも、訊ねようと思ったこともない。もし父が母の消息を知っているのなら、さすがに、死ねば教えてくれるだろうから、とりあえず生きてはいるのだろうと思う程度だ。
 だが、母がどこかで今は幸せでいてくれれば良いと思う。
 思い出したくもない不愉快な記憶だが、偶然目撃してしまった母の情夫はどう見てもろくでもなさそうな男だったから、あの男が母を幸せにしてくれたとは到底思えないが、人生いろいろだ。その後、紆余曲折の末に、別のどこかで別の幸せを掴んでいないとは限らない。

 母は今、遠くにいるのか、案外近くにいるのか。何をして暮らしているのか。一人でいるのか、誰かといるのか。
 いずれにしても、母よ、俺は今、幸せです。
 もしも生きているのなら、あなたのもとにも幸せなクリスマスが訪れますように。メリー・クリスマス。



 クリスマスツリーの豆電球がちかちかと瞬いて、金のモールに映った光が滲んで揺れている。風も鳴らない、静かな夜。
 そろそろ、廉が寝入ったようだ。
 里菜が廉をそっとベビーベッドに降ろして寝かしつける間に、俺はオーブンの中のチキンを温めなおし、大きな音を立てぬよう気をつけて、テーブルに皿を並べはじめる。
 廉を置いて戻ってきた里菜が、唇に人差し指をあてて微笑みながら、卓上のろうそくに静かに火を灯す。次に赤ん坊が目を覚ますまでの、貴重な大人の時間の始まりだ。
 廉が生まれてしばらくは、里菜は夜もろくに眠れず大変だったが、最近では夜中の授乳の間隔も開き、夜泣きも減って助かっている。
 廉、どうせ来年からはお前が主役だから、今年だけは、二人で静かにクリスマス・イブを過ごさせてくれ。頼むから、これからしばらく、泣き出さずに大人しく寝ていてくれ。ほんのしばらくの間だけ、里菜を俺に独り占めさせてくれ。

 俺は不意に衝動に駆られて、キッチンに料理を取りに行こうとする里菜の背中を引き止め、背後から強く抱き締めた。
 廉を起こさぬよう、耳元でそっと囁く。
「里菜……」
 閉じ込めた腕の中でくすくす笑う気配が愛しい。落とした視線の先の、桃色に染まった薄い耳たぶが可愛い。唇を寄せて囁くついでに、ぱくっと食べてしまいたくなるほどに。
 料理なんて持ってこなくていいから、このままずっと腕の中に閉じ込めておきたい。

 里菜、どこにもいかないでくれ。ずっとここにいてくれ。

 ……俺は、結婚する前は、里菜が俺を嫌だというなら、自分がどんなに辛くても、黙って潔く身を引くつもりだった。
 里菜が少しでも嫌がるのが怖かったから、自分の気持ちを身勝手に里菜にぶつけないよう、気を付けて自分を抑えていた。里菜が少しでも嫌がることは、何一つしたくなかったから。
 心のままに自分の想いの全てを里菜にぶつけたら、俺はきっと、里菜を縛ってしまう。疲れさせてしまう。傷つけてしまう。そして、母に疎まれたように、また疎まれてしまう。逃げられてしまう。
 それが怖かった。
 俺はたぶん、本当は欲深くて利己的な男なのだ。人を愛したら、その人を、いつでも、全部、いつまでも、自分のものに、自分だけのものにしておきたくなってしまうほど、強欲で我儘なのだ。
 そんな自分を里菜に知られて、嫌われたくなかった。
 そんな自分であるせいで里菜を傷つけるくらいなら、自分一人が我慢して、己の心を殺してでも、黙って去ろうと思っていた。
 俺は、昔から、我慢するのは得意なのだ。死ぬより辛いことだって、素振りも見せずに我慢してのける自信があった。
 
 でも、もう遅い。
 里菜。
 今ではもう、俺は、君が嫌だと言っても、きっと、君を離さない。離せない。
 俺はもう、こんなに我儘になってしまった。自分勝手になってしまった。ますます強欲になってしまった。君が嫌だといっても、この腕の中に閉じ込めて、君をいつまでもずっと俺に縛り付けておきたいと思ってしまうほどに――。

 もう、認めてしまおう。ずっと、自分でもあまり気付いていなかったのだが、実は俺は、子供のように我儘で、しつこくて、欲張りなのだ。しかも、なるべくそう見えないよう気をつけているから里菜がどこまで気付いているか分からないが――できれば一生気付かないままでいて欲しいが――、実は、けっこう執念深く、嫉妬深いのだ。我慢するのは得意だが、いったん我慢するのをやめると、愛した人を全部自分のものにし尽くしてもまだ飽きたらないほど、際限なく貪欲なのだ。永遠に満たされない飢えが、愛した人の存在の全てを未来永劫独り占めしてどこまでも貪りつくそうとして猛り狂い、俺の中で駄々っ子のように暴れているのだ。
 そんな、はっきり言って鬱陶しい、重たい、面倒くさい男なのだ。

 そんな俺に捕まってしまったのが、里菜、君の運の尽きなのだ。君はもう、俺から逃げられないのだ。俺は、今となってはもう、君がなんと言おうと、君を手放す気はないのだから。
 だから俺は、君に嫌だなんて言わせないようにしてみせる。君が、もう俺といるのは嫌になったなんてずっと言いださないよう、俺から逃げたいなんて思わないよう、君をずっと幸せでいさせてみせる。こうして君を抱きしめるためになら、俺は何でもする。何でもできる。俺はもう、君に去られること以外、何も怖くないから。

 だから、里菜、来年も、その次の年も、ずっと一緒にクリスマスを過ごそう。今年は二人で、来年からは廉と三人で、もしかするといつかはその弟か妹も加えて、ずっと一緒に、幸せな家族のクリスマスを過ごそう。

……終……



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