じしゅう 時宗について |
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鎌倉時代後期に時宗を開かれた宗祖・一遍上人は、踊り念仏で有名です。人々の心に響く礼讃(らいさん)、和讃、人々の目を引き付けてやまない国宝「一遍聖絵」、阿弥芸術など、時宗の教えはさまざまな方面からふれることができます。 「時宗」の由来 一遍上人の頃、同行する僧尼の集団を「時衆」と呼びました。この語は中国の善導大師の著『観経玄義分』の「道俗時衆等 各発無上心」によっています。 また、昼夜六時の勤行(六時礼讃)や不断念仏など、長期あるいは長時間におよぶ法要のときは、時間で交代していました。これが「時衆」の由来です。 江戸時代に入り、徳川幕府の宗教統制を受けて「衆」が「宗」に変わり「時宗」が宗派の名として確定されました。 しょうじょうだいしいっぺんしょうにん 宗祖 証誠大師一遍上人(智真)(1239年〜1289年8月23日) 愛媛県にお生まれになり、浄土宗(西山派)の教義を学ばれました。上人は踊り念仏と『南無阿弥陀仏決定往生』の御札を配る賦算(ふさん)を行いながら日本中を巡り歩き、民衆の側に身を置いて念仏信仰を追求されました。兵庫県神戸市の真光寺に御廟所がございます。一遍上人の教えにより、代々の時宗のお上人は「遊行上人」(ゆぎょうしょうにん)と呼ばれています。 一遍上人ご法語 よろず生きとし生けるもの山河草木吹く風立つ波の音までも念仏ならずと言ふことなし 旅ごろも 木の根かやの根いづくにか 身の捨てられぬ ところあるべき 開 宗 鎌倉期(1274年) 文永11年、和歌山県に鎮座する熊野本宮を参籠した一遍上人は、熊野権現より「阿弥陀仏の大慈悲によって、すべての人々の極楽往生は決まっているのだから、信じる信じないを問わず、浄か不浄かをえらばず、あらゆる人々に念仏の御札をすすめるのですよ。」という神託を得ました。このとき一遍上人はお念仏の本旨を悟られ、『南無阿弥陀仏決定往生』と書かれた御札を人々に配って歩く旅に出発されました。 遊行(ゆぎょう)の旅の途中、奥州・白川の関にて ゆく人を 弥陀の誓いにもらさじと 名をこそとむれ 白川の関 時宗総本山 清浄光寺 本堂 総本山境内 一遍上人像 しょうじょうこうじ ゆぎょうじ 総本山 清浄光寺(通称「遊行寺」) 神奈川県藤沢市にございます。遊行4代の呑海上人により、正中2年(1325年)に開かれました。現在でも遊行上人より『南無阿弥陀仏決定往生』の御札をいただくことができます。 ◆時宗総本山遊行寺ホームページ ご本尊 「阿弥陀如来」を本尊に仰ぎます。 とくに「南無阿弥陀仏」の名号を本尊といたします。 となえることば 「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶ) おしえ 「南無阿弥陀仏」とお唱えする只今のお念仏がいちばん大事なことです。家業につとめ、はげみ、むつみあって只今の一瞬が充たされるなら人の世は正しく生かされて明るさを増し、皆共に健やかに長寿を保つことになります。浄土への道はそこに開かれるとする教えです。 経 典 無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経 六時礼讃などのお経をお読みいたします。 |
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