朱家角は上海から一番近い水郷古鎮である。市内の上海体育場という場所に観光専用の路線バスターミナルがあり、そこから1時間くらいの距離で行ける。観光地化されている場所ではあるようだが、周庄ほどではないらしい。イヤ、周庄に行ったことはないのだけれど、そちらはあまりに有名過ぎて観光客だらけなんだそうだ。人びとの暮らしが垣間見え、観光的な感じがしない点では、朱家角の方がいいかもしれない。

この日は天気が悪く、私が水郷に到着したころには小雨が降りだしたのだが…いやいや、雨の水郷ってのも結構いい感じかもね。

明や清の時代の面影が残るといわれる街中を歩いてみる(北大街というらしい)。狭い幅の道が無数に広がっている。水路に差し掛かる場所では、狭い幅で造られた橋が架けられている。道幅は狭いが、船が下を通れるように、ある程度高さを考慮して造られているようだ。

北大街



中国ではよく食べられる粽(ちまき)を作っている→
小路の道沿いには伝統工芸品や、おいしそうな食べ物が売られている。豚の角煮みたいなものも葉で包んで売られていた。「あ、これは絶対うまそうだ」と思ったので購入し、即その場で食べてみる。おお、肉がやわらかい〜! 見た目は濃いが、それほど味はクドくなくてウマイ。絶品である。
朱家角古鎮は、漕港河と朱柳河と呼ばれる大きな運河と、その2つの運河の間に網の目のように張り巡らされた小さな水路で形成されている。そのため他の水郷よりも広く、大きな運河に架かる石橋を見ることができる。放生橋と呼ばれる橋がそれだ。16世紀に造られたそうで、全長72mもあるそうだ。

放生橋
この放生橋には逸話がある。この橋が造られる前、対岸へ渡るためにみんな船を使っていたのだが、ある日、対岸の寺へ船で向かおうとした僧侶の母親が、誤って河に落ちてしまい、そのまま亡くなってしまう。息子である僧侶はその事故を嘆き、二度とこんな悲劇が起こらないよう、この放生橋を建造したのだという。そして僧侶は、この建造された放生橋の上から、月に2回、母親への供養の意味で魚を放流したのだ。この行為が後に庶民の間にも浸透し、旧暦の毎月1日と15日に住民が魚を放流するという儀式が始まった。月日は流れ、今では、放生橋の上から魚を放流すると願い事が叶うという伝説に変わったのだそうだ。

実際、この朱家角の街中を歩いていると、お店のあちこちで、「放生魚」と書かれた看板を見かける。これは、食べるための魚ではなくて、放生橋の上から放流するための魚を売っている(魚の種類はいろいろで、1匹1元くらい)。私が放生橋を渡ってるときも、他の観光客が魚を投げ入れてる光景を見かけることができた。

…え、私ですか? いや、迷ったんだけど、結局私はやりませんでした。どうせ私の願い事ってのは、「休みくれ」とか、そういう叶いそうにない願い事ばっかりなので…。

次のセクションへ→ 


CHINA TOP     ROAMER TOP     HOME