Prof. Ito


ABO FAN


28.gif (298 バイト)伊藤哲司さんの論文

 伊藤哲司さん(現・茨城大学人文学部助教授)の論文です。伊藤さんは、人々が俗信をどう信じているかということを中心に研究してきました。血液型も「俗信」として扱われているのが、私には少々不満です。しかし、俗信についての正確なデータと分析のシャープさはすばらしいものがあります。
 なお、伊藤さんは血液型と性格の関係に否定的ですので、念のため。 -- H11.6.6

12.gif (321 バイト)論文1

原題: 伊藤哲司 「俗信を信じる」ということ 茨城大学文学部紀要(人文学科論集)第28号 25〜56ページ H7.3

 この論文では、「血液型性格判断」(この言葉には抵抗がありますが…)を俗信とみなして分析しています。
 私の説明よりも、直接データを見た方がいいので、血液型の関係するところだけ抜粋しておきます。上瀬さんの論文とほぼ同じ結果が出ていることがわかると思います。

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 サンプルについては、少々解説が必要でしょう。この3つの図のサンプルは同じではありません。まず、図4については、

茨城大学・大工業大学・東海学園女子短期大学・中京看護学校の学生439名(女性235名、男性204名)。年齢は18〜30歳で、平均値は19.1歳、最年少は18歳であった。(なお、25歳以上の被調査者は6名だけである。)

 そして、図5と6については、

茨城大学人文学部1年生(1994年度)151名(男性57名、女性94名)。年齢は18〜20歳で、平均値は18.3歳、最頻値は18歳であった。

 上瀬さんの論文では女性だったのですが、伊藤さんの論文では男性も少なくない数がいます。一般的に、男性の方が女性より血液型に否定的であることを考えると、ほぼ再現性があると判断していいでしょう。

 このデータで興味深い点はいくつかあります。それは、

  1. 講師が血液型に否定的な人だと肯定的な回答が少なくなる
  2. 差別に対する設問がない

 ということです。まず、肯定的な回答についてですが、他のランダムサンプリングのデータに比べるかなり少なくなっています。図6を見るとわかりますが「血液型と性格は関係があると思う」という回答ですが、賛否が相半ばする結果になっているのです。普通は肯定的な回答が60%程度以上あるはずなので、明らかに講師の影響があるようですね。
 面白いことに、被験者には「占いなどに対してそれを肯定したり否定したりするいかなる考えも前提としていない」と予め説明しています。つまり、そういうやり方では被験者への影響は防げないことがわかります(失礼!)。

 では、対比するデータを掲げておきます。下の表は、血液型に興味がある人の割合のデータです。下の表の赤枠の中が心理学専攻の学生です。平均を計算すると「興味ある」が53%になるので、@の中学生グループを除けば、他のいずれの被験者グループよりも低いことがわかります(佐藤達哉 1995 血液型性格判断、星占いを信じやすい性格があるか 児童心理,649,112-121.)。

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 これだけでは不十分でしょうから、別のデータも書いておきます。

1.血液型と人の性格は関係ありそうだ(無作為抽出の首都圏15〜69歳の住民1,102名)

回    答

回答率

そう思う 75.0%
そう思わない 18.4%
どちらともいえない  5.9%
わからない・無回答  0.6%

出典:昭和61年NHK世論調査資料

2.あなたは、血液型と人の性格や相性と関係あると思いますか?(無作為抽出の全国20歳以上の男女2,320名)

回    答

回答率

関係あると思う 18%
多少関係あると思う 46%
関係ないと思う 21%
わからない 14%
無回答  1%

出典:昭和62年毎日新聞「こころの時代」全国世論調査

3.血液型と性格・相性の関係は?(500名)

回 答

回答率
ある 72%
ない 18%
わからない 10%

出典:関西テレビ『発掘!あるある大事典』(平成9年6月15日放送)

4.血液型ステレオタイプに対する態度 →太字は50%以上 (都内の女子大生318人)

変数名

肯定率(%)

血液型によって性格は異なる

*

血液型性格判断は信用できる

37.5

血液型性格判断は当たっている

53.8

血液型性格判断は楽しい

83.6

血液型性格判断が好き

61.5

コミュニケーションに役立つ

40.4

初対面時に役立つ

26.0
血液型を考えてから対人行動 5.8

血液型によって行動を変える

4.9

他者行動の理解に役立つ

14.4

血液型でまず相性を考える

26.7

血液型に関する記事をよく読む

57.7
自分を知るのに役立つ 26.0

知らない自分がわかる

12.5

自己について新しい発見をする

16.4

自分を客観的に見られる

26.0
A型の人はきらい 5.8
B型の人はきらい 10.6
O型の人はきらい 1.0
AB型の人はきらい 10.6

* 本回答のみ、回答は以下の5件法で求めている。
「血液型によって性格は非常に異なる」(0%)、「かなり異なる」(10.5%)、「やや異なる」(61.1%)、「あまり異ならない」(16.8%)、「全く関係ない」(11.6%)

出典:上瀬由美子・松井豊 1996 血液型ステレオタイプ変容の形 ―ステレオタイプ変容モデルの検証― 社会心理学研究,11,3,170-179.

 佐藤達哉さんの論文からも引用しておきます(佐藤達哉 1993 血液型性格関連説についての検討 社会心理学研究,8,3,197-208.)。

”質問1 血液型と性格の関係に興味あるか"への回答は、ある…46.7%、どちらでもない…28%、ない…24.7%、無回答…0.7%であった。

表1 回答形式の違いから見る血液型と性格の関連

2者択一式

回 答

人 数

あ る 34人(47%)
な い 36人(50%)
答えない  2人( 3%)
72人(100%)

5者択一式

回 答

人 数

あ る  4人( 5%)
ややある 38人(49%)

あまりない

18人(23%)
な い 11人(14%)
わからない  7人( 9%)
78人(100%)

 次に、各血液型のイメージですが、上瀬さんの論文ではB型の方がAB型よりイメージがいいはずなのですが、このデータではAB型の方がB型よりイメージがいいようです(笑)。この逆転の理由は、単なる偶然なのかサンプルの違いによるものなのかは判然としません。

 下のデータは、佐藤達哉さんの論文、「プラットタイプ・ハラスメント」からです(『現代のエスプリ〜血液型と性格』 No.324 至文堂 H6)。ただし、元のデータは上瀬由美子さんからです。 -- H11.6.6

表3 各血液型のイメージ(%) N=318

A B O AB なし

隣には住みたくないタイプ

6 18 2 20 51
仲間として一緒のクラブに入りたくないタイプ 6 9 2 13 64
結婚したくないタイプ 10 12 3 22 50
自分には好きになれないタイプ 5 12 2 14 60

12.gif (321 バイト)論文2

原題: 伊藤哲司 俗信はどう捉えられているか−「俗信を信じる」ことのモデル構成に向けて 茨城大学文学部紀要(人文学科論集)第30号 1〜31ページ H9.3

 ここでは、平成9年6月にフジTV系列で放送された、「発掘あるある大事典」の血液型保育についての部分をビデオで提示して、被験者である学生に感想を求めています。サンプルは、茨城大学理学部・農学部・工学部(合計166名 男性144名・女性22名 理系学生)、茨城大学人文学部の学生及び茨城歯科専門学校の学生(合計131名 男性17名・女性114名)となっています。

<事象C 血液型別保育>
 血液型別保育については,理系と文系とでは大カテゴリーの在り方が大きく異なった結果となった。それは,文系学生には血液型別保育の是非という観点かかなり強く入ってきているのに対して,理系学生にはそのような観点がほとんど認められなかったためである。そのために,理系では「血液型と性格には関連かある」「判断しがたい」「血液型と性格の関連はない」という比較的単純な構造を示したのに対して,文系では「血液型と性格は関連がある」「血液型も関係するか,それだけで性格は決まらない」「血液型と性格の関連はない」「血液型と性格は関連があり,血液型別保育もよい」「血液型と性格は関連あるが,血液型別保育は問題」「血液型と性格の関連はなく,血液型別保育は問題」という分かれ方になった。後半の3つか血液型別保育に言及したもので,血液型と性格の関連の有無と血液型別保育の是非の2つの次元があるが,「血液型と性格の関連はないが,血液型別保育はよい」という意見は見られなかった。

 興味深いのは、文系では血液型別保育の是非という視点が重要であるのに関して、理系ではそうではないことです。「差別」に関する議論で感じたのですが、文系の方が多いという感じを受けました。確かに実感にピッタリです。

#なお、私はいずれかの立場が正しいと主張するつもりはありません、念のため。

 実は、この論文で面白いのは、占いなどに「傾倒しすぎる人」「否定しきる人」に対する意見です。「傾倒しすぎる人」の評判が悪いのはもちろんですが、意外(?)なことに「否定しきる人」も評判が悪いのです。なるほど、私と全く同意見のようですね。もっとも、回答には男女差もあるので、それほど単純ではではないのですが…。
 あれ? となると、この論文の論旨からすれば、血液型と性格(=俗信・占い)を完全に「否定しきる人」は、非常に評判が悪いことになります(笑)。さすがにこの論文ではそんな「都合が悪い」ことは書いてありませんでしたけど。:-p
 以下は、この論文の12〜13ページの「『傾倒しすぎる人』『否定しきる人』に対する意見」からです。  -- H11.6.6

 「否定しきる人」という項目については,「超能力の存在を否定しきる人についてどう思うか。たとえば(テレビや本などで超能力批判をしている物理学者の)○槻教授のような考えはどうか」と尋ねた。今度は逆に男子学生が,それを否定的に考える傾向があり,「○槻教授の考えは頭が固い」(M2),「○槻教授は何様のつもりだろう」(M9)などの厳しい言葉での批判が見られた。中には「普通だし,まっとうだと思う」(M10)というように,○槻教授を支持する人もいるが,そのような意見は少数である。むしろ女子学生の方が,「そういう人はそれでいい」(F6)というように,積極的な支持ではないが,許容する態度を示している。ただし女子学生の中にも,「全部が全部否定できるわけではない。分かってもらいたい」(F7)というような,自分の考えを否定されることの拒否ととれる意見も見られる。

「否定しきる人」の評判がよくないのはなぜか?

 論文2では、「否定しきる人」の評判がよくないのはなぜかという考察がありません(失礼!)。これについての私の考えを書いておくことにします。

 次のコラムは、菊池先生へのメールのページからの抜粋です。

■心理学と日本の伝統思想

 ところで、『予言の心理学』の264ページには、非常に興味深い記述があります。

 「予言や占いは遊びであって、はじめから割り切って接するならば、おかしな予言で人生を狂わされることはないだろう。それがわかっていれば、科学性など無縁な、いかにもお遊びだとわかるような予言は許容してもいいのではないか。たとえばスポーツ新聞に載ってるような占いとか、星占いの今日の運勢とか、血液型相性占いとか。誰も本気で信じるわけもないし、そんな遊びも許されないような世の中は、息苦しくてたまらない」
 以上のような意見が、現在の日本社会で、予言や占いのもっとも妥当な位置づけであろうと思われる。

 私の紹介した4冊には、いずれにもほとんど同じような記述があります。ところが、不思議なことに、裏付けのデータは私が探しても全然ありませんでした(失礼!)。単に読み方がまずかったのだけでしょうか?
 いずれにせよ、心理学的にそうなのか、それとも菊池先生がそう思っているのか、あるいは本当にそうなのか、私には判断しようがありません。常識的に解釈すると、誰もがそう思っているからデータによる裏付が不要なのでしょう。あまりにも明らかなのでデータは一切不要だと…。これを裏付けるように、次の記述があります(同書264ページ)。

誰もがこのような冷静な考え方を持てるのであれば、ことさらこの許容論に対して異を唱えるものではない。

 つまり、菊池先生もこの意見には全く同感だということです。しかし、私はデータがないと信用しないことにしていますから、これだけでは納得しません(失礼!)。

 おっと、随分長い前置きになってしまいました。実は、これは日本の伝統思想そのものなのです!
 この伝統は、少なくとも鎌倉時代の貞永式目に遡ります。そして、江戸中期には完全に定着し、徳川時代が終わってからさえも、明治から平成まで続いているのです。以下は、山本七平さんの『日本型リーダーの条件』からの引用です(110ページ 太字は私)。

[石田]梅岩はあらゆる宗教は本心のための薬であると言った…役に立てば何でも薬として取り上げていいが、一つに夢中になってはいけない。よく宗教や思想にかぶれる、というが、あれは薬害のような意味だろうと思う…ただ、薬は品数が多いほうがいい。そこですべてを容認する。現代の日本を、同じように諸宗教・諸思想揃えていて、ないものはない。どれでもみな薬だから、自由にお使いなさい。そうするのがいい、これは式目に萌芽があって、梅岩で完成した思想ともいえる。

 石田梅岩の原文は次のようになっています(都鄙問答巻三)。

「仏老荘ノ教モ、イハゞ心ヲミガク磨種(ときくさ)ナレバ、舎(すつ)ベキニモ非ズ」
「名医ハ何ニテモ、病ノ可愈(いゆへぎ)モノヲ用ヒテ疾(やまい)ヲ愈(いや)シ、諸薬ヲ尽(ことごと)ク遣ヒ覚テ療治スルコソ善(よか)ルベケレ。古シヘヨリ薬種トシテ出シ置(おか)ルヽ物何ゾ棄(すつ)ルコトアランヤ。一モ舎(すつ)ズ一ニ泥(なずま)ズ、能用(よくもちゆ)ルハ名医ナルベシ」

 この部分は、同じく山本七平さんの『勤勉の哲学』によりました。どうもありがとうございます。
 他にも例はいくらでもあります。例えば、吉田松陰が幕府の禁に触れ、江戸に投獄されたときのことです。妹は、獄中の松陰に「法華経」を届けに来ます。意味は言うまでもないでしょう。しかし、松陰は、女や子供などの心が弱い者(失礼!)には「法華経」は必要だが、自分には不要だと言って返してしまいます。明治維新の中核を担った下級武士のエトスとは、実はこのようなものだったのです(少々感動的ですね)。別な例は…。おっと、『ABO FAN』は日本の伝統思想のHPではありませんのでこのへんにしておきます。(^^;;

 ところが、この日本の伝統思想には別な面もあります。同じく『日本型リーダーの条件』からの引用です(110ページ)。

この考え方の基本はすでに「貞永式目」にあり、宗教、宗派、全部を認めるが、しかしどの宗派にも特権は認めず、絶対に、自分が正統で他が異端だと言ってはならないし、他宗派批判もしてはならない。すれば「悪口の咎の事」を発動して罰する。

 つまり、日本の伝統的思想では、他派批判は決してしてはいけないのです! もちろん、現在では幕府は存在しませんが、「悪口の咎の事」という社会的制裁が発動します。私は伝統的な日本人ですから、『ABO FAN』では「他派批判」は必要最小限とし(?)、やむを得ず批判する場合にはできるだけ根拠を明らかにしているつもりです。とは言っても、完全にそうしているという自信はありませんが…。f(^^;;

 心理学的にはどうなのか、非常に気になるところです。

 ところで、同じ山本七平さんの『論語の読み方』にも同じような記述があります(139ページ)。

 自分を絶対的に正しいとし、あらゆるものを批判し、非難し、罵倒(ばとう)し、そうすることが自分の正しいさの証明だと思っているものはどうなのであろうか。

 こういう人に対しては、論語にその答えがあるとして、彼は次の一節を引用しています(陽貨編第十七458)。

 子貢(しこう)曰く、君子もまた悪(にく)むことあるかと。子曰く、悪むことあり。人の悪を称する者を悪(にく)む。下流に居て上を謗る訕(そし)る者を悪(にく)む。勇にして礼なき者を悪(にく)む。果敢にして塞(ふさ)がる者を悪(にく)む。
 曰く、賜(し)やまた悪(にく)むことあるかと。徼(うかが)いて以(もっ)て知となす者を悪(にく)む。不遜にして以て勇となす者を悪(にく)む。訐(あば)きて以て直(ちょく)となす者を悪(にく)む。

 要するに、人の欠点をこれ見よがしにあげつらったり、人のことをあばき立てて自分が正しいと言う人になるな。そういう人は反面教師とせよということです。ですから、工学部の学生は、実にこの論語どおりに考えていることになります。二千年以上昔の中国の学者と、現代日本の学生が全く同じ発想をするというのは驚きですね。

 日本人の思考パターンは、実に論語的であるというのが『論語の読み方』の結論です。興味がある方はぜひ読んでみてください。

 もう一つ同書から引用しておきます。それは、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」についてです。この一節は有名ですので、覚えている人も多いことでしょう。最近はなんと教えているのかわかりませんが、私は「政治について民に知らせるべきではない、信じて黙ってついてこさせるべきだ」と教わりました。これは民主主義の原則に反するから、孔子はケシカラン思想家だということになります。
 しかし、この解釈は「俗解」で間違いであるとのことです(18ページ)。

 正しくは、「子曰く『民は之(これ)に由(よ)らしむべし、之(これ)を知らしむべからず』」(泰伯第八194)である。
 原文は「民可使由之。不可使知之。」で、この「可・不可」は「できる、できない」の意味。したがって「民衆からは、その政治に対する信頼を勝ちうることはできるが、政治の内容を知らせることはむずかしい」といいう事実を、そのまま述べた言葉である。

 つまり、心理学者が「血液型と性格」についての否定的な論文をいくら書こうが、誰でも簡単に理解できるわけではありません(失礼!)。一般の人は、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」ですから、いくら統計のことを言ってもあまり意味がないのです。心理学者がどれだけ一般の人々の信頼を勝ち得ているか、それが問題となります。残念ながら、そういうデータを見たことがないので、なんともコメントできませんが…。

 私のHPも、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」なのか、少々気になります。(^^;;

 もっとも、この文章を読んでいる読者の皆さんはそんなことはないでしょうが(笑)。 -- H11.7.16


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最終更新日:平成11年7月16日