The Furies

第1章 運命の輪

契約-3

朝食の席で、オルフェリウスは先程の修練場でのユンを思い返していた。剣捌きはさることながら、最後の決めの一手の鮮やかさに、思わず背筋に戦慄が走った。まるでユンが急所を狙った訳ではなく、逆に相手の首筋が剣を引き寄せたかのような、そんな錯覚を覚えた。あれが真剣で実戦だったならば、あの腕を軽く引くだけで相手の咽喉はたやすく斬られ、鮮血を迸らせていただろう。

サニレの森で木立を透かしながら、ユンが馬車を守る様を見た、あの時も野党を一撃で倒していたのを思い出した。相手の命を奪う行為なのに、しかしあの時、確かにオルフェリウスは馬上で剣を振るうユンの姿を「美しい」と感じた。何故か昔街の祭りで見た、異国の舞をユンの姿に重ね合わせた。色とりどりの布を体に巻き付けて踊る、しっとりと柔らかく流れるような幻想的な舞。無骨な剣を艶やかに扱うその才に、武人として惹き付けられずにはいられない。彼女の剣は、これからのオルフェリウスの探し物に絶対に役立つに違いない。

オルフェリウスは同席していたラディエスカに声を掛けた。

「ラディ。この後ユンと打ち合わせをする。お前も来るか?」

「もちろんだ。何だ、まさか俺がいないところで二人きりで話をするつもりだったのか?オルフェもなかなか隅に置けんな」

ラディエスカはからかうように眉を上げた。そんな揶揄をあっさり聞き流し、「半刻後だ、遅れるなよ」と言い残して、オルフェリウスは席を立った。


◇ ◇ ◇


ユンは部屋での朝食後、昨夜呼び出されたのと同じ私室で、オルフェリウスとラディエスカに向かい合って座っていた。オルフェリウスは武術着から飾り気のないゆったりした日常着に着替えて寛いだ様子なのに対し、ラディエスカは第一騎士団の制服と思しき肩章のついた白い上着とズボンを身に付けている。階級を示す襟元の勲章の星は三つで、やはり高位の騎士なのだろう。

さすがに兄弟だけあって並んで座ると顔立ちが似ているが、二人から受ける印象は全く違うな、とユンは思った。常に冷静で一見穏やかそうに見えるオルフェリウスは「静」で、いつも何かに挑むような野性的な瞳をしたラディエスカは「動」。

ユンは突然頭を下げた。

「昨日は廊下で無礼を働いてしまい、申し訳ありませんでした」

二人はやや呆気に取られた顔をした。

「昨日の廊下…?ああ!素っ裸でお前が俺を蹴ってきたことか?」

ラディエスカがぽんと手を打って破顔した。

「素っ裸じゃありませんでしたっ」

思わずきっと顔を上げて反論して、ユンは慌てて取り繕う。

「えーと、そうではなくて…お怪我をさせてしまい、申し訳なく思っております」

「あんなものは怪我のうちに入らない。そもそもラディエスカが悪いのだ。貴女は全く気にしなくて良い」

オルフェリウスがじろりとラディエスカを一瞥して言った。

「何だよ、結構効いたんだぞあれー」

ぶつぶつ文句を言うラディエスカを無視し、オルフェリウスは口を開いた。

「さて、昨日の話の続きだが…」

懸念していた自分の謝罪をようやく切り出せたことに安堵するユンを、ラディエスカは面白そうな顔で見ていた。しかしそれには気付かず、ユンはオルフェリウスのこれからの話に神経を集中した。

「射干玉の闇の行方を我々も手を尽くして調査しているが、如何せんあの剣について詳しいことは公には伏せたいので、なかなか思い通りに調べが進まない状況だ。ただ、あの日の翌日この邸からひとり侍女が里帰りをしたいと申し出て、そのまま行方知れずになっている」

「その女に何か怪しいところでもあったのか?」

「ここで働き始めるときに持参した紹介状を洗ったが、身元に怪しいところはなかった。だが、侍女頭が言うには最近その侍女に男ができたようだと」

「男か」

ラディエスカは苦々しげに吐き捨てた。

「碌でもないのに捕まったに違いないな」

「人目につかないよう付き合いを慎重に隠していたようだが、色々手のものに探らせてみた結果、逢引に使っていた宿の主人から、男の言葉に微かに東方訛りがあったと聞き込んできた」

「東方というと、リーマオ連邦かレティシア共和国、はたまたハイラル帝国か…」

「今、全力でその男を追っている。その情報が入るまでに、ユン、貴女には色々準備をしておいてもらいたい」

急に話を振られ、ユンは瞬きをしてオルフェリウスの顔を見詰めた。

「まず、サヴァニ男爵夫人の復路の護衛は取りやめだ。男爵夫人とは話をつけて、報酬は最初の契約の額を払うことになっているから心配しなくてもいい」

ユンは頷いた。

「それから、確か今貴女はウィンチの娼館の持ち物だそうだな。それを先方と交渉して私が買いとらせてもらうつもりだ」

「買いとる…?」

「今の奴隷身分では、自由に旅が出来ず、特に国境を越えることができない。新しい身分の方はこちらで用意するから、とりあえず身辺を綺麗に整理しておくこと。娼館の主人には私の方から話をしよう。これからすぐに、貴女と共にウィンチへ向かう」

ユンは突然出された話の大きさに、一瞬ぼんやりしてしまった。腕の立つユンは、単なる奴隷よりは価値がある。だが、そのくらいの額は公爵家にとってははした金に過ぎないのだろう。驚いたのは、新しい身分をユンに与えるということである。国境の検問を通るのならば、はっきりと信頼できる身分と身分証がなければならない。どこからどうやって、しかもこんな短時間にそんなものを用意できるのだろう。

奴隷身分から新たな身分への転身。それは世の全ての奴隷たちの夢であり、決して実現することはない幻である。ユンとて、なりたくて奴隷になどなったわけではなかった。しかし、ようやく馴染んだ環境を変えられるのは怖い。外の世界に出て行くのは怖い。どこへ行くのかも分からない。それも自分の意思とは関係なく、ただ強い力に押し流されていくようで… その漠然とした不安に、膝の上で組んだ指が震えるのを感じた。

「いいなぁ、楽しそうだなー。そっちは旅に出れるのに、俺はこれから窮屈な宮廷に行くんだぜ?本当に羨ましいよ」

能天気なラディエスカのひとことで、ユンはハッと我に返った。

(違う。これは私の意思だ。)

何の犠牲も払うことなく新しい身分を得られるなど、二度とない機会に違いない。この時を利用せずに何とする。

流れに乗ろう。先は見えないが、きっとこの運命の女神ブーラの紡ぎ糸を自分の方へ引き寄せてみせる。

「分かりました。おっしゃる通りに致します」

と決意を込めて答えたユンの、金色の虹彩がきらきらと輝く紫色の瞳を見て、オルフェリウスは眩しげに目を細めた。




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