The Furies

第2章 蒼天の鏡

解纜-1

オルフェリウスとラディエスカに連れられ、ユンは陽が翳る邸の裏手に設えられた堅牢な建物の前にいた。

「ここは騎獣の飼育場だ」

ラディエスカに言われ、ユンは頷いた。騎獣。それは、魔獣と呼ばれる獣を人に従うよう飼い慣らしたもの。内に魔力を秘めた獣自体非常に希少で、知性と力を併せ持つその存在を人が飼い慣らすのはかなり難しい。王室公認の飼育施設がいくつかあるが、個人で魔獣を所有し、それを管理する技術を持ち合わせているとは、さすが元老五家のひとつと言える。

「移動は騎獣を使おうと思う。これで移動時間も大幅に短縮できるし、戦闘も楽になるはずだ」

周りに高く張り巡らされた鉄柵を通り抜け、見張りに合図を出すと重々しい音を立てて扉が開かれた。一歩中に足を踏み入れた瞬間、ユンは急にぐっと体が押されるような重圧を感じた。明り取りの窓も、壁に灯された松明の火も、その闇を払うことはできない。中にいるものの存在感が、びりびりと痛いほど伝わってくる。

「シュカ」

オルフェリウスがひとつの檻の前に立ち、そっと呼んだ。暗がりから、ゆったりと巨体を揺らして一頭の獣が立ち上がった。ユンは、ゆるゆると姿を現したその獣の美しさに息を呑んだ。

雪よりも白い毛並みは鋼の強さを持ち、太い四肢を動かすたびにつやつやと輝いた。大きな濡れた二つの赤い目は、知性を宿してまっすぐにオルフェリウスを見詰めている。オルフェリウスの方も微笑を浮かべてシュカと呼んだ獣を見詰めていて、その、ひたと視線を交わす様子は、互いの信頼の絆の強さを感じさせた。そこに割り込めぬものを感じ、何故かユンは微かな羨望と焦燥を感じた。

「シュカは私が育てた騎獣だ。私はこれを使うが、ユン、貴女は貴女の騎獣を選ぶといい」

言われてユンは周りを見渡した。貴重なだけあって、そう数はいない。魔獣たちが日々を過ごしやすいよう、広く大きく作られた檻をゆっくりとひとつひとつ覗いていく。檻内は清潔に保たれ、空気は乾いており、獣独特の臭気も全く鼻に付かない。ただ、ほのかに森の中の腐葉土の臭いがするような気がした。その時、ユンはちり、とうなじの毛が逆立つような気配を感じて足を止めた。

「これは…この間ナケア山で見つかった魔獣だけど、まだ慣らしてないから使うのは無理だぜ」

後ろからついてきていたラディエスカの声を無視して、ユンはさらに檻に近付いた。檻の奥から出てこないその獣は、シュカとは正反対に黒かった。その毛足は長いが縺れて絡まり、汚れている。薄く開いた目は金色で、その荒みきった有様にも関わらず異様な力を持ってユンを射抜いた。捕らえられてもなお誇りを失わないその瞳。

「危ねえっ!」

黒い魔獣から、いきなり強烈な雷撃が放たれた。ユンを襲った攻撃に、ラディエスカが咄嗟に障壁を張るが間に合わない。暗い飼育場の中に激しい雷鳴と光が炸裂した。

「大丈夫か!?」

オルフェリウスが血相を変えて叫び、遠くにいた飼育員たちも慌てた様子で駆け寄ってくる。

ユンは怪我を負った様子もなく、抜いた剣を片手に下げて立っていた。

「ふふ。腕試しってところかな。凄く気に入った」

ユンはその黒い獣を指差した。

「この子を連れて行きたいです。お願い致します」

「檻にも障壁張ってあるのに…こいつすげーなぁ。しっかしこんな物騒なヤツ連れて、そこら中の人間に雷撃喰らわしたらどうすんの?止めとけって」

呆れたようにラディエスカが忠告すると

「この子に試されたようですが、大丈夫です。従ってくれるわ。これがいいのです」

頑固にそう主張すると、ユンは剣を鞘に戻した。

「私も反対したいところだが、貴女が是非にと言うのならば…。それはまだ名を定めていない。貴女が仮初でも最初の主人になるのだから、貴女が名付け親になればいい」

「私が名を与えてよいのですか?」

オルフェリウスの言葉にユンは小首を傾げ、

「では、そうですね…」

じっと魔獣の瞳を見る。ゼナス神教では、名前はその存在を縛るものと考えられているので、軽々しく付けることはできない。

「モデナ。モデナにするわ」

シュカは太陽を意味する古語だから、対して月を意味するモデナ。暁と闇を表す剣を所有する二人の騎獣に、似つかわしく思われた。オルフェリウスも面白そうな顔をしてユンに頷いた。

「モデナ。どうぞよろしく」

ユンは檻の向こうに呼び掛けた。こちらを向いていたモデナは、開いていた目を閉じてフイッと横を向いてしまう。小さな子供が拗ねたようなその仕草に、思わずユンは微笑んだ。二頭の騎獣を外に出すよう飼育員に指示を出すオルフェリウスに、いつの間にか側に寄っていたラディエスカが囁いた。

「今の見たよな。あいつ、どうやってあの雷撃止めたのか。オルフェ、お前知ってたの?あれがメゾネスだって」

オルフェリウスは首を横に振った。

「いや。でもあれはテラの剣だから、納得はできる」

「本当…とんでもねーもん作るよな。あれもそのうち盗まれそう」

ラディエスカが気軽に呟いたその言葉に、オルフェリウスは微かに眉を顰めた。

「え、何、ちょっとマジで?」

「さあ、どうかな。ま、あちらから盗みに来てくれるなら大歓迎だが」

ラディエスカは「色々大変だねぇ」と同情するように言い、二人はユンを促して飼育場から出た。

騎獣舎から部屋に戻ると、エドナが待っていた。

「オルフェリウス様からのお言いつけで、旅のご準備を致しました。お着替えを何点かご用意したので、ご確認下さいませ。まだ何か必要なものがございましたら、遠慮なくおっしゃって下さい」

そう言って渡されたものを見てみると、動きやすそうな男性用の洋服がある。きちんと小柄なユンに合う大きさのものが用意されていた。確かに、今着ているひらひらした服で長旅は無理なので、どうやって手に入れようかと密かに悩んでいたところであった。よく見てみると、他にも携帯用の薬や魔除けの守りなど細々としたものまであり、これはもしかしたらエドナの好意なのかもしれないと思うと、ユンは胸の中はじんわりと暖かいもので満たされた。

「色々お気遣い頂いてありがとうございます」

ユンがお礼を言うと、

「ゼナスのご加護を。ユン様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

とエドナはにっこりと笑ってくれた。

ユンはぴったりとした白い長袖のシャツにズボンを履き、その上に袖のない青いチュニックを重ねて腰を太いベルトで縛った。ゼナス国周辺で見られる一般的な男性の旅装である。普通は長靴が用意されているはずだが、置かれていたのは短靴であった。エドナはちゃんと、ユンの足首に嵌っている奴隷の輪のせいで長靴が履けないことを考慮して、それを用意してくれたのだろう。ユンは足を入れた。今まで裸足での生活だっただけに、靴を履くという普通の行為が、大きな意味を持ってユンに迫った。そのままそっと足首の輪に触れてみる。これを取るのも、もしかしたらもうすぐかもしれない。

エドナが用意してくれたものを全て袋に詰め、しっかりと愛剣を腰に下げると、支度を終えたユンはサヴァニ男爵夫人の元へ挨拶に赴いた。客間で刺繍の入った豪華なクッションに埋もれるように座っていた男爵夫人は、来る時のみすぼらしい奴隷姿とは異なり、きりりとした男ものの旅装に身を固めたユンの姿を、じろじろと不躾に眺めた。

「その腕は惜しいけれど、レイノール公爵様直々の頼みだから仕方がないわね。これは約束の報酬よ」

手渡された銅貨の入った皮袋をしっかりと握って、ユンは深々と頭を下げた。この男爵夫人の護衛がこれからのユンの生活を変えるきっかけになったと思うと、感慨深いものがある。

「せいぜい新しい仕事で気に入られるように頑張るのね」

そう言って追い払うように手を振られ、ユンはその客間を後にした。

とうとう、新しい旅に出るのだ。




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