The Furies

第2章 蒼天の鏡

際会-1

鬱蒼と茂る木々の間を縫うようにして、白と黒の二頭の騎獣が駆け抜けていく。ぽつりぽつりと肩を濡らし始めた雨は、もうしばらくすると本格的に降り出しそうな気配だ。ユンは今にも泣き出しそうな空を見上げ、先程立ち寄った町で手に入れた撥水の加工を施した上着を深々と目元まで引き下げた。

アジェロは山間部にある村である。元々、この辺りから発掘される鉱物が武具の加工に適していたことと、アジェロという地名の語源になったアジェリールという名の山頂にある大きな湖から流れ出る水が鍛冶の鍛錬に最適だったことから、少しずつ武器職人が集まり始め、いつの間にか大集落を築くまでに発展した。質の良い武具には買い手が付く。今では山奥にありながら、それを求める人間が国中から押し寄せ、アジェロは村とは名ばかりの繁華街になっていた。

「何とか明るいうちに着くことができてよかったな」

ホッとしたように呟くオルフェリウスに、ユンは頷いた。いつものように人目につかない場所にシュカとモデナを繋ぎ、冷たい霧雨が煙る中、二人は村の入口をくぐった。地方では、大抵酒場が宿を兼ねているものである。テラの工房の正確な場所を訊き、今夜の宿を確保するため、二人はまずは酒場を目指していた。野営続きで、流石にオルフェリウスもユンも、そろそろ疲れが見え始めていた。今日は屋根のあるところに泊まりたい。

雨のせいか通りに人は少なく、鋼を鍛える音がカンカンとどこからともなく高く響き、山中の静けさをより一層強調しているようである。様々な建物から煙が棚引いている様子は寂びれた風情があり、ユンはゆっくりと村を眺めた。

実は幼い頃、ユンは一度ここを訪れたことがある。リシュリューには大量の武器を買い付ける役職があり、後学のためその仕入れに同行させられたのだ。

父も一緒だった。体の弱かった母が亡くなってから、それは父との初めての遠出だった。仕事に随行するという形ではあったが、あれは家族旅行だったのだとユンは思っている。この地を踏むまで遠い記憶となっていたが、今、はっきりと思い出してきた。隣を歩いていた大きな人。自分の肩の辺りにある節ばった手を握ってもよいのか、上を向いて様子を伺うと、それをぽんと頭の上に載せられた。何だかくすぐったいような気持ちになって、ユンは緩む頬を押さえて一生懸命前を向いていた。その頃にはもう厳しい訓練が始まっていて、その手で殴られたこともあるのに。髪を梳くように撫でる仕草はただ優しくて…

「ああ、ここは騎獣舎があるな。シュカとモデナの世話ができそうだ」

オルフェリウスの言葉に、いつの間にか酒場に着いていたことに気が付いた。隣に立っている端整で美しい人を見遣り、追憶から抜け出した。

「上の階は全て宿でしょうか。かなりの部屋数ですね」

酒場の建物を見上げながら、ユンはオルフェリウスに続いて“サルキ亭”という看板の下の扉を押しやった。中に入るといきなりムッとした熱気と喧騒に襲われ、ユンは思わず瞬きをして立ち止まった。外に人が少ないと思ったら、こんな所で皆雨をやり過ごそうと時間を潰していたらしい。酒や食べ物の臭いが充満する中、二人は人込みを押しやるようにして進み、カウンターの中にいた初老の男に声を掛けた。

「何やら混んでいるようだが、部屋は空いているかな?」

白髪混じりの男性の眉尻が、申し訳なさそうに下がった。

「すみません、何せ明後日からエウ・パナーゼですので、部屋の空きはもう…」

「エウ・パナーゼか!」

オルフェリウスが小さく叫んだ。エウ・パナーゼとは元々豊饒の神を讃える言葉で、祭りを指す。特にアジェロのエウ・パナーゼが有名なのは、祭りの中で武器オークションが開かれるからである。古い価値のある武具から、なかなか手に入らない名工による意匠のものまで集まるため、このオークション目当てに、国内はもとより国外からも人が集まる年に一度の大きな祭りなのだ。

「すっかり失念していたな」

オルフェリウスはちらりと指先に金を覗かせ、

「無理を言うが、都合してもらうわけにはいかないかな?」

と囁きかけた。白髪混じりの男はオルフェリウスの手元に目線を当てたまま、心得たように頷いた。

「一部屋ならどうにか都合をつけられるかと…」

オルフェリウスはユンの顔を見た。ここでごねたところで、もう一部屋取るのは無理だろう。ユンは苦笑した。

「…仕方がない。それで頼む。ところで騎獣舎は使えるかな?」

「騎獣をお持ちなんですか。そっちは空いておりますが、別料金がいりますよ」

前払いの宿賃を払い、鍵を受け取ると、二人は部屋に入るべく奥の階段に向かった。


◇ ◇ ◇


「まさか同室にされるとは思わなかったな。本当に良かったのか?」

心配そうに尋ねるオルフェリウスに、ユンは

「オルフェリウス様は紳士ですので安心です」

と笑って返した。護衛の仕事で奴隷身分だったユンは、男たちとの雑魚寝に慣れている。手を出してきた愚かな男共を、二度とそんな気を起こせない程伸した事もある。もちろんオルフェリウスに対してそんな心配はしていなかったが。

「そこまで信頼されるのも男としてどうなのか…」などとオルフェリウスは呟きながら、

「シュカとモデナを騎獣舎に入れてやろう。餌もたっぷり与えてやらねば」

「そうですね。今までなかなか生餌は手に入りませんでしたから」

ユンが同意して部屋を出ようとした時だった。

「オルフェリウス様」

どこからともなく静かな声が掛かり、ユンは咄嗟に腰の剣に手を当てた。その手を押さえ、オルフェリウスも静かに応じた。

「ヴィヴィエか」

部屋の中に突然人間が現れた。白く長い髪をゆったりと背中で編み、透き通るような白い面の中でその瞳と唇の赤さだけが鮮やかだ。黒い長衣を纏ったその姿は、エスパルス(魔導士)であった。

能力の高いエスパルスは、何故か白化して産まれることが多い。強い魔力による代償として色を失うのだと言われているが、真実は定かではない。ヴィヴィエと呼ばれたそのエスパルスも例外ではなかった。ヴィヴィエはその場に膝を着き、その絹糸のような白い頭を垂れた。

「ユナシェル様、ご無沙汰しております」

ユンは驚きに目を瞠った。

「私をご存知なのですか?」

「ユン、ヴィヴィエは鼠(ねずみ)なんだ」

鼠…間諜の別称だ。昔、それを飼っていたのはリシュリューだ。つまりヴィヴィエは以前ユンの父の配下の者だったのだろう。

「申し訳ありません。私は覚えていないのですが…」

ヴィヴィエは顔を上げ微笑んだ。

「無理もございません。実際にお会いしたのは随分昔、それもきちんと対面させて頂いた訳ではありませんので。でも、まさかご存命だったとは知らず…ご無事で、本当によかった」

思いがけず昔の自分を知り、生きていたことを素直に喜んでくれる相手に出会って、ユンはじわりと胸が暖かくなるのを感じた。

「空間転移が使えるエスパルスの方を初めて拝見しました」

「はい。ゼナスのゼロ騎士団でも、私を含め数名しか使うことのできない能力です」

「ユン、ヴィヴィエはゼロ騎士団の副総長を務めている。ゼナス国内でも卓抜した能力のあるエスパルスだ」

「リシュリューで鍛えて頂きましたので」

優しげに細めた赤い瞳は澄んで、清廉な面差しは慈愛に満ちていた。どこか童話に出てくる精霊のような、人外の儚い美しさを持った人だと、ユンは密かに感嘆した。

「感動の再会はそのくらいにして。何か新しいことが分かったのか」

「はい」

ヴィヴィエはラディエスカから言付かった、今まで進んだ調査結果を伝えた。

「お二人に襲撃をかけたのは“晦冥(かいめい)の華”と呼ばれる集団でした」

「“晦冥の華”とはご大層な名だが、中身は無差別の人殺しばかり行う無法集団だな」

「有名なのですか?」

苦々しげな表情のオルフェリウスに、ユンは尋ねた。

「金さえ積めばあらゆる汚れ仕事を請けると、その筋で近年名を馳せてきた。まだ我が国で被害を受けたという報告はないが、我が騎士団でも最も警戒している相手でもある。契約を果たさねば評判を落とすことになるから、これからも執念深く我々を追いかけてくるだろう…これはますます面倒なことになってきたな」

オルフェリウスは溜息を吐いた。

「それから、監視を強化していた他国の動きですが、ハイラル帝国のイヌマ宰相が極秘裏に我が国に入国しました」

「極秘裏に?それは一体どういった目的だ」

「それが…どうやら、このアジェロに滞在しているらしいとの情報が…」

「何!?」

オルフェリウスは唖然とした。

「帝国の宰相がこんな片田舎に何を?我々が入ったのと同じ時にそのような偶然…いや、偶然ではないのか…?」

「王もレイノール公爵様も、この事態を危惧されております。単にエウ・パナーゼが目的とは思えません」

「ヴィヴィエ。お前はこの件だけに関わっていてよいのか?」

ヴィヴィエは頷いた。

「はい。オルフェリウス様の探索活動の補佐が、私の任務です」

「そうか。では、いくつか調べて欲しいことがある」

オルフェリウスが二、三指示を与えると、ヴィヴィエは「分かり次第ご報告に参ります」と答え、挨拶を残すと再び静かに姿を消した。

「ハイラル帝国か…」

オルフェリウスは眉間に皺を寄せ、じっと目を閉じている。

「厄介な相手が出てきましたね」

「ひどく厄介な相手だ。事を構えるとなると、国対国の大戦争にもなりかねない。私たちも慎重に動かないといけないだろう」

オルフェリウスの憂慮に満ちた顔を見て、ユンも足元からどろりと闇に絡まれるような不安に襲われ、ふるりと身体を震わせた。




WEB拍手


< < Prev   Novel contents    Next > >