先日(2005.3.29)あのNHKの”プロジェクトX”で、「たたら」をとりあげていました。
講師と電脳法師は、一時期たたらの舞台である出雲(島根県の東部)に住んだことがあるので、懐かしい想いで見ました。
今では、出雲地方はゆったりと時間が流れる地域ですが、その昔(といっても相当な大昔、つまりまだ島根半島が「島」で、宍道湖(しんじこ)が「海峡」であった頃)この地方は、日本で一番最先端地帯であったのでした。
つまり大陸に一番近いので交易や人的交流も有り、また南方からの渡来には海流の関係でちょうどこの「海峡」に吸い込まれるように到着でき、また「島」のため外海の荒れた波の影響が少ない静かな良港なので、この”島根海峡”が要衝として栄えたのです。
さらに出雲から越(新潟)、陸奥(青森、例えば三内丸山遺跡)方面への交易ルートが発達し、「環日本海文化圏」の一翼を担うものでした。現代の出雲の人々は、よく日本地図を逆さにして、この「環日本海文化圏」における出雲の役割について、出雲を中心にして誇らしげに語るのです。
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そして弥生時代の頃、大陸から製鉄集団が渡来し、直近の中国山地から「たたら」製鉄が可能な品質の高い砂鉄(=真砂(まさ))が採取されるに及んで、出雲は「たたら」製鉄の一大産地になったのでした。出雲の大河、斐伊(ひい)川は今よりも水深が深く、流れは今の宍道湖へ流入するルートではなく、西の日本海へ直接注いでいたのでした。
それが斐伊(ひい)川上流域での「たたら」操業のため、膨大な土砂が流れ込み、川底は上がり、たびたびの川の氾濫から、島が「島根半島」となり、海峡は「宍道湖」へ、斐伊川は結局東の宍道湖川へと流れを変え、今のような状態になりました。このような製鉄の歴史の過程の何事かが、あのスサノオやヤマタノオロチ、オオクニヌシの伝説や神話として受け継がれてきたのです。
いきなり砂鉄と木炭から「たたら(=ふいご)踏み」で1200から1300℃程度とし(現代の溶鉱炉では1400から1600℃)、高純度の鋼(はがね)を直接生成してしまうのですから、「たたら」製鉄というのは、どう考えても「超ハイテク」技術でしょう。粘土でできた炉ひとつとっても、どこにでもある粘土でできるものではありません。花崗岩の風化したもので、珪酸(SiO2)を適度に含むものでなくてはならない。「たたら」の化学的な説明は省きますが、現在でもこれほどのものはできません。近代に入り「たたら」が廃れたのは、ただ生産性が悪いだけなのです。
「たたら」とは、人間の五感をフルに使って、製鉄作業を行います。炎の色を非常によく観察して温度を検出し、木炭や送風量で炉内の温度の調整します。炉の中をよく覗くために片目を悪くする村下(むらげ、「たたら」操業の技術的リーダー、全責任者)が多かったようです。「たたら」師には片目、片足の人が多い、という話がよくあります。目を悪くするのは、高温の炎の色を炉の穴から覗くため、片足を悪くするのは、「たたら」を踏む重労働を繰り返したためと思われます。
講師と電脳法師は、「宮崎アニメ」のファンです。講師は「ハウルの動く城」などが好きなのですが、電脳法師は「もののけ姫」が一番好きな作品の一つです。この作品に「たたら師」達が出ているためかもしれません。
「たたら」は、宮崎駿のアニメ「もののけ姫」の重要な要素の一つです。「たたら」は人間の能力や可能性の象徴であり、森や木、動物たちは一方的に破壊され侵略される受動的な自然の象徴です。この二つの対立がこのアニメのテーマです。つまり、人間と自然との共生は可能か、可能ならそれはいかにして可能かというものです。その象徴が主人公のサン(自然)とエボシやアシタカ(たたら)です。このアニメをつくるには、「たたら」に関する知識がかなり必要です。
この絵画教室は「みすず」絵画教室といいます。「みすず」を用いる日本の伝統方式の製鉄や水との関係については、過去の「みすず曼荼羅」で書いていますので、合わせてごらんください(「みすずの由来」「水の国」)。
「たたら」は、「みすず」などを用いる古い方式の鉄の精錬とは大きく異なります。「たたら」は古代においては、最先端技術であり、旧来の「みすず」方式にとって代わりました。この旧方式と最新方式との争いも、抽象化していくつかの伝承となって、語り継がれています。いわば昔の技術革新というところでしょう。しかしこの技術革新は、現在のような単なる技術の交代だけではすむわけが無いのです。「神々」の争いと交代になるのです。
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出雲地方は製鉄に適する良質な砂鉄が豊富で、古代より「たたら」が盛んでした。出雲以外の地域でも「たたら」は行われました。現在でも年に何回か日本刀の原料となるを得るために「たたら」が行われます。「たたら」で得られる鋼の固まり(=ケラ)の内、最も純度が高いものを玉鋼(たまはがね)といいます。
「たたら」製鉄は、まず広い「土間」に炭をおこして熱し地面を乾燥させ、その上に粘土で特殊な構造の炉を作り、炉に炭をおこし砂鉄を入れ、炉の下につながれた管から炉に風を送り温度を上げ、更に砂鉄と炭とを交互に入れ、三昼夜操業します。この1サイクルを一代(ひとよ)といいます。ある「たたら」場では、240年間の操業の間に、8643代「たたら」を吹いたとの記録があるそうです。
「たたら」の村下(むらげ)は、炉の小さな穴から炎の色や状態を見て温度を監視し、砂鉄と炭の種類と量を管理し、不純物(=ノロ)を取り除き、フイゴからの送風量を管理するなどの確かな知識と経験に基づく超人的な技で、三日三晩不眠不休で作業します。この間に砂鉄と炭はノロ(不純物)とケラ(鋼)に、徐々に分離・生成されます。そして最終的に薄くやせ細ってしまった炉を壊して、炉の上部に固まったケラ(鋼の固まり)を取り出し、砕きます。
ケラは色々な質の鋼が混じっており、その品質により日本刀用やそれ以外の刃物用、釘・たがね用、鋳物用などに分割・分類されます。これらの鋼は品質が高く、例えばこの鋼でつくられた法隆寺の五寸釘は1300年以上たった現在でも使えます。一方、現代製鉄の五寸釘は 10年位で頭がとれぼろぼろに腐ってしまうそうです。
一方「たたら」は、古代における最先端技術であると同時に、最古の「環境問題」、「資源問題」でした。
砂鉄を採取する時は、砂鉄を含む山を切り崩し、それを特別な水路に流します。比重の重い砂鉄は沈み取り出され、砂鉄以外の膨大な土砂はもとの川に廃棄されます。この工程を「鉄穴(かんな)流し」といいます。山は崩され、木は切られ保水力は低下し、川には土砂が堆積し、川底は上がり天井川になります。このため大雨となるとただちに大洪水となります。出雲のはこの災害の典型的な例で、現在でもすごい天井川です。出雲地方では江戸時代以降、上流の「たたら」民と下流の農民の間に争いが生じるため「たたら」は冬場のみに制限されました。
ある資料によると、「たたら」一代(ひとよ)に必要な木炭の量は、砂鉄12.8トンに対して木炭13.5トンが必要とされ、「たたら」製鉄の結果、(けら)が3.6トン得られます。一回の「たたら」操業で、山一つが丸坊主になることになります。
また「たたら」には「粉鉄七里に炭三里(こがねしちりにすみさんり)」という言葉があります。粉鉄(こがね)つまり砂鉄は「たたら」の操業場所から最大28Km位までから集めることができ、炭は12Kmまでからしか集められない、ということになります。つまり10Km四方の山の木が切られ炭になりました。ですから一代の「たたら」で広大な範囲の山が丸裸になります。
ちなみにどうして砂鉄が28Kmで炭が半分以下の12Kmかというと、これは補給技術(ロジスティックス)の問題です。同じ重さの砂鉄と炭を運ぶ場合を比較すると、炭の運搬のほうが「がさ」(体積)がある分、山道などで長距離を運ぶ場合に非常に手間がかかり、砂鉄とバランスが取れないためです。
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製鉄法は、古代オリエントのヒッタイト人により発見されました。アジア大陸にまたがって活躍したタタール人(ダッタン(韃靼)人、トルコ系)により中央アジアへ伝えられ更に中国・朝鮮をへて日本に伝わりました(「tatara」とはこの"タタール"に由来します)。「たたら」という言葉は色々な意味で使われていました。
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「たたら」が表す意味 |
説明、使用例 |
1 |
精錬するための炉(鑪) |
古代、野外で精錬のときの炉(鑪=たたら)。野だたら。 |
2 |
精錬するための建物(高殿) |
近世は大規模な専用の建物で精練(高殿=たたら) (「もののけ姫」の中心舞台) |
3 |
設備や作業手順 |
「たたら」のための特殊な炉。 |
4 |
鞴(たたら)(=蹈鞴・踏鞴:ふいご) |
本来の意味。例「たたらを吹く」「たたら吹き」。 |
5 |
天秤鞴(てんびんたたら) (シーソー式の大容量送風装置) |
(江戸時代初期頃から)「もののけ姫」で出てくるふいご、送風装置。「かわりばんこ」の「番子(ばんこ)」は、交代制のこの天秤鞴の人夫のこと。相当な重労働だったようだ。例「たたらを踏む」。 |
古代より鉄の生産は、稲作と共に最も重要視されました。今も昔も稲作には多数の鉄の農具や機械が必要です。戦いには鉄の武器が必要です。従ってこの日本の、色々な方面に影響を及ぼしてきました。神話(日本書紀、古事記他)や神社の神事や由来、伝説・伝承、地名などに、稲作と同様、鉄に関するものが多数あります。「たたら」では、小さな穴から炉内の色を見て片目を熱風にさらし酷使するため、目を潰すことがあります。一つ目の鬼の伝説などは「たたら」から来ています。また「たたら」を含む鉄の生産は日本各地で行われました。蝦夷(えみし)も古くから製鉄を行っていました。蕨手刀(わらびてとう)を生産して武装していたので、大和朝廷も苦戦を強いられました。
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「たたら」は、神話や昔話など古代への扉の一つです。「たたら」など製鉄の周辺には、製鉄にまつわる神々の戦いの話や、神社、伝承、神話など面白いものが多数あります。これらを知ることで古代人の世界観や価値観が見えてきます。身近な神社名、各地の地名などにも、そのきっかけやヒント、面影が見られます。
電脳法師は例えば「金屋(かなや)」という地名をクルマで通過する時など「ああ、昔このあたりには「たたら」師の集団が住んでいたのだな」と思いをめぐらし、「氷川(ひかわ)」とは「斐伊川」のことなのかなあ・・・、とスサノオの活躍を想像するのでした。
技術屋の立場からは、「たたら」はそれ自体で感動的です。「たたら」とは、コンピュータや計測器、電力などの良質なエネルギー源などがまったくなくても、これだけのことができるのです。さらに「たたら」は”技術”というものをより深く認識させられるような契機となります。つまり「たたら」は、人間が自分自身の力でもって再現性・正確性・信頼性を実現し、自然現象をここまで制御できるのだ、ということのひとつの証(あかし)です。
それは一方、”技術”の位置付けの見直しと同時に、”技術”の現代的問題や課題の再設定や再定義を行い、それらの解決を図らなければならない、と電脳法師は改めて強く思います。
2005.3.31 電脳法師
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