・・・そうだ、この合歓の花のように・・・

水の国

今年('04)の合歓の花はなぜかやたら赤いのです
合歓の花をクリックすると曼荼羅メニューに戻ります.
  日本が水の国であるということに異論はないでしょう.地形的,海流的偶然でこのような水の国ができました.雨の素は,海や空からいくらでもやってきます.それを亜熱帯から亜寒帯までカバーする,南北に長い列島が受け止め,夏場は雨,冬場は雪として膨大な水を地中や森林にため込みます.分類では日本の気候は温帯モンスーン気候といわれ,四季がはっきりしているのもこの水によるのです.

  ですから日本の人々は,考え方や行動様式に水や雨・雪,四季など環境の影響を受けてきました.俳句などの,春夏秋冬の一年の歳時記などはその典型です.
  旧暦カレンダーをみると歳時記や農作業に関すること,また雑節などがたくさんあります.「二十四節気」の「啓蟄(けいちつ)」は有名ですが,より細かな「七十二候」ですと「ミミズが地中からはい出す日」などもでています.旧暦は意外と今の生活にもあっています.一度旧暦カレンダーを入手し「旧暦生活」を経験すると面白いと思います.私は旧暦を見て先人の知恵を思うたびに,自分がやっと”日本人”に戻ったような気がします.旧暦は日本人の本来の時空(あるいは原郷)なのかもしれません.

  私達の感受性もこの日本の自然から鍛えられました.例えば,私の手元に雨の名前についての事典がありますが,雨に関する名前がざっと400項目くらいあります.「四季の雨」や「城ヶ島の雨」の歌を聴いても,まさに私達の先人はいや私達も「雨の達人」です.
  また私達は単に花鳥風月という静的なものだけではなく,むしろ動的に変化するものをとらえるのも得意です.例えば横山大観は「生々流転」という40mの長巻の絵巻物を描いていますが,これはダイナミックに,雲から水になり水が流れて集まり川となりやがて大河となって海に入り雲となってさらに竜となって天に帰るという物語です.「水の思想」のなせる技です.

  日本には昔から,米と鉄の文化があります.米も鉄も,その地域で人間の集団が生活を維持し,統一を図り,その勢力を拡大するのには必要なものです.またこれは別な視点からみると,米も鉄もその生産には,安定して使える大量の水が必要だということです.
  稲作は周知のように苗床作りから始まり,多数の作業をへてやっと収穫になります.水路の確保や水温の管理,水を止めるタイミングなど,かなり水が関わります.今は北海道でも,亜熱帯性作物の稲が栽培されます.冷水は稲の大敵ですので,特に寒い地方での水の管理は大変な工夫がありました.
  一方鉄は,今の近代的な製鉄所でもそうですが,大量の水を必要としました.「たたら」製鉄では,まず原料の砂鉄をとるのに「カンナ流し」といって,特別な水路を造り,そこに山から切り崩した砂鉄まじりの土砂を大量の水とともに流します.砂鉄は重いので底にたまります.これを採取して原料にしました.
  また「たたら」は鉄の精製に膨大な木炭が必要で,一度の「たたら」作業で一山丸裸になるといわれます.たとえば,(けら)と呼ばれる鋼の塊を3.6トン得るのに,木炭が13.5トン必要だからです.しかし日本の湿潤な温帯モンスーン気候では30年くらい経つと,木がまた成長し元の山に戻り,また「たたら」ができます.実はこのように,鉄は,水の賜物なのです.

  「象潟や雨に西施がねぶの花」

  これは芭蕉の「奥の細道」の象潟での一句です.自宅に合歓の木があるせいか,このごろの季節になるとこの句がよく浮かびます.「西施」が何なのか分からなくても,雨と「ねぶ」つまり「合歓(ねむ)」の花,雨にけむる薄墨の背景のなかに合歓の薄赤色の花が咲いている・・・.「雨にけむる花」,この感覚は日本人の共通な感受性として,私達は共有できます.これは雨でなくてはなりません.

  日本の美意識を磨き,研ぎすましたものの一つは「水」であることは,間違いないでしょう.
  水が滅びるとき,つまり森や木が滅びるとき私達のこの貴重な財産も滅びます.

2004.5.29 電脳法師

・・・そして、この合歓の花のように・・・