東弓削遺跡は八尾市の中南部に位置する弥生時代中期(前2C)〜中世(16C)にかけての複合遺跡です。当遺跡は、八尾市域南部にあり、旧大和川の主流であった長瀬川と玉串川に挟まれた沖積地に存在します。
今回の調査は、曙川南土地区画整理事業に伴うもので、遺跡範囲の東部で実施しました。調査の結果、弥生時代中期〜室町時代前期の居住域・墓域・生産域に関連した遺構・遺物が見つかりました。
弥生時代中期中葉(前1C)の土坑〈SK64〉からは、遺存状態の良好な壺が出土しました。西に近接する1975〜1976年の市教委調査地などでは、弥生時代中期前半〜後半の土器が見つかっており、付近一帯は当該期の居住域となっていたようです。
古墳時代前期前半(3C後半〜3C末頃)の溝〈SD10〉からは、在地の土器とともに他地域から搬入された外来系土器が出土しています。なかでも山陰系土器が多く、吉備系、東部四国(讃岐・阿波)系の土器も見られます。これらの土器は、邪馬台国時代の他地域間交流を示す貴重な資料として注目されます。
古墳時代中期の地層からは家形埴輪の屋根の部分が見つかりました。屋根は切妻造りで、屋根の表面には粘土の帯を貼り、網代の模様を施しています。この埴輪の発見により、古墳時代中期の古墳が近隣に埋没している可能性が高くなりました。
奈良時代では、蔵骨器や軒平瓦を発見しました。蔵骨器は、須恵器の壺に須恵器の蓋を被せた状態で置いていました。この蔵骨器の発見により本地に当該期の墓域が存在していることが判明しました。また、軒平瓦は、鎌倉時代の土坑〈SK1〉から中世の土器と伴に出土しました。見つかった瓦は奈良時代のものであることから、近隣に寺域が存在していた可能性が高くなりました。
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