ふるさと散策   彫像の街・おおいた

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大分市には、街のあちこちに日本を代表する彫刻家たちの彫像が点在しています。
  彫像の街・おおいたを全国の皆さまに紹介させていただきます。

  

    街路樹の緑に囲まれた美術館 遊 歩 公 園

     
                       2015/7/8

府内城跡の南側に、緑の街路樹に囲まれ、細長く南北に延びる遊歩道がこの
「遊歩公園」です。公園周辺には、日本を代表する彫刻家たちの彫像が点在
し、訪れる人を魅了します。
                
      姉 妹  /1947 朝倉文夫

  
                   ぶらり 2015/3/22

 

          西洋医術発祥記念碑

   
          日本芸術院会員/彫塑家 古賀忠雄

                         
日本と初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルが、国主大友宗麟
の招きによってこの地で布教をしたのは、1551年(天文20年)のことであった。
それから僅か6年後の1557年(弘治 3年)には、この地に早くも日本最初の様式
病院が建ち、ポルトガルの青年医師アルメイダによって内科はもとより、日本
最初の洋式外科手術が盛んに行われた。病院には外来のほか入院の設備もあっ
て1562年(永禄5年)には入院患者が百人を超えていた。
更に病院にくることのできない患者のために巡回診療も行われていた。患者は
この新しい南蛮医術にあこがれ、はるばる京都や関東からさえ訪ねて来たと、
当時の記録は報じておる。また、この病院に日本最初の医学校が併設され、若
き日本人学生が西洋医学を学んだ。像はアルメイダが、日本人助手と共に外科
手術を始めようとしているところである。
    (贈/昭和47年10月31日 潟}リーンパレス)
              ぶらり 2015/3/22
 
                                        

    みどりのかげ/1925 朝倉文夫

    ぶらり 2006/12/3

  

 大分市コンパルホール4階/多目的ホール前
 この像は郷土の先覚朝倉文夫先生の若き日の作であり青銅などの素材
 の乏しかった昭和30年白セメントで制作し遊歩公園に設置されていた大
 変希少な意義のある像です。(銘板から)
 

    伊東ドン・マンショ像 /北村西望

  

 伊東マンショがローマ教皇に拝謁のためにバチカン宮に参入する像
                   
ヴァリニャーノの勧めで、九州のキリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠
等は少年使節をローマ教皇に派遣することになり、宗麟は姪の子13歳の伊東マン
ショを正使にした。有馬、大村は13歳の千々岩ミゲルを正使に、原マルチニヨ13
歳と中浦ジュリアン14歳を副使とした。伊東マンショは一行の主席正史であった。
これが世にいう「天正遣欧少年使節」である。

この少年使節一行は1582年2月20日(天正10年正月28日)、 永遠の都ローマを目
指して長崎の港を出帆し、雲煙万里の旅に出た。途中暴風雨、無風状態、海賊、
船の故障等のあらゆる困難を克服した。ポルトガルの主都リスボンに上陸したの
は、実に2年半後の1584年8月11日(天正12年7月6日)のことであった。
その後ポルトガル、スペイン、イタリアの各地で熱狂的な歓迎を受け、ついに待
望のローマ入りの日は来た。

時は1585年3月23日、ローマにおる限りの高位貴顕の士によって編成された壮麗
な大行列は晴れの少年使節を中心に延々と続き、スイス禁衛兵に衛られ、ラッパ
や音楽の吹奏、殷々と軣く3百発の祝砲の中をバチカン宮に向かって行進した。
ローマは街も家々の窓も歓喜と好奇に熱狂した市民で埋めつくされた。かくて少
年使節は時のローマ教皇ゲレゴリウス13世に、日本の服装で拝謁した。この少
年使節のニュースは忽ち全欧州に広がり、日本少年の名をいやが上にも高らしめ
た。

帰路は逆コースをとって、1590年7月27日(天正18年6月16日)実に出発以来8年
半後懐かしい長崎に上陸したが、既に宗麟は3年前にこの世を去り、ただ待って
いたものは秀吉の厳しい禁教令であった。

その後の伊東マンショは神父として、ひそかに匿れキリシタン達に布教しながら
清い生活を続け、慶長17年10月21日(1612年11月13日) 43歳で病没した。
      
(贈/昭和50年10月31日潟}リーンパレス)
                ぶらり 2015/3/22
 

    西洋音楽発祥記念碑 /1971 竹永直樹 

  

  

                  
1551年(天文20年)フランシスコ・ザビエルが、ここ府内(大分市)の地でキリスト
教を布教して以来、教会、孤児院、病院、学校がつぎつぎでき、この地は日本最
初のキリスト教文化の栄えた町となった。やがてこの町から美しい賛美歌の歌声
が流れるようになったが、わけても1557年(弘治3年)の聖週間には聖歌隊がで
き、オルガンの伴奏で賛美歌が合唱されたと、当時の文献が報じている。また外
人神父からビオラを学んだ少年たちは1562年(永禄5年) 7月、領主大友宗麟の前
でこれを演奏して大いに賞賛を博した。
このように、大分市には日本における西洋音楽の発祥の地であるにもかかわらず、
今日この史実を知る人はきわめて稀である。
           
 (贈/昭和46年10月31日 潟}リーンパレス)
                    ぶらり 2006/12/18
 

      滝 廉 太 郎 君 像

   1950 朝倉文夫

朝倉文夫は竹田高等小学校の同窓で、「君は15歳、自分は11歳二つの
教室は 向かいあっていた」と像の背面に記している。
          ぶらり 2015/3/22



    西洋劇発祥記念碑

     ソロモンの裁判を願った二人の婦人の場面

  

     東京藝術大学教授/船越保武
           
この地にキリスト教が布教されて9年後の1560年(永禄 3年)のクリスマスに、
府内(大分市)のキリスト教会では信者の手によって「アダムの堕落と贖罪の希
望」「ソロモンの裁判を願った二人の婦人」等々の西洋劇が演ぜられた。これが
日本における洋劇の最初である。以来、府内教会ではクリスマスや復活祭に聖書
に基づく数々の宗教劇が演ぜられるならわしになった。
                           ぶらり 2015/3/22
 

      育児院と牛乳記念碑

  


                    
ぶらり 2015/3/22

 大分市の名木 そ て つ

遊歩公園の北側の車道を挟んで昭和通に面した広場の中央にでんと座った蘇鉄

  

  名木/指定番号9号 S49.2.1
      樹高/8m 幹周/5.00m 樹齢/330年
               ぶらり 2010/11/18

 

        健ちゃん  北 村 西 望

     

この制作は彫塑界の長老北村西望の出世作で1917年第 2回日展に出品し、
圧倒的称賛を博した作品です。
       (贈1969/10./31 大分市生態水族館)
                    ぶらり 2015/3/22

 

    聖フランシスコザビエル像

  

               
日本で初めてキリスト教を伝えたフランシスコザビエルは東洋宣教の途次1549年
天文18年)日本に渡来した。その後、鹿児島、平戸、山口で布教し、1551年(天文
20年)9月、大友宗麟の招きにより大分に来て布教した。かくてこの地は日本にお
ける布教の中心地となり、西洋文化が目覚しく開花した。

少年達はビオラを弾き賛美歌をうたった。 これは日本で唱歌をうたった最初であ
る。またクリスマスには、これも日本最初の西洋劇が演ぜられた。 更に日本で初
めての様式病院さえあった。その後初等学校、問答学校、通訳学校、伝道師学校、
コレヂオもあった。 実に大分こそは当時西洋文化の花園であった。
(1969年12月3日 聖フランシスコザビエルの祝日 大分県キリシタン史蹟顕彰会
                        ぶらり 2007/7/29
 

 遊歩公園に面した大分県庁本館の壁面

  

 壁面の模様(作品)は世界的に活躍する彫刻家Samurai Artist
 の異名をもつ 流政之の作品です。

 

 流 政之(ながれまさゆき1923〜)
世界的に活躍する彫刻家、Samurai Artistの異名をもつ。1923年長崎県に
生まれ、1942年立命館大学法学部へ進学。その後中退し、海軍予備学生出
身の零戦搭乗員として終戦をむかえる。

                     ぶらり 2010/11/29
 

  木下郁・上田保先生像 
        日本芸術院会員/富永直樹

       

遊歩公園の入口に面した昭和通りを挟んだ城址公園にこの像が立っている。
昭和通りは飛行機を降ろすのかと揶揄された大通りを、当時の市長上田保が
遺したことで知られる。この時の知事が木下郁で、いわゆる新産都計画を進
め大分を工業県へと導いた。
近代大分県が生んだ大政治家と県民等しく認めている二人の立像です。
          ぶらり 2007/12/2
 

      新 聞 少 年

   ぶらり 2007/3/31
   長 谷 秀 雄  大分市庁舎前にて(大分市荷揚町)

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